265 / 854
日常
第二百五十九話 豚丼
しおりを挟む
しとしとと雨が降っている。
春の雨は生ぬるいような、寒いような、重苦しいような、軽やかなような、不思議な感じがする。
花見の頃に降らないといいけどなあ。
「あ、春都聞いた?」
いつものごとく学食で飯を食った後、することもないのでだらだらと時間をつぶしていたところで咲良が口を開いた。
「何?」
「明日から学食、新メニュー出るんだって」
「新メニュー? そんなのあるんだな」
それは初めて聞いた。どっちかっていうと、学食のメニューは変わらないというイメージなのだが。でもまあ、パンとかおにぎりとかの種類が増えたりお菓子が売られ始めたりしているところを見ると不思議なことでもないか。
「そーなんだよ。まあ、俺もうわさ程度にしか聞いてないんだけどさー」
と言いながら咲良は一口サイズのアイスを口に入れた。ひと箱六個入りのチョココーティングアイス。割り勘して買ったので俺も食う。
トロッと溶けるチョコレートにひんやりバニラ。このアイス、チョコレートが香ばしいんだよな。
「先生が言ってたんだよな。なんか学食のおっちゃんと仲いいみたいでなぁ。ま、冗談の多い先生だからどこまで信じていいものか」
「あー、それな」
「でも妙に具体的だったんだよなー。だから余計に気になってさあ」
「出るとしたら、なんだろうな」
何気なくそう言えば、空になった箱をつぶしながら咲良は楽し気に「そうだなあ」と笑った。
「がっつり系のおかずがいいなあ。とんかつ定食を日替わりじゃなくて常にあるメニューにしてほしい」
「その場合、新メニューと言えるのか?」
「あ、確かに。うーん、どうなんだろ」
そろそろ立ち上がって食堂を出る。教室に戻るまでの通路で最短距離である階段はずいぶん混んでいたので、一年の廊下の前を通って別の階段から迂回していく。
渡り廊下を行けば、冷たい水が多めのぬるま湯をかきまぜたような空気だけが満ちた空間に出る。事務室、保健室、図書館、あとは家庭科室と、用事がなければ来ないような場所だもんなあ。人が少ないのも当然か。
「丼系かな? それとも定食?」
「パンの種類が増えるだけって可能性もある」
「えー? それなんか驚きがなーい」
と、咲良は笑う。
「もっとこう、インパクトのある……」
「あ、いいところに」
ちょうど階段を上ろうとしたところで後ろから声をかけられ振り返る。声の主はちょうど保健室から出て来た羽室先生だった。
「ちょっと手伝ってくれるー?」
「あ、はーい」
どうやらいろいろ運ばないといけない備品があるらしい。
「片付けしたら出てくる出てくる。ほんと、二人がいて助かったわ」
「これぐらいいくらでも運びますよー、大概暇してますし」
そう言って笑う咲良と並んで重い箱を抱える。いくらでも……俺には無理だ。体力がもたねえ。
「あ、そういや先生知ってます?」
「何を?」
先生はいくつかある荷物のうち、色々個人情報が詰まっているらしい書類が詰まった箱を持って来ていた。もうずいぶん前のものではあるらしい。
「明日学食で新メニューが出るらしいんですよ。嘘か誠か知りませんけど」
「ああ、それ先生方が話してあったわ。どうやら本当みたいよ」
咲良と目を見合わせる。
「まじか」
「本当だったんだなー!」
踊り場に声が反響する。先生は笑った。
「今日にでもお知らせが配られるんじゃない? きっと明日は混むわよ。食堂に行くなら心してかからないとね」
「そっすね!」
「えー……人多いんだ」
基本的にうまい飯があっても人が多いとちょっと萎えてしまう俺である。
どうしようかとくすぶっていると、咲良が迷いのない声音で言った。
「明日は絶対食いたいな。なあ、春都!」
なんかその屈託のない表情にすっかり毒気を抜かれ、自然と「そうだな」と笑っていた。
確かに食堂はいつもより混んでいた。でも、思ったほどではなかったので安心である。みんな興味あるけど、評判聞いてから、って感じなのだろうか。
「楽しみだなー、豚丼」
と、咲良はうきうきとした表情を隠さずに列に並ぶ。
新メニューとはどうやら豚丼らしい。牛丼よりも安い。それに、何気なく付け加えられていたけど、券売機も新しくなったのだとか。大盛りも券売機で指定できるらしい。なんかこっちの方がビックニュースにも思えるが、まあ、横に置いておこう。
さて、豚丼とは果たしてどういうものだろうか。チャーシューっぽいのか、はたまた照り焼きか、牛丼と同じ味付けか。
「はーい、お待たせ」
どすっとお盆に置かれたのは、生姜焼きのような色合いの豚肉と玉ねぎがたっぷりのった丼だった。
「紅しょうが、よく合うよ」
食堂のおばちゃんが親切にも教えてくれた。
「どんな味かなー」
「楽しみだな」
何とか窓際の席を陣取り、さっそく。
