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日常
第百三十五話 カレーパン
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自分で作ってみようと思いながら、いまだに作ってないものがある。
本のためにほどよく温度調整された図書館で、調理本のページをめくる。小説なんかと違って写真がカラーで掲載されたそれは厚く重い。買おうと思ったら値段もなかなかだ。本当に作って食べるかどうかわからないメニューが多いので、買うのには大分慎重になる。
「何を読んでいるんだ?」
あるページで手を止めていたら、漆原先生が本棚の向こうから話しかけてきた。
本を読んでいる途中で声をかけられると、答えるまでに時間がかかる。話しかけられた言葉を反芻していると、先生はこちら側にやってきて本をのぞき込んだ。
「パンか」
「あー、はい」やっと思考回路がつながったので口を開く。「カレーパンです」
「パンも作るのか、君」
「いや、作ろうと思いながら作ってないんです」
ドライカレーを作るたびにカレーパン食いたいなあと思うのだが、パン生地を作る手間とか揚げる手間とか考えると、作る気力がしぼんでいく。
「俺は、パンを食べるなら買うという選択肢しかないな」
そう言って笑う先生。ふと気になって尋ねてみる。
「……先生って普段、どんな食生活してるんですか」
「んー? 気になるか」
「なんか想像つかないです」
今日も相変わらず利用者は少ない。雑務も特にないらしい先生は本棚に肘を置くと、のんびりとした空気を漂わせながらほほ笑んだ。
「まあ、確かに。学校関係者というのはいつの時代も何かと謎が多い」
学校関係者、と言いながらも、自分はそれに勘定されたくないというような口調だった。
「先生は特に分かんないですね」
「そんなに面白いものでもないさ」
普通だよ、と先生は記憶をたどるように視線を上にやった。
「朝は基本和食だなあ。昔はパンもよく食べたが、最近はもっぱら米だな、米」
「米派ですか」
「今の時期は、みそ汁がうまい」
先生は体勢を変え、腕を組んで片足に体重をかけるようにして立った。
「昼は少なめだな。というか、少しずつ何かしらを口にしている感じだ。休みの日は外食が多いな」
図書館横の廊下を誰かが歩いていく音が聞こえて、先生はふとそちらを振り返る。見たところ生徒らしく、図書館に入ってくることなく通り過ぎて行った。
「石上に見られたらまたどやされるからな」
と、小声で先生は言った。別にここに石上先生はいないし他に生徒もいないのだが、まあ、気持ちは分かる。
「夜はうちで食うな。ああ、行きつけの居酒屋に行くこともある」
「酒飲むんですか」
「飲むぞ~。日本酒、ウイスキー、焼酎にワイン……たいていの酒は好きだ」
酎ハイだけはちょっと苦手だ、と先生は言う。
「なんか、言われてみればなんとなく納得って感じです」
「そうか?」
「自炊とかするんですか」
「するぞ。それこそカレーはよく作る。夜に作れば、翌朝も食える」
「鍋洗うの大変ですよね」
「食べるときは皿一つで楽だがな」
と、その時再び足音が聞こえた。そろって廊下の方に視線を向けると見覚えのある姿が見えた。先生は「おや、これはいかん」と言うと、本棚に向き合った。俺は一歩、先生から距離をとる。
やがてその人物は図書館にやってきた。石上先生だ。
「漆原、ちょっといいか」
「どうした」
「事務室に来てほしいのだが……やあ、一条君もいたのか」
「こんにちは」
石上先生の食生活も気になるな。そう思っていたら漆原先生がふと笑い、石上先生に尋ねた。
「お前、今日は何を食べた?」
「は? いきなりなんだ」
いぶかしげな表情を浮かべる石上先生に、漆原先生はいつもの余裕そうな笑みを浮かべたまま言葉を次いだ。
「さっき一条君を少し話をしていてね、普段何を食べるかと」
「ああ、そういう」
その説明で納得したらしい石上先生は、メガネの位置を直し顎に手を当てて考え込む。
「うーん……基本インスタントだな」
考え込んだ割には簡単な答えだった。
「朝は抜くことが多い。昼は学食のパンか栄養食品で、夜はまあカップ麺とか」
「お前結構な食生活だな……」
俺がコメントに困っている横で、漆原先生は眉を下げて苦笑していた。しかし石上先生はさも当然というような表情でこちらを見る。
「いや、誰でもこんなもんだろう。仕事して飯作るのはしんどい。どんな形であれ、自炊できるやつは、つくづくすごいと思うよ」
「まあ、何かしら食ってるだけで十分か」
