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日常
第百八十九話 チキン南蛮
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ほんの少し浮かれた空気の教室。年末年始に何をしたかとか、どこに行ったとか、課題が終わっていないとか、朝から騒がしい。
頬杖を突き、ぼんやりと外に意識を向けていたら、ざわめく教室に「春都」と俺を呼ぶ声がした。
声のした方に視線を向ける。声の主は教室の扉を開け、柱にもたれかかってのんきに笑っていた。言わずもがな、その正体は咲良だ。
咲良はひらひらと手を振っているが、それが手招きだと気づき、しぶしぶ立ち上がってそちらに向かう。
「おはよ。元気?」
「お前ほどじゃないがな」
出入り口付近で話をするのもあれなので、扉を閉めてロッカーに向かう。
「教室じゃさあ、どこに旅行に行ったとかなんとかって話ばっかりで。俺、どこも言ってねえから完全アウェー」
「奇遇だな、俺もだ」
咲良はそれを聞くと嬉しそうに笑った。
「だよなー? 正月に旅行とか行ったことねえし?」
「業務用スーパーには行った」
「まじかよ。楽しかった?」
「人がすごかった」
少しその日のことを話してやると、咲良は興味津々というように「へぇ~」と相槌を打った。
「行ってみてえなあ。楽しそう」
「まあ、楽しいのは楽しかった。ただもうちょっと人が少ない方がいい。買い物どころじゃねえもん」
「正月はどこも人が多いもんな~」
うちの周りはものすごく少なかったけど、と咲良は笑った。と、そこで誰かを見つけたのか、視線を俺から外した。その方向を見れば、朝比奈と百瀬が連れ立って歩いてきている姿があった。
「よお、おはよう!」
「おっはよ~、一条、井上~」
「……はよ」
元気はつらつという百瀬とは対照的に、朝比奈はなんというか……
「朝比奈、お前、なんかくたびれてんな」
そう聞けば、朝比奈はふうっと息をついた。
「うち、年末年始は来客が多くて……」
その言葉に三人そろって納得する。
「挨拶もしなきゃいけないし、治樹は手がかかるし、裏方の手伝いもしなきゃいけないし」
「あれ? でもお手伝いさんが来るんじゃないの?」
百瀬が聞けば、朝比奈は力なく首を横に振った。
「俺も手伝いの頭数に含まれてんの」
「大変だねえ」
「百瀬は? なんかしたか?」
咲良が聞けば、百瀬は「別に特には」と笑った。
「寝正月を満喫した」
「俺も俺も」
寝正月って一番の贅沢だよなー、と言い合う咲良と百瀬を横目に、朝比奈に聞く。
「大変だったな」
「まあな。でも、新学期始まったら落ち着くし、いつものことだし。一条はなんかあったか?」
「俺は、話ができるようなことは何もしてない」
本当に、いつも通り。普段の暮らしにお正月料理が加わって感じだ。
「やっぱ春都の話は、飯が中心だな」
いつの間にやらこちらの話を聞いていたらしい咲良が笑って言った。
「あ?」
「春都、基本的に食った飯を目印にしていろんなこと記憶してるって感じ。飯が付箋になってるっていうかさ」
「それは、まあ」
否定できないな。
あの時何してたっけ、と思い出すとき、いつも真っ先に考えるのはその時何を食ったかだし、見慣れた景色や場所なんかを目にしたら、ああ、あんときあれ食ったなあ、と真っ先に思い出す。
「なんか昨日の晩ご飯だけじゃなくて、一年前の今日、何食べたかとかも覚えてそう」
そう言って百瀬が笑い、朝比奈も頷く。
「春都なら覚えてそうだ」
「いったい俺は何なんだ」
呆れてそう言えば三人はそろって笑った。それにつられて、思わず俺も笑ってしまう。
予鈴が鳴って、廊下の人影も減ってきた。そろそろ教科担当の先生たちが来ている教室もある。
