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日常
第百三十四話 じゃこごはん
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天気予報が当たらない。
昨日まで今週は秋晴れが続くと言っていたテレビのお天気キャスターは、今日は一転して、曇天の予報を淡々と伝えている。
「寒い」
エントランスを出ればツンと鼻が痛むような冷たい風が吹いていた。
海辺はもっと冷えるだろうなあ、と、色褪せ始めた山々を眺めながらぼんやりと思う。父さんも母さんも海辺の町へ行くと言っていたけど、今頃何やってんだろう。
「……晩飯何にしよう」
日が昇る前の町、コンクリートとずいぶん擦切ったスニーカーの底のゴムがこすれる音だけが冷たく響く。
この時間に明かりの灯る家は少ない。
いや、そもそも明かりがともるような家の方が少ないのか、そう思いなおした。
学校では、暖房や冷房が稼働する日が決まっている。だからどんなに暑かろうが寒かろうが、お偉いさんでも来ない限りは暑いし寒いままだ。
まあ、せめて寒い方が耐えうるかな、とは思う。暑いのはどうしようもないが、寒いのは対処のしようがある。それに、人が集まれば熱気で汗ばむぐらいの時もあるからな。
しかし、今日は思ったように体が温まらなかった。何か温いものを腹に入れたい。
すっかり日も昇り、近くにある幼稚園からもちらほらと子どもの甲高い声が聞こえ始める朝課外終わり。なんとなく浮ついた空気の廊下でたむろする奴らの間を縫って、階段に向かう。
「よう、春都」
踊り場に降り立ったところで後ろから声をかけてきたのは咲良だった。
「食堂?」
「いや、自販機」
「俺も行こう」
ずいぶんなじみ始めた、というか緩み始めた一年の教室付近の空気を横目に外に出る。学食や自販機に行くときは一度外に出なければいけないのがちょっと面倒だ。
「う~、冷えるなあ」
と、咲良はポケットに両手を突っ込み肩をすくませる。
「こんなに寒かったっけ?」
「まあ、曇りだと特にな」
「最近は天気予報ほんと当たらないよなあ。晴れるっつっても雨降りそうだし、雨降るっつってもめっちゃ晴れるし。こないだなんて、空、夏みたいだったぞ」
自販機の周辺は無人だった。必要最小限の明かりがともった学食からはいい香りが漂い、何かが焼ける音が聞こえてくる。
コーンスープとぜんざいとホットコーヒー、どれにしようか少し悩んだがぜんざいにすることにした。自販機のぜんざいって、妙にうまそうに見えるんだよな。
写真はイメージです、と小さく書かれた缶には、内側が赤く外側が黒い椀に入ったぜんざいの写真が載っている。確かこれ、期間限定で栗ぜんざいとかあったような。餅は入ってないんだな。
「俺もなんか買おう」
咲良が「どれにしようかな~」と自販機に視線を巡らせている間、俺は缶を開ける。
そっと口に含めば、小豆の風味と甘さがじわあっと口に広がる。ねっとりしたような口当たりに、控えめな甘さ――かと思えばあとからどんどんと甘さは増していく。
「うーん、なんか今日はお茶の気分」
咲良は慣れた手つきでペットボトルのふたを開ける。
「珍しいな」
「眠いしコーヒーにしようかとも思ったけどさ、缶しかないじゃん。飲み切れる自信ない」
「あー、それはあるな」
このぜんざい、うちで餅や白玉にかけるのはどうだろう。今度やってみよう。
「こんな天気だとさあ」咲良はペットボトルを首筋に当てながらつぶやいた「どっか遊び行きたくならない?」
「まあ、分からんでもない」
「ショッピングモールとか映画とか、そういうのじゃなくて外歩きたい感じ」
「あー、外な」
妙に寒いと、なぜか外を歩きたくなるのは分からないでもない。でもそれはあくまで、温かい家に帰ることができるという前提があって成り立つ感情だ。
「そういや今週末ぐらい、祭りがあるって聞いたような」
「え、まじ?」
毎年この時期に、収穫祭みたいなのが行われている。フライドポテトや綿菓子なんかの露店はもちろん、みかんの袋詰めとかもあったはずだ。ステージも設置されて、結構な有名人が呼ばれたり、その前座的な感じで幼稚園の出し物があったりと思いのほか盛り上がる。
