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日常
第百九十一話 炊き込みご飯
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放課後の図書館周辺はずいぶん静まり返っている。
わずかに聞こえてくる教室や運動場の喧騒が、その静けさを際立たせている。
「失礼しまーす」
図書館の利用者はほとんどいない。
だから漆原先生は悠々自適に過ごし、嬉々として読書に耽っていた。
「やあ、一条君」
ゆったりと視線を上げて、先生は微笑を浮かべた。
「返却いいですか」
「おお、構わんよ」
先生は本にしおりを挟み、傍らに置いた。どうやら私物らしい。カバーの端の方は少しボロボロで、紙も色あせていた。
「利用者いないですね」
「冬休みはなあ。おかげで読書がはかどるよ」
「仕事はいいんですか……あ、この本、直接戻しに行きますね」
「ああ、助かるよ」
先生は再び本を手に取り、椅子の背もたれに身を預けた。
「当然仕事もしているさ。石上にどやされない程度にな」
「そうですか」
「なに、利用者もそう多くない。何なら冬休み中、君以外来てないんじゃないか」
「そんな少ないんですか」
先生は本に注意を向けたまま、興味なさげに言った。
「みんな、他に楽しいものがあるのさ」
俺としては、読書はかなり楽しいと思うのだがな。
さて、今日は何を借りようか。
図書館の一番奥、ハードカバーの小説が並ぶ棚を順番にゆっくり眺めていく。作家ごとに並んでいて、利用者が少ないせいもあってか整然としたままだ。
どれを借りようか悩んでいたら、出入り口の扉が開く音が聞こえてきた。
ちら、と視線だけをそちらに向ける。どうやら一年生らしい。なんだ、俺以外の利用者、いるじゃないか。
「これ借りるか」
たまには海外の作家の本も読む。日本文学とはまた違った趣があっていいんだ。
「先生、いいですか」
「ああ……お、これな」
「読んでるんですか」
「当然」
なんかこの先生、図書館にある本全部読んでそうだな。
さっきの一年は俺と入れ分かりのように小説の棚に移動していた。なんかちょっと視線を感じるがまあ、気のせいだろう。
先生から本を受け取ったところで咲良が来た。
「お、ナイスタイミング?」
「おう」
こいつまた先生に呼び出しくらって、職員室に行ったんだよな。で、俺が図書館行くってわかったから、用事が済んだら図書館に迎えに来るって言ったんだ。
「あ、先生あけおめっす!」
そう言って咲良は片手を挙げてにぱっと笑った。先生は面白そうに肩を震わせてクックッと笑った。
「威勢がいいな。俺は構わんが、その言い方は他の教師陣からは受けが悪いだろう」
「いやいや、俺が新年のあいさつすんのは先生ぐらいっすよ。他の先生たちには好んで近寄らねえです」
「そうか。それは光栄だ」
「先生は正月何してたんすか?」
カウンターに飾られた、折り紙の正月飾りを指でもてあそびながら咲良が聞けば、先生は腕を組み背もたれに寄りかかりながら答えた。
「なあに、大したことはしていない。朝から晩まで読書三昧さ」
「やべえっすね。小説っすか」
「漫画も読むには読んだが、まあ、小説が主だな」
「俺だったら途中で寝ますね、確実に」
俺はどちらかといえば先生タイプかもしれない。時間さえあればいくらでも本を読める。
「そういう君たちはどうだったんだ。正月、休めたか」
「寝正月満喫しました。でも、あと一週間は休みが欲しいっすね」
「ははは、そんなに休んだら学校に来るのが億劫になりそうだな」
ただでさえほんの一週間弱の休みでこれだけ億劫なのだ。それは想像に難くない。
「まあ、なんだ。何事もほどほどに、だ。学校が始まったからって、気合入れる必要はないさ」
先生は目を細めて笑った。
「まあ、体調にだけは気を付けて。来週には新学期も始まる。よろしく頼んだぞ」
さっきの一年がカウンターに来たところで、俺たちは外に出た。
「寒いな、室内なのに」
