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日常
第三百九話 焼きたてパン
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「散歩行くぞ、うめず」
「わふっ」
昨日の晩降っていた雨はすっかり上がり、今日は朝から天気がいいので、洗濯を干したら散歩に行くことにした。
来週からはずっと天気が悪いらしい。いよいよ梅雨が近づいてくるんだなあと思うと少し憂鬱である。蒸し暑いのは苦手だ。
それに、体育祭の練習も近まってくる。面倒だなあ。
盛大にため息をついたら、足元を行くうめずが「わう」と見上げてきた。
「ん? ああ、大丈夫だ」
「わふっ」
「そうだなあ。せっかく天気がいいのに、ため息ついてたらもったいないよなあ」
今日は少し遠くまで行ってみようか。どこがいいかなあ、あ、図書館辺りまで行くか。ちょうどいい距離だし。
アーケードを通って、裏道を行けばすぐだ。
「……お、なんかできてる」
ついこの間まで改装中だった場所が、すっかりきれいになっている。暖色のレンガ模様で、木枠の扉がおしゃれだ。これまた凝ったデザインの看板を見ると、ここはパン屋らしいことが分かった。
数日前に開店したばかりらしい。店先には『オープン記念サービス実施中!』と小さな黒板に手書きで書いてある。パンの絵がすごく上手だ。
開店時間は……まだみたいだ。散歩の帰りに開いていたら寄って行こう。
裏道は相変わらず静かだ。開いているかいないか分からない生花店、まだ眠りについている夜開店の店、子どもの姿のない駄菓子屋、参拝客のいない神社。人の姿は全くと言っていいほど見当たらないが、どことなく生活の気配を感じる。
雨風に打たれて色褪せた灰色の壁のアパートにはいくつか明かりがともっていて、古い家の前を通ったとき、水が流れる音が聞こえた。嗅いだことのないこの香りは、何の料理のものだろう。うちの味付けとは明らかに違うであろう料理の香りが漂った時、やっと人間の気配を感じ取った。
まだ残る水たまりに気を付けながら歩く。向かいからも犬がやってきているようだ。あれは……柴犬かな。黒くて、小さいな。
「わんっ」
と、うめずとは違う声にそちらをむけば、前から来ていた柴犬がうめずに近寄ってきていた。少し驚いた様子ではあったが、うめずはゆらゆらとしっぽを振ると「わう」と小さく吠えた。
「あらら、すみません」
「いえ」
飼い主らしい女の人は苦笑してリードを少し引っ張った。
うめずはどうにも、人だけでなく他の犬……もとい、生物に好かれやすいようだ。こないだは野良猫が興味津々で近寄ってきていたし、スズメとかもすぐ逃げないんだよなあ。
「ほら、行くよ」
「わぅん」
柴犬は満足したのか、飼い主の言葉に従った。飼い主は会釈すると、柴犬とともに行ってしまった。
「びっくりしたなあ」
「わふ」
図書館の周辺は少し人がいる。休みなので子どもの姿もあった。行事そのものの好き嫌いはともかくとして、こういう市民ホールとかに来るのは結構好きだ。特に、人が少ないとき。少しひんやりしているような、さみしげなような、そんな雰囲気がなんとなく好みだ。
そういやここ、外階段があるんだよな。上ったことないけど、どこにつながってんだろう。
お、自習室とかあるんだ。へえ、知らなかった。そういや咲良が住んでるとこの市民ホールにはあるって言ってたな。結構学生が利用してるって。咲良は使ったことないらしいけど。
今日は閉鎖されているみたいだ。結構広々として使いやすそう。
「一条とうめず、発見!」
その声に振り返れば、百瀬がいた。百瀬はひらひらと手を振ると「やっほ~」と笑った。
「あれ、百瀬。なんで?」
「一番下の妹が借りたい本あるって言うから連れてきた」
「お前んとこ、図書館なかったっけ」
「いや、借りたい本がこっちにしかなかったみたい」
そういう本って、結構ある。逆にこっちの図書館にはなくて、別の図書館とか分館にある、とかいうこともあるな。
「中には行かないのか」
「どっか行ってろって言われたから、とりあえず外出てきた」
「なぜ」
「邪魔なんだって」
慣れたように笑う百瀬に、何も言えなかった。