ほんの数日ぶりなのにすっかり時間の感覚がつかめなくなってしまっている。
俺たちはそろって、自分の教室へと急いだ。
やっぱ自分で課題をこなすのとは違って、授業はとても疲れる。
冬期課外後半戦は、科目によっては三学期の予習をし始める。それはすなわち、家での予習も必須なわけで。
冬休みの課題が一段落しても、また次がやってくる。
台所の調理音をBGMに自室で予習を進める。ああ、腹減った。昼飯はしっかり食ったはずなのに、夕方にもなればもう腹の虫が再び目を覚ます。
すっかり予習を終わらせて、風呂に入るとやっと緊張がほどける。
今日の晩飯はチキン南蛮だ。特製の甘酢だれとタルタルソースが楽しみだ。
「いただきます」
カリカリサクッと揚がった衣が、甘酢をまとって魅力的に輝いている。
「結構すっぱいかもしれないけど、どうかな?」
カリッと歯を入れれば、確かに痛快な酸味が鼻まで一気に抜けていく。でも、うま味たっぷりでおいしい。
「おいしいよ」
「そう? よかった」
「タルタルもおいしいぞ」
と、父さんは鶏にたっぷりとタルタルソースをかける。
玉ねぎの辛さは控えめだが、うま味は抜けていない。ごろごろとした玉ねぎのシャキシャキ食感、みずみずしさがたまらない。
ほんのり甘みのある香ばしい衣、ジューシーで肉厚な鶏肉。ご飯が進む味だ。
チキン南蛮はがっつり肉料理だが、あっさりしているとも思う。しっかりご飯が進む味付けだけど、酸味もあってさっぱりパクパク食べてしまう。
皮だけを揚げたのも結構うまい。
じわあっとジューシーで、身とはまた違ったうま味があふれ出す。
甘酢をたっぷり絡めて、タルタルもたっぷりのっけて、ご飯といっぺんにほおばる。これ、やっぱ最高の食べ方だ。サンドイッチにしてもおいしいけど、俺はご飯のほうが好きだな。サンドイッチにはサンドイッチのおいしさがあるんだけど。
今年もたくさん、こうやってうまい飯の記憶が増えるといいなあ。
「ごちそうさまでした」
頬杖を突き、ぼんやりと外に意識を向けていたら、ざわめく教室に「春都」と俺を呼ぶ声がした。
声のした方に視線を向ける。声の主は教室の扉を開け、柱にもたれかかってのんきに笑っていた。言わずもがな、その正体は咲良だ。
咲良はひらひらと手を振っているが、それが手招きだと気づき、しぶしぶ立ち上がってそちらに向かう。
「おはよ。元気?」
「お前ほどじゃないがな」
出入り口付近で話をするのもあれなので、扉を閉めてロッカーに向かう。
「教室じゃさあ、どこに旅行に行ったとかなんとかって話ばっかりで。俺、どこも言ってねえから完全アウェー」
「奇遇だな、俺もだ」
咲良はそれを聞くと嬉しそうに笑った。
「だよなー? 正月に旅行とか行ったことねえし?」
「業務用スーパーには行った」
「まじかよ。楽しかった?」
「人がすごかった」
少しその日のことを話してやると、咲良は興味津々というように「へぇ~」と相槌を打った。
「行ってみてえなあ。楽しそう」
「まあ、楽しいのは楽しかった。ただもうちょっと人が少ない方がいい。買い物どころじゃねえもん」
「正月はどこも人が多いもんな~」
うちの周りはものすごく少なかったけど、と咲良は笑った。と、そこで誰かを見つけたのか、視線を俺から外した。その方向を見れば、朝比奈と百瀬が連れ立って歩いてきている姿があった。
「よお、おはよう!」
「おっはよ~、一条、井上~」
「……はよ」
元気はつらつという百瀬とは対照的に、朝比奈はなんというか……
「朝比奈、お前、なんかくたびれてんな」
そう聞けば、朝比奈はふうっと息をついた。
「うち、年末年始は来客が多くて……」
その言葉に三人そろって納得する。
