一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
126 / 854
日常

第百二十六話 まかない

しおりを挟む
 秋晴れという言葉がふさわしい、冷えた空気のさわやかな休日。

 俺は自転車配達用の軽の後部座席に座って揺さぶられていた。流れる景色は見渡すばかり畑と田んぼ。ちらほらと見える建物は古い日本家屋や、ずいぶん昔に閉店してしまったなにかの直売所ばかりだ。すっかり朽ちてしまった看板はさびて、もともと何が描かれていたのか判別できない。

「わふっ」

 足元に置いたケージにはうめずがおとなしく入っている。

 先週とは打って変わって静かな休日だ。日差しは柔らかく、時が止まっているのではないかと錯覚してしまいそうなほどに穏やかな空気。

「で、俺はどこに連れられているんだ」

 いつもより少し遅めに起きた朝、のんびりと朝ごはんを終えた後、ばあちゃんから電話がかかってきた。ジャージか何か、とりあえず汚れてもいい服装で店の方に来いとのことだった。うめずもつれてきていいとのことらしい。

 特にすることもないので、それに素直に従うことにした。学校指定のジャージを着て、うめずを連れて店に向かう。紺地のジャージには、学年ごとに指定された色で名字が刺繍されている。

 で、あれよあれよという間にこの状況である。

「柿よ、柿」

「柿?」

「知り合いのとこが収穫作業を手伝ってほしいっていうから。ほら、若者がいた方がはかどるでしょう」

 助手席に座るばあちゃんはそうあっけらかんと言い、ハンドルを握るじいちゃんはのんびりと鼻歌を歌っている。通りの少ない道路に設置された信号が赤く点灯した。

「でも俺、収穫したことないけど」

「ああ、収穫と選別は私たちでやるし、春都は収穫したものを運んでくれたらいいよ」

 なるほど。力仕事要員か。

 信号が青に変わり、車はゆったりと発進する。やがて車の通りも、人の気配がする家も増えてきた。

 視界に入る通行人の平均年齢を考えると、最近よく聞く、というかすっかり当たり前のものとして受け入れられている「少子高齢化社会」という言葉の具現化のように思えて仕方なかった。



「よっ……と」

 年季の入った薄い水色のケースには柿が山積みになっている。すごく重いが、外で作業するのは気持ちがいい。

 俺たちの他にも手伝いに来ている人たちはいたが、俺と同年代らしい人はいなかった。若くても三十代後半か四十代前半ぐらいの人で、その人たちに教えてもらいながら作業に当たる。

 今日作業するらしい範囲は途方もなく広い。

 一度は町らしく店や家屋が並び始めた通りも、目的地に向かうにつれて再び自然優位の風景に変わり始めた。事故なんかとは無縁のような見晴らしのいい直線道路から望むのは、ところどころ色づき始めた山脈だ。

 たどり着いた柿畑は、その山脈に色を付けるものの一つであった。枯れかけた葉がつく木には丸々とした柿が橙色も鮮やかに実っている。それがひたすらに広がっていて、見ただけで気が遠くなりそうだった。

「いやー、はかどるはかどる!」

 一緒に作業をしていた人たちがそう言って笑った。

「やっぱり若者がいるとはかどるねえ」

「はあ、そうですか」

「何だ何だ。若者ならもっと元気出さな!」

 手伝いも嫌いじゃないし、重いものを運ぶのは疲れるけど苦痛じゃない。でもこういう会話が苦手だ。どうやって返せばいいのか分からない。

 若者全員がもれなくはつらつとしていると思っているらしい人たちは、ただ黙々と作業をする俺が珍しいのか、それか、自分たちのいいように俺を扱いたいのか。たぶんそのどれでもない。何も考えてないんだろう。会話のテンプレートというものか。