「どこであるんだ?」
「市民ホールの横にあるだろ、でかい駐車場みたいな」
「あー……」咲良は視線を空に巡らせる。「あったかな?」
「あるんだよ」
普段はひとけのない場所だが、その日ばかりはずいぶんにぎやかになるものだ
飲み終えた缶をゴミ箱に放り込み、教室に戻ることにする。腹の中から温まると心地がいい。
「春都は行ったことあんの?」
「まあ、ある。といっても最近は行ってないけどな」
「じゃあさ、今度、一緒に行こうぜ」
階段の手すりに寄りかかりながら歩き、咲良はいつもの調子でふにゃっと笑った。
「なんか楽しそう」
「ああ、いいぞ」
「よっしゃ。でさ、露店って何があんの?」
咲良に聞かれ記憶をたどると、なんとなくワクワクしてきた。
さて、俺は何を食べよう。
家に帰りついてすぐに宅配便が来た。母さんかららしい。
「おー」
箱の中身は食材にあふれていた。加工品ではあるが海鮮類が多いあたり、今、仕事で行っている地域のものだろう。
「じゃこだ」
真っ先に目を引いたのは、透明の薄いパックに入った小さな小さな魚。
今日はインスタントで済ませようと思ったが、予定変更だ。これがあるなら、あれを作ろう。
フライパンにごま油をひいて、送られてきたじゃこを炒める。香ばしい香りが漂いだしたころ、冷ご飯を入れてさらに炒める。あとは醤油や白だしで味を調えたら完成だ。あ、ちょっとゴマもまぶすか。
その名も、じゃこごはん。名前も作り方も簡単だ。
「いただきます」
ふわんと香る魚のにおい。ちょっとじゃこを多めに口に含む。
噛みしめるとにじみ出る魚のうま味は、小さくともちゃんとそれが魚であることを主張する。ゴマのはじける香ばしさもたまらない。
ゴマ油と白だしの風味もいい。魚らしいうま味は残しながら、嫌な感じの主張がないのはだしのうま味とゴマ油の香ばしさ、それに醤油の風味があるからだろう。次々と口に運びたくなる味だ。
今日はご飯だけだが、今度は何かスープも一緒に作ろう。
これからの季節、餡かけにしてもよさそうだ。
「ごちそうさまでした」
昨日まで今週は秋晴れが続くと言っていたテレビのお天気キャスターは、今日は一転して、曇天の予報を淡々と伝えている。
「寒い」
エントランスを出ればツンと鼻が痛むような冷たい風が吹いていた。
海辺はもっと冷えるだろうなあ、と、色褪せ始めた山々を眺めながらぼんやりと思う。父さんも母さんも海辺の町へ行くと言っていたけど、今頃何やってんだろう。
「……晩飯何にしよう」
日が昇る前の町、コンクリートとずいぶん擦切ったスニーカーの底のゴムがこすれる音だけが冷たく響く。
この時間に明かりの灯る家は少ない。
いや、そもそも明かりがともるような家の方が少ないのか、そう思いなおした。
学校では、暖房や冷房が稼働する日が決まっている。だからどんなに暑かろうが寒かろうが、お偉いさんでも来ない限りは暑いし寒いままだ。
まあ、せめて寒い方が耐えうるかな、とは思う。暑いのはどうしようもないが、寒いのは対処のしようがある。それに、人が集まれば熱気で汗ばむぐらいの時もあるからな。
しかし、今日は思ったように体が温まらなかった。何か温いものを腹に入れたい。
すっかり日も昇り、近くにある幼稚園からもちらほらと子どもの甲高い声が聞こえ始める朝課外終わり。なんとなく浮ついた空気の廊下でたむろする奴らの間を縫って、階段に向かう。
「よう、春都」
踊り場に降り立ったところで後ろから声をかけてきたのは咲良だった。
「食堂?」
「いや、自販機」
「俺も行こう」
ずいぶんなじみ始めた、というか緩み始めた一年の教室付近の空気を横目に外に出る。学食や自販機に行くときは一度外に出なければいけないのがちょっと面倒だ。
「う~、冷えるなあ」
と、咲良はポケットに両手を突っ込み肩をすくませる。
「こんなに寒かったっけ?」
「まあ、曇りだと特にな」
「最近は天気予報ほんと当たらないよなあ。晴れるっつっても雨降りそうだし、雨降るっつってもめっちゃ晴れるし。こないだなんて、空、夏みたいだったぞ」
