一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
282 / 854
日常

第二百七十四話 バナナのスコーン

しおりを挟む
 今日は朝から、家の中にはおしゃれな匂いが漂っている。

 芳香剤とか香水ではない。バターと小麦粉、ふわふわと甘い香り、フルーティな香り。

 スイーツの匂いだ。



「えーっと、まずは……」

 今日はうめずと花見に行く。といってもいつもの散歩なのだが、せっかく桜が咲いているんだし、ちょっと楽しみを準備したいものである。

 ということでうちにあるもので作れて、かつ、外でも食べやすいものとして、スコーンを焼くことにした。

 材料は、ホットケーキミックス、オリーブオイル、そして熟れたバナナ。

 まずはバナナをボウルに入れてフォークでつぶす。ごろっとしていてもいいらしいが、今日はしっかり目につぶそう。

 ホットケーキミックスにオリーブオイルを加えて混ぜ、途中でつぶしたバナナを入れたら生地をまとめていく。結構な重労働だ。

 まとまったらクッキングシートの上にのせ、形をある程度整えたら包丁で切り分ける。

 鉄板にクッキングシートを敷いて、その上に等間隔でスコーンの生地を置いたら、予熱しておいたオーブンで焼いていく。スイーツの作り方はクッキーしか知らなかった俺だが、こないだ本で読んで一つ習得したのである。

 しかし、スイーツというものはもっと繊細に作るべきものなのかもしれない、と洗い物をしながら思う。

 まあ、自分で食う分だからいっか。

「わうっ」

 匂いにつられたか、うめずが居間で尻尾を振ってこちらに視線を向ける。

「いい匂いだろ」

「わふ」

「なー。もうちょっと待ってろ、散歩行くからな」

 せっかくだしうめずのお菓子も持って行こう。飲み物は途中の自販機で買うとして、スコーンを入れる入れ物も準備しないと。

「どんな感じかなー」

 オーブンの中をのぞき込む。甘く、香ばしい香りが漂う中で、スコーンはうまい具合に焼けていた。

 熱々もうまそうだなあ。でも、ちょっと我慢だ。



 マンションのすぐ近くには小さな個人商店があって、その店先に自販機が置いてある。ものすごく古いが、ちゃんと動いているのだから大したものだ。ラインナップはよその自販機と同じで、今日は冷たい無糖の紅茶にした。

 散歩ついでに花見ができるところといえば、小学校の前だろうな。

「だいぶ散ってるなあ」

 満開を通り越して葉桜ではあるが、それでもずいぶんきれいなものである。

 若々しい新芽と、濃い色の桜の花びら。コントラストがきれいだ。それに、足元が薄紅色のじゅうたんになっている。

「きれいだ」

「わふっ」

 うめずは温かな日差しが気持ちいいのか、いつにもまして楽しそうである。尻尾の勢いがすごすぎて足に当たる。

「あ、犬だ!」

 と、突然聞こえる甲高い声。見れば校門から三人ほどちびっこが走ってきているではないか。

「げえ」「わう……」

 うめずと声がそろう。飼い主に似て、うめずは小さな子どもが苦手である。いや、正確にいえば、遠慮の知らない、赤の他人が苦手なのである。

「犬だ犬だー! でっけえー!」

「ねー、触っていい?」

 そう聞いてはくるが、既にもう手はうめずに触れようとしている。待て、触らないでほしい、そう言おうとしたその時だった。

「ぅわうっ!」

 俺の背後から聞こえてきた吠え声。うめずが吠えたと思った子どもたちは手を引っ込め硬直する。

 振り返れば、少々威圧的なプリンがそこにはいた。

「なーにやってんの。ワンチャン嫌がってるでしょーが」

 山下さんがそう言えば、生意気全開だった子どもたちは「なんだよー、つまんねーの」と悪態をついて、桜の花びらを蹴飛ばしてどこかへ行ってしまった。

 山下さんはため息をつく。

「あいつらなあ、有名な悪ガキなんだよ。あっちこっちのワンチャンネコチャン撫で繰り回してさー」

 うめずは助かったといわんばかりに首を振ると、山下さんの足に飛びついた。そこでやっと山下さんは笑った。

「やー、大丈夫だったかあ」

「ありがとうございました」

「んにゃ。大したことじゃないよ、それより……」

 山下さんはリードを握っている方とは逆の俺の手を見て言った。

「それなに?」

「ああ……せっかくですし、お礼にどうぞ」



 小学校前にはちょっとしたベンチとテーブルがある。大半が朽ち果てているが、最近補修されたらしい場所を見つけたのでそこに座る。

「いただきます」

 結局、弁当箱に突っ込んできたのでおしゃれな感じなどかけらもないが、まあいいや。

「これ、一条君の手作り?」

「はい、まあ」

「へー、すごいねえ」

 心底感心しきったように山下さんは言うと、じゃ、遠慮なく、と楽しげに一つ手に取った。

 さて、俺も食おう。うめずは既に、ちょっとリッチなおやつを嬉しそうに食んでいる。

 結構ずしっとしている。しかし触感は軽く、ほろほろと崩れるようだ。わずかに感じるバナナの果肉の感じ、歯触りがいい。

 バナナの甘さが程よく、フルーティだ。

「これ売り物みたいだ。おいしいなあ」

 売り物、は言い過ぎだろうが、まあ、うまくはできたな。

 バナナの濃厚なうま味と甘みはもちろんだが、どこかあっさりとしている。これ、チョコチップ混ぜてもよかったな。今度はそうしよう。その時はもう少し果肉の感じを残して、チョコバナナみたいにしようか。

 紅茶を口に含めば、スコーンの、甘く爽やかな風味と、紅茶の程よい渋みが口に広がり、やがて鼻に抜け、なんとも優雅な気分になる。

「これうまいね。もう一個食べていい?」

「どうぞ。一人で食べきれる量でもないので」

 今日は一人と一匹で花見をするはずだったのだが、まさかのゲストである。

 でもまあ、うめずも楽しそうだし、いっか。予定外、というのもまた乙なものである。

 今度は焼きたても食べてみよう。



「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

「今日でやめます」

悠里
ライト文芸
ウエブデザイン会社勤務。二十七才。 ある日突然届いた、祖母からのメッセージは。 「もうすぐ死ぬみたい」 ――――幼い頃に過ごした田舎に、戻ることを決めた。

サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜

野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」   「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」 この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。 半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。 別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。 そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。 学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー ⭐︎毎日朝7時に最新話を投稿します。 ⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。 ※表紙絵、挿絵はAI作成です。 ※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。

処理中です...