 そう考えると、こっちもむきになるのは得策じゃない。こういう時は「否定しない」という選択をするのが賢いやり方だろう。

「ふぅ~……」

 人がいないのを確認してから、伸びをして腰をさする。下手に人前ですると「若者なのにそんなことしちゃだめだろう」と笑われる。

 若かろうが何だろうが腰は痛くなるっての。

 ま、全員が全員「若者だから」攻撃を仕掛けてくるわけではないのは救いだった。「西本さんちのお孫さん」として扱ってくれる人とはうまく話せる。

「つくづく人づきあいが下手だなあ、俺」

 みんな悪い人ではないのだが、どうも俺とは波長が合わないらしい。

 まあ、そのことについて深く考えても仕方ない。人間だし、合う合わんはあるだろう。とりあえず今目の前にあるケース二つを運んだら、行かなければならないところがある。



 ばあちゃんに呼ばれたその場所は、ずいぶんなじみ深い香りと音に満ちていた。

 コトコト湯が沸く音、包丁で野菜を切る音、何かを炒めているのか香ばしい香り。台所ではばあちゃんをはじめ、手伝いに来ていた女性陣が昼飯の準備をしていた。

「よし来たね、春都」

 ばあちゃんはそう言って笑うと、エプロンを差し出した。ばあちゃんが使っているやつの色違いだ。

「なにすればいい」

 素直にそれをつけ、指示を仰ぐ。

「春都、卵焼き得意でしょ。作ってくれる?」

「分かった。味付けは?」

「甘くていいよ」

 使い慣れない台所だが、まあ、なんとなく勝手は分かる。

 ボウルに卵を四つ割り入れ、カラザをとって少し混ぜたら、砂糖を入れる。塩は少々。砂糖の塊が残らないように丁寧に混ぜて、火にかけて油をひいたフライパンで焼いていく。

 やり慣れた動作は落ち着く。慣れないことばかりしていると、普段やっていることや見慣れたものが妙に愛おしくなるものだ。

「いくつ焼く?」

「そうね、三つぐらいかな」

 料理を作る間は誰も話しかけてこない。それがなんだか心地よかった。

 卵焼きを焼きながら見るのは、手際良く作られていくおにぎり。シンプルな塩おにぎりは三角や俵型と様々な形をしている。そう言えば四角いおにぎりはあまり見ない。その代わり、卵焼きが四角いのかな、なんて。

 よし、できた。

 ご飯は外で食べるらしい。柿畑の横の方に簡易的なテーブルと椅子をこしらえて、俺はじいちゃんとばあちゃんの間に滑り込む。

「それじゃ、いただきます」

 みんな一斉におかずやおにぎりに手を伸ばす。なんとなく遠慮して何も取れないでいると、ばあちゃんが「おにぎり、いくつ欲しい?」と聞いてくれた。

「えっと、三つ」

「はいはい。おかずは全部取ろうか」

「ありがとう」

 自分が焼いた卵焼きに、サツマイモを茹でたもの、そして小松菜と豚肉を塩コショウで炒めたやつ。シンプルだが、うまそうだ。

 まずはおにぎり。塩がきいていておいしい。結構汗をかいたのでこの塩分がうれしいな。

 小松菜は程よい苦みとみずみずしさがいい。豚肉のほのかな甘みと塩コショウがよく合う。うま味たっぷりだ。

 サツマイモは甘い。ほくほくで、塩ゆでされているらしく、ほんのり塩味がまた甘さを引き立てているのだ。

 卵焼きはすごく落ち着く。自分で作っておいてなんだけど、ほっとするなあ。

 気づけば遠慮していたことも忘れて、食べるのに夢中になっていた。

「いい食べっぷりだ」

 隣でじいちゃんがそう言った。

「頑張ってくれたんだな」

 卵焼きも上等だ、とじいちゃんは笑った。

「午後からもうひと頑張り、ね」

 と、ばあちゃんに背を叩かれる。力が強いので結構な衝撃だが、嫌な気はしない。

 むしろなんだか安心するようで、思わず口元がほころんでしまうのだった。



「ごちそうさまでした」

しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

「今日でやめます」

悠里
ライト文芸
ウエブデザイン会社勤務。二十七才。 ある日突然届いた、祖母からのメッセージは。 「もうすぐ死ぬみたい」 ――――幼い頃に過ごした田舎に、戻ることを決めた。

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります

真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」 婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。  そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。  脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。  王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。

だってお義姉様が

砂月ちゃん
恋愛
『だってお義姉様が…… 』『いつもお屋敷でお義姉様にいじめられているの!』と言って、高位貴族令息達に助けを求めて来た可憐な伯爵令嬢。 ところが正義感あふれる彼らが、その意地悪な義姉に会いに行ってみると…… 他サイトでも掲載中。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

処理中です...