「挨拶もしなきゃいけないし、治樹は手がかかるし、裏方の手伝いもしなきゃいけないし」
「あれ? でもお手伝いさんが来るんじゃないの?」
百瀬が聞けば、朝比奈は力なく首を横に振った。
「俺も手伝いの頭数に含まれてんの」
「大変だねえ」
「百瀬は? なんかしたか?」
咲良が聞けば、百瀬は「別に特には」と笑った。
「寝正月を満喫した」
「俺も俺も」
寝正月って一番の贅沢だよなー、と言い合う咲良と百瀬を横目に、朝比奈に聞く。
「大変だったな」
「まあな。でも、新学期始まったら落ち着くし、いつものことだし。一条はなんかあったか?」
「俺は、話ができるようなことは何もしてない」
本当に、いつも通り。普段の暮らしにお正月料理が加わって感じだ。
「やっぱ春都の話は、飯が中心だな」
いつの間にやらこちらの話を聞いていたらしい咲良が笑って言った。
「あ?」
「春都、基本的に食った飯を目印にしていろんなこと記憶してるって感じ。飯が付箋になってるっていうかさ」
「それは、まあ」
否定できないな。
あの時何してたっけ、と思い出すとき、いつも真っ先に考えるのはその時何を食ったかだし、見慣れた景色や場所なんかを目にしたら、ああ、あんときあれ食ったなあ、と真っ先に思い出す。
「なんか昨日の晩ご飯だけじゃなくて、一年前の今日、何食べたかとかも覚えてそう」
そう言って百瀬が笑い、朝比奈も頷く。
「春都なら覚えてそうだ」
「いったい俺は何なんだ」
呆れてそう言えば三人はそろって笑った。それにつられて、思わず俺も笑ってしまう。
予鈴が鳴って、廊下の人影も減ってきた。そろそろ教科担当の先生たちが来ている教室もある。
ほんの数日ぶりなのにすっかり時間の感覚がつかめなくなってしまっている。
俺たちはそろって、自分の教室へと急いだ。
やっぱ自分で課題をこなすのとは違って、授業はとても疲れる。
冬期課外後半戦は、科目によっては三学期の予習をし始める。それはすなわち、家での予習も必須なわけで。
冬休みの課題が一段落しても、また次がやってくる。
台所の調理音をBGMに自室で予習を進める。ああ、腹減った。昼飯はしっかり食ったはずなのに、夕方にもなればもう腹の虫が再び目を覚ます。
すっかり予習を終わらせて、風呂に入るとやっと緊張がほどける。
今日の晩飯はチキン南蛮だ。特製の甘酢だれとタルタルソースが楽しみだ。
「いただきます」
カリカリサクッと揚がった衣が、甘酢をまとって魅力的に輝いている。
「結構すっぱいかもしれないけど、どうかな?」
カリッと歯を入れれば、確かに痛快な酸味が鼻まで一気に抜けていく。でも、うま味たっぷりでおいしい。
「おいしいよ」
「そう? よかった」
「タルタルもおいしいぞ」
と、父さんは鶏にたっぷりとタルタルソースをかける。
玉ねぎの辛さは控えめだが、うま味は抜けていない。ごろごろとした玉ねぎのシャキシャキ食感、みずみずしさがたまらない。
ほんのり甘みのある香ばしい衣、ジューシーで肉厚な鶏肉。ご飯が進む味だ。
チキン南蛮はがっつり肉料理だが、あっさりしているとも思う。しっかりご飯が進む味付けだけど、酸味もあってさっぱりパクパク食べてしまう。
皮だけを揚げたのも結構うまい。
じわあっとジューシーで、身とはまた違ったうま味があふれ出す。
甘酢をたっぷり絡めて、タルタルもたっぷりのっけて、ご飯といっぺんにほおばる。これ、やっぱ最高の食べ方だ。サンドイッチにしてもおいしいけど、俺はご飯のほうが好きだな。サンドイッチにはサンドイッチのおいしさがあるんだけど。
今年もたくさん、こうやってうまい飯の記憶が増えるといいなあ。
「ごちそうさまでした」
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