一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第百三十二話 弁当

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 昨日飾った花の瓶に、そっと水を注いでいく。

 まだ参拝客が来る前の寺院は空気が凛としている。ピンと透き通った風が差し込み、深呼吸をすると自分が透明になるような気がする。

「春都、今日はちゃんとした格好してる」

 そう言いながら隣に来たのは言わずもがな観月だ。清潔な白いワイシャツにくすんだ小豆色のベスト、濃い緑色のスラックスを着ている。花の数は多いので手分けしていた。

「人前に出るなら多少ちゃんとした格好をした方がいいって、親に言われた」

 いつも通りの私服――パーカーで行こうとしたら、母さんに止められた。それで着せられたのはユーネックの白シャツに黒いタータンチェックのジャケット、黒いスラックスだった。

「いつものパーカーって、あのロゴが入ったやつ?」

「ああ、今の時期にちょうどいいと思ったんだが」

「かっこいいけどね」

 まあ、確かにあれはガラの悪い印象になるだろうか。特に俺は目つきも悪いし、格好には気を付けないといけないんだなあ……。

「よし、おわり」

「まだ時間あるねー」

 掃除なんかは俺がやるよりもばあちゃんたちに任せた方がずっときれいだし、受付の準備はじいちゃんたちの仕事だ。裏にある台所からは昼に配られる弁当のおかずを作っている音が聞こえ、ほんのり甘い香りも漂っている。

 俺たちは特に示し合わせることもなく、ござが引かれた玄関に降りどちらからともなく外へ出た。

 向かったのは川辺だ。

 上流の方へ行けば河川敷もあるのだが、下流の方は下に降りる階段はあれど河川敷もベンチも何もない。ぼうぼうと生える草を揺らしながら、ただ水が流れるばかりだ。

 準備が終わった後、たいてい俺たちはここで時間をつぶす。日曜日は特に車の通りも少ない。たまに鳥が戯れながら薄い青空を滑空していくばかりだ。対岸には何かの工場があるが、まるでまだ夢の中にいる巨人が横たわっているように見える。夕暮れ時はRPGに出てくる城のようにも見えるのだ。

 豪雨の時は、道路すれすれまで水位が上がると聞く。ちょっと低いところにある寺院は浸水しやしないかと毎年、梅雨が来るたびに思う。

「あ、なんかでかい鳥」

「ほんとだ」

 真っ白な鳥が、川の中でも流れが特に緩い場所にある石の上に降り立った。

「昔はさあ、結構この川、怖かったんだよね」

「ちょっと分かる気がする」

 毎回、ここに来るたびに繰り返す会話だが、今更指摘する気もない。

「水って、いろいろ吸い込まれそうだよな」

「そうそう。吸い込まれて、流されて、二度とこっちに帰ってこれない気がする」

 観月は足元の小石をつま先で道路側に押しやった。「そう考えたら今でも怖いな」

 川べりには草が生い茂っていて、草舟にできそうな葉もある。俺は作ったことがないので作れないが。

「時間があるといろいろ考えるよな」

「言葉にできるだけ大人になったって感じかな」

 最近はいろいろ考えているようで考えていないやつとばかり話していたので、こういう時間は新鮮だ。どちらがいいとか悪いとかはないけど、たまにはこうやってぼんやりと話をするのもいい。

「あ、踏切の音」

 と、観月はつぶやいた。

 レールバスの線路は川の下流の方向、俺たちの左の方にある。

「何色が来るかな」

 ここを走るレールバスにはいろんな柄がある。普段からよく走っているクリーム色、ちょっと新しい桜モチーフのピンク、一般公募のデザインで決まった青。

「クリーム色」

「えー? じゃあ、青」

「当たったらお菓子おごり」

「いいよ」

 しばらくして通過したのは、季節外れの桜色だった。



 開場時刻になり、途端に人も車も増えてきた。お守りを売るのは行事終盤なので、それまでは外で参拝客へ配るお茶の準備をする。

 ほんのり温かいお茶を小さな容器に入れ、お盆にのせる。渡すのは観月の役目だ。

「あら、お手伝い? 偉いわねえ」

 どうやら都会の方から来たらしい老婦人が微笑ましげに俺たちを見る。

「人が多くて大変でしょう、がんばってね」

「ありがとうございます」

 老婦人のしゃべり方は、まるで小学生に語り掛けるような感じだ。

「いくつに見られてんだろうな、俺ら」

「毎年ねえ。たまに自分の年が分かんなくなりそうだよ」

「そう、それ」

 なんというか、お年を召した方々からしてみれば、俺たちはまだまだひよっこだということなのだろうか。

「あ、二人とも」

 人の流れが落ち着いたところで母さんが来た。

「今のうちにご飯食べときなさい。またあとで大変だから」

 そう言って渡されたのは、使い捨ての軽い素材で作られた白い弁当箱二つだった。袋に入れられたそれには、酒まんじゅうが一緒に入っている。

「ありがとう」

「ありがとうございます」

「お茶は私たちがやってるから、食べてきなさい」

 こういう弁当箱を見るとなんとなくそわそわと心が浮き立つ。

 参拝客は皆本堂の中にいて、外は静かなものだ。中ではよそから来たお坊さんの話が合っているらしい。

 反響するマイクの音を聞きながら、通り道にならず中からも見えない場所に座って食うことにした。

「いただきます」

 桜でんぶが散らされたご飯に春雨の酢の物、厚焼き玉子とあとは煮物だ。中身は毎年あまり変わらないが、たまに豪華になったり酒まんじゅうがなくなったりする。今年は平均的といったところか。

 ぎちぎちに詰められたご飯はちょっともちみたいになっている。昔は苦手だったでんぶの風味も今は平気だ。甘くてどことなく魚っぽい風味がする。

 酢の物は春雨と、キュウリと、もやし。ゴマもまぶされていて香ばしい。うっ、とつい顔をしかめてしまうほどすっぱいところもあるが、これもおいしさのひとつだろう。

「あ、これってハートの形になってるのかな?」

「ん? ああ、ほんとだ」

 厚焼き玉子、なんか変なとこで切り込み入ってんなと思ったが、ハートだったのか。出汁の味がきいている。

 煮物はレンコン、ニンジン、シイタケ、サトイモか。全体的に甘い味付けだが、おいしい。

 酒まんじゅうは紅白二種類あって、そのどちらかが入っている。俺は白で観月は紅だった。

「半分ずつにしない?」

「いいな」

 それぞれあんこが違うし、何より紅白そろって食べたい。

 紅は白あんで、白は粒あん。なんとなく甘くて、しっとりとしている。自分たちで入れた苦みの強いお茶がよく合う。時間がずいぶん経っているので渋みも強い。

「あと一時間ちょっとかな」

「そうだな」

「あとでおつりもらいに行かないとなあ」

 どれだけ押し寄せてくるか分からないが、うまくさばききれるといい。

「さて、もうひと頑張り」

「ああ」



「ごちそうさまでした」
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