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日常
番外編 漆原京助のつまみ食い①
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面白い生徒がいる。
正直、教育にはめっぽう興味がない俺だ。生徒の模範になるつもりもなければ、教え諭す気もない。
だが、図書館とはそういう場所だろうと俺は勝手に思っている。
誰に強要されるでもなく読みたい本を読む。学校の中にあるが学校ではない、いうなれば治外法権的な場所だ。そこで本を読んで自分を顧みるも、ただ没頭するもそいつ次第だ。そこに俺の意思は必要ない。
だから基本的には生徒にはノータッチだ。向こうが求めれば応えるし、委員会の仕事というものも一応こなす。最低限そうしないとうるさいやつがいるからな。まあ、図書館で暴れまわるとかいうことになったら話は別だが。
でも、そんな中にも、俺から関わりに行きたくなるような、そんな面白い生徒が何人かいる。
去年から図書委員をやっている一条春都という少年。
ずいぶん飄々と、淡々とした少年のようで、たいてい一緒にいる井上咲良という少年は冷たくあしらわれていることが多い。だが、いい関係は築けているらしい。去年は同じクラスで一緒に図書委員をやっていたしな。
一条君は基本、単独行動だ。喋るとなれば饒舌だが、好んで自分から話に行くことはない。本人は自分のことを「目つきが悪くて愛想のないやつ」と評している。まあ、パッと見そうだが、俺から見てみればかわいいもんだ。
「おや」
桜も散って新緑が芽吹き始めるころ、放課後になって早々、一条君がやってきた。
「こんにちは」
「やあ、こんにちは。今日は早いな」
「そうですかね。まあ、ホームルームが終わるの早かったですから」
一条君はカウンターの中にやってきて椅子に座った。当番制のカウンター業務、彼がさぼったことは一度もない。
「利用者が来るまでここで課題やってもいいですか」
「おお、構わんよ」
黙々と予習、復習を進める少年の横顔はまだ幼く、到底、一人暮らし同然の日々を過ごしているとは思えない。
大人ですら自炊はなかなか骨が折れるというのに、よくできるなと思う。
図書館の利用者は正直いって少ない。通い詰める生徒が一定数はいるが、たいていは部活動で忙しく、あるいは読書に興味がない。
興味がないというか、他に楽しいことがあるという感じだな。
昔っから俺は本ばかり読んでいたから、娯楽と言われて真っ先に思い浮かぶのは読書だ。そんな俺からしてみれば本を読まない生活など考えられない。
「ふう」
頬杖をつき、利用者のいまだ現れないがらんとした図書館を眺めていたら、一条君が息をついたのでそちらに視線を向ける。
「終わったか?」
「はい。すっかり」
一条君は周囲を見回して言った。
「人が来ませんね」
「そうだなあ。ま、ゆっくりできるからいいんだけどな」
「なんか本、読んでいいですか」
「存分に読め。ここは図書館だからな」
そう答えれば一条君は「よっしゃ」と小さくつぶやくと嬉しそうに笑った。そうして立ち上がって本を探しに行こうとした矢先、がらりと出入り口の扉が開いた。その途端に顔が曇る。なんとまあ分かりやすいことか。申し訳ないが、微笑ましい。
しかし出入り口に立っていたのは井上君だったものだから、一条君は一度おろしかけた腰を再び浮かせた。
「なんで来た。今日は当番じゃないだろ」
「いいじゃんか~、そんなつれないこと言うなよ。今日は俺、バス遅らせて帰る」
ぶつぶつ言いながらも一条君は井上君を突っぱねるようなことはしない。
なんだかんだいって楽しそうな二人だ。
自家用車で帰路につく。並ぶヘッドライト、車内に流れる気に入りの音楽。薄暗い夜道はどこか物寂しい。
「晩飯どうするかな……」
基本自炊をする俺だが、たまには何もしたくない日もある。そういう時は決まって、一度家に帰った後、ぼちぼち歩いて行きつけの居酒屋に向かう。
年季の入った、メニューもない店だ。ほとんどが常連客で、隣にはイタリアンレストランがあるのだが、そっちは大将の息子夫婦が経営しているらしい。
「らっしゃい」
「やあ……お、なんだ、お前も来ていたのか」
カウンターに見覚えのある人影があった。石上だ。この店は俺たちが学生の頃から通っている店だ。安くてうまいが、なかなか初見じゃ入りにくい。だからこそ落ち着くのだがな。
「まあな。今日は何もする気が起きん」
「奇遇だな。俺もだ」
石上とは一つ間を開けて座る、
「とりあえず、いつもの焼いてもらえるか?」
「はいよ」
飲み物は言わずとも、芋焼酎のお湯割りが出てくる。
むせかえるような酒の香りが、やっと夜が来たということを教えてくれる。
