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日常
第百二十七話 コーンスープ
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まだ日も昇らない、早朝のグラウンド。
鼻から吸う空気が肺を凍らせる――とは言い過ぎかもしれないが、少なからず芯から体を冷やすには十分すぎるほどにしんと冷え切っている。
まだ周辺の家も活動を開始していない。だってさっき、朝刊の配達を終えた新聞配達員が帰ろうとしていたのだ。何が悲しくて朝の五時にグラウンドに整列しなければならないんだ。
うちの学校には冬場に、体を鍛える目的で早朝鍛錬週間なるものが設けられている。各学年、決められた一週間は、早朝にグラウンドを一時間近く走らなければならないのだ。
鍛錬も何も、知ったこっちゃないと思う。これが任意参加ならまだしも、強制参加なのはいただけない。俺はまだ家が近いからいいけど、遠くに住んでるやつらは登校する時点で鍛錬になっている。バスや電車が出ていないという地域のやつは、この間「親に送ってもらえ」などと言われていたし、そうなったら親の鍛錬にもなってしまう。
いや、鍛錬とは聞こえがいいように言っているだけで、もはやこれは拷問だ。
「春都、ほんとに嫌そうだな」
号令をかけられて走り出したはいいものの、ほぼすり足で走る俺の隣には咲良がいる。これは学年合同で行われるのでクラスは関係ない。
「こんなん好きなやつの方が少ないだろ」
「まあなあ、俺も好きじゃない」
ちまちま走っていたら空が白み始めた。これが家からの光景だったらどんなに心穏やかだろうか。
「帰りたい。走りたくない」
そう言って吐くため息は白い。まるで俺の魂が抜けていくようで、なんとなく吸いなおしてしまう。
「でも、休んだらまた別の日に走らされるって聞いたぞ」
「ないわー……」
ぼそぼそと話していたら途中ですれ違った先生に注意された。
「そこ、私語禁止。並ぶな、もっと頑張って走れ」
人それぞれペースというものがある。ただでさえ運動音痴で、その上寝不足で、当然のように行われる通常授業をこなし、家のこともしているんだ。ちょっとぐらいのろのろ走ったって罰は当たらんだろ。
ていうかこんな苦行、しゃべらないでやってられるかってんだ。
「スピード上げろ。ほれほれ」
そう言って先生はぐんと先の方へ行ってしまった。咲良はあからさまに顔をしかめて「やってらんねえ」とつぶやいた。
すがすがしいはずの夜明けの空気に、俺はもう一つため息を落とした。
今週一週間は弁当を作る余裕がないので、学食で済ませることにした。
「マジ眠い……」
咲良はそう言って目をこすった。
「これで授業中居眠りしたら怒られるんだよなあ……」
「理不尽過ぎる」
「しんどいなあ……」
咲良もなかなか遠いところから通学してきているので、いつもより早く学校に行かなければならないのはかなりの負担らしい。
「俺は家が近いからまだいいがな」
そうはいっても俺だってきつい、とは言いたいけどなかなか言えない。しかし咲良は「そんなことねえよ」と眠そうに言った。
「家が近いなら近いで、ごまかしもきかないし楽だってレッテル張られて、先生の目も厳しくなるだろ?」
それに、と咲良は付け加えた。
「さっきから飯が進んでねえ。大丈夫か?」
俺の手元にはカレーライスがある。しかし、量は減らない。口に運ぶ動作が億劫で仕方がないのだ。
「あー……大丈夫だ」
ちまちまと食べ進めているが、どうも体が飯を受け付けない。でも食わなきゃ余計にしんどいし。
「お前が食欲ないって相当だろ」
「なんだそれ」
「だって春都、何があっても飯のことだけは忘れないのに、今日も俺が声をかけるまで飯食うこと忘れてたじゃん」
「それは……」
まあ、確かに昼休みになっても飯のことが頭をよぎらなかったのは確かだ。いや、正確に言えば、飯のことはよぎったがそれに体が伴っていなかった。
