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日常
第三百六十話 とんかつ
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「今日も暑くなりそうだなあ……」
目が覚めて、布団からはいずり出て窓の外を見る。
すっかり明るい空に雲は一つもなく、セミがちらほらと鳴き始めていた。うめずも最近は窓辺におらず、クーラーの効いた居間の冷たい板張りの上でゴロゴロしていることが多い。で、自分がいるところの床が温くなったら、移動する。おかげであちこちの板張りが生ぬるい。
「おはよー」
「おはよう、春都。眠れた?」
「んー……でもまだ眠い」
台所には父さんと母さんがそろっていた。父さんは、沸かして、冷やしておいたやかんに入った麦茶を容器に移している。あれは結構な労働なんだよなあ。
「顔洗っておいで。朝ごはんにしよう」
「うーい」
クーラーのない廊下はむわっと暑い。冷水で顔を洗うが、なんかちょっとぬるいようにも思う。
朝飯にはピーマン、トマト、ナスと夏野菜が勢ぞろいだ。ピーマンはちくわと炒めてあって、トマトは少し加熱しただけ、そしてナスは素揚げときた。それと、弁当の卵焼きの残り。
「いただきます」
あ、これ、カレー味で炒めてあるんだ。みずみずしいピーマンの食感とほのかな苦み、ちくわの味、それをうまいことまとめる香辛料。これはうまい、ご飯が進むなあ。
加熱されたトマトは味と甘みが凝縮されているようだ。
ナスの素揚げにはポン酢をかける。油をたっぷり吸っているのだろうに、ポン酢も余すことなく吸い上げていく。ナスの吸水力はすごいよなあ。噛めば、たっぷり含んだ味と水分がジュワッと染み出し、噛み応えのある皮と、とろとろの部分が口いっぱいに広がる。
「晩ご飯は何にしようね。こうも暑いと、思いつかないわ」
母さんは卵焼きにマヨネーズをつけてほおばって言った。父さんは麦茶のおかわりをコップに注ぎながら「そうだねえ」とつぶやいた。
「うどんやそばでもいいけど、こう、がっつりいきたいっていう部分もある」
「栄養あるもの食べないとばてちゃうもんね。春都は何食べたい?」
「俺はー……」
何だろう。いつもならからあげか茶碗蒸しと即答するものだが、今日はなんだか気分が違う。揚げ物は食いたい。でも、鶏じゃなくて、豚が食いたいなあ。
「なんか、豚、揚げたの」
「豚揚げたの? 天ぷら? それともとんかつ?」
「あ、とんかつ。とんかつ食べたい」
「いいね、とんかつ。じゃあそうしよう。ソースもいろいろ準備しようか」
そう母さんが言うと、父さんは「大根おろしとか」と楽しそうに言った。ああ、大根おろしととんかつって合うよなあ。
「そうね。じゃあ、大根はお父さんにおろしてもらおうかな」
「任せてもらおう」
父さんがおろした大根、高確率で辛味が強いんだよなあ。
ま、それはそれでうまいからいいんだけど。
「しんどい」
昼休みになって教室に来るなり、咲良は人の机でうなだれた。
「どうした。暑さでやられたか」
「それもあるけど~、こんなに天気がいい日って、結構しんどいんだぁ」
「大変なんだな」
痛みやらだるさやでうめきつつも食欲はあるようで、食堂には行った。
「大盛り食うのか」
「腹は減ってんの」
かつ丼の大盛りは、ずいぶんな存在感である。元気そうにも見えるが、まあ、確かにいつもよりもおとなしいか。
「やーもう慣れてはいるんだけどなあ。やっぱしんどいわ」
「なんもない、元気なやつでもばてるからな」
「気持ちは元気だぜー」
弁当の中身は朝飯とほとんど一緒だ。野菜率の高いことで。しかし、文句などない。むしろ大歓迎である。
「そんでさー、昨日、部屋でダウンしてたんだけどなあ。そういう日に限って妹が騒がしいわけ。弁当いるのに思い出したの夜とか、洗濯物出してなかったとか」
「あー、親ともめるやつ」
「そう、それ。おかげで休めないっての」
春都といる方が静かでいい、と咲良は笑った。
「春都んちはさあ、親も優しいし、いいよなあ。春都の家に住みてーわ。学校近いし」
