一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第二百四話 揚げパン

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 春が待ち遠しい。

 そう思うのは極寒の風が吹く日でもなければ、底冷えのする廊下を歩いているときでもない。むしろ、小春日和といわれるような天気の昼下がりだ。

 土曜課外が終わり、特に用事もないのでさっさと帰り支度をする。換気のために薄く開けられた窓から、ふと、心地よい風が吹き込んできて外に視線をやる。

 空はまだ冬らしく高く、薄い色をしているが、今日はずいぶん日差しが暖かい。

 運ばれてくる香りもどことなく春めいているように思える。

 しかし予報では明日からまた寒くなるという。このまま暖かくなってくれればいいのにな、と思いながら、なびくカーテンをあしらった。

「いい天気だなあ……」

 こんな天気の日は心が浮き立つ。しかも明日は日曜で学校は休みだし土曜課外で課題もあらかた終わらせてある。いつになく気持ちがいい。

 さて、今日はこれからどうしようか。

 まあ時間はゆっくりあるんだし、のんびり考えるとしよう。



 とりあえずは昼飯だな。

 土曜課外の後はコンビニかスーパーか、それか運が良ければ開いている学校の食堂で済ませるか、はたまたインスタントか冷凍食品か、というのが常だ。たまには手の込んだ料理を作ってみることもあるが、そうしょっちゅうは作らない。ああ、咲良とかに誘われて飯食いに行くこともあるな。

 今日はインスタントとか冷凍食品の気分だ。

 ラーメン、焼きそば、うどん、そば、と何もしたくないなってときのためにいくつかは買い置きをしてある。

 どれにしようかな。ラーメンは醤油か豚骨、焼きそばも捨てがたいところだ。

 冷凍、何買ってたっけ。

「あ、これにしよ」

 そういえばこの間買っていた、えびグラタンがあった。ビーフシチューの時の残りのパンもあるしこれにしよう。

 しっかりレンチンしないと芯の方が凍ってることがあるからな。何度か経験したことがある。ちょっとしょぼんとするんだよなあ。かといってやり過ぎると干からびる。

 パンは……このままでいいか。

「いただきます」

 冷凍のえびグラタンって、無性に食いたくなる時があるんだ。

 香ばしく濃いチーズの香りがいい。あっつあつに温められたグラタンにスプーンを入れると、つやっとしたマカロニが現れる。

 うちで作るよりも牛乳の風味がある。生クリームとかを使っているからだろうか。チーズの塩気も強めだし、何よりえびのうま味がたまらない。ぷりっと、とはしていないが、小さい中にいい味がしっかりつまっている。噛みしめるほどそれが染み出してきておいしい。

 パンもよく合う。焼かないともちもち感がすごくて、ちょっと噛み切るのが大変だ。でもおいしい。小麦の風味がいい感じだ。

「ごちそうさまでした」

 飯を食ったら眠くなってきた。

 うめずも窓際で転寝をしているし、片づけたら俺もひと眠りしようかな。



 うめずの体温を感じながら目を覚ます。

「今何時だ……?」

 時計を見ると、眠ってから三十分も経っていなかった。

「あれ? そんなもんか?」

 ずいぶんすっきりしたなあ。

 さて、これからどうしようか。何なら今から出かけても余裕のある時間だよな。

 ……いっそのこと出かけるとするか。



 出かけるといってもいつもの図書館だ。

 返却期限まではまだ余裕があったが、すっかり読み終えてしまったのでちょうどよかった。昼飯も食ってるし、のんびり本を探そう。

 利用客も少なく、とても静かだ。自分の足音が響くのが申し訳なくなるほどである。

 普段はあまりじっくりと見ない文庫本の棚を眺め、借りたことのない分類の本を手に取り、途中途中に置いてある椅子に腰かけてページを繰った。

 たいてい、買い物も図書館も、目的のものを手に入れたらとっとと帰ってしまうことが多いので、こんな時間の使い方はなんだか新鮮だ。

 ふと気が付けば、館内には利用者が少しずつ増えてきたようだった。そろそろ帰ろうか。

 小説を一冊と料理の本を二冊借りて外に出る。昼時を過ぎ、空気はさらに暖められていて再び睡魔が襲ってくるようだった。

 このまま帰るのもなんだか惜しいような気がして、もう少しだけ、歩いてみることにした。



 小春日和とはいえ、日陰なんかはかなり冷える。

 日の差すところを選びながら駅までぼちぼち歩く。そういえば久しぶりにこうやって周りを眺めながら歩いた気がするな。

 あの建物、あんなにぼろかったっけ。あの土地にはつい最近まで何かあったような気がするが、はっきり覚えていない。閉店していると思い込んでいたパチンコ店には客が出入りしていて、そのたびにけたたましい音楽を外に放出している。

 駅に着くと日陰ばかりで、体感温度が一気に下がる気がした。バス停のあたりは特に、地面から冷たさがしんしんと伝わってくるようで、まだ冬の真っただ中だということを思い知らされる。

 何も買うものはないが、とりあえず店が入っている建物を回ってみる。人も少ないし、店員も時折通る客を寄せるのにそこまで一生懸命ではない。開店休業状態、とはこういうことを言うのだろうかと思いながら、外階段につながる、殺風景で薄暗く冷たい廊下を歩く。

 ここ、さみしい感じがするけど、こういうとこを通ると、外出してんなあ、って気になるのは何だろう。

「……なんかいいにおいする」

 バス停や駅、スーパーなんかがあるのでさっきよりも人の多い場所。そこに出ると、何やら香ばしいような甘いような匂いがしてきた。

 それをたどっていけば、パン屋にたどり着いた。

 店があることは知っていたが、入ったことはない。表からよく見えるガラス張りで、今はちょうど焼き立てのパンが並べられているところだった。

 そして気になるポップが一つ。

「揚げパン、出来立て」

 ……歩いたし、ちょっと小腹空いたし、出来立てと聞いて黙って引き下がれるわけもなく。

 一つ買っていこう。



 電車が来るまではずいぶん時間があるので、駅のベンチに座って食べよう。こないだは回転焼き食ったな。

「いただきます」

 今日は牛乳も買ってきた。駅にあるパックジュースとかお菓子を売っている自販機で買った。あれ、見るのワクワクする。機械が動く中の様子が見えるのって、どうしてこうそわそわするんだろう。

 揚げパンはほのかに温かく、シナモンと砂糖の香りがいい。小ぶりなコッペパン、って感じだ。

 カリッとした表面に、もっちりした中身。ジュワッと染み出す甘さがたまらなくおいしい。中はまだ結構ホカホカで、よく見れば湯気が上がっている。

 この甘さがまた牛乳とよく合う。

 袋には砂糖もシナモンもたっぷり残っているので、しっかりまぶして食べたいところだ。

 シナモンって、がっつり食べるとちょっとピリッとするんだよな。でも、おいしい。牛乳に浸して食ってもうまそうだよなあ。

 それに、揚げパンなのに油っぽくない。揚げたてだからってのもあるだろうけど、しっかり油が切れている感じ。

 食べ進めていくとパン自体の湿気で少し柔らかくなってくる。それはそれでうまい。

 何だ、この店、パンめっちゃうまいじゃん。なんとなく入るのためらってたけど、気にせず入ればよかった。

 まあでも、今知れてよかったか。

 今度からまた、楽しみが増えたな。次はもう一つ、いや、二つぐらい買おう。で、家でも食べられるようにしよう。

 最後の一口、名残惜しいがしっかり味わって食べる。

 うーん。なんかもう一個食べたいな。電車の時間見て、余裕があったら買ってこようかな。



「ごちそうさまでした」

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