一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
132 / 843
日常

第百三十二話 弁当

しおりを挟む
 昨日飾った花の瓶に、そっと水を注いでいく。

 まだ参拝客が来る前の寺院は空気が凛としている。ピンと透き通った風が差し込み、深呼吸をすると自分が透明になるような気がする。

「春都、今日はちゃんとした格好してる」

 そう言いながら隣に来たのは言わずもがな観月だ。清潔な白いワイシャツにくすんだ小豆色のベスト、濃い緑色のスラックスを着ている。花の数は多いので手分けしていた。

「人前に出るなら多少ちゃんとした格好をした方がいいって、親に言われた」

 いつも通りの私服――パーカーで行こうとしたら、母さんに止められた。それで着せられたのはユーネックの白シャツに黒いタータンチェックのジャケット、黒いスラックスだった。

「いつものパーカーって、あのロゴが入ったやつ?」

「ああ、今の時期にちょうどいいと思ったんだが」

「かっこいいけどね」

 まあ、確かにあれはガラの悪い印象になるだろうか。特に俺は目つきも悪いし、格好には気を付けないといけないんだなあ……。

「よし、おわり」

「まだ時間あるねー」

 掃除なんかは俺がやるよりもばあちゃんたちに任せた方がずっときれいだし、受付の準備はじいちゃんたちの仕事だ。裏にある台所からは昼に配られる弁当のおかずを作っている音が聞こえ、ほんのり甘い香りも漂っている。

 俺たちは特に示し合わせることもなく、ござが引かれた玄関に降りどちらからともなく外へ出た。

 向かったのは川辺だ。

 上流の方へ行けば河川敷もあるのだが、下流の方は下に降りる階段はあれど河川敷もベンチも何もない。ぼうぼうと生える草を揺らしながら、ただ水が流れるばかりだ。

 準備が終わった後、たいてい俺たちはここで時間をつぶす。日曜日は特に車の通りも少ない。たまに鳥が戯れながら薄い青空を滑空していくばかりだ。対岸には何かの工場があるが、まるでまだ夢の中にいる巨人が横たわっているように見える。夕暮れ時はRPGに出てくる城のようにも見えるのだ。

 豪雨の時は、道路すれすれまで水位が上がると聞く。ちょっと低いところにある寺院は浸水しやしないかと毎年、梅雨が来るたびに思う。

「あ、なんかでかい鳥」

「ほんとだ」

 真っ白な鳥が、川の中でも流れが特に緩い場所にある石の上に降り立った。

「昔はさあ、結構この川、怖かったんだよね」

「ちょっと分かる気がする」

 毎回、ここに来るたびに繰り返す会話だが、今更指摘する気もない。

「水って、いろいろ吸い込まれそうだよな」

「そうそう。吸い込まれて、流されて、二度とこっちに帰ってこれない気がする」

 観月は足元の小石をつま先で道路側に押しやった。「そう考えたら今でも怖いな」

 川べりには草が生い茂っていて、草舟にできそうな葉もある。俺は作ったことがないので作れないが。

「時間があるといろいろ考えるよな」

「言葉にできるだけ大人になったって感じかな」

 最近はいろいろ考えているようで考えていないやつとばかり話していたので、こういう時間は新鮮だ。どちらがいいとか悪いとかはないけど、たまにはこうやってぼんやりと話をするのもいい。

「あ、踏切の音」

 と、観月はつぶやいた。

 レールバスの線路は川の下流の方向、俺たちの左の方にある。

「何色が来るかな」

 ここを走るレールバスにはいろんな柄がある。普段からよく走っているクリーム色、ちょっと新しい桜モチーフのピンク、一般公募のデザインで決まった青。

「クリーム色」

「えー? じゃあ、青」

「当たったらお菓子おごり」

「いいよ」

 しばらくして通過したのは、季節外れの桜色だった。



 開場時刻になり、途端に人も車も増えてきた。お守りを売るのは行事終盤なので、それまでは外で参拝客へ配るお茶の準備をする。

 ほんのり温かいお茶を小さな容器に入れ、お盆にのせる。渡すのは観月の役目だ。

「あら、お手伝い? 偉いわねえ」

 どうやら都会の方から来たらしい老婦人が微笑ましげに俺たちを見る。

「人が多くて大変でしょう、がんばってね」

「ありがとうございます」

 老婦人のしゃべり方は、まるで小学生に語り掛けるような感じだ。

「いくつに見られてんだろうな、俺ら」

「毎年ねえ。たまに自分の年が分かんなくなりそうだよ」

「そう、それ」

 なんというか、お年を召した方々からしてみれば、俺たちはまだまだひよっこだということなのだろうか。

「あ、二人とも」

 人の流れが落ち着いたところで母さんが来た。

「今のうちにご飯食べときなさい。またあとで大変だから」

 そう言って渡されたのは、使い捨ての軽い素材で作られた白い弁当箱二つだった。袋に入れられたそれには、酒まんじゅうが一緒に入っている。

「ありがとう」

「ありがとうございます」

「お茶は私たちがやってるから、食べてきなさい」

 こういう弁当箱を見るとなんとなくそわそわと心が浮き立つ。

 参拝客は皆本堂の中にいて、外は静かなものだ。中ではよそから来たお坊さんの話が合っているらしい。

 反響するマイクの音を聞きながら、通り道にならず中からも見えない場所に座って食うことにした。

「いただきます」

 桜でんぶが散らされたご飯に春雨の酢の物、厚焼き玉子とあとは煮物だ。中身は毎年あまり変わらないが、たまに豪華になったり酒まんじゅうがなくなったりする。今年は平均的といったところか。

 ぎちぎちに詰められたご飯はちょっともちみたいになっている。昔は苦手だったでんぶの風味も今は平気だ。甘くてどことなく魚っぽい風味がする。

 酢の物は春雨と、キュウリと、もやし。ゴマもまぶされていて香ばしい。うっ、とつい顔をしかめてしまうほどすっぱいところもあるが、これもおいしさのひとつだろう。

「あ、これってハートの形になってるのかな?」

「ん? ああ、ほんとだ」

 厚焼き玉子、なんか変なとこで切り込み入ってんなと思ったが、ハートだったのか。出汁の味がきいている。

 煮物はレンコン、ニンジン、シイタケ、サトイモか。全体的に甘い味付けだが、おいしい。

 酒まんじゅうは紅白二種類あって、そのどちらかが入っている。俺は白で観月は紅だった。

「半分ずつにしない?」

「いいな」

 それぞれあんこが違うし、何より紅白そろって食べたい。

 紅は白あんで、白は粒あん。なんとなく甘くて、しっとりとしている。自分たちで入れた苦みの強いお茶がよく合う。時間がずいぶん経っているので渋みも強い。

「あと一時間ちょっとかな」

「そうだな」

「あとでおつりもらいに行かないとなあ」

 どれだけ押し寄せてくるか分からないが、うまくさばききれるといい。

「さて、もうひと頑張り」

「ああ」



「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

私の部屋で兄と不倫相手の女が寝ていた。

ほったげな
恋愛
私が家に帰ってきたら、私の部屋のベッドで兄と不倫相手の女が寝ていた。私は不倫の証拠を見つけ、両親と兄嫁に話すと…?!

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【短編】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
 もうすぐ、赤ちゃんが生まれる。  誕生を祝いに、領地から父の辺境伯が訪ねてくるのを心待ちにしているアリシア。 でも、夫と赤髪メイドのメリッサが口づけを交わしているのを見てしまう。 「なぜ、メリッサもお腹に赤ちゃんがいるの!?」  アリシアは夫の愛を疑う。 小説家になろう様にも投稿しています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...