一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第百七十二話 豚汁

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 その日は朝からいい天気だった。雲一つない空というものを久しぶりに見た気がする。

「まさしく花火大会日和……」

 夕方、紫紺に染まる空をマンションの前で見上げながらつぶやけば、息が白く染まる。晴れているということは、その分、寒いということだ。ばあちゃんからカイロをもらっておいてよかった。コートにマフラーと完全防備でも寒いが、指先が少し温かいだけでずいぶん違う。

「春都ー!」

「お、来た」

 ぶんぶんと勢いよく手を振りながら咲良がやってきた。

「じゃ、行くか」

「おう!」

 普段はこの時間になると人通りの少ない道も、今日ばかりは少々様子が違う。祭りへ向かう人影がちらほらとあって、子どもの賑やかな声も聞こえてくる。

「う~、寒いなあ」

「そうだな……ああ」

 二つ持って来ていたカイロのうち一つを咲良に差し出す。

「ん、やる」

「お、まじ? サンキュー!」

 咲良は嬉しそうに受け取ると「あったけ~」と表情をほころばせた。

「屋台、何出てっかなあ」

「温かいもん食いたいな」

「俺、たこ焼きとか食いてえ」

 花火があがり始めるまであと一時間。でかい祭りの様に屋台がたくさんあるわけでもないので、屋台を見て回るのには十分だ。

「お、明るくなってきた」

 川沿いの道路と河川敷にはずらりと屋台が並び、橋には色とりどりの提灯が飾られている。

「おおー、祭りだ」

「人も結構いるなあ」

 夏の祭りほどではないが、それなりに賑わっている。

 軽快な電子音を鳴らしながらきらびやかに光るおもちゃ、目にも鮮やかなフルーツ飴、キャラクターがプリントされた袋に入れられた綿あめ。焼き鳥や焼きそばの屋台もある。

 河川敷に降りればもっといろいろな屋台が並んでいる。道路よりも幅がないのでその分人口密度が高いが。

「さすがに金魚すくいはないかー」

「射的はあるぞ」

「手がかじかんでやりづらいわ」

 まあ、俺たちの目当ては飯の屋台だ。

「あ、たこ焼き見っけ。買っていい?」

「おー」

 照明と鉄板の熱で屋台周辺は妙な感じだ。暑いような、寒いような。

「春都はなんか買わねーの?」

「俺は……」

 入り乱れる人の流れのなかを歩きながら屋台を物色する。

 焼き鳥、焼きそば、イカ焼きに……箸巻き。

「俺、箸巻き食いたい」

「いいねー、屋台っぽい」

 薄い生地にキャベツや紅しょうがをのせたものを箸にくるくると巻き付けた、シンプルなものだ。たっぷりのソースとマヨネーズ、かつお節。できあがっていく様子を見られるのも屋台の醍醐味だ。

「どっかで食うか」

「そうだな」

 川のそばに設けられた観覧席に人の姿は少ない。まあ、花火はよく見えるが寒いもんな。そう長時間いることのできる場所ではないが、飯を食うには申し分ない場所だ。

「さー、食うぞー」

 トレーにのった箸巻きは結構ずっしりと重い。

 もちっとした生地に濃いソースがよく合う。キャベツがこぼれそうになるがそこをうまいこと口に入れる。いわゆるお好み焼きのような味だが、箸巻きってだけでなんか違うように感じる。

 紅しょうがも爽やかで、マヨネーズのまろやかさもちょうどいい。鰹節の風味もいいな。

 咲良は少し冷めたらしいたこ焼きをほおばって言った。

「食い終わったらさー、もうちょっと歩かねえ?」

「いいぞ。ここ寒いし」

「それな。まあ、花火があがる直前になって戻ってくりゃいいだろ」

 再び道路の方に上がる。屋台の並びと、そうでないところの明暗のコントラストがなんかさみしい感じがする。

「なあ、春都。あれ、なんだろ」

 咲良につつかれて、示された先を見る。

 そこには屋台とはまた違うテントが立っていて、もわもわと湯気が立っていた。

「行ってみようぜ」

「ああ」

 近づくにつれ、何やら香ばしいような香りがしてきた。

「こんばんはー。豚汁、いかがですかー?」

 そこでは豚汁が配られているらしかった。大鍋にはなみなみと豚汁があって、軽い素材で作られた、白い使い捨ての器に入れてくれるらしい。

「あ、うまそー」

「いかがです? おいしいですよ」

「ください!」

 咲良がにこにこと、箸と一緒に器を受け取る。配っていた人が俺の方に愛想の良い笑みを向けてきた。

「そちらは?」

「あ、お願いします」

「はーい」

 器越しでも温かさが伝わってくる。

「これならさっきの席でも寒くないな」

 と、わくわくと歩みを進める咲良。確かに、これなら温かい。

「あ」

 揃って足を止めたのは、観覧席の状況を見たからだ。

 さっきまでスカスカだった観覧席が満席になっている。

「ありゃ、一歩遅かったか」

「んー、そうだな」

 ふと視線を巡らせて、どこか落ち着ける場所がないか探す。

 と、一つ、人通りの少ない場所を見つけた。

「あそこはどうだ?」

「お? ……ああ! いいな!」

 そこは橋の上。風通りがよすぎて少々寒いが、仕掛け花火もよく見える場所だ。

 座れないが、まあ、そこはいい。

「じゃ、改めて、いただきます」

 そっと汁をすする。外が寒いし自分の体も冷えているので余計に温かく感じる。うちで使っている味噌の味とはまた違うが、これもおいしいな。野菜のうま味がよく染みだしている。

「は~……」

「あったけえ……」

 そうつぶやいた時だった。

 風で流れているが何かアナウンスが聞こえてきた。そして少しの沈黙の後――

「おおー」

 体に直接音が当たったような衝撃と、鮮やかな光。ジュワッ、パラパラ……という余韻。

 花火だ。

「あ、咲良。これちょっと持っててくれるか」

「ん、いーよ」

 豚汁を咲良に渡して、スマホを構える。

「動画?」

「ああ。父さんと母さんにな」

「なるほど」

 花火は企業の、たまに個人の協賛であげられる。協賛企業、個人ごとに区切られているので、二つ分録画してからスマホをしまった。

「悪いな」

「いーえ」

 なんかたぶん俺たちの会話も入ってる気もするが、まあいいや。

 さて、具材の方を食おう。

 ごぼうは薫り高く、ニンジンはほくほくとしている。大根もいい感じに味が染みていておいしい。

 そして豚肉。大ぶり、とはいかないが、十分味がある。

 花火のきらめきをうつす、豚の脂が浮いた汁を再びすする。大鍋で作った汁ものって、なんかうまいんだよなあ。こういうところで食べるとなおさらだ。

「俺もあとで写真撮ろ」

 そう言って咲良は満足げに豚肉をほおばった。

「ここ、特等席じゃね?」

「そうだな。仕掛け花火もよく見える」

「あ、冬の花火って寒色がよく見えるんだってよ」

「俺もそれ聞いた」

 花火はまだまだ続く。

 俺も何枚か写真をとったら、カイロ握って、ゆったり楽しもう。

 冬の花火も悪くない。



「ごちそうさまでした」

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