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日常
第百四十六話 いなりずし
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定期的に回ってくる日直当番。日誌を取りに行ったが、いつもの棚にない。
「ああ、一条」
と、職員室から担任が出てくる。
「おはようございます」
「おはよう、日誌取りに来たんだろう」
先生から直接日誌を受け取る。
「一日、よろしくな」
「分かりました」
「ああ、それと」
先生は職員室に戻りながら付け加えた。
「今日、もう一人の日直休みだから。一人だけど頑張ってくれ」
パタン、と職員室の扉が閉まり一気に静かになる。
日誌を開いてみれば確かに、欠席者の欄にはもう一人の日直の名前が書かれていた。
「あー、日直の相手休みだと地味に嫌だよな」
昼休み、教室で飯を食いながら今朝のことをぼやくと、咲良は苦笑した。
「大変でちょっとイラつくけど、怒りのぶつけどころがないというか」
「ああ、しかもそういう日に限って移動教室が多い」
そのたびに日誌を持っていくのも面倒だし重いので、必然的に放課後、帰るのが遅くなる。
弁当のおかずはいつも通り、卵焼きと、ほうれん草とコーンの炒め物、豚肉を甘辛く焼いたものだ。
歯ごたえが増した豚肉は噛めば噛むほど味が出る。
「昼休みに書いたら?」
「五時間目体育。男子は隣のクラスで着替えなきゃいかん」
「そういうことね」
卵焼きはほっとするように甘い。ほうれん草は大量に食べると口の中がえぐい感じがするが、適量だとおいしい。コーンのプチッとはじける自然な甘みもいいものだ。
「じゃあもう放課後しかないわけね」
咲良のその言葉に、俺はため息で返事をした。
この時間に日誌を書いていたい。
六時間目は小テストがあった後、自習になった。うちのクラスは国語の授業数がやけに多かったらしく、他のクラスと進度を合わせるために、今日から何日かは自習になるとのことだ。
まあ、科目は問わないって言われたし、他の科目の予習ができるのはいいけど。
ずっと前に誰かが自習時間に日誌を書いていて、こっぴどく怒られていた。教科担当じゃなくて、通りすがりの先生に。
今俺の席は廊下側で、空気の入れ替えだといって薄く窓を開けている。いつ先生が通りすがるか分かんないし、ましてや二年生の教室は職員室の近くにある。油断はできない。
ひそかにため息をつき、古典の教科書をめくる。
現代文はあまり予習することはないけど、古典の予習は結構骨が折れる。本文書き写して、単語の意味調べて、現代語訳して……意味調べと現代語訳は俺的にはそこまで嫌いじゃないが、書き写すのがしんどい。できあがった文章をそっくりそのまま写すのは何も考えなくていいが、それが苦痛で仕方ない。いっそプリントで配ってくれと思う。
作文とか小論文の清書も苦手なんだ。
先生はパイプ椅子に座って教卓に肘をついている。その視線は教科書とノートと電子辞書を行ったり来たりしている。
教える側も予習とかあるって言ってたのをなんとなく思い出し、黙ってシャーペンを走らせた。
「はーると」
人がいなくなった教室で日誌を書いていたら、咲良が来た。
「なんだ、来たのか」
咲良は俺の前の席の椅子をひいた。静かな教室に、椅子がきしむ音が響く。背もたれを前にして座ると、咲良は笑った。
「寒い教室って、なんかさみしいじゃん。俺が一緒に見てやるよ」
「そりゃありがたいな」
白色灯が照らす教室の外はオレンジ色の薄闇に染まっている。窓際の方の机にはその二色の光が混ざって反射し、眩しい。
「国語自習?」
「進みすぎてるんだってさ」
「あー、それ、俺のクラスも言われた。俺たちは数学だったんだけど、なんで差が出るんだろうな」
「行事と被るタイミングとか?」
なるほどなあ、と咲良は頬杖をついた。
「あ、前のやつ絵ぇ描いてんじゃん」
「結構描いてるやついるぞ」
「春都も描けばいいのに」
「下手に何か描いても面倒だ」
よし、終わり。なんかあっという間に終わったな。
「出しに行く? ついてくよ」
「こないだ職員室にいなかったんだよなあ。今日はいてくれるといいけど」
「そん時は探しに行こうぜ」
学校探検~、とのんきに宣言する咲良に思わず笑ってしまう。
「今更探検して何になる」
「新たな発見があるかもだろ~」
「発見より、早く帰りたい」
教室の明かりを消し、廊下に出る。
冷え切った空気に調子はずれな管楽器らしき音の旋律が響いていた。
つくづく、両親、そして祖父母はテレパシーなり透視なり、何かしらの超能力が使えるのではないかと思う。最近はその辺、本気で疑うようになってきた。
居間のテーブルには大皿にのった大量のいなりずしがあった。そして冷蔵庫にはお吸い物が入った鍋が。
ばあちゃんが来てくれていたらしい。いなりずしの傍らに『お疲れ様。ちゃんと食べて、しっかり休みなさい』とばあちゃんの字で書かれた書置きがある。紙の淵に自転車の修理の時に使う油がついているあたり、忙しい合間を縫ってきてくれたのだろう。
お吸い物を温めなおし、器によそう。ネギと豆腐だけの具材が妙に輝いて見える。
「いただきます」
いなりずしのご飯は普通のものと、ゴマが混ぜ込まれているものがある。ジュワッと染み出す甘い汁に揚げの風味、酢飯の酸味の味わいが絶妙だ。疲れた体に染みわたる。
これがまたお吸い物とよく合うんだ。白だしのうま味、ネギのさわやかさ。豆腐の優しい歯ごたえもたまらない。
ごま入りの方は香ばしさが加わって、また違ったおいしさだ。
いなりずしは無限に食べられると思う。甘くて、さっぱりしていて、出汁ともよく合って、すごくおいしい。
でもいくつか明日の朝ごはんにとっておきたい。これ食ったら、ずいぶん頑張れそうだ。
この揚げの炊き方、そして酢飯の味付けの仕方、今度教えてもらおう。たぶんばあちゃんは他にもいなりずしのレパートリーを持っているはずだ。
できればまた作ってもらいたいなあ……なんて。
「ごちそうさまでした」
「ああ、一条」
と、職員室から担任が出てくる。
「おはようございます」
「おはよう、日誌取りに来たんだろう」
先生から直接日誌を受け取る。
「一日、よろしくな」
「分かりました」
「ああ、それと」
先生は職員室に戻りながら付け加えた。
「今日、もう一人の日直休みだから。一人だけど頑張ってくれ」
パタン、と職員室の扉が閉まり一気に静かになる。
日誌を開いてみれば確かに、欠席者の欄にはもう一人の日直の名前が書かれていた。
「あー、日直の相手休みだと地味に嫌だよな」
昼休み、教室で飯を食いながら今朝のことをぼやくと、咲良は苦笑した。
「大変でちょっとイラつくけど、怒りのぶつけどころがないというか」
「ああ、しかもそういう日に限って移動教室が多い」
そのたびに日誌を持っていくのも面倒だし重いので、必然的に放課後、帰るのが遅くなる。
弁当のおかずはいつも通り、卵焼きと、ほうれん草とコーンの炒め物、豚肉を甘辛く焼いたものだ。
歯ごたえが増した豚肉は噛めば噛むほど味が出る。
「昼休みに書いたら?」
「五時間目体育。男子は隣のクラスで着替えなきゃいかん」
「そういうことね」
卵焼きはほっとするように甘い。ほうれん草は大量に食べると口の中がえぐい感じがするが、適量だとおいしい。コーンのプチッとはじける自然な甘みもいいものだ。
「じゃあもう放課後しかないわけね」
咲良のその言葉に、俺はため息で返事をした。
この時間に日誌を書いていたい。
六時間目は小テストがあった後、自習になった。うちのクラスは国語の授業数がやけに多かったらしく、他のクラスと進度を合わせるために、今日から何日かは自習になるとのことだ。
まあ、科目は問わないって言われたし、他の科目の予習ができるのはいいけど。
ずっと前に誰かが自習時間に日誌を書いていて、こっぴどく怒られていた。教科担当じゃなくて、通りすがりの先生に。
今俺の席は廊下側で、空気の入れ替えだといって薄く窓を開けている。いつ先生が通りすがるか分かんないし、ましてや二年生の教室は職員室の近くにある。油断はできない。
ひそかにため息をつき、古典の教科書をめくる。
現代文はあまり予習することはないけど、古典の予習は結構骨が折れる。本文書き写して、単語の意味調べて、現代語訳して……意味調べと現代語訳は俺的にはそこまで嫌いじゃないが、書き写すのがしんどい。できあがった文章をそっくりそのまま写すのは何も考えなくていいが、それが苦痛で仕方ない。いっそプリントで配ってくれと思う。
作文とか小論文の清書も苦手なんだ。
先生はパイプ椅子に座って教卓に肘をついている。その視線は教科書とノートと電子辞書を行ったり来たりしている。
教える側も予習とかあるって言ってたのをなんとなく思い出し、黙ってシャーペンを走らせた。
「はーると」
人がいなくなった教室で日誌を書いていたら、咲良が来た。
「なんだ、来たのか」
咲良は俺の前の席の椅子をひいた。静かな教室に、椅子がきしむ音が響く。背もたれを前にして座ると、咲良は笑った。
「寒い教室って、なんかさみしいじゃん。俺が一緒に見てやるよ」
「そりゃありがたいな」
白色灯が照らす教室の外はオレンジ色の薄闇に染まっている。窓際の方の机にはその二色の光が混ざって反射し、眩しい。
「国語自習?」
「進みすぎてるんだってさ」
「あー、それ、俺のクラスも言われた。俺たちは数学だったんだけど、なんで差が出るんだろうな」
「行事と被るタイミングとか?」
なるほどなあ、と咲良は頬杖をついた。
「あ、前のやつ絵ぇ描いてんじゃん」
「結構描いてるやついるぞ」
「春都も描けばいいのに」
「下手に何か描いても面倒だ」
よし、終わり。なんかあっという間に終わったな。
「出しに行く? ついてくよ」
「こないだ職員室にいなかったんだよなあ。今日はいてくれるといいけど」
「そん時は探しに行こうぜ」
学校探検~、とのんきに宣言する咲良に思わず笑ってしまう。
「今更探検して何になる」
「新たな発見があるかもだろ~」
「発見より、早く帰りたい」
教室の明かりを消し、廊下に出る。
冷え切った空気に調子はずれな管楽器らしき音の旋律が響いていた。
つくづく、両親、そして祖父母はテレパシーなり透視なり、何かしらの超能力が使えるのではないかと思う。最近はその辺、本気で疑うようになってきた。
居間のテーブルには大皿にのった大量のいなりずしがあった。そして冷蔵庫にはお吸い物が入った鍋が。
ばあちゃんが来てくれていたらしい。いなりずしの傍らに『お疲れ様。ちゃんと食べて、しっかり休みなさい』とばあちゃんの字で書かれた書置きがある。紙の淵に自転車の修理の時に使う油がついているあたり、忙しい合間を縫ってきてくれたのだろう。
お吸い物を温めなおし、器によそう。ネギと豆腐だけの具材が妙に輝いて見える。
「いただきます」
いなりずしのご飯は普通のものと、ゴマが混ぜ込まれているものがある。ジュワッと染み出す甘い汁に揚げの風味、酢飯の酸味の味わいが絶妙だ。疲れた体に染みわたる。
これがまたお吸い物とよく合うんだ。白だしのうま味、ネギのさわやかさ。豆腐の優しい歯ごたえもたまらない。
ごま入りの方は香ばしさが加わって、また違ったおいしさだ。
いなりずしは無限に食べられると思う。甘くて、さっぱりしていて、出汁ともよく合って、すごくおいしい。
でもいくつか明日の朝ごはんにとっておきたい。これ食ったら、ずいぶん頑張れそうだ。
この揚げの炊き方、そして酢飯の味付けの仕方、今度教えてもらおう。たぶんばあちゃんは他にもいなりずしのレパートリーを持っているはずだ。
できればまた作ってもらいたいなあ……なんて。
「ごちそうさまでした」
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