一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第二百三十一話 エビフライ

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「今日の晩ご飯、何か食べたいものある?」

 朝食を終えて身支度をしていたら、台所で皿を洗いながら母さんがそう聞いてきた。

「んー……何かな」

 さっきたらふく飯を食った後だからなんか思いつかない。

「肉? 魚? 野菜?」

「肉かぁ……うーん」

 いつもであれば真っ先に肉だと答えるだろうが、今日はなんとなくそういう気分じゃない。なんだろ。でも、魚って感じでもないんだよなあ。じゃあ野菜か、って聞かれるとそうでもないし……なんか食いたいもんあった気がすんだけど、なんだっけ。

「……えび」

「えび?」

「エビ……フライ」

 そうだ思い出した。

「エビフライ食べたい」

 昨日アニメ見てて妙にうまそうだったんだよなあ。エビフライ。

「エビフライとキャベツとポテサラ食べたい」

「いいよー。じゃあ、エビフライにしよう。タルタルソースは?」

「食べたい」

「了解」

 食べたいと思えるものがあって、それを誰かが作ってくれるというのは何ともうれしいかぎりだ。

 日差しの割に寒いし、研究発表の予選みたいなのあるし、あんまりテンションのあがらない一日になりそうだったけど、何とか頑張れそうだ。



 午前中の授業を何とか乗り越え、うまい弁当を食ったら図書館に向かう。今日はコーンクリームコロッケをメインに、野菜、卵焼き、ミートボール。心地よく甘いコーンクリームと香ばしい衣、うまかったなあ。

「こんにちは」

「やあ、一条君」

 利用者の少ない図書館。そりゃそうか、午後からは発表が控えているんだし、練習したり先生に教えを請うたりしているのだろう。

「少ないですねー」

 カウンターの椅子に座りながら先生に言えば「そうだなあ」とやる気のない声が返ってきた。

「発表があるんだったか?」

「ですねー」

「なんだ、人ごとのようだな」

「人ごとですもん」

 俺は発表しないし、自分の班が代表に選ばれようとどうしようと知ったことではない。自分の作業が正当に評価されりゃそれで十分だ。

「言うねえ」

「正直言えば帰りたいですよ。興味ないです」

 そう言えば先生は面白そうに笑った。

「だったら、適当な理由をでっち上げて帰ってしまえばいい」

 教員、あるいは学校関係者の口から出てくるとは到底思えない発言である。少しびっくりするが、相手が漆原先生であったことを思い出して落ち着く。

「そんなこと言っていいんですか」

「何がだ?」

「それって、さぼってしまえって言ってるようなものじゃないですか」

「何を言っているんだ。そうは言っていないだろう」

 いや言っているだろう。そう思ったが、先生は何でもないようにカーディガンの毛玉をつまみ取りながら続けた。

「一条君なら、早退しても有意義に時間を使えると思ってな。なに、誰にでもそんなことは言わんさ」

「はあ、そうですか」

「疑っているな?」

 と、先生はにやりと笑った。

「そう言って本当にさぼるような奴には言わんさ。俺が怒られる」

「ああ、そういう……」

「そうだなぁ、例えば……」

 その時、出入り口の扉が開く音がした。

「よーっす。お、誰もいねえ。貸し切り~」

 調子のいい様子で図書館に入ってきたのは咲良だった。漆原先生は楽し気な笑みを浮かべ、頬杖をついて咲良の方を見て言った。

「こういうやつには言わない」

「あぁ……」

 何のことを言われているか分からない咲良は、のんきな笑顔を浮かべたまま「へ?」と首を傾げた。

 結局、色々と理由を考えたものの、いい感じのが思い浮かばなかったので早退はあきらめた。

 その代わり、時間中は晩飯のエビフライに思いをはせ、有意義に過ごすことができた。



 うすら寒い夕闇の中を歩いて帰った後、やわらかい明かりで満たされた部屋に入り、台所から望んだ飯の匂いがする。この時ほど幸福を実感する瞬間はあるだろうか。

「おかえりー」

「おかえり。お疲れ様」

「ただいま」

「もうすぐご飯できるから、お風呂入ってらっしゃい」

 重たい荷物を部屋に置き、風呂に入って居間に戻ればテーブルの上にはすっかり晩飯の準備が整っていた。

「いただきます」

 ワンプレートに盛り付けられているのは千切りキャベツにちぎりレタス、手作りのポテサラに揚げたてのエビフライ。それにホカホカのご飯と、玉ねぎ透き通るコンソメスープ。

 最高の組み合わせだ。

 まずはやっぱエビフライでしょ。でかくて太い。食べ応えがありそうだ。ごろっと玉ねぎのタルタルソースをかけて、がぶっと一口。

 ザクっと食感のいい衣が香ばしい。えびはぷりっぷりで、しっかり味も食感も分かる。なんだかジューシーで、ジャキジャキと玉ねぎが爽やかなタルタルソースがよく合う。マヨネーズのまろやかな風味もいい。あー、おいしい。ご飯が進む。

「どう? おいしい?」

「おいしい」

「よかった」

 ポテサラはごろっとイモの形も残っていて、トロトロのところとの相性がいい。キュウリのみずみずしさに魚肉ソーセージの甘さがおいしいし、キャベツやレタスと食うのもうまい。

 コンソメスープも味わい深く、玉ねぎだけのシンプルな具材もまたいい。甘みがある。

 そんで再びエビフライ。今度はレモンもかけてみる。

 タルタルソースのまろやかなうま味もさることながら、柑橘のさわやかさが加わってよりおいしい。えびのうま味が引き立つし、少ししんなりする衣もいい。

 やっぱうまいもん食うと幸せだなあ。

 こう考えてみると、幸福を実感する瞬間とは案外多いものだ。それを最大限実感するためにもちょっと面倒なことを頑張るのは必要なのかもしれない。まあ、それにつぶされてしまったら元も子もないわけで。

 ほんと、癖のある薬味みたいに、ほどほどに。人によってその程度は違うんだろうけど。ほどほどの頑張りと、空腹。それが一番、飯をうまくするものかもしれないな。



「ごちそうさまでした」
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