一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第二百九十話 アサリのみそ汁

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 土曜日に学校に来なきゃいけないのは面倒だ。しかし慣れてしまえば土曜課外も悪くない。

 普段の授業より気楽な感じで、全体的に自由な気がする。午前中だけで終わる、というのもあるだろう。それに、学校で頑張っておけば、帰ってから気分良く過ごせるというものである。

「部活でさあ、なんかテンション低い奴がいるんだよね」

 そう話すのは勇樹だ。気だるげな表情でペンをもてあそびながら続ける。

「いつもはすっごい元気でさ、コートの準備とかすっぽかすような奴なんだけど。今日は妙に静かでちゃんと準備してたんだよ」

「そういう感じで異変が出るタイプも珍しいな」

 普段はしっかりしているのに、その日はミスが多かった、とかいうのなら聞いたことがあるけど。

「うん。それでさ、どうしたんかなーって気になるじゃん?」

「まあそうだな」

「で、聞いたら、今日から塾なんだってさ」

「あー、塾ね」

 そういやアーケードにもあったな、個別指導の塾。小中学生が多いようなイメージだったが、高校生も行ってんだな。それともほかの塾だろうか。この辺には整骨院と塾がやたらとある。

「夕方の六時半から? 九時過ぎまであるとか言っててさ。大変だよなー。部活終わってさあ」

「そうだな」

 中学の頃に一度、夏期講習か何かを受けたことがあるが、それだけでもしんどかった。というか、そもそも塾という空間が合ってなかったんだ俺には。

「考え事してたら体が勝手に準備してた、って言ってたからさ」

 勇樹は面白そうに笑う。

「いつも考え事してくれてもいいんだぞーって言ってやろうかと思ったわ」

「確かに、言いたくなるな」

「そー。それに、そいつの悩みは俺の悩みじゃないし」

「ひでえや」

「冗談だよ」

 まあ、俺も人のことは言えないか。他人がなにに思い悩んでいるかとか、あんま気にしねえし。若干一名、無理やり巻き込んでくるトラブルメーカーはいるけど。

「まあいいや。それでさ、そいつ、英語と数学やるらしいんだよね」

 と、言いながら勇樹は引き出しから数学と英語のワークをおもむろに取り出した。そしてこちらを向くと、すがすがしいほどの営業スマイルを浮かべた。

「それ聞いて予習忘れてたことに気付いて。教えて」

「お前それが本題だったろ」

 最近は巻き込み事故を起こすやつが増えてきた。用心しないとなあ。



 事故にあわないためには、簡単な話、事故を起こすような奴とかかわらないことが一番だ。

 それがかなわないこともあるが、今日はうまくいったみたいだ。スムーズに帰路に着くことができた。

「ただいまぁ」

 今日帰ってきたのは店の方。明日は休みなので、泊まりにきたらどうだとばあちゃんに言われ、その言葉に甘えることにした。

「おかえり。早かったね」

「頑張って帰ってきた」

「あら、帰るのに頑張らなきゃいけないのね」

 と、ばあちゃんは楽しげに笑った。そうなんだよ、帰り着くまで気を抜けない。

 やっとのことで落ち着いてソファに荷物を下ろした時、スマホの通知音が聞こえた。ズボンのポケットの中でスマホが震える。

「あー?」

「お昼は食べたの?」

「まだー」

「朝の残りだけど、みそ汁飲む?」

「飲むー」

 メッセージの送り主は咲良だ。

『予習で分かんないとこあるんだけど』

 という言葉とともに写真が送られている。こいつ、的確に文系の範囲を把握して聞いてくるから厄介なんだよなあ。たまに無茶なことも聞いてくるけど。

「どうしたの? 友達?」

「まあ、そんなとこ」

 今すぐに答えられるわけでもないので「飯食ったら教える」と送っておく。するとすぐに『俺も今バスだから後ででいいよー』と返ってきた。いや、バスの中で聞くってどういうことだよ。その思いが聞こえたわけではないだろうが、咲良は続けてこう送ってきた。

『早めに送っといたら、早めに答えが返ってくるかなと思って!』

 なんというか、うん。まあ、これが咲良か。

「……いいにおいする」

 画面を閉じ、台所へ向かう。年季の入ったコンロではみそ汁が温められていて、その傍らではベーコンエッグが焼かれていた。しかも卵は二つでベーコンもたっぷりだ。

「みそ汁だけじゃ物足りないでしょう」

「うまそう」

「箸とコップ持って行って。座ってなさい」

「はーい」

 二人はもう昼食を済ませたようで、じいちゃんは配達に行っているらしい。

「テレビつけたら?」

「今の時間って何やってんの?」

「よく知らない。あんまり見ないから」

 何だそれは、と思いながら笑う。テーブルにセッティングされた食事は、ずいぶんほっとするものだった。

「いただきます」

 とりあえずバラエティ番組をつける。

 さて、まずはみそ汁をいただこう。磯の香りが強いアサリのみそ汁。殻の気配を感じながら汁をすすれば、味噌の香ばしさとアサリの風味が相まって、じわあっと胃に染みていく。

 身も食べる。うま味がじゅわりとあふれ出す。噛みしめるほどに香りと味が染み出し、すっかり夢中になってしまう。

 ベーコンエッグも食べないと。半熟より少しかための黄身がちょうどいい。

 醤油を垂らして、まずは卵だけ。ねっとりとした黄身にプリプリの白身。少しだけ滲むベーコンのうま味が卵の香りを引き立てる。ベーコンはカリカリのところとジューシーなところ、両方あってうまい。卵と一緒に食うとなんとなく安心感。

 白米が進む。濃い卵の味と白米、アサリの味と白米。合わないわけがないんだ、これが。

 アサリを食う度に思うけど、小さい頃はこの風味が苦手だったんだよなあ。ふわんと香る貝のにおいと味が、どうにも口に合わず、アサリのみそ汁と聞くとちょっと顔をしかめてしまうほどだった。

 今となっては喜んで食うけどな。砂抜きがちょっと手間だからなかなか自分じゃやらないけど、このうま味が無性に恋しくなる時がある。

 特にみそ汁。ネギの食感と風味、味噌の香ばしさ、それらと相まったアサリの味はひときわうまい。

 たっぷりのアサリも、ベーコンエッグも、あっという間に食べてしまった。

 今度自分でも作ってみるかな。



「ごちそうさまでした」

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