「お前、相変わらずだってな」
石上はジョッキを煽るとこちらに視線を向けた。
さっそく焼けた鶏もも肉の串。あっさりと塩で食うのがいい。
「何の話だ」
「今日も言われたぞ。うちの学校の司書は教師らしくない、どうにかできないのかってな」
「誰に」
「分かるだろ」
俺のような存在を快く思わない教師陣は少なからずいる。
生徒たちはともかく、教師陣は保守的というか頭の固い人らが多い。俺たちが通っていたころからさほど変わらないようにも思える。まあ、いい加減な人間ばかりでは学校は立ち行かないのだから仕方のないことか。
「で、俺にどうしろと? 今更性格は変えられんぞ」
鳥皮はたれがいい。少し焦げた甘辛さがいいんだ。
石上は「別に」と言うと、ビールから焼酎に移行した。
「俺は仕事さえしてくれればあとはどうでもいい」
「仕事はしているさ」
「だったら言うことは何もない。それがお前だからな」
いわゆる腐れ縁ともいえるこいつは、表向きはくそ真面目なお堅い野郎に見えるが、実際は結構適当だ。仕事はちゃんとするし約束も破らないが、自分が嫌いな奴はとことん嫌いだし昔ほどではないが態度に出やすい。
「お前にしては、ずいぶんゆっくりなペースで飲んでいるんだな」
石上は基本、飲むペースが速い。だが、顔色にも出なければ次の日に響くこともない。
俺もなかなか飲める口だとは思うが、俺はちまちまやるタイプだからなあ。
「さすがにな。本来ならもうちょっと飲みたいところだ」
一度、家で一緒に飲んだときは瞬く間に焼酎が減っていったんだよな。こいつと飲むときは、酒を持参してもらわなきゃあ、財布が危篤状態になってしまう。
この店は持ち帰りもできる。透明のパックに入れて、新聞紙に包んでくれる。焼きたてとはいかないが、あれはあれで味があって、酒を飲まないときでもよく頼む。米にも合うんだ、これが。
「なにもやりたくないが、仕事がある」
「そりゃそうだ。お前もようやっと自制というものを覚えたか」
「うるさい」
こういう何もやりたくない日が、生徒たちにもあるのだろうか。あるだろうなあ。
大それた志も、崇高な目標も何もないが、がんじがらめの学校の中でほんの少しでも緩んでいられるような場所。少なくとも俺は、図書館がそうあってほしいと思っているし、図書館をそういう場所にできるように俺はやっていきたいと思っている。
そうだ。今度、一条君にこの店のことを教えてみようか。
一度食べてもらいたいなあ。きっと気に入るぞ。
「ごちそうさん」
正直、教育にはめっぽう興味がない俺だ。生徒の模範になるつもりもなければ、教え諭す気もない。
だが、図書館とはそういう場所だろうと俺は勝手に思っている。
誰に強要されるでもなく読みたい本を読む。学校の中にあるが学校ではない、いうなれば治外法権的な場所だ。そこで本を読んで自分を顧みるも、ただ没頭するもそいつ次第だ。そこに俺の意思は必要ない。
だから基本的には生徒にはノータッチだ。向こうが求めれば応えるし、委員会の仕事というものも一応こなす。最低限そうしないとうるさいやつがいるからな。まあ、図書館で暴れまわるとかいうことになったら話は別だが。
でも、そんな中にも、俺から関わりに行きたくなるような、そんな面白い生徒が何人かいる。
去年から図書委員をやっている一条春都という少年。
ずいぶん飄々と、淡々とした少年のようで、たいてい一緒にいる井上咲良という少年は冷たくあしらわれていることが多い。だが、いい関係は築けているらしい。去年は同じクラスで一緒に図書委員をやっていたしな。
一条君は基本、単独行動だ。喋るとなれば饒舌だが、好んで自分から話に行くことはない。本人は自分のことを「目つきが悪くて愛想のないやつ」と評している。まあ、パッと見そうだが、俺から見てみればかわいいもんだ。
「おや」
桜も散って新緑が芽吹き始めるころ、放課後になって早々、一条君がやってきた。
「こんにちは」
「やあ、こんにちは。今日は早いな」
「そうですかね。まあ、ホームルームが終わるの早かったですから」
一条君はカウンターの中にやってきて椅子に座った。当番制のカウンター業務、彼がさぼったことは一度もない。
「利用者が来るまでここで課題やってもいいですか」
「おお、構わんよ」
黙々と予習、復習を進める少年の横顔はまだ幼く、到底、一人暮らし同然の日々を過ごしているとは思えない。
大人ですら自炊はなかなか骨が折れるというのに、よくできるなと思う。
図書館の利用者は正直いって少ない。通い詰める生徒が一定数はいるが、たいていは部活動で忙しく、あるいは読書に興味がない。
興味がないというか、他に楽しいことがあるという感じだな。
昔っから俺は本ばかり読んでいたから、娯楽と言われて真っ先に思い浮かぶのは読書だ。そんな俺からしてみれば本を読まない生活など考えられない。