自販機の周辺は無人だった。必要最小限の明かりがともった学食からはいい香りが漂い、何かが焼ける音が聞こえてくる。
コーンスープとぜんざいとホットコーヒー、どれにしようか少し悩んだがぜんざいにすることにした。自販機のぜんざいって、妙にうまそうに見えるんだよな。
写真はイメージです、と小さく書かれた缶には、内側が赤く外側が黒い椀に入ったぜんざいの写真が載っている。確かこれ、期間限定で栗ぜんざいとかあったような。餅は入ってないんだな。
「俺もなんか買おう」
咲良が「どれにしようかな~」と自販機に視線を巡らせている間、俺は缶を開ける。
そっと口に含めば、小豆の風味と甘さがじわあっと口に広がる。ねっとりしたような口当たりに、控えめな甘さ――かと思えばあとからどんどんと甘さは増していく。
「うーん、なんか今日はお茶の気分」
咲良は慣れた手つきでペットボトルのふたを開ける。
「珍しいな」
「眠いしコーヒーにしようかとも思ったけどさ、缶しかないじゃん。飲み切れる自信ない」
「あー、それはあるな」
このぜんざい、うちで餅や白玉にかけるのはどうだろう。今度やってみよう。
「こんな天気だとさあ」咲良はペットボトルを首筋に当てながらつぶやいた「どっか遊び行きたくならない?」
「まあ、分からんでもない」
「ショッピングモールとか映画とか、そういうのじゃなくて外歩きたい感じ」
「あー、外な」
妙に寒いと、なぜか外を歩きたくなるのは分からないでもない。でもそれはあくまで、温かい家に帰ることができるという前提があって成り立つ感情だ。
「そういや今週末ぐらい、祭りがあるって聞いたような」
「え、まじ?」
毎年この時期に、収穫祭みたいなのが行われている。フライドポテトや綿菓子なんかの露店はもちろん、みかんの袋詰めとかもあったはずだ。ステージも設置されて、結構な有名人が呼ばれたり、その前座的な感じで幼稚園の出し物があったりと思いのほか盛り上がる。
「どこであるんだ?」
「市民ホールの横にあるだろ、でかい駐車場みたいな」
「あー……」咲良は視線を空に巡らせる。「あったかな?」
「あるんだよ」
普段はひとけのない場所だが、その日ばかりはずいぶんにぎやかになるものだ
飲み終えた缶をゴミ箱に放り込み、教室に戻ることにする。腹の中から温まると心地がいい。
「春都は行ったことあんの?」
「まあ、ある。といっても最近は行ってないけどな」
「じゃあさ、今度、一緒に行こうぜ」
階段の手すりに寄りかかりながら歩き、咲良はいつもの調子でふにゃっと笑った。
「なんか楽しそう」
「ああ、いいぞ」
「よっしゃ。でさ、露店って何があんの?」
咲良に聞かれ記憶をたどると、なんとなくワクワクしてきた。
さて、俺は何を食べよう。
家に帰りついてすぐに宅配便が来た。母さんかららしい。
「おー」
箱の中身は食材にあふれていた。加工品ではあるが海鮮類が多いあたり、今、仕事で行っている地域のものだろう。
「じゃこだ」
真っ先に目を引いたのは、透明の薄いパックに入った小さな小さな魚。
今日はインスタントで済ませようと思ったが、予定変更だ。これがあるなら、あれを作ろう。
フライパンにごま油をひいて、送られてきたじゃこを炒める。香ばしい香りが漂いだしたころ、冷ご飯を入れてさらに炒める。あとは醤油や白だしで味を調えたら完成だ。あ、ちょっとゴマもまぶすか。
その名も、じゃこごはん。名前も作り方も簡単だ。
「いただきます」
ふわんと香る魚のにおい。ちょっとじゃこを多めに口に含む。
噛みしめるとにじみ出る魚のうま味は、小さくともちゃんとそれが魚であることを主張する。ゴマのはじける香ばしさもたまらない。
ゴマ油と白だしの風味もいい。魚らしいうま味は残しながら、嫌な感じの主張がないのはだしのうま味とゴマ油の香ばしさ、それに醤油の風味があるからだろう。次々と口に運びたくなる味だ。
今日はご飯だけだが、今度は何かスープも一緒に作ろう。
これからの季節、餡かけにしてもよさそうだ。
「ごちそうさまでした」
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