「なんだそれ」
「ねー、また遊び来ていい? 夏休みとか」
「嫌だ、っつっても来るだろ、お前」
「ばれた?」
にしし、と咲良はいたずらっぽく笑った。
それにつられて思わず、口元が緩んだのを感じた。
家に帰ればすっかりとんかつはできあがっていた。
「そろそろ帰ってくると思って」
そう笑って言いながら、母さんはテーブルの準備をする。揚げたてだと。そんなん、早く食べたくなるじゃないか。
「早くお風呂入って来なさい」
「うん」
ただでさえ烏の行水だが、今日は特に早かった。腹が減ってしょうがない。
「いただきます」
まずはとんかつを眺めながらキャベツの千切りを。ドレッシングの風味を感じながら、どうやって食べていこうかと考える。
まずはやっぱりソースとごま。香ばしくはじけるゴマに、ほのかな酸味を含んだとんかつソース。サックサクの衣にまとわりついて、豚肉のうま味を引き立てる。これは豚ロースか。すごくジューシーだ。脂身の甘味がなんともいい味だ。
「こっちの小さいのはヒレよ」
「ヒレもあるんだ」
「大根おろしもあるぞ~」
うう、ヒレも食いたいが、まずはロースに大根おろしをのせてみる。
がっつり系の肉の味に、大根おろしのみずみずしさとほのかな辛味が合う。ポン酢が爽やかだ。これもご飯に合う。
さあ、ヒレ。
ジューシーというより、しっかりとした噛み応えだ。にじみ出るうま味はしっかりとしている。ソースにからしをつけて食べれば、きりっと引きしまった味わいになる。
大根おろし。ああ、これうまい。あっさりとした肉質のヒレに、サクサクの衣、ジュワッとみずみずしい大根、ポン酢。最高の組み合わせだなあ。
「うまい」
「揚げるの大変だけど、おいしいね」
「大根おろしは腕がくたびれるなあ」
まあ、うちの親は俺に甘い、というわけでは決してないのだが……確かに、こうやってなんでもなく笑いながら飯を食えるっていうのは、いいな。
「明日の朝残ったら、ミニかつ丼でも作ってあげようか。朝から入る?」
「入る」
何それ、すげえうまそう。
そういうことならちゃんと、明日の分まで残しておかないとな。
「ごちそうさまでした」
目が覚めて、布団からはいずり出て窓の外を見る。
すっかり明るい空に雲は一つもなく、セミがちらほらと鳴き始めていた。うめずも最近は窓辺におらず、クーラーの効いた居間の冷たい板張りの上でゴロゴロしていることが多い。で、自分がいるところの床が温くなったら、移動する。おかげであちこちの板張りが生ぬるい。
「おはよー」
「おはよう、春都。眠れた?」
「んー……でもまだ眠い」
台所には父さんと母さんがそろっていた。父さんは、沸かして、冷やしておいたやかんに入った麦茶を容器に移している。あれは結構な労働なんだよなあ。
「顔洗っておいで。朝ごはんにしよう」
「うーい」
クーラーのない廊下はむわっと暑い。冷水で顔を洗うが、なんかちょっとぬるいようにも思う。
朝飯にはピーマン、トマト、ナスと夏野菜が勢ぞろいだ。ピーマンはちくわと炒めてあって、トマトは少し加熱しただけ、そしてナスは素揚げときた。それと、弁当の卵焼きの残り。
「いただきます」
あ、これ、カレー味で炒めてあるんだ。みずみずしいピーマンの食感とほのかな苦み、ちくわの味、それをうまいことまとめる香辛料。これはうまい、ご飯が進むなあ。
加熱されたトマトは味と甘みが凝縮されているようだ。
ナスの素揚げにはポン酢をかける。油をたっぷり吸っているのだろうに、ポン酢も余すことなく吸い上げていく。ナスの吸水力はすごいよなあ。噛めば、たっぷり含んだ味と水分がジュワッと染み出し、噛み応えのある皮と、とろとろの部分が口いっぱいに広がる。
「晩ご飯は何にしようね。こうも暑いと、思いつかないわ」
母さんは卵焼きにマヨネーズをつけてほおばって言った。父さんは麦茶のおかわりをコップに注ぎながら「そうだねえ」とつぶやいた。
「うどんやそばでもいいけど、こう、がっつりいきたいっていう部分もある」
「栄養あるもの食べないとばてちゃうもんね。春都は何食べたい?」
「俺はー……」