「ふう」
頬杖をつき、利用者のいまだ現れないがらんとした図書館を眺めていたら、一条君が息をついたのでそちらに視線を向ける。
「終わったか?」
「はい。すっかり」
一条君は周囲を見回して言った。
「人が来ませんね」
「そうだなあ。ま、ゆっくりできるからいいんだけどな」
「なんか本、読んでいいですか」
「存分に読め。ここは図書館だからな」
そう答えれば一条君は「よっしゃ」と小さくつぶやくと嬉しそうに笑った。そうして立ち上がって本を探しに行こうとした矢先、がらりと出入り口の扉が開いた。その途端に顔が曇る。なんとまあ分かりやすいことか。申し訳ないが、微笑ましい。
しかし出入り口に立っていたのは井上君だったものだから、一条君は一度おろしかけた腰を再び浮かせた。
「なんで来た。今日は当番じゃないだろ」
「いいじゃんか~、そんなつれないこと言うなよ。今日は俺、バス遅らせて帰る」
ぶつぶつ言いながらも一条君は井上君を突っぱねるようなことはしない。
なんだかんだいって楽しそうな二人だ。
自家用車で帰路につく。並ぶヘッドライト、車内に流れる気に入りの音楽。薄暗い夜道はどこか物寂しい。
「晩飯どうするかな……」
基本自炊をする俺だが、たまには何もしたくない日もある。そういう時は決まって、一度家に帰った後、ぼちぼち歩いて行きつけの居酒屋に向かう。
年季の入った、メニューもない店だ。ほとんどが常連客で、隣にはイタリアンレストランがあるのだが、そっちは大将の息子夫婦が経営しているらしい。
「らっしゃい」
「やあ……お、なんだ、お前も来ていたのか」
カウンターに見覚えのある人影があった。石上だ。この店は俺たちが学生の頃から通っている店だ。安くてうまいが、なかなか初見じゃ入りにくい。だからこそ落ち着くのだがな。
「まあな。今日は何もする気が起きん」
「奇遇だな。俺もだ」
石上とは一つ間を開けて座る、
「とりあえず、いつもの焼いてもらえるか?」
「はいよ」
飲み物は言わずとも、芋焼酎のお湯割りが出てくる。
むせかえるような酒の香りが、やっと夜が来たということを教えてくれる。
「お前、相変わらずだってな」
石上はジョッキを煽るとこちらに視線を向けた。
さっそく焼けた鶏もも肉の串。あっさりと塩で食うのがいい。
「何の話だ」
「今日も言われたぞ。うちの学校の司書は教師らしくない、どうにかできないのかってな」
「誰に」
「分かるだろ」
俺のような存在を快く思わない教師陣は少なからずいる。
生徒たちはともかく、教師陣は保守的というか頭の固い人らが多い。俺たちが通っていたころからさほど変わらないようにも思える。まあ、いい加減な人間ばかりでは学校は立ち行かないのだから仕方のないことか。
「で、俺にどうしろと? 今更性格は変えられんぞ」
鳥皮はたれがいい。少し焦げた甘辛さがいいんだ。
石上は「別に」と言うと、ビールから焼酎に移行した。
「俺は仕事さえしてくれればあとはどうでもいい」
「仕事はしているさ」
「だったら言うことは何もない。それがお前だからな」
いわゆる腐れ縁ともいえるこいつは、表向きはくそ真面目なお堅い野郎に見えるが、実際は結構適当だ。仕事はちゃんとするし約束も破らないが、自分が嫌いな奴はとことん嫌いだし昔ほどではないが態度に出やすい。
「お前にしては、ずいぶんゆっくりなペースで飲んでいるんだな」
石上は基本、飲むペースが速い。だが、顔色にも出なければ次の日に響くこともない。
俺もなかなか飲める口だとは思うが、俺はちまちまやるタイプだからなあ。
「さすがにな。本来ならもうちょっと飲みたいところだ」
一度、家で一緒に飲んだときは瞬く間に焼酎が減っていったんだよな。こいつと飲むときは、酒を持参してもらわなきゃあ、財布が危篤状態になってしまう。
この店は持ち帰りもできる。透明のパックに入れて、新聞紙に包んでくれる。焼きたてとはいかないが、あれはあれで味があって、酒を飲まないときでもよく頼む。米にも合うんだ、これが。
「なにもやりたくないが、仕事がある」
「そりゃそうだ。お前もようやっと自制というものを覚えたか」
「うるさい」
こういう何もやりたくない日が、生徒たちにもあるのだろうか。あるだろうなあ。
大それた志も、崇高な目標も何もないが、がんじがらめの学校の中でほんの少しでも緩んでいられるような場所。少なくとも俺は、図書館がそうあってほしいと思っているし、図書館をそういう場所にできるように俺はやっていきたいと思っている。
そうだ。今度、一条君にこの店のことを教えてみようか。
一度食べてもらいたいなあ。きっと気に入るぞ。
「ごちそうさん」
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