人の数だけ、それぞれの食がある。
それは当然わかってはいるけど、いざ聞いてみると驚くものだ。
結局あれからカレーパンがどうしても食いたくて、翌日の昼飯は学食でカレーパンを買った。
「で、なんでこんな寒い時期に屋上に行くんだ」
昼飯はパンだ、と言ったところ、咲良は何を考えたか「屋上に行こう」と言い出した。
「まあいいじゃん。気持ちいいよ、たぶん」
そう言って、にへらっと笑う咲良と並んで屋上へと続く階段を昇る。
屋上への扉を開けたとたんに吹く風は当然冷たい。買っておいたホットの紅茶で、指先の暖をとる。
「日が当たるところは暖かいんじゃないか?」
「あー、そうだな」
今日は確かに天気がいい。風さえ凌げればまあ悪くないか。
フェンスに寄りかかる。日が当たっていたからだろう、ほんのりと背中が温かい。
「いただきます」
とりあえず温かい紅茶を一口。じわあっとのどを伝い腹に落ちる温度が心地いい。
「あれ、カレーパン二つ?」
「なんか二種類あった」
まずは普通のやつから食べる。
揚げたてではないが、ザクッといい食感。香ばしくて、生地はもちっとしているので食べ応えがある。ピリッと辛いルーは粘度が高く、ひき肉のうま味がよく味わえる。刻まれた野菜もほのかに甘くておいしい。鼻に抜けるスパイスの香りがさらに食欲を増進させる。
で、もう一つはチーズらしい。
ルーは一緒のものだろうか。ごろっと刻まれたチーズが生地に練りこまれている。香りが強くて、カレーがまろやかに感じる。これ、温めなおしてもうまそうだ。冷めてほろっとした食感になったチーズもまたおいしい。
そういえば代金を支払う時に「日替わりパン」と食堂の人が言っていたな。じゃあ、明日はまた違うパンが出るということか。
明日も見に行ってみようかな。
「メロンパン、どれ買った?」
「普通の」
「俺、チョコクリーム買ったから、半分にしようぜ」
チョコクリームのメロンパンは生地にもココアが練りこまれている。ほろ苦い生地と、チョコレートで染まった甘いバタークリームがいい塩梅なのだ。
カレーで少しひりひりする口に、メロンパンの甘さが心地いい。少しぬるくなった紅茶もよく合う。
そういやスーパーにもカレーパンあったなあ。カレーが作る人によってまったく味が異なるのだから、カレーパンもきっといろいろ特徴があるんだろう。
いろんなものを食べ比べてみるのも面白いかもしれないな。
「ごちそうさまでした」
本のためにほどよく温度調整された図書館で、調理本のページをめくる。小説なんかと違って写真がカラーで掲載されたそれは厚く重い。買おうと思ったら値段もなかなかだ。本当に作って食べるかどうかわからないメニューが多いので、買うのには大分慎重になる。
「何を読んでいるんだ?」
あるページで手を止めていたら、漆原先生が本棚の向こうから話しかけてきた。
本を読んでいる途中で声をかけられると、答えるまでに時間がかかる。話しかけられた言葉を反芻していると、先生はこちら側にやってきて本をのぞき込んだ。
「パンか」
「あー、はい」やっと思考回路がつながったので口を開く。「カレーパンです」
「パンも作るのか、君」
「いや、作ろうと思いながら作ってないんです」
ドライカレーを作るたびにカレーパン食いたいなあと思うのだが、パン生地を作る手間とか揚げる手間とか考えると、作る気力がしぼんでいく。
「俺は、パンを食べるなら買うという選択肢しかないな」
そう言って笑う先生。ふと気になって尋ねてみる。
「……先生って普段、どんな食生活してるんですか」
「んー? 気になるか」
「なんか想像つかないです」
今日も相変わらず利用者は少ない。雑務も特にないらしい先生は本棚に肘を置くと、のんびりとした空気を漂わせながらほほ笑んだ。
「まあ、確かに。学校関係者というのはいつの時代も何かと謎が多い」
学校関係者、と言いながらも、自分はそれに勘定されたくないというような口調だった。
「先生は特に分かんないですね」
「そんなに面白いものでもないさ」
普通だよ、と先生は記憶をたどるように視線を上にやった。
「朝は基本和食だなあ。昔はパンもよく食べたが、最近はもっぱら米だな、米」
「米派ですか」
「今の時期は、みそ汁がうまい」
先生は体勢を変え、腕を組んで片足に体重をかけるようにして立った。
「昼は少なめだな。というか、少しずつ何かしらを口にしている感じだ。休みの日は外食が多いな」
図書館横の廊下を誰かが歩いていく音が聞こえて、先生はふとそちらを振り返る。見たところ生徒らしく、図書館に入ってくることなく通り過ぎて行った。
