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日常
第百七十五話 銀だら
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十二月も下旬に差し迫るころ、一気に冷え込んできた。
吹く風の鋭利さが増し、数日前とは比べ物にならないほどに寒い。この寒さだと、朝比奈でなくてもいやになる。
寒いからといって学校が休みになることはないので、とぼとぼと薄暗い道を歩いていく。
この時間帯には意外と小学生も登校している。早く学校に行って遊ぶのか、はたまたクラブ活動や委員会などがあるのか。よく分からないが、高校に着くまでに何人もの小学生とすれ違う。ああ、そういや俺が小学生の時も、学校に一番に着きたいがためだけに早朝登校してるやついたなあ。ま、かくいう俺もそのうちの一人だったが。
前方から賑やかな声がして、足元に落としていた視線を上げる。
ジャンパーやコートを着ている――いや、あれは、ひっかけていると言った方がいいだろう。ほぼ防寒の意味をなしていない状態の上着に、半ズボン。バタバタとけたたましい足音を鳴らし、吹きすさぶ寒風に笑い声をあげている。
「小学生、強……」
お、でもそうじゃないのも何人かいるな。
もこもこに丸くなって、のそのそと歩く様子は、さながらペンギンの子供だ。ニット帽に耳当て、マフラーまでしている。
なんというか、不思議な光景だ。
片や秋口のような薄着の少年少女、片や氷雪の上を行く子ペンギンのような少年少女。前者はさっそうと、後者はゆったりとすれ違って行った。
校門をくぐる高校生の列もまた様々だ。
完全防備のやつから上着を着ていないどころかマフラーもしていないようなやつまで。防寒着を着ていないやつらは、本人たちが寒くなくても見ているこっちが寒いようだ。
昇降口で床の冷たさに辟易しながら上靴に履き替えていると「う~、寒い寒い」とつぶやきながら誰かが近寄ってきた。
「おはよ~、一条。今朝は冷えるねえ」
「百瀬。おはよう」
手袋を外し、コートを脱ぎ、身震いしていたのは百瀬だ。
校則で防寒着、および防寒具の着脱は昇降口でのみと決まっているのだが、百瀬は盛大に文句を言っていた。
「なんでここで脱がなきゃいけないんだよ。ここが一番寒いんだっての」
「こないだ言ってただろ。玄関先で脱ぐのがマナーだから、そういう常識を身につけろって」
俺も決して納得はしていないのだが、半ばやけくそにそう言えば、百瀬は舌打ちでもせんばかりの表情でつぶやいた。
「別に教えられなくてもできるってんだ」
こいつ、たまに治安悪くなるよなあ。
柄が悪い、というのが本当だろうが、百瀬の場合は治安が悪いと言った方が適切なように思う。
「お前は特に、自転車通学だから寒いだろ?」
少し話の趣旨を変えようとそう言えば、百瀬は少し表情を戻し「そうなんだよねえ」と目を細めた。
「手袋無いと指先が死ぬ」
「頬も真っ赤だな」
「すっげー冷たいんだぞ~」
そう言って百瀬は俺に手を差し出して来た。触ってみろと言うことらしい。
「おっ、わ。冷った」
氷と勘違いしそうになるその冷たさに、驚きを通り越して少し心配になるほどだ。
「だろ~? もうほんと、洒落になんないっての」
「なにー、何の話?」
そうのんきにやってきたのは咲良だ。見れば首元はマフラーを巻いたままだ。
「お前、防寒具」
「へーきへーき。だって、昇降口って先生見てないっしょ? こういうのは、ばれなきゃいいの」
妙なところで神経が図太い咲良はいたずらっぽく笑って言った。しかしその言葉に百瀬は思案顔になる。
「なるほど、ばれなきゃいいのか」
「百瀬、こういうやつはいつかぼろが出て説教食らうまでがセットだぞ。まじめに取り合うな」
「ひでえや」
咲良はそう言いながらやっとマフラーを外した。
「で、何? 百瀬、手が冷たいの」
「そーなんだよ」
「手袋すりゃいいじゃん」
「してても寒いもんは寒いっての」
ふーん? と咲良はいまいちピンと来てない様子だったが、何を思いついたのか百瀬に両手を差し出すように言うと、その手をさっきまで自分が巻いていたマフラーで包み始めた。