「今週が終われば大丈夫だ」
今日は週の折り返し。もう少し頑張れば休日が待っている。
なんだか日に日に食べる速度が遅くなっている気がするが、まあこれも疲れだろう。
「あ、そういや今日カウンター当番だ」
いかん、この調子だと遅れてしまう。多少遅れても漆原先生は気にも留めないが、俺が納得いかない。
何とかカレーを食べ終え、図書館に向かう。
胃がうまく動いていないような気がしながらカウンターの椅子に座っていたら、隣で事務作業をしていた漆原先生が珍しく真面目な顔でこちらを見ていた。
「一条君、こちらの作業と代わってくれるか。こういった仕事は苦手でね」
そう言って渡された仕事は、鉛筆なんかの備品の片付けだった。
あっという間に終わったが先生は「たまにはカウンター業務もしないと石上に怒られる」と笑って交代してくれなかった。
返却図書もなく手持無沙汰な俺は、ただぼんやりと人のいない図書館を眺めていた。
やっと金曜日。しかしどうも食欲がない。
でも何か腹には入れたいのでパンを一つ買った。シンプルな塩パン、それと自動販売機でコーンスープも買った。今日は教室で食うとしよう。
「いただきます」
塩パンはほんのりバターの風味がして香ばしい。トッピングのように添えられた塩のしょっぱさが何とか食欲をわずかに起こさせる。
コーンスープは粒入りなのでよく振って飲む。
「はああ……」
胃にじんわりと染みわたる温かさ。指先に伝わる熱。
パンと一緒に食べると、風味が増していい。ふやけたパンは食欲のない体にも優しくて、食べきれるか分からなかったがあっという間に食べてしまった。
コーンの粒は取り出すのが難しい。できれば全部食べたいものだ。
ちょっとしわくちゃになってほぼ味のしない皮状態のものから、シャキッとしっかりコーンの甘さが残ったものまで様々だ。コーンスープのとろみと甘みは身に染みるものがある。
さて、食ったらひと眠りしよう。午後からの授業が持ちそうにない。
何とか回復すればいいが……どうかなあ。
「ごちそうさまでした」
鼻から吸う空気が肺を凍らせる――とは言い過ぎかもしれないが、少なからず芯から体を冷やすには十分すぎるほどにしんと冷え切っている。
まだ周辺の家も活動を開始していない。だってさっき、朝刊の配達を終えた新聞配達員が帰ろうとしていたのだ。何が悲しくて朝の五時にグラウンドに整列しなければならないんだ。
うちの学校には冬場に、体を鍛える目的で早朝鍛錬週間なるものが設けられている。各学年、決められた一週間は、早朝にグラウンドを一時間近く走らなければならないのだ。
鍛錬も何も、知ったこっちゃないと思う。これが任意参加ならまだしも、強制参加なのはいただけない。俺はまだ家が近いからいいけど、遠くに住んでるやつらは登校する時点で鍛錬になっている。バスや電車が出ていないという地域のやつは、この間「親に送ってもらえ」などと言われていたし、そうなったら親の鍛錬にもなってしまう。
いや、鍛錬とは聞こえがいいように言っているだけで、もはやこれは拷問だ。
「春都、ほんとに嫌そうだな」
号令をかけられて走り出したはいいものの、ほぼすり足で走る俺の隣には咲良がいる。これは学年合同で行われるのでクラスは関係ない。
「こんなん好きなやつの方が少ないだろ」
「まあなあ、俺も好きじゃない」
ちまちま走っていたら空が白み始めた。これが家からの光景だったらどんなに心穏やかだろうか。
「帰りたい。走りたくない」
そう言って吐くため息は白い。まるで俺の魂が抜けていくようで、なんとなく吸いなおしてしまう。
「でも、休んだらまた別の日に走らされるって聞いたぞ」
「ないわー……」
ぼそぼそと話していたら途中ですれ違った先生に注意された。
「そこ、私語禁止。並ぶな、もっと頑張って走れ」
人それぞれペースというものがある。ただでさえ運動音痴で、その上寝不足で、当然のように行われる通常授業をこなし、家のこともしているんだ。ちょっとぐらいのろのろ走ったって罰は当たらんだろ。
