一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第二百五十九話 豚丼

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 しとしとと雨が降っている。

 春の雨は生ぬるいような、寒いような、重苦しいような、軽やかなような、不思議な感じがする。

 花見の頃に降らないといいけどなあ。

「あ、春都聞いた?」

 いつものごとく学食で飯を食った後、することもないのでだらだらと時間をつぶしていたところで咲良が口を開いた。

「何?」

「明日から学食、新メニュー出るんだって」

「新メニュー? そんなのあるんだな」

 それは初めて聞いた。どっちかっていうと、学食のメニューは変わらないというイメージなのだが。でもまあ、パンとかおにぎりとかの種類が増えたりお菓子が売られ始めたりしているところを見ると不思議なことでもないか。

「そーなんだよ。まあ、俺もうわさ程度にしか聞いてないんだけどさー」

 と言いながら咲良は一口サイズのアイスを口に入れた。ひと箱六個入りのチョココーティングアイス。割り勘して買ったので俺も食う。

 トロッと溶けるチョコレートにひんやりバニラ。このアイス、チョコレートが香ばしいんだよな。

「先生が言ってたんだよな。なんか学食のおっちゃんと仲いいみたいでなぁ。ま、冗談の多い先生だからどこまで信じていいものか」

「あー、それな」

「でも妙に具体的だったんだよなー。だから余計に気になってさあ」

「出るとしたら、なんだろうな」

 何気なくそう言えば、空になった箱をつぶしながら咲良は楽し気に「そうだなあ」と笑った。

「がっつり系のおかずがいいなあ。とんかつ定食を日替わりじゃなくて常にあるメニューにしてほしい」

「その場合、新メニューと言えるのか?」

「あ、確かに。うーん、どうなんだろ」

 そろそろ立ち上がって食堂を出る。教室に戻るまでの通路で最短距離である階段はずいぶん混んでいたので、一年の廊下の前を通って別の階段から迂回していく。

 渡り廊下を行けば、冷たい水が多めのぬるま湯をかきまぜたような空気だけが満ちた空間に出る。事務室、保健室、図書館、あとは家庭科室と、用事がなければ来ないような場所だもんなあ。人が少ないのも当然か。

「丼系かな? それとも定食?」

「パンの種類が増えるだけって可能性もある」

「えー? それなんか驚きがなーい」

 と、咲良は笑う。

「もっとこう、インパクトのある……」

「あ、いいところに」

 ちょうど階段を上ろうとしたところで後ろから声をかけられ振り返る。声の主はちょうど保健室から出て来た羽室先生だった。

「ちょっと手伝ってくれるー?」

「あ、はーい」

 どうやらいろいろ運ばないといけない備品があるらしい。

「片付けしたら出てくる出てくる。ほんと、二人がいて助かったわ」

「これぐらいいくらでも運びますよー、大概暇してますし」

 そう言って笑う咲良と並んで重い箱を抱える。いくらでも……俺には無理だ。体力がもたねえ。

「あ、そういや先生知ってます?」

「何を?」

 先生はいくつかある荷物のうち、色々個人情報が詰まっているらしい書類が詰まった箱を持って来ていた。もうずいぶん前のものではあるらしい。

「明日学食で新メニューが出るらしいんですよ。嘘か誠か知りませんけど」

「ああ、それ先生方が話してあったわ。どうやら本当みたいよ」

 咲良と目を見合わせる。

「まじか」

「本当だったんだなー!」

 踊り場に声が反響する。先生は笑った。

「今日にでもお知らせが配られるんじゃない? きっと明日は混むわよ。食堂に行くなら心してかからないとね」

「そっすね!」

「えー……人多いんだ」

 基本的にうまい飯があっても人が多いとちょっと萎えてしまう俺である。

 どうしようかとくすぶっていると、咲良が迷いのない声音で言った。

「明日は絶対食いたいな。なあ、春都!」

 なんかその屈託のない表情にすっかり毒気を抜かれ、自然と「そうだな」と笑っていた。



 確かに食堂はいつもより混んでいた。でも、思ったほどではなかったので安心である。みんな興味あるけど、評判聞いてから、って感じなのだろうか。

「楽しみだなー、豚丼」

 と、咲良はうきうきとした表情を隠さずに列に並ぶ。

 新メニューとはどうやら豚丼らしい。牛丼よりも安い。それに、何気なく付け加えられていたけど、券売機も新しくなったのだとか。大盛りも券売機で指定できるらしい。なんかこっちの方がビックニュースにも思えるが、まあ、横に置いておこう。

 さて、豚丼とは果たしてどういうものだろうか。チャーシューっぽいのか、はたまた照り焼きか、牛丼と同じ味付けか。

「はーい、お待たせ」

 どすっとお盆に置かれたのは、生姜焼きのような色合いの豚肉と玉ねぎがたっぷりのった丼だった。

「紅しょうが、よく合うよ」

 食堂のおばちゃんが親切にも教えてくれた。

「どんな味かなー」

「楽しみだな」

 何とか窓際の席を陣取り、さっそく。

「いただきます」

 豚肉は脂身と肉のバランスがちょうどいい、薄切りのようである。箸で持っただけでそのやわらかさが伝わってくるようだ。

 まず口に含んで感じるのは脂の甘味、そして素朴な味わい。生姜焼きでもないし、照り焼きでもない。かといって牛丼と同じかというと、それともまた絶妙に違う。くどくない砂糖の甘さと、醤油のコク。なんだこれ、すげえうまい。

「これうまいな!」

 かつ丼派の咲良もどうやら気に入ったらしい。

「うん、うまい」

 玉ねぎの食感も程よく、爽やかさと甘みがいい塩梅だ。

 つゆだくのご飯と一緒にかきこむのがうまい。

 そうそう、紅しょうが。せっかくお勧めしてもらったんだし、食わねえと。

 シャキッと食感が加わってメリハリが出る。それに、しょうがのさわやかな香りと酸味が甘みのある味付けによく合う。まぶされたゴマも香ばしい。

 これはうまいな。いいメニューだ。

 今度から弁当じゃない日は、決まってこれを頼んでしまいそうだなあ。



「ごちそうさまでした」
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