「なんなら外の方が暖かいぞ。やっぱ日が当たるからかね」
ロッカーから自分の荷物を取り出す。冷気の中にあった鞄やリュックは冷え切っていて、防寒具もすっかり冷たい。
これを身につけたら逆に体温をとられてしまいそうだ。
手でもみ、温めながら咲良と連れ立って昇降口へ向かう。
渡り廊下に降り注ぐ日差しがほんの少しだけ暖かく、いまだ遠い春を待ちわびるようにきらきらと輝いていた。
「……なんかいいにおいする」
夕方、風呂に入った後、居間でスマホをいじっていたら、香ばしいような甘いような香りが漂ってきた。
「今日は炊き込みご飯だからね」
母さんはそう言って炊飯器に視線をやった。
「そろそろ炊けるから、座ってて」
「はーい」
弁当なんかの冷たいご飯もいいけど、炊きたてが食べられる状況にあるのならば炊き立てを楽しみたいものだ。
今日の晩飯は炊き込みご飯となめこのみそ汁、それに白菜の即席漬けだという。
「いただきます」
ホカホカといい香りを含む湯気が立ちのぼるご飯。具材は鶏肉とえのき、ニンジン、しいたけだ。
しっかり味が染みた米は、一粒一粒鮮やかな茶色で艶めいている。一口含めばうま味と香りが一気に広がる。ふうっと鼻から抜ける香りがたまらなく好きだ。鶏肉はほろっとしていて噛むほどにうまみが染み出す。いつもよりほんのり甘めの味付けがおいしい。
「おいしい?」
「めっちゃおいしい」
ニンジンは細かく切ってあって、しっかり甘い。えのきの食感もいいアクセントだ。そしてしいたけはうま味の塊で、つい、食べたくて探してしまう。
白菜の即席漬けは塩昆布も混ざっていて、磯の香りを醤油が引き立てている。
何よりなめこのみそ汁のとろみが炊き込みご飯とよく合う。プチプチとした食感のなめこの味もまたいい。
「明日はおにぎりにしようか」
「お茶かけもしたいなあ」
母さんの言うように、炊き込みご飯のおにぎりはなんだか魅力的だし、父さんの言うように、お茶かけも捨てがたい。
もういっそ両方食ってしまおう。それがいい。
楽しみ方がたくさんある料理は大変だ。全部試さないと気が済まない。でも、楽しいしおいしいから満足だ。
「ごちそうさまでした」
わずかに聞こえてくる教室や運動場の喧騒が、その静けさを際立たせている。
「失礼しまーす」
図書館の利用者はほとんどいない。
だから漆原先生は悠々自適に過ごし、嬉々として読書に耽っていた。
「やあ、一条君」
ゆったりと視線を上げて、先生は微笑を浮かべた。
「返却いいですか」
「おお、構わんよ」
先生は本にしおりを挟み、傍らに置いた。どうやら私物らしい。カバーの端の方は少しボロボロで、紙も色あせていた。
「利用者いないですね」
「冬休みはなあ。おかげで読書がはかどるよ」
「仕事はいいんですか……あ、この本、直接戻しに行きますね」
「ああ、助かるよ」
先生は再び本を手に取り、椅子の背もたれに身を預けた。
「当然仕事もしているさ。石上にどやされない程度にな」
「そうですか」
「なに、利用者もそう多くない。何なら冬休み中、君以外来てないんじゃないか」
「そんな少ないんですか」
先生は本に注意を向けたまま、興味なさげに言った。
「みんな、他に楽しいものがあるのさ」
俺としては、読書はかなり楽しいと思うのだがな。
さて、今日は何を借りようか。
図書館の一番奥、ハードカバーの小説が並ぶ棚を順番にゆっくり眺めていく。作家ごとに並んでいて、利用者が少ないせいもあってか整然としたままだ。
どれを借りようか悩んでいたら、出入り口の扉が開く音が聞こえてきた。
ちら、と視線だけをそちらに向ける。どうやら一年生らしい。なんだ、俺以外の利用者、いるじゃないか。
「これ借りるか」
たまには海外の作家の本も読む。日本文学とはまた違った趣があっていいんだ。
「先生、いいですか」
「ああ……お、これな」
「読んでるんですか」
「当然」
なんかこの先生、図書館にある本全部読んでそうだな。
さっきの一年は俺と入れ分かりのように小説の棚に移動していた。なんかちょっと視線を感じるがまあ、気のせいだろう。
