一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第二百九十二話 ばあちゃん弁当

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「いってらっしゃい。気を付けてね」

「ん、行ってきます」

 店の方から学校に行くのはいい。距離が近いので、いつもより遅く出ても余裕で間に合う。

 曲がり角でちらっと振り返ったらばあちゃんが手を振り、じいちゃんがじっとこちらを見ているのが見えた。

 少し考えて小さく手を振り返す。

 遠くからでも、二人が笑っているのが分かった。



 月曜日の学校は心なしか重だるい雰囲気だ。梅雨時で乾かない洗濯物がたまった部屋のような、そんな感じ。まあ、かくいう俺もいつもであればだるさ増し増しで登校しているわけなのだが。

 しかし今日はばあちゃん手製の弁当がある。それだけでもう気分は晴れやかだ。

「お、春都。おはよー」

「勇樹。おはよう」

 エナメルバッグと学校指定の鞄を抱え、さらには教科書類が詰まったリュックサックを背負ったまま、器用に靴を脱いでいる。俺だったらひっくり返りそうだ。

「なんかご機嫌だな?」

 と、階段を上る途中に聞かれる。

「そうか?」

「うまいもんでも食ったか?」

「だからどうして俺が楽しそうだと飯が出てくるんだ」

 まあ、間違ってはいないから否定はしないけども。

「それよりお前、今日は部活ないのか」

「今日は休み」

 午後練はあるけど、と勇樹は付け加える。

「部活なあ……」

「春都、入らないのか? 二年からでも入るやつ結構いるぞ?」

「遠慮しとく」

 一年の頃はペースをつかむのに必死で部活に所属しない、というやつは一定数いる。そんである程度慣れた頃になって、つまり二年に進級して部活に入るらしい。クラスマッチの競技が楽しくてその部活に入るってパターンが多いのかなあ。

 たとえ入るにしても、運動部だけはごめんだ。

「俺はさっさと帰りたい」

 自分の席につき、重い荷物を下ろす。この大荷物を持っての登下校だけで十分だろう。

 勇樹はつまらなさそうに「えー?」と言うと、エナメルバッグを下ろしながら言う。

「バレー楽しいぞ?」

「見るだけで十分だ」

「マネージャーとか。男でも女でも募集中だ」

「人の世話を焼く余裕はない」

 どっちかというと世話を焼いてもらいたい……いや、これは黙っておこう。

「てかさあ、春都って中学の時何部だったわけ? やっぱ帰宅部?」

「いや」

 中学の時は、無所属だと何かと風当たりが強くて、しぶしぶ入ったんだよな。二年になったあたりからほとんど行ってなくて、幽霊部員だったわけだけど。その辺は観月がよく知ってるはずだ。

「じゃあ、何部?」

「……書道」

「へーっ、なんか意外」

「休日が一番多かったから」

 まあ、一年の頃は割とまじめにやってて、おかげで字は上達したな。読める字になった。

 不真面目な部員だった、ということも知らず、勇樹はワクワクした様子で聞いてきた。

「やっぱ書道パフォーマンスとかしたわけ?」

「さあ、知らね」

「知らねえってことはないだろ」

「やるって盛り上がってたけど、実際どうだったかは覚えてない」

 覚えていることといえばあれだ。毎年、夏になると書道の大会みたいなのがあってたんだよな。宝物殿に展示を見に行ったあの天満宮で。そん時に食った飯がうまかったなあ。

 うどん屋のかつ丼。あれはうまかった。トロッと半熟卵にサックサクの衣。出汁は薄めだったけど、肉のうま味が強くて好きだった。そのあとにアイス食って、餅も食って、堪能したなあ。

「冷めてんなあ」

 心底不思議そうに勇樹が言う。

「書道部って女子多いイメージあるけど」

「多かった……かな?」

「おいおい。それぐらい覚えとけよ」

 と、勇樹はあきれたように笑った。

 いやもうほんと、一生懸命な人たちの方が少ない部活だったし、メンバー全員がそろうといえばそれこそその大会の時だけだ。大会自体ではなく、自由行動目的でな。

 また今度時間ができたら行くか、天満宮。今年はなんか展示あるかなあ。



「春都~。飯食おうぜ」

 今日は咲良も弁当持参だったらしい。慣れた手つきでパイプ椅子を広げて座る。

「いただきます」

 さて、今日の弁当の内容はいかに。

 豚肉の天ぷら、卵焼き、ハム巻きにからあげ。ご飯にはばあちゃん手製のじゃこ炒めがのっている。別に入っている小さな入れ物はデザートか。

「なに、春都。超豪華じゃん」

「まあな」

 やっぱり最初は豚から。

 お、今日はニンニク控えめのショウガ増しって感じか。さっぱりしつつもコク深く、サクッとしていて、噛み応えがあってうまい。これは冷めたのもなかなか好きなんだよなあ。

 からあげは醤油のうま味がしっかり染みている。この感じだと、前の日から下準備してくれてたんだろうな。ありがたい。身はプリッとしていて、衣もいい感じだ。

 じゃこは気を付けて食べないと口の中をけがしてしまう。

 ハム巻きもいいなあ。ハムの塩気、キュウリのみずみずしさ、そして、マヨネーズのまろやかさ。いいバランスだ。

 カリッとしつつもねっとりとしたところもある、甘辛いたれがまとわりついたじゃこ。これがご飯に合わないわけがない。魚の風味と砂糖、醤油の味のバランスがいい。

「……なあ、咲良」

「んー?」

「お前さ、中学んとき何部だった?」

 卵焼きをほおばる。母さんが作るのとはまた違った、素朴な甘さ。うまい。

 咲良は端的に「テニスと美術」と答えた。

「掛け持ちか?」

「いや、最初は興味本位でテニス部入ったけど、練習嫌になって美術部に入りなおした。さぼりやすかったんだよな」

 なるほど、そういうことか。納得しながらデザートの入れ物を開ける。おお、リンゴだ。

「でも何で急に?」

「それがな」

 弁当をすっかり食い終わってデザートに手を付ける。しゃりっとしていて、時々やわらかいような食感の、甘いリンゴだ。爽やかな風味が食後にちょうどいい。

 今朝の勇樹との会話を伝えると「なるほど、そういうことね」と咲良は納得したらしい。楽しげに笑うとこう続けた。

「まあ、今から入るにしてもなあ。正直めんどくさい」

「時間に追われながら飯食いたくない」

「春都はそれ、大事だよな」

 最後のリンゴをかじりながら、咲良の言葉に頷く。

 こうやってちゃんと飯を楽しむ。今の俺にとっては、それが一番必要な時間なのだ。



「ごちそうさまでした」

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