ていうかこんな苦行、しゃべらないでやってられるかってんだ。
「スピード上げろ。ほれほれ」
そう言って先生はぐんと先の方へ行ってしまった。咲良はあからさまに顔をしかめて「やってらんねえ」とつぶやいた。
すがすがしいはずの夜明けの空気に、俺はもう一つため息を落とした。
今週一週間は弁当を作る余裕がないので、学食で済ませることにした。
「マジ眠い……」
咲良はそう言って目をこすった。
「これで授業中居眠りしたら怒られるんだよなあ……」
「理不尽過ぎる」
「しんどいなあ……」
咲良もなかなか遠いところから通学してきているので、いつもより早く学校に行かなければならないのはかなりの負担らしい。
「俺は家が近いからまだいいがな」
そうはいっても俺だってきつい、とは言いたいけどなかなか言えない。しかし咲良は「そんなことねえよ」と眠そうに言った。
「家が近いなら近いで、ごまかしもきかないし楽だってレッテル張られて、先生の目も厳しくなるだろ?」
それに、と咲良は付け加えた。
「さっきから飯が進んでねえ。大丈夫か?」
俺の手元にはカレーライスがある。しかし、量は減らない。口に運ぶ動作が億劫で仕方がないのだ。
「あー……大丈夫だ」
ちまちまと食べ進めているが、どうも体が飯を受け付けない。でも食わなきゃ余計にしんどいし。
「お前が食欲ないって相当だろ」
「なんだそれ」
「だって春都、何があっても飯のことだけは忘れないのに、今日も俺が声をかけるまで飯食うこと忘れてたじゃん」
「それは……」
まあ、確かに昼休みになっても飯のことが頭をよぎらなかったのは確かだ。いや、正確に言えば、飯のことはよぎったがそれに体が伴っていなかった。
「今週が終われば大丈夫だ」
今日は週の折り返し。もう少し頑張れば休日が待っている。
なんだか日に日に食べる速度が遅くなっている気がするが、まあこれも疲れだろう。
「あ、そういや今日カウンター当番だ」
いかん、この調子だと遅れてしまう。多少遅れても漆原先生は気にも留めないが、俺が納得いかない。
何とかカレーを食べ終え、図書館に向かう。
胃がうまく動いていないような気がしながらカウンターの椅子に座っていたら、隣で事務作業をしていた漆原先生が珍しく真面目な顔でこちらを見ていた。
「一条君、こちらの作業と代わってくれるか。こういった仕事は苦手でね」
そう言って渡された仕事は、鉛筆なんかの備品の片付けだった。
あっという間に終わったが先生は「たまにはカウンター業務もしないと石上に怒られる」と笑って交代してくれなかった。
返却図書もなく手持無沙汰な俺は、ただぼんやりと人のいない図書館を眺めていた。
やっと金曜日。しかしどうも食欲がない。
でも何か腹には入れたいのでパンを一つ買った。シンプルな塩パン、それと自動販売機でコーンスープも買った。今日は教室で食うとしよう。
「いただきます」
塩パンはほんのりバターの風味がして香ばしい。トッピングのように添えられた塩のしょっぱさが何とか食欲をわずかに起こさせる。
コーンスープは粒入りなのでよく振って飲む。
「はああ……」
胃にじんわりと染みわたる温かさ。指先に伝わる熱。
パンと一緒に食べると、風味が増していい。ふやけたパンは食欲のない体にも優しくて、食べきれるか分からなかったがあっという間に食べてしまった。
コーンの粒は取り出すのが難しい。できれば全部食べたいものだ。
ちょっとしわくちゃになってほぼ味のしない皮状態のものから、シャキッとしっかりコーンの甘さが残ったものまで様々だ。コーンスープのとろみと甘みは身に染みるものがある。
さて、食ったらひと眠りしよう。午後からの授業が持ちそうにない。
何とか回復すればいいが……どうかなあ。
「ごちそうさまでした」
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