「石上に見られたらまたどやされるからな」
と、小声で先生は言った。別にここに石上先生はいないし他に生徒もいないのだが、まあ、気持ちは分かる。
「夜はうちで食うな。ああ、行きつけの居酒屋に行くこともある」
「酒飲むんですか」
「飲むぞ~。日本酒、ウイスキー、焼酎にワイン……たいていの酒は好きだ」
酎ハイだけはちょっと苦手だ、と先生は言う。
「なんか、言われてみればなんとなく納得って感じです」
「そうか?」
「自炊とかするんですか」
「するぞ。それこそカレーはよく作る。夜に作れば、翌朝も食える」
「鍋洗うの大変ですよね」
「食べるときは皿一つで楽だがな」
と、その時再び足音が聞こえた。そろって廊下の方に視線を向けると見覚えのある姿が見えた。先生は「おや、これはいかん」と言うと、本棚に向き合った。俺は一歩、先生から距離をとる。
やがてその人物は図書館にやってきた。石上先生だ。
「漆原、ちょっといいか」
「どうした」
「事務室に来てほしいのだが……やあ、一条君もいたのか」
「こんにちは」
石上先生の食生活も気になるな。そう思っていたら漆原先生がふと笑い、石上先生に尋ねた。
「お前、今日は何を食べた?」
「は? いきなりなんだ」
いぶかしげな表情を浮かべる石上先生に、漆原先生はいつもの余裕そうな笑みを浮かべたまま言葉を次いだ。
「さっき一条君を少し話をしていてね、普段何を食べるかと」
「ああ、そういう」
その説明で納得したらしい石上先生は、メガネの位置を直し顎に手を当てて考え込む。
「うーん……基本インスタントだな」
考え込んだ割には簡単な答えだった。
「朝は抜くことが多い。昼は学食のパンか栄養食品で、夜はまあカップ麺とか」
「お前結構な食生活だな……」
俺がコメントに困っている横で、漆原先生は眉を下げて苦笑していた。しかし石上先生はさも当然というような表情でこちらを見る。
「いや、誰でもこんなもんだろう。仕事して飯作るのはしんどい。どんな形であれ、自炊できるやつは、つくづくすごいと思うよ」
「まあ、何かしら食ってるだけで十分か」
人の数だけ、それぞれの食がある。
それは当然わかってはいるけど、いざ聞いてみると驚くものだ。
結局あれからカレーパンがどうしても食いたくて、翌日の昼飯は学食でカレーパンを買った。
「で、なんでこんな寒い時期に屋上に行くんだ」
昼飯はパンだ、と言ったところ、咲良は何を考えたか「屋上に行こう」と言い出した。
「まあいいじゃん。気持ちいいよ、たぶん」
そう言って、にへらっと笑う咲良と並んで屋上へと続く階段を昇る。
屋上への扉を開けたとたんに吹く風は当然冷たい。買っておいたホットの紅茶で、指先の暖をとる。
「日が当たるところは暖かいんじゃないか?」
「あー、そうだな」
今日は確かに天気がいい。風さえ凌げればまあ悪くないか。
フェンスに寄りかかる。日が当たっていたからだろう、ほんのりと背中が温かい。
「いただきます」
とりあえず温かい紅茶を一口。じわあっとのどを伝い腹に落ちる温度が心地いい。
「あれ、カレーパン二つ?」
「なんか二種類あった」
まずは普通のやつから食べる。
揚げたてではないが、ザクッといい食感。香ばしくて、生地はもちっとしているので食べ応えがある。ピリッと辛いルーは粘度が高く、ひき肉のうま味がよく味わえる。刻まれた野菜もほのかに甘くておいしい。鼻に抜けるスパイスの香りがさらに食欲を増進させる。
で、もう一つはチーズらしい。
ルーは一緒のものだろうか。ごろっと刻まれたチーズが生地に練りこまれている。香りが強くて、カレーがまろやかに感じる。これ、温めなおしてもうまそうだ。冷めてほろっとした食感になったチーズもまたおいしい。
そういえば代金を支払う時に「日替わりパン」と食堂の人が言っていたな。じゃあ、明日はまた違うパンが出るということか。
明日も見に行ってみようかな。
「メロンパン、どれ買った?」
「普通の」
「俺、チョコクリーム買ったから、半分にしようぜ」
チョコクリームのメロンパンは生地にもココアが練りこまれている。ほろ苦い生地と、チョコレートで染まった甘いバタークリームがいい塩梅なのだ。
カレーで少しひりひりする口に、メロンパンの甘さが心地いい。少しぬるくなった紅茶もよく合う。
そういやスーパーにもカレーパンあったなあ。カレーが作る人によってまったく味が異なるのだから、カレーパンもきっといろいろ特徴があるんだろう。
いろんなものを食べ比べてみるのも面白いかもしれないな。
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