その後しばらく話していたら、百瀬のスマホが鳴った。どうやら中にいる妹らしい。
「なに? は、閉架書庫? だったら司書の人に聞けばいいだろ。……聞きたくない? お前、自分が借りたいんだろ。なら自分で……あっ、切りやがった」
百瀬は長いため息をつくと、あきらめたような表情でこちらを見た。
「と、いうわけだ。ちょっと行ってくる」
「おお」
百瀬が図書館に向かうのを見て、自分たちも帰ることにした。
きょうだいって、大変なんだなあ。
帰り際にもう一度パン屋を覗いたら開いていたので、いくつか買って帰ることにした。昼飯にはまだ早いが、おやつだ。
塩パンにメロンパン、あとはチョココロネ。どれも焼きたてだ。昨日のジュース、オレンジが残ってたからそれ飲もう。
「いただきます」
どれから食べようかなあ。まずは……塩パン。
おお、まだほんのりぬくい。表面はサクッと香ばしく、中はバターが染み染みでじゅーわあっとしている。空洞になっているんだな、中は。塩パンってなぜかおいしいイメージなかったけど、うまいな。シンプルなしょっぱさがたまらなくうまい。
塩の結晶をのせて焼かれたらしい部分は特にしょっぱい。カリカリしてて歯触りもいいのだ。
次はメロンパン。クッキー生地はバターと砂糖の香りが豊かで、さくさくと食感がいい。ふわあっとした中身は噛むとモチモチだ。甘い。甘いけど、市販のやつよりちょっと控えめだな。まだ焼けてなかったけど、チョコとかイチゴフレーバーのもあるらしい。
イチゴ味のメロンパン。なんか、不思議だな。
爽やかなオレンジジュースを飲んだら、次はチョココロネ。
渦巻き型のパンはモチモチだ。こういうのって、最後までチョコクリーム入ってないこと多いけど、これは……おお、ぎっちり。ちょっと食べづらいけど、うまい。細い方を少しちぎって食べるのが、今のところ一番食べやすいとおもう。
コク深い甘みにほろ苦さのあるチョコクリームは、香ばしいパンによく合う。おいしい。
まだ開店してすぐだったから数はあまりなかったけど、この三つは正解だったな。また、別の買ってみよう。何なら今日の昼、また買いに行ってみるとか。
でも、大きい分、お値段もなかなかだったからなあ。ま、たまの楽しみってことにしとくかな。
「ごちそうさまでした」
「わふっ」
昨日の晩降っていた雨はすっかり上がり、今日は朝から天気がいいので、洗濯を干したら散歩に行くことにした。
来週からはずっと天気が悪いらしい。いよいよ梅雨が近づいてくるんだなあと思うと少し憂鬱である。蒸し暑いのは苦手だ。
それに、体育祭の練習も近まってくる。面倒だなあ。
盛大にため息をついたら、足元を行くうめずが「わう」と見上げてきた。
「ん? ああ、大丈夫だ」
「わふっ」
「そうだなあ。せっかく天気がいいのに、ため息ついてたらもったいないよなあ」
今日は少し遠くまで行ってみようか。どこがいいかなあ、あ、図書館辺りまで行くか。ちょうどいい距離だし。
アーケードを通って、裏道を行けばすぐだ。
「……お、なんかできてる」
ついこの間まで改装中だった場所が、すっかりきれいになっている。暖色のレンガ模様で、木枠の扉がおしゃれだ。これまた凝ったデザインの看板を見ると、ここはパン屋らしいことが分かった。
数日前に開店したばかりらしい。店先には『オープン記念サービス実施中!』と小さな黒板に手書きで書いてある。パンの絵がすごく上手だ。
開店時間は……まだみたいだ。散歩の帰りに開いていたら寄って行こう。
裏道は相変わらず静かだ。開いているかいないか分からない生花店、まだ眠りについている夜開店の店、子どもの姿のない駄菓子屋、参拝客のいない神社。人の姿は全くと言っていいほど見当たらないが、どことなく生活の気配を感じる。
雨風に打たれて色褪せた灰色の壁のアパートにはいくつか明かりがともっていて、古い家の前を通ったとき、水が流れる音が聞こえた。嗅いだことのないこの香りは、何の料理のものだろう。うちの味付けとは明らかに違うであろう料理の香りが漂った時、やっと人間の気配を感じ取った。
まだ残る水たまりに気を付けながら歩く。向かいからも犬がやってきているようだ。あれは……柴犬かな。黒くて、小さいな。
「わんっ」
と、うめずとは違う声にそちらをむけば、前から来ていた柴犬がうめずに近寄ってきていた。少し驚いた様子ではあったが、うめずはゆらゆらとしっぽを振ると「わう」と小さく吠えた。
