一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第三百六話 中華丼

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 家に帰りつき、ソファに横になってどれくらい経っただろう。雨が激しく降っている。ただでさえ暗い空がさらにだんだんと暗くなり始めたので、そろそろ風呂に入ろうと起き上がる。

「あ~……制服乾いたかな」

 今日はなんだかうまく回らない日だった。

 少しぬるめの湯船につかり、ぼんやりと朝からのことを思い出す。いや、今冷静に考えてみれば、昨日の晩からしくじっていたんだよなあ。



 まず、目覚ましをセットしたはずだったのに鳴らなかったんだ。どういうことだと思ったが、遅刻ギリギリの時間だったので朝飯もそこそこに鞄とリュックサックだけを引っ掴んで学校へ走った。今日は午後から雨が降ると天気予報で言っていたことも忘れて。

 何とか朝課外には間に合ったが、予習するところを間違えていたので大変だった。準備は完璧で忘れ物無し、と思っていたが、まさかここでつまづくとは。問題を解きながら授業を受け、当てられたところは何とか答えられた。国語だったのが不幸中の幸いだった。

 課外が終わって一息ついたところで、日直だったことを思い出した。もう一人の日直に聞けば、日誌はまだ取ってきていなかったらしい。黒板は今日の授業分全部消すから、日誌は書いてくれと頼まれたので、それならと職員室前に日誌を取りに行くことにした。

 渡り廊下を行けばすぐそこに職員室はある。しかし、その渡り廊下が何やら騒がしい。

 どうやらスマホをいじっていた生徒がいたらしく、先生に大声で怒鳴られていた。がっつり渡り廊下を占領しているのでその先に行けない。

「やば、ここ通ったら流れ弾くらうんじゃね」

「ええ~、遠回りするしかないってこと?」

 俺と同じように、渡り廊下の先に用事があるらしいやつらがこそこそと文句を言っている。怒鳴っている教師に聞こえないようにと小声だが、まあ、この怒声の音量だと、たいていのことは聞こえまい。

 仕方なく一階から迂回して行けば、その時にはもう渡り廊下は解放されていた。なんなんだ。

 とりあえず教室に戻って日誌に日付を入れる。と、チャイムが鳴って先生がやってきた。

「おーい、日直~。黒板消せよ~」

 ありゃ、黒板してなかったのか。でもまあもう一人がするっつってたし、いいだろ。

 そう思って日誌を書き続けていたら、机をトントンとたたかれた。

「はい?」

「日直、黒板」

 そう言って顎で黒板を示す先生。なんだかその態度にちょっとムカついたので、いつもだったらスルーしているところを思わず「もう一人がやるっつってたんで」と言い返してしまった。

 すると先生は大げさに、嘲りのような表情を浮かべた。

「そんな細かいことを言うんじゃない。気づいたやつが消せばいいだろう」

「はあ、そうですか」

「なんだその言い方は。納得いかないのか」

 そりゃ納得いかねーっての。もう一人の日直がやるって言ったことをやってなくて、それで俺が文句言われるとか。おめーがそれされたら納得すんのかっつーの。

「いえ、日直なのでやります」

「そんな不貞腐れた態度をとるんじゃない。そんなんじゃ、社会に出て苦労するぞー」

 約束を守らないのはどうなんですか。

 結局、その日一日、俺が黒板を消す羽目になった。だからといってもう一人が日誌を書いてくれるわけでもないし。先生は俺一人が日直みたいな扱いするし。途中までは「もう一人日直いますよ」ということを訴えていたが、聞き入れてくれる様子がなかったのであきらめた。

 昼休み、飯ぐらいはうまく食いたいと思っていたが、ちょっと席を離れた隙に場所を取られた。学食も人が多く、最終的に咲良の教室で食うことになった。落ち着かなくて、食った気がしなかった。咲良はよく平気で、よその教室で飯が食えるなあと感心した。