「いただきます」
豚肉は脂身と肉のバランスがちょうどいい、薄切りのようである。箸で持っただけでそのやわらかさが伝わってくるようだ。
まず口に含んで感じるのは脂の甘味、そして素朴な味わい。生姜焼きでもないし、照り焼きでもない。かといって牛丼と同じかというと、それともまた絶妙に違う。くどくない砂糖の甘さと、醤油のコク。なんだこれ、すげえうまい。
「これうまいな!」
かつ丼派の咲良もどうやら気に入ったらしい。
「うん、うまい」
玉ねぎの食感も程よく、爽やかさと甘みがいい塩梅だ。
つゆだくのご飯と一緒にかきこむのがうまい。
そうそう、紅しょうが。せっかくお勧めしてもらったんだし、食わねえと。
シャキッと食感が加わってメリハリが出る。それに、しょうがのさわやかな香りと酸味が甘みのある味付けによく合う。まぶされたゴマも香ばしい。
これはうまいな。いいメニューだ。
今度から弁当じゃない日は、決まってこれを頼んでしまいそうだなあ。
「ごちそうさまでした」
春の雨は生ぬるいような、寒いような、重苦しいような、軽やかなような、不思議な感じがする。
花見の頃に降らないといいけどなあ。
「あ、春都聞いた?」
いつものごとく学食で飯を食った後、することもないのでだらだらと時間をつぶしていたところで咲良が口を開いた。
「何?」
「明日から学食、新メニュー出るんだって」
「新メニュー? そんなのあるんだな」
それは初めて聞いた。どっちかっていうと、学食のメニューは変わらないというイメージなのだが。でもまあ、パンとかおにぎりとかの種類が増えたりお菓子が売られ始めたりしているところを見ると不思議なことでもないか。
「そーなんだよ。まあ、俺もうわさ程度にしか聞いてないんだけどさー」
と言いながら咲良は一口サイズのアイスを口に入れた。ひと箱六個入りのチョココーティングアイス。割り勘して買ったので俺も食う。
トロッと溶けるチョコレートにひんやりバニラ。このアイス、チョコレートが香ばしいんだよな。
「先生が言ってたんだよな。なんか学食のおっちゃんと仲いいみたいでなぁ。ま、冗談の多い先生だからどこまで信じていいものか」
「あー、それな」
「でも妙に具体的だったんだよなー。だから余計に気になってさあ」
「出るとしたら、なんだろうな」
何気なくそう言えば、空になった箱をつぶしながら咲良は楽し気に「そうだなあ」と笑った。
「がっつり系のおかずがいいなあ。とんかつ定食を日替わりじゃなくて常にあるメニューにしてほしい」
「その場合、新メニューと言えるのか?」
「あ、確かに。うーん、どうなんだろ」
そろそろ立ち上がって食堂を出る。教室に戻るまでの通路で最短距離である階段はずいぶん混んでいたので、一年の廊下の前を通って別の階段から迂回していく。
渡り廊下を行けば、冷たい水が多めのぬるま湯をかきまぜたような空気だけが満ちた空間に出る。事務室、保健室、図書館、あとは家庭科室と、用事がなければ来ないような場所だもんなあ。人が少ないのも当然か。
「丼系かな? それとも定食?」
「パンの種類が増えるだけって可能性もある」
「えー? それなんか驚きがなーい」
と、咲良は笑う。
「もっとこう、インパクトのある……」
「あ、いいところに」
ちょうど階段を上ろうとしたところで後ろから声をかけられ振り返る。声の主はちょうど保健室から出て来た羽室先生だった。
「ちょっと手伝ってくれるー?」
「あ、はーい」
どうやらいろいろ運ばないといけない備品があるらしい。
「片付けしたら出てくる出てくる。ほんと、二人がいて助かったわ」
「これぐらいいくらでも運びますよー、大概暇してますし」
そう言って笑う咲良と並んで重い箱を抱える。いくらでも……俺には無理だ。体力がもたねえ。
「あ、そういや先生知ってます?」
「何を?」
先生はいくつかある荷物のうち、色々個人情報が詰まっているらしい書類が詰まった箱を持って来ていた。もうずいぶん前のものではあるらしい。
「明日学食で新メニューが出るらしいんですよ。嘘か誠か知りませんけど」
「ああ、それ先生方が話してあったわ。どうやら本当みたいよ」
咲良と目を見合わせる。
「まじか」
「本当だったんだなー!」
踊り場に声が反響する。先生は笑った。
「今日にでもお知らせが配られるんじゃない? きっと明日は混むわよ。食堂に行くなら心してかからないとね」
「そっすね!」
「えー……人多いんだ」
基本的にうまい飯があっても人が多いとちょっと萎えてしまう俺である。
どうしようかとくすぶっていると、咲良が迷いのない声音で言った。
「明日は絶対食いたいな。なあ、春都!」
なんかその屈託のない表情にすっかり毒気を抜かれ、自然と「そうだな」と笑っていた。