先生から本を受け取ったところで咲良が来た。
「お、ナイスタイミング?」
「おう」
こいつまた先生に呼び出しくらって、職員室に行ったんだよな。で、俺が図書館行くってわかったから、用事が済んだら図書館に迎えに来るって言ったんだ。
「あ、先生あけおめっす!」
そう言って咲良は片手を挙げてにぱっと笑った。先生は面白そうに肩を震わせてクックッと笑った。
「威勢がいいな。俺は構わんが、その言い方は他の教師陣からは受けが悪いだろう」
「いやいや、俺が新年のあいさつすんのは先生ぐらいっすよ。他の先生たちには好んで近寄らねえです」
「そうか。それは光栄だ」
「先生は正月何してたんすか?」
カウンターに飾られた、折り紙の正月飾りを指でもてあそびながら咲良が聞けば、先生は腕を組み背もたれに寄りかかりながら答えた。
「なあに、大したことはしていない。朝から晩まで読書三昧さ」
「やべえっすね。小説っすか」
「漫画も読むには読んだが、まあ、小説が主だな」
「俺だったら途中で寝ますね、確実に」
俺はどちらかといえば先生タイプかもしれない。時間さえあればいくらでも本を読める。
「そういう君たちはどうだったんだ。正月、休めたか」
「寝正月満喫しました。でも、あと一週間は休みが欲しいっすね」
「ははは、そんなに休んだら学校に来るのが億劫になりそうだな」
ただでさえほんの一週間弱の休みでこれだけ億劫なのだ。それは想像に難くない。
「まあ、なんだ。何事もほどほどに、だ。学校が始まったからって、気合入れる必要はないさ」
先生は目を細めて笑った。
「まあ、体調にだけは気を付けて。来週には新学期も始まる。よろしく頼んだぞ」
さっきの一年がカウンターに来たところで、俺たちは外に出た。
「寒いな、室内なのに」
「なんなら外の方が暖かいぞ。やっぱ日が当たるからかね」
ロッカーから自分の荷物を取り出す。冷気の中にあった鞄やリュックは冷え切っていて、防寒具もすっかり冷たい。
これを身につけたら逆に体温をとられてしまいそうだ。
手でもみ、温めながら咲良と連れ立って昇降口へ向かう。
渡り廊下に降り注ぐ日差しがほんの少しだけ暖かく、いまだ遠い春を待ちわびるようにきらきらと輝いていた。
「……なんかいいにおいする」
夕方、風呂に入った後、居間でスマホをいじっていたら、香ばしいような甘いような香りが漂ってきた。
「今日は炊き込みご飯だからね」
母さんはそう言って炊飯器に視線をやった。
「そろそろ炊けるから、座ってて」
「はーい」
弁当なんかの冷たいご飯もいいけど、炊きたてが食べられる状況にあるのならば炊き立てを楽しみたいものだ。
今日の晩飯は炊き込みご飯となめこのみそ汁、それに白菜の即席漬けだという。
「いただきます」
ホカホカといい香りを含む湯気が立ちのぼるご飯。具材は鶏肉とえのき、ニンジン、しいたけだ。
しっかり味が染みた米は、一粒一粒鮮やかな茶色で艶めいている。一口含めばうま味と香りが一気に広がる。ふうっと鼻から抜ける香りがたまらなく好きだ。鶏肉はほろっとしていて噛むほどにうまみが染み出す。いつもよりほんのり甘めの味付けがおいしい。
「おいしい?」
「めっちゃおいしい」
ニンジンは細かく切ってあって、しっかり甘い。えのきの食感もいいアクセントだ。そしてしいたけはうま味の塊で、つい、食べたくて探してしまう。
白菜の即席漬けは塩昆布も混ざっていて、磯の香りを醤油が引き立てている。
何よりなめこのみそ汁のとろみが炊き込みご飯とよく合う。プチプチとした食感のなめこの味もまたいい。
「明日はおにぎりにしようか」
「お茶かけもしたいなあ」
母さんの言うように、炊き込みご飯のおにぎりはなんだか魅力的だし、父さんの言うように、お茶かけも捨てがたい。
もういっそ両方食ってしまおう。それがいい。
楽しみ方がたくさんある料理は大変だ。全部試さないと気が済まない。でも、楽しいしおいしいから満足だ。
「ごちそうさまでした」
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