「さっきまでつけてたから温かいだろ」
「あ、ほんとだ。なんか生ぬるい」
「生ぬるい……」
他に言い方はなかったのかと思うが、人肌に触れていたものの表現としては適切か。
「まあ、この寒さじゃすぐに冷えるけどな」
そう言って咲良はマフラーを解いた。しかし少し温まったらしく、百瀬の手の血色はよくなっていた。
今日は母さんが店の方に行ったらしく、ばあちゃんから色々ともらってきていた。
「というわけで今日のご飯はちょっと豪華です」
台所からは何やら脂がはじける音と香ばしい匂いが漂ってきている。揚げ物ではないよだ。これはおそらく、焼き魚だろう。
そしてこの香りは、普段滅多に買うことのない、あれだ。
「はい、焼けた」
「お、銀だらか。久しぶりだなあ」
と、父さんも表情を緩める。
そう、銀だらだ。
最近は結構値が張るので、おいそれと手出しできるものではない。好物の一つで、ちょいちょいばあちゃんが買ってきてくれるのだ。
「いただきます」
みりんや醤油で作られた、たれが塗られている表面は照りっと輝き、焦げ目もまた食欲をそそる。
銀だらの特徴といえば、その食感だろうか。ほくっとしているようで、とろりともしている。ほろほろとはまた違う口どけのようなものがある。この食感がまたご飯に合うんだ。
そして何よりたれのうま味と香ばしさといったら。
焼きたてだとなおその香ばしさが際立つというものだ。
もう一つおかずはあって、こっちは母さんの手製のようだ。大根と厚揚げを炊いたもので、やさしい味わいだ。
おでんよりも薄味だが、出汁の風味がいい。大根にもしっかり味が染みていてジューシーだ。厚揚げの食感もいい。
そして少し冷めた銀だら。少し噛み応えが増す気がする。焼きたてだとじゅわっとくる脂が、冷めると、噛みしめて染み出すようになる。味わい方が変われば、うま味の感じ方も少々変わる。どっちもうまいけどな。
好物をしょっちゅう食べられないというのはなかなかさみしいが、たまに食べられるからこそ、これだけの嬉しさがあるのだ。
たまの好物、というのも悪くない。
「ごちそうさまでした」
吹く風の鋭利さが増し、数日前とは比べ物にならないほどに寒い。この寒さだと、朝比奈でなくてもいやになる。
寒いからといって学校が休みになることはないので、とぼとぼと薄暗い道を歩いていく。
この時間帯には意外と小学生も登校している。早く学校に行って遊ぶのか、はたまたクラブ活動や委員会などがあるのか。よく分からないが、高校に着くまでに何人もの小学生とすれ違う。ああ、そういや俺が小学生の時も、学校に一番に着きたいがためだけに早朝登校してるやついたなあ。ま、かくいう俺もそのうちの一人だったが。
前方から賑やかな声がして、足元に落としていた視線を上げる。
ジャンパーやコートを着ている――いや、あれは、ひっかけていると言った方がいいだろう。ほぼ防寒の意味をなしていない状態の上着に、半ズボン。バタバタとけたたましい足音を鳴らし、吹きすさぶ寒風に笑い声をあげている。
「小学生、強……」
お、でもそうじゃないのも何人かいるな。
もこもこに丸くなって、のそのそと歩く様子は、さながらペンギンの子供だ。ニット帽に耳当て、マフラーまでしている。
なんというか、不思議な光景だ。
片や秋口のような薄着の少年少女、片や氷雪の上を行く子ペンギンのような少年少女。前者はさっそうと、後者はゆったりとすれ違って行った。
校門をくぐる高校生の列もまた様々だ。
完全防備のやつから上着を着ていないどころかマフラーもしていないようなやつまで。防寒着を着ていないやつらは、本人たちが寒くなくても見ているこっちが寒いようだ。
昇降口で床の冷たさに辟易しながら上靴に履き替えていると「う~、寒い寒い」とつぶやきながら誰かが近寄ってきた。
「おはよ~、一条。今朝は冷えるねえ」
「百瀬。おはよう」
手袋を外し、コートを脱ぎ、身震いしていたのは百瀬だ。
校則で防寒着、および防寒具の着脱は昇降口でのみと決まっているのだが、百瀬は盛大に文句を言っていた。