確かに食堂はいつもより混んでいた。でも、思ったほどではなかったので安心である。みんな興味あるけど、評判聞いてから、って感じなのだろうか。
「楽しみだなー、豚丼」
と、咲良はうきうきとした表情を隠さずに列に並ぶ。
新メニューとはどうやら豚丼らしい。牛丼よりも安い。それに、何気なく付け加えられていたけど、券売機も新しくなったのだとか。大盛りも券売機で指定できるらしい。なんかこっちの方がビックニュースにも思えるが、まあ、横に置いておこう。
さて、豚丼とは果たしてどういうものだろうか。チャーシューっぽいのか、はたまた照り焼きか、牛丼と同じ味付けか。
「はーい、お待たせ」
どすっとお盆に置かれたのは、生姜焼きのような色合いの豚肉と玉ねぎがたっぷりのった丼だった。
「紅しょうが、よく合うよ」
食堂のおばちゃんが親切にも教えてくれた。
「どんな味かなー」
「楽しみだな」
何とか窓際の席を陣取り、さっそく。
「いただきます」
豚肉は脂身と肉のバランスがちょうどいい、薄切りのようである。箸で持っただけでそのやわらかさが伝わってくるようだ。
まず口に含んで感じるのは脂の甘味、そして素朴な味わい。生姜焼きでもないし、照り焼きでもない。かといって牛丼と同じかというと、それともまた絶妙に違う。くどくない砂糖の甘さと、醤油のコク。なんだこれ、すげえうまい。
「これうまいな!」
かつ丼派の咲良もどうやら気に入ったらしい。
「うん、うまい」
玉ねぎの食感も程よく、爽やかさと甘みがいい塩梅だ。
つゆだくのご飯と一緒にかきこむのがうまい。
そうそう、紅しょうが。せっかくお勧めしてもらったんだし、食わねえと。
シャキッと食感が加わってメリハリが出る。それに、しょうがのさわやかな香りと酸味が甘みのある味付けによく合う。まぶされたゴマも香ばしい。
これはうまいな。いいメニューだ。
今度から弁当じゃない日は、決まってこれを頼んでしまいそうだなあ。
「ごちそうさまでした」
13
お気に入りに追加
253
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!


妻を蔑ろにしていた結果。
下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。
主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。
小説家になろう様でも投稿しています。
「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから
キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。
「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。
何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。
一話完結の読み切りです。
ご都合主義というか中身はありません。
軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。
誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。
小説家になろうさんにも時差投稿します。
サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜
野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」
「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」
この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。
半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。
別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。
そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。
学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー
⭐︎毎日朝7時に最新話を投稿します。
⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。
※表紙絵、挿絵はAI作成です。
※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる