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日常
第百四十二話 ばあちゃん飯
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「そういや最近、朝比奈を見ない気がする」
昼休み、食堂の喧騒の中で咲良がふと呟いた。
「……確かに」
言われてみればそうだ。割り勘で買った小ぶりのパンの詰め合わせから一つつまんで口に放り込む。もちもち生地のチーズ味のパン。おしゃれな名前がついていたが、なんだっけ。
「学校には来てるのか?」
「たぶん……春都も見てない?」
「どっちかっつーと、お前の方が見かける確率高いんじゃないか、咲良」
ただでさえ文系は理系とのかかわりが少ないのだ。なんなら同じ文系でも一組はまた違ったカリキュラムなので、なかなか会わない。
咲良は腕を組んで首をひねった。
「体育も別だしなあ……」
パンは偶数個だったのでうまいこと半分にできた。最後の一つをつまみ上げた咲良が「あ」と動きを止める。
「そういやあいつ、寒いの苦手だっつってたよな」
「そうだな」
「最近急に寒くなったじゃん? それが嫌で教室から出てないとか」
と、咲良はパンを口に入れて笑った。
いや、それはさすがにないんじゃないか、と笑い飛ばそうとしてふと考える。
「あり得ないこともないか」
「冗談のつもりで行ったけど、なんか自分でも冗談にできない気がしてきた」
咲良も顎に手を当てて思案顔になる。
「行ってみるか」
「そうだな」
特にやることのないいつも通りの昼休み。さっそく、朝比奈の教室に向かうことにした。
二年の廊下に戻ったところ、百瀬に声をかけられた。
「やあ、お二人さん。お揃いで」
「百瀬。あ、そうだ。百瀬お前ならわかるんじゃないか?」
咲良が唐突にそう言うものだから、百瀬はきょとんとした表情を浮かべる。
「何?」
「朝比奈のことなんだけどさ」
「貴志がどうかした?」
「最近見てないから、元気にしてるかなーと」
ああ……と百瀬は記憶をたどるように視線を宙に泳がせた。
「毎日一緒に登校してるわけじゃないしなあ……学校では見かけたと……」
そこまで呟いて言葉を止めると、百瀬は「あれ?」と首を傾げた。
「見かけた、はずなんだけど……」
自信なさげにつぶやき、百瀬はこちらに視線を向けた。その目には困惑が浮かんでいる。
「……最後に見たの、いつだっけ?」
「よし、三人で行くぞ」
咲良の言葉に、百瀬は黙って頷いた。
「……で、三人そろって押しかけて来た、と」
朝比奈は教室の自分の席――廊下側から三列目の一番後ろの席で縮こまっていた。
学ランの下には紫のカーディガンを着ているらしい。そしてぎりぎりまで伸ばした袖がかかった手には、ココアのペットボトルが握られている。
「最近見ないから、大丈夫かなってさ」
咲良が言うと、三人一斉に押しかけてきて少し驚いていた朝比奈は「ああ……」と遠い目をした。
「だって教室の外、極力出ないようにしてるから」
マジか、こいつ。
多分、その場にいた俺たちの心の声はそうそろったはずだ。
「中学まではそんなことなかったよね?」
「だって中学までは一日中換気してるようなもので、外に出ても一緒だったから。今はほら、換気も最小限で、暖房もある」
「だから去年も冬になったら見かけなくなったのか……!」
百瀬が衝撃の事実を知って、驚くよりも先に笑った。
「なんだよそれ、冬眠かよ!」
すると朝比奈は少しむっとして言い返す。
「寝てないし、一日中教室にいるわけじゃない。ロッカーにも行ってる」
「いやそうだろうけど、すごいな、お前」
ここまで徹底した寒がりとは。
「不便はないのか?」
純粋な疑問を口にすると、朝比奈は「んー……」と少し考えて呟くようにして答えた。
「体育はどうしようもない」
「それは、そうだろうな」
「大丈夫か~? そこまで寒がりだと、ちょっと心配になるぞ」
かくいう咲良も笑っている。
「寒がりというか、寒いのがあんまり好きじゃないだけだ」
「でも、寒いからこそうまい飯もあるぞ」
「その考えは、一条らしいな」
「てかいつまで笑ってんの」
咲良は百瀬の方を見る。百瀬は息を整えて呟く。
「なんかツボに入った……」
その様子に、俺たちもなんかおかしくなって、笑ってしまった。
家に帰って誰かがいるというのはうれしい。そしてそれが、期待していないときに起こると、そりゃもう驚くし一気に気分が上がる。
「おかえり、春都」
「ばあちゃん。ただいま」
台所でばあちゃんが洗い物をしていた。テーブルには出来立てのおかずが何皿もあって、どれもおいしそうな香りを漂わせ、ほわほわと湯気を立てていた。
「お風呂も入れてあるから、入っちゃいなさい」
その上風呂の準備までできているとはなんとありがたい。早く飯も食いたいし、さっそく入ってこよう。
大根と揚げの煮物に揚げ出し豆腐、揚げたての天ぷらと、よそわれたばかりの豚汁に炊き立てご飯。なんておいしそうなんだ。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
まずは大根から。かぶりつけばジュワーッと甘い汁があふれ出す。すごくみずみずしくておいしい。揚げもしっかり味を吸い込んでいてぷわぷわの食感がたまらん。
揚げ出し豆腐には具だくさんの餡がかかっている。
ほうれん草と、ぶなしめじと、豚肉。それらが白だしでうまいこと合わさってほっとする味になっている。かりっとした豆腐もいい食感で、大豆の味がよく分かる。
ピーマンの天ぷらはほのかな苦みがおいしい。玉ねぎは甘く、ニンジンはほろっとしている。
「はい、これも」
ばあちゃんが追加で差し出してきた皿には、豚のからあげが山盛りになっていた。
「豚だ」
「たくさん食べなさい」
ザクリとした衣に、口の奥であふれるうま味。ニンニク醤油の風味が鼻に抜け、次々ご飯が進む。
豚汁は野菜がたっぷりで、味噌の風味がほっとする。いちょう切りの大根、ニンジン。やわらかい豚肉、みずみずしい白菜、香り立つごぼう。なんかもうこれ一杯で十分なおかずになる。
「はー、おいしい」
「よかった」
向かいの席に座って、ばあちゃんは大根をつまんだ。
「うん、これはなかなか」
「どうやって作るの、これ」
「簡単よ」
簡単とは言うけれど、どれだけ幸せなことか。きっと自分で作っても、この味は出せない。
しっかり味わいながら、ばあちゃんのレシピを頭に刻む。
寒さも相まって、幸福は柔らかく膨らんでいった。
「ごちそうさまでした」
昼休み、食堂の喧騒の中で咲良がふと呟いた。
「……確かに」
言われてみればそうだ。割り勘で買った小ぶりのパンの詰め合わせから一つつまんで口に放り込む。もちもち生地のチーズ味のパン。おしゃれな名前がついていたが、なんだっけ。
「学校には来てるのか?」
「たぶん……春都も見てない?」
「どっちかっつーと、お前の方が見かける確率高いんじゃないか、咲良」
ただでさえ文系は理系とのかかわりが少ないのだ。なんなら同じ文系でも一組はまた違ったカリキュラムなので、なかなか会わない。
咲良は腕を組んで首をひねった。
「体育も別だしなあ……」
パンは偶数個だったのでうまいこと半分にできた。最後の一つをつまみ上げた咲良が「あ」と動きを止める。
「そういやあいつ、寒いの苦手だっつってたよな」
「そうだな」
「最近急に寒くなったじゃん? それが嫌で教室から出てないとか」
と、咲良はパンを口に入れて笑った。
いや、それはさすがにないんじゃないか、と笑い飛ばそうとしてふと考える。
「あり得ないこともないか」
「冗談のつもりで行ったけど、なんか自分でも冗談にできない気がしてきた」
咲良も顎に手を当てて思案顔になる。
「行ってみるか」
「そうだな」
特にやることのないいつも通りの昼休み。さっそく、朝比奈の教室に向かうことにした。
二年の廊下に戻ったところ、百瀬に声をかけられた。
「やあ、お二人さん。お揃いで」
「百瀬。あ、そうだ。百瀬お前ならわかるんじゃないか?」
咲良が唐突にそう言うものだから、百瀬はきょとんとした表情を浮かべる。
「何?」
「朝比奈のことなんだけどさ」
「貴志がどうかした?」
「最近見てないから、元気にしてるかなーと」
ああ……と百瀬は記憶をたどるように視線を宙に泳がせた。
「毎日一緒に登校してるわけじゃないしなあ……学校では見かけたと……」
そこまで呟いて言葉を止めると、百瀬は「あれ?」と首を傾げた。
「見かけた、はずなんだけど……」
自信なさげにつぶやき、百瀬はこちらに視線を向けた。その目には困惑が浮かんでいる。
「……最後に見たの、いつだっけ?」
「よし、三人で行くぞ」
咲良の言葉に、百瀬は黙って頷いた。
「……で、三人そろって押しかけて来た、と」
朝比奈は教室の自分の席――廊下側から三列目の一番後ろの席で縮こまっていた。
学ランの下には紫のカーディガンを着ているらしい。そしてぎりぎりまで伸ばした袖がかかった手には、ココアのペットボトルが握られている。
「最近見ないから、大丈夫かなってさ」
咲良が言うと、三人一斉に押しかけてきて少し驚いていた朝比奈は「ああ……」と遠い目をした。
「だって教室の外、極力出ないようにしてるから」
マジか、こいつ。
多分、その場にいた俺たちの心の声はそうそろったはずだ。
「中学まではそんなことなかったよね?」
「だって中学までは一日中換気してるようなもので、外に出ても一緒だったから。今はほら、換気も最小限で、暖房もある」
「だから去年も冬になったら見かけなくなったのか……!」
百瀬が衝撃の事実を知って、驚くよりも先に笑った。
「なんだよそれ、冬眠かよ!」
すると朝比奈は少しむっとして言い返す。
「寝てないし、一日中教室にいるわけじゃない。ロッカーにも行ってる」
「いやそうだろうけど、すごいな、お前」
ここまで徹底した寒がりとは。
「不便はないのか?」
純粋な疑問を口にすると、朝比奈は「んー……」と少し考えて呟くようにして答えた。
「体育はどうしようもない」
「それは、そうだろうな」
「大丈夫か~? そこまで寒がりだと、ちょっと心配になるぞ」
かくいう咲良も笑っている。
「寒がりというか、寒いのがあんまり好きじゃないだけだ」
「でも、寒いからこそうまい飯もあるぞ」
「その考えは、一条らしいな」
「てかいつまで笑ってんの」
咲良は百瀬の方を見る。百瀬は息を整えて呟く。
「なんかツボに入った……」
その様子に、俺たちもなんかおかしくなって、笑ってしまった。
家に帰って誰かがいるというのはうれしい。そしてそれが、期待していないときに起こると、そりゃもう驚くし一気に気分が上がる。
「おかえり、春都」
「ばあちゃん。ただいま」
台所でばあちゃんが洗い物をしていた。テーブルには出来立てのおかずが何皿もあって、どれもおいしそうな香りを漂わせ、ほわほわと湯気を立てていた。
「お風呂も入れてあるから、入っちゃいなさい」
その上風呂の準備までできているとはなんとありがたい。早く飯も食いたいし、さっそく入ってこよう。
大根と揚げの煮物に揚げ出し豆腐、揚げたての天ぷらと、よそわれたばかりの豚汁に炊き立てご飯。なんておいしそうなんだ。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
まずは大根から。かぶりつけばジュワーッと甘い汁があふれ出す。すごくみずみずしくておいしい。揚げもしっかり味を吸い込んでいてぷわぷわの食感がたまらん。
揚げ出し豆腐には具だくさんの餡がかかっている。
ほうれん草と、ぶなしめじと、豚肉。それらが白だしでうまいこと合わさってほっとする味になっている。かりっとした豆腐もいい食感で、大豆の味がよく分かる。
ピーマンの天ぷらはほのかな苦みがおいしい。玉ねぎは甘く、ニンジンはほろっとしている。
「はい、これも」
ばあちゃんが追加で差し出してきた皿には、豚のからあげが山盛りになっていた。
「豚だ」
「たくさん食べなさい」
ザクリとした衣に、口の奥であふれるうま味。ニンニク醤油の風味が鼻に抜け、次々ご飯が進む。
豚汁は野菜がたっぷりで、味噌の風味がほっとする。いちょう切りの大根、ニンジン。やわらかい豚肉、みずみずしい白菜、香り立つごぼう。なんかもうこれ一杯で十分なおかずになる。
「はー、おいしい」
「よかった」
向かいの席に座って、ばあちゃんは大根をつまんだ。
「うん、これはなかなか」
「どうやって作るの、これ」
「簡単よ」
簡単とは言うけれど、どれだけ幸せなことか。きっと自分で作っても、この味は出せない。
しっかり味わいながら、ばあちゃんのレシピを頭に刻む。
寒さも相まって、幸福は柔らかく膨らんでいった。
「ごちそうさまでした」
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