一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第百五十七話 肉うどん

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 黒板とチョークが触れ合い英語がつづられる音、ノートをめくる音、制服がこすれる音。

 授業中は案外音であふれている。しんと静まり返っているようで、耳をすませばいろんな音が聞こえてくる。

 廊下を誰かが通り過ぎて行った。ちらっと見たところ、体育館の方へ行ったみたいだ。体育の先生か、あるいは喫煙所へ向かう先生か。たぶん後者だろうとは思う。体育教師専用の職員室――生徒の間では教官室と呼ばれている――は体育館にあるもんな。

「ここまでいいですか。そしたら――」

 板書の音が止まって先生が解説を始める。教科書どこまで進んだっけ。この先生、途中で突然当ててくるから気が抜けない。

 時計を見る。あと十分か。次の授業は何だったか思い出しながらページをめくった。



 チャイムが鳴って号令がかけられた後、騒がしくなる教室をそそくさと出る。

 廊下はまるで冷蔵庫の様に冷えている。すうっと汗が引くようだ。温度差に鼻をすすりながら、ロッカーに辞書をしまう。

「ふあ……ねむ」

 次は古典だったか。今日は新しいとこやるっつってたし、当てられるだろうなあ。眠いとか思ってる場合じゃない。ちょっと廊下で眠気覚ましだ。

 ロッカーに身を預けぼーっとしていると、階段の方が騒がしくなってきたことに気付く。体育の授業だったやつらがどやどやと一斉に帰ってきたらしい。

 あ、咲良。

 咲良は体育館シューズの袋をぶら下げ、だらしなく体操服を着崩してクラスメイトと話していた。冬用のジャージは上だけ着ていて、袖は指の先あたりまで伸ばしていた。

 こうやって見るとこいつ、どっちかっていうとチャラいんだよな。

「いやもうほんと、あれは萎えるわ……おう、春都!」

 談笑の合間にこちらに視線を向けた咲良はシューズ入れを持っている方とは反対の手をあげてニパッと笑った。

「よお」

 そう返すと咲良は隣にいたクラスメイトに一言二言何か話して、こちらにやってきた。

「なんだ。話はいいのか」

「ん? 別に大したことじゃないし。それよりさあ、聞いてよ。さっきの授業でさあ」

「うん。てか、着替えはいいのか」

「二分もあれば終わるし」

 それはそうだろうが、焦るとかいうことはないのだろうか。そんなことよりも咲良は話をしたいらしい。

「バスケだったんだよな。で、ゲームがない間は暇で。授業終わるぐらいだったし、ちょっと疲れてたしで出入り口んとこで休んでたわけ」

「うん」

「そしたら三年の先生かな? 通路に来てさ。さぼってんなよって嫌味言ってきて~。で、なんだよって思って見たら、その先生はたばこ持ってんの」

 ああ、さっきのやっぱたばこ吸いに行ってた先生だったか。

 咲良は盛大にため息をついて、半ばいらだちに似た不服そうな表情を浮かべた。

「お前はたばこ吸ってさぼってんじゃんかーって。てか、学校でタバコ吸っていいわけ?」

「そりゃ災難だったな」

 咲良は真剣に不満を言っているのだろうが、その様子がなんか面白くて笑ってしまう。

「もー、せっかく調子よかったのにさあ。てかほかにさぼってるやついんだよ? そっちに言えっての」

「間が悪かったんだな」

「はー……何でこう、学校の先生の小言って萎えるんだろうなあ」

「それは分からなくもない」

 先生にとっては何でもない一言でも、なんとなく嫌な気分になったりムカついたりするんだよなあ。

 咲良はもう一つため息をつくと、ふと聞いてきた。

「あ、そういや春都。今日はどっち? 食堂?」

「食堂」

「りょーかい。あー、俺何食おうかな~」

「かつ丼じゃねーの」

 揃って、おもむろにそれぞれの教室の方へ歩き出す。咲良は俺の言葉を聞くと笑った。

「なんだよ、俺といえばかつ丼、みたいな」

「実際そうだろうが。それかカツカレー」

「ただのとんかつも食べますー」

 なんだ、結局カツは食うんじゃねえか。

 教室に入り席に着く。

 教科書の準備をしながら、今日の日替わりはとんかつ定食だったことを思い出した。



 券売機に並ぶ人の数は多い。早めに来たつもりだったが、こりゃしばらく待つ必要がありそうだ。

「あ、今日の日替わりカツじゃん。それにしよ」

「結局とんかつ食うのかよ」

「やっぱ好きなもん食いたいっしょ」

 春都はどうすんの、と聞いてくるので少し考える。

「んー、うどん」

「うどんもいいよな」

 咲良は財布を手でもてあそびながら言った。

「かけうどん、肉うどん、カレーうどん……冷やしもいいけど、この時期はなあ」

 券売機は出入り口付近にあり、昼休みの始まりは開閉が激しいから結構寒い。

「肉うどんの大盛りだな」

「いいなー」

 うちの学校の肉うどんは人気らしい。毎年行われている中学生向けの学校見学では学食も体験できるのだが、それでも肉うどんはかなり出るんだとか。兄や姉がうちの学校の生徒だというやつらが噂を広めているらしい。

 券売機で大盛り指定はできないので、おばちゃんに券を渡すときに「大盛りで」と言わなければならない。

 そしたら手際よく赤鉛筆で券に印をつけ、追加で百円徴収される。

「券売機で大盛りが頼めるように準備してるんだけどねえ」

 いつかおばちゃんがぼやいていたのを覚えている。なんか何度やっても反応しなかったり、違う食券が出てきたりして、結局手間になるのだそうだ。

 うどんは定食より早くできあがるので、先に席をとって待っておく。

「窓際って結構冷えるな」

「まあ、出入り口の近くほどじゃないだろ」

 そうだなあ、と咲良は向かいに座った。

「いただきます」

 透き通る出汁を一口含む。薄めだが、肉のうま味が染み出しているのでほんのり甘くておいしい。

「は~、あったけえ……」

 咲良も吸い物を一口飲んだ。うどんの出汁と同じだが、具はわかめとかまぼこだ。

「染み渡るよな~」

 麺は柔らかい。肉と一緒に食べるのがやっぱおいしいよなあ。

 醤油と砂糖で甘辛く煮込まれた肉は柔らかく、ショウガの風味がいい。確か牛丼の肉と一緒なんだったか。

 ネギも一緒に食べると爽やかだ。

 これは人気なのも頷ける。しかも大盛りとなると肉の量も倍にしてくれるのでうれしい。そういえば冷やしうどんにも肉トッピングしてくれるんだよな。

 でもこの肉は、温かい肉うどんで食うのが一番だと思う。出汁に染み出すうま味がたまらん。

 一味をかけてピリッと辛いのもうまい。

「俺明日は肉うどんにしよ」

 咲良がカツをほおばりながら言った。

「じゃあ、明日も食堂ってことだな」

 どんぶりの底にたまった肉をさらう。

 肉うどんの肉は、余すことなく食べたいからな。



「ごちそうさまでした」

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