何だろう。いつもならからあげか茶碗蒸しと即答するものだが、今日はなんだか気分が違う。揚げ物は食いたい。でも、鶏じゃなくて、豚が食いたいなあ。
「なんか、豚、揚げたの」
「豚揚げたの? 天ぷら? それともとんかつ?」
「あ、とんかつ。とんかつ食べたい」
「いいね、とんかつ。じゃあそうしよう。ソースもいろいろ準備しようか」
そう母さんが言うと、父さんは「大根おろしとか」と楽しそうに言った。ああ、大根おろしととんかつって合うよなあ。
「そうね。じゃあ、大根はお父さんにおろしてもらおうかな」
「任せてもらおう」
父さんがおろした大根、高確率で辛味が強いんだよなあ。
ま、それはそれでうまいからいいんだけど。
「しんどい」
昼休みになって教室に来るなり、咲良は人の机でうなだれた。
「どうした。暑さでやられたか」
「それもあるけど~、こんなに天気がいい日って、結構しんどいんだぁ」
「大変なんだな」
痛みやらだるさやでうめきつつも食欲はあるようで、食堂には行った。
「大盛り食うのか」
「腹は減ってんの」
かつ丼の大盛りは、ずいぶんな存在感である。元気そうにも見えるが、まあ、確かにいつもよりもおとなしいか。
「やーもう慣れてはいるんだけどなあ。やっぱしんどいわ」
「なんもない、元気なやつでもばてるからな」
「気持ちは元気だぜー」
弁当の中身は朝飯とほとんど一緒だ。野菜率の高いことで。しかし、文句などない。むしろ大歓迎である。
「そんでさー、昨日、部屋でダウンしてたんだけどなあ。そういう日に限って妹が騒がしいわけ。弁当いるのに思い出したの夜とか、洗濯物出してなかったとか」
「あー、親ともめるやつ」
「そう、それ。おかげで休めないっての」
春都といる方が静かでいい、と咲良は笑った。
「春都んちはさあ、親も優しいし、いいよなあ。春都の家に住みてーわ。学校近いし」
「なんだそれ」
「ねー、また遊び来ていい? 夏休みとか」
「嫌だ、っつっても来るだろ、お前」
「ばれた?」
にしし、と咲良はいたずらっぽく笑った。
それにつられて思わず、口元が緩んだのを感じた。
家に帰ればすっかりとんかつはできあがっていた。
「そろそろ帰ってくると思って」
そう笑って言いながら、母さんはテーブルの準備をする。揚げたてだと。そんなん、早く食べたくなるじゃないか。
「早くお風呂入って来なさい」
「うん」
ただでさえ烏の行水だが、今日は特に早かった。腹が減ってしょうがない。
「いただきます」
まずはとんかつを眺めながらキャベツの千切りを。ドレッシングの風味を感じながら、どうやって食べていこうかと考える。
まずはやっぱりソースとごま。香ばしくはじけるゴマに、ほのかな酸味を含んだとんかつソース。サックサクの衣にまとわりついて、豚肉のうま味を引き立てる。これは豚ロースか。すごくジューシーだ。脂身の甘味がなんともいい味だ。
「こっちの小さいのはヒレよ」
「ヒレもあるんだ」
「大根おろしもあるぞ~」
うう、ヒレも食いたいが、まずはロースに大根おろしをのせてみる。
がっつり系の肉の味に、大根おろしのみずみずしさとほのかな辛味が合う。ポン酢が爽やかだ。これもご飯に合う。
さあ、ヒレ。
ジューシーというより、しっかりとした噛み応えだ。にじみ出るうま味はしっかりとしている。ソースにからしをつけて食べれば、きりっと引きしまった味わいになる。
大根おろし。ああ、これうまい。あっさりとした肉質のヒレに、サクサクの衣、ジュワッとみずみずしい大根、ポン酢。最高の組み合わせだなあ。
「うまい」
「揚げるの大変だけど、おいしいね」
「大根おろしは腕がくたびれるなあ」
まあ、うちの親は俺に甘い、というわけでは決してないのだが……確かに、こうやってなんでもなく笑いながら飯を食えるっていうのは、いいな。
「明日の朝残ったら、ミニかつ丼でも作ってあげようか。朝から入る?」
「入る」
何それ、すげえうまそう。
そういうことならちゃんと、明日の分まで残しておかないとな。
「ごちそうさまでした」
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