「あ、いかん。ノート集めるの忘れてた。日直が集めて提出な」

五時間目の終わりになって急に先生が言うものだから、大変だった。もう一人にも協力を要請したが、返事だけ立派で集めようとする様子もなかったので結局俺が集めた。

 冊数も数えて提出したはずだったのだが、先生に引き留められた。

「一冊たりないぞ」

「え、でも数合ってた……」

 どうやらノートの残りページが足りなくて、二冊に渡って出しているやつがいて、そのせいで、数は確かに合っているが一人出してないやつがいる、という状況になってしまったらしい。

 幸いにも、というべきか。バレー部のやつだったので勇樹にそいつを呼んでもらって回収できたのはまあよかった。もう一人の日直がそそくさと帰っていたのには腹が立ったが。

 しかし体育館、授業の時よりも暑苦しいというか、圧迫感がすごかった。なんというか、アウェー感がすごい。俺はきっとここにいてはいけないタイプの人間だと思った。

「うげ、空暗い」

 やっと帰れると思って外を見れば、重苦しいほどに真っ黒な雲が空に鎮座していた。

 雨の匂いがする。これは降ってくるな。傘は……あ、忘れてる。まあ、走って帰れば大丈夫だろう。

 しかし途中で雷の音が聞こえたかと思えば、どっ、と雨が降り出した。小雨とかじゃない。もう、豪雨。

「あ~もう!」

 本当に今日はうまくいかない。

 どこに向けるべきか分からない怒りを持て余す。ああ、腹立つ。



 しかしいつまでもイライラしたって状況は変わらない。

「何食うかな……」

 料理する気も起きないが、腹は減る。とりあえず冷蔵庫の中を見てみるか。お、中華丼の具、発見。冷凍だからチンすればいい。これ買った時の俺、ナイス。

 うーん、付け合わせに何か欲しいな。よし、キュウリ切ってドレッシングかけよう。簡単なものだがうまいのだ。

 たっぷりのご飯に具をのせて……ああ、やさしい、いい香りだ。

「いただきます」

 トロットロの具とご飯を一緒にすくい上げる。白菜、たけのこ、ニンジン。野菜の甘味が体に染みる。出汁とゴマ油の香りが鼻に抜け、餡をたっぷり絡めたご飯の口当たりよく、一口、また一口と食べ進めるにつれて気持ちが落ち着いてくる。

 シャキシャキ食感のタケノコや、たっぷり味を含んでジューシーな白菜、ほろほろに甘いニンジン。きくらげの食感も独特でいい。ぐに、ざく、しゃき。そのどれかのようで、どれでもない感じ。

 キュウリはさっぱりとしている。ドレッシングの味とみずみずしい触感がたまらなく合うのだ。

 そしてお楽しみ、うずらの卵。

 プチッとはじける白身にまろやかな黄身。濃い卵の味に中華のまろやかな味付けが程よく絡んでうまい。

 はあ、やっと落ち着いた。やっぱり空腹は余裕をなくさせる。

「……頑張ろ」

 毎日が毎日、いいことばかりあるわけではない。

 そりゃ人間だし、うまく切り替えらんないときもあるし、なんならうまくいく日の方が少ないかもしれない。だから、こうやってうまい飯食えたら良しとする。

 本当にひどいときは、飯ものどを通らないからな。

 飯をうまいと感じられる。それに感謝するとしよう。

 でもそれはそれとして、できれば、日々というものはうまいこと回っていただきたいものである。

「……結局何で目覚まし鳴らなかったんだろ」

 ――それは、昨日アラームをセットしようとしたところ、寝ぼけていたのか疲れていたのか、アラームの画面ではなく電卓の画面を開いてしまい、それに気づかないまま時間を打ち込んだから。

 そのことに気づいたのは飯を食った後、今日の分のアラームをセットするときになってのことである。



「ごちそうさまでした」

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