「あらら、すみません」
「いえ」
飼い主らしい女の人は苦笑してリードを少し引っ張った。
うめずはどうにも、人だけでなく他の犬……もとい、生物に好かれやすいようだ。こないだは野良猫が興味津々で近寄ってきていたし、スズメとかもすぐ逃げないんだよなあ。
「ほら、行くよ」
「わぅん」
柴犬は満足したのか、飼い主の言葉に従った。飼い主は会釈すると、柴犬とともに行ってしまった。
「びっくりしたなあ」
「わふ」
図書館の周辺は少し人がいる。休みなので子どもの姿もあった。行事そのものの好き嫌いはともかくとして、こういう市民ホールとかに来るのは結構好きだ。特に、人が少ないとき。少しひんやりしているような、さみしげなような、そんな雰囲気がなんとなく好みだ。
そういやここ、外階段があるんだよな。上ったことないけど、どこにつながってんだろう。
お、自習室とかあるんだ。へえ、知らなかった。そういや咲良が住んでるとこの市民ホールにはあるって言ってたな。結構学生が利用してるって。咲良は使ったことないらしいけど。
今日は閉鎖されているみたいだ。結構広々として使いやすそう。
「一条とうめず、発見!」
その声に振り返れば、百瀬がいた。百瀬はひらひらと手を振ると「やっほ~」と笑った。
「あれ、百瀬。なんで?」
「一番下の妹が借りたい本あるって言うから連れてきた」
「お前んとこ、図書館なかったっけ」
「いや、借りたい本がこっちにしかなかったみたい」
そういう本って、結構ある。逆にこっちの図書館にはなくて、別の図書館とか分館にある、とかいうこともあるな。
「中には行かないのか」
「どっか行ってろって言われたから、とりあえず外出てきた」
「なぜ」
「邪魔なんだって」
慣れたように笑う百瀬に、何も言えなかった。
その後しばらく話していたら、百瀬のスマホが鳴った。どうやら中にいる妹らしい。
「なに? は、閉架書庫? だったら司書の人に聞けばいいだろ。……聞きたくない? お前、自分が借りたいんだろ。なら自分で……あっ、切りやがった」
百瀬は長いため息をつくと、あきらめたような表情でこちらを見た。
「と、いうわけだ。ちょっと行ってくる」
「おお」
百瀬が図書館に向かうのを見て、自分たちも帰ることにした。
きょうだいって、大変なんだなあ。
帰り際にもう一度パン屋を覗いたら開いていたので、いくつか買って帰ることにした。昼飯にはまだ早いが、おやつだ。
塩パンにメロンパン、あとはチョココロネ。どれも焼きたてだ。昨日のジュース、オレンジが残ってたからそれ飲もう。
「いただきます」
どれから食べようかなあ。まずは……塩パン。
おお、まだほんのりぬくい。表面はサクッと香ばしく、中はバターが染み染みでじゅーわあっとしている。空洞になっているんだな、中は。塩パンってなぜかおいしいイメージなかったけど、うまいな。シンプルなしょっぱさがたまらなくうまい。
塩の結晶をのせて焼かれたらしい部分は特にしょっぱい。カリカリしてて歯触りもいいのだ。
次はメロンパン。クッキー生地はバターと砂糖の香りが豊かで、さくさくと食感がいい。ふわあっとした中身は噛むとモチモチだ。甘い。甘いけど、市販のやつよりちょっと控えめだな。まだ焼けてなかったけど、チョコとかイチゴフレーバーのもあるらしい。
イチゴ味のメロンパン。なんか、不思議だな。
爽やかなオレンジジュースを飲んだら、次はチョココロネ。
渦巻き型のパンはモチモチだ。こういうのって、最後までチョコクリーム入ってないこと多いけど、これは……おお、ぎっちり。ちょっと食べづらいけど、うまい。細い方を少しちぎって食べるのが、今のところ一番食べやすいとおもう。
コク深い甘みにほろ苦さのあるチョコクリームは、香ばしいパンによく合う。おいしい。
まだ開店してすぐだったから数はあまりなかったけど、この三つは正解だったな。また、別の買ってみよう。何なら今日の昼、また買いに行ってみるとか。
でも、大きい分、お値段もなかなかだったからなあ。ま、たまの楽しみってことにしとくかな。
「ごちそうさまでした」
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