「なんでここで脱がなきゃいけないんだよ。ここが一番寒いんだっての」
「こないだ言ってただろ。玄関先で脱ぐのがマナーだから、そういう常識を身につけろって」
俺も決して納得はしていないのだが、半ばやけくそにそう言えば、百瀬は舌打ちでもせんばかりの表情でつぶやいた。
「別に教えられなくてもできるってんだ」
こいつ、たまに治安悪くなるよなあ。
柄が悪い、というのが本当だろうが、百瀬の場合は治安が悪いと言った方が適切なように思う。
「お前は特に、自転車通学だから寒いだろ?」
少し話の趣旨を変えようとそう言えば、百瀬は少し表情を戻し「そうなんだよねえ」と目を細めた。
「手袋無いと指先が死ぬ」
「頬も真っ赤だな」
「すっげー冷たいんだぞ~」
そう言って百瀬は俺に手を差し出して来た。触ってみろと言うことらしい。
「おっ、わ。冷った」
氷と勘違いしそうになるその冷たさに、驚きを通り越して少し心配になるほどだ。
「だろ~? もうほんと、洒落になんないっての」
「なにー、何の話?」
そうのんきにやってきたのは咲良だ。見れば首元はマフラーを巻いたままだ。
「お前、防寒具」
「へーきへーき。だって、昇降口って先生見てないっしょ? こういうのは、ばれなきゃいいの」
妙なところで神経が図太い咲良はいたずらっぽく笑って言った。しかしその言葉に百瀬は思案顔になる。
「なるほど、ばれなきゃいいのか」
「百瀬、こういうやつはいつかぼろが出て説教食らうまでがセットだぞ。まじめに取り合うな」
「ひでえや」
咲良はそう言いながらやっとマフラーを外した。
「で、何? 百瀬、手が冷たいの」
「そーなんだよ」
「手袋すりゃいいじゃん」
「してても寒いもんは寒いっての」
ふーん? と咲良はいまいちピンと来てない様子だったが、何を思いついたのか百瀬に両手を差し出すように言うと、その手をさっきまで自分が巻いていたマフラーで包み始めた。
「さっきまでつけてたから温かいだろ」
「あ、ほんとだ。なんか生ぬるい」
「生ぬるい……」
他に言い方はなかったのかと思うが、人肌に触れていたものの表現としては適切か。
「まあ、この寒さじゃすぐに冷えるけどな」
そう言って咲良はマフラーを解いた。しかし少し温まったらしく、百瀬の手の血色はよくなっていた。
今日は母さんが店の方に行ったらしく、ばあちゃんから色々ともらってきていた。
「というわけで今日のご飯はちょっと豪華です」
台所からは何やら脂がはじける音と香ばしい匂いが漂ってきている。揚げ物ではないよだ。これはおそらく、焼き魚だろう。
そしてこの香りは、普段滅多に買うことのない、あれだ。
「はい、焼けた」
「お、銀だらか。久しぶりだなあ」
と、父さんも表情を緩める。
そう、銀だらだ。
最近は結構値が張るので、おいそれと手出しできるものではない。好物の一つで、ちょいちょいばあちゃんが買ってきてくれるのだ。
「いただきます」
みりんや醤油で作られた、たれが塗られている表面は照りっと輝き、焦げ目もまた食欲をそそる。
銀だらの特徴といえば、その食感だろうか。ほくっとしているようで、とろりともしている。ほろほろとはまた違う口どけのようなものがある。この食感がまたご飯に合うんだ。
そして何よりたれのうま味と香ばしさといったら。
焼きたてだとなおその香ばしさが際立つというものだ。
もう一つおかずはあって、こっちは母さんの手製のようだ。大根と厚揚げを炊いたもので、やさしい味わいだ。
おでんよりも薄味だが、出汁の風味がいい。大根にもしっかり味が染みていてジューシーだ。厚揚げの食感もいい。
そして少し冷めた銀だら。少し噛み応えが増す気がする。焼きたてだとじゅわっとくる脂が、冷めると、噛みしめて染み出すようになる。味わい方が変われば、うま味の感じ方も少々変わる。どっちもうまいけどな。
好物をしょっちゅう食べられないというのはなかなかさみしいが、たまに食べられるからこそ、これだけの嬉しさがあるのだ。
たまの好物、というのも悪くない。
「ごちそうさまでした」
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