一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
61 / 854
日常

第六十一話 ばあちゃん飯③

しおりを挟む
 引っ越し当日の飯について、親に聞いてみればあっけなく返されたものだ。

『ばあちゃんがおにぎり作ってくれるって』

 あ、そう。なるほどね。

 そりゃそうか。一応引っ越しだし、ばあちゃんたちが知らないわけないか。

「じゃ、俺は作らなくていいってことか」

 具は何が入るだろう。ばあちゃん特製の梅干し、酸っぱいけどうまいんだよなあ。しそご飯もいい。たくあん入れてくんないかなあ。

 なんか、ちょっとワクワクする。



 朝夕は少し風が気持ちいい日が増えたとはいえ、昼間の暑さは一向に落ち着く様子はない。むしろ拍車がかかったんじゃなかろうか。

 こう暑いと、炭酸が飲みたくなってくる。帰りにスーパーで買って帰ってもいいが、歩く元気がない。そういうわけで、食堂近くの自販機で買うことにした。

 サイダー、コーラ、どれがいいかな……あ、なにこれ。スポーツドリンクの炭酸?

 へー、こんなんあったんだ。買ってみよ。

 小銭を入れてボタンを押す。よかった、売り切れてなくて。この時期ってスポーツドリンク系はすぐに売り切れるんだよな。

 キンキンに冷えた缶。ちょっと首にあてる。冷たくて気持ちいい。

「一条君じゃないか」

 ふと聞き覚えのある声がして、振り返ってみると石上先生がいた。

「あ、こんにちはー」

「こんにちは。今日も暑いな」

「っすね~、溶けそうです」

 先生も飲み物を買いに来たらしい。俺は一歩後ろに下がって、場所を開ける。

 缶を開けるのはちょっと難しい。プシュッという音がして、缶の中で炭酸がパチパチとはじける。なんかこれだけでもう涼しいな。

 グレープフルーツ果汁が使われているらしいそれは、とても爽やかだった。控えめな炭酸が心地いい。

「でも、台風来るってよ」

「なんか天気予報で言ってましたね」

 先生は冷たい水を買っていた。

 言われてみれば風は生ぬるいし、空の隅の方には真っ黒な雲が見え隠れしている。先生はこめかみを押さえていた。

「台風が近づくといつもこれだ。頭痛がひどい」

「あー、気圧の変化で」

「そう。あとは古傷も痛む」

 古傷。手術か何かしたのだろうか。それとも実は学生の頃はやんちゃで、喧嘩したときの傷が痛いとか?

 いろいろと想像を膨らませていると、先生はきょとんとして視線を合わせてきた。

「どうした、急に黙って。何を考えている?」

「古傷って、なんの古傷かな、と」

「ふはっ、正直者だな」

 先生は機嫌を悪くするでもなく、面白いものを見て思わず、というように笑った。

 その顔を見て、なんかやっぱり、漆原先生の友人だと思った。まじめでしっかりしてるんだろうけど、それだけじゃなくてちょっと子どもっぽいところがあるというか。

 まあ、子どもの俺がそんなことを言おうものなら、すぐさまからかわれるのだろうから黙ってるけど。

 どうやらけんかとかの傷ではないらしい。

「俺は、けがの多い人間だからな」

「不器用なんですか」

「ああ、そうだ。おまけに運動神経もあまりよくないときている」

 その辺は俺も一緒だ。小学生の頃は己の力量もわきまえず突き進んで、よくけがしてたっけ。一度盛大に骨折してからは、加減するようになったけど。

「そのくせ懲りない人間でね。大人になってもけがしてばかりさ。まあそれで、あちこちに大小さまざまな傷があるものだから、こういう天気はかなわん」

「大変なんですね」

 もう慣れたよ、と先生は笑った。

「一条君もけがには気をつけろよ」

「うっす」

 すっかり飲み干してしまった缶をゴミ箱に捨て、先生に頭を下げて教室へ向かう。

 人って見かけによらないんだなあ。何でもそつなくこなしそうに見えるけど、先生もいろいろ苦労してんだな。



 今日は帰りに店に寄った。

「引っ越しの日、おにぎり作ってくれるって聞いた」

「そうそう。具は何がいい?」

 ばあちゃんと二人で台所に立つ。うちのシンクよりも少し低い気がする。

「んー、梅干し」

 ちょうど昼ごはん作るところだったらしく、俺の分も準備してくれるらしい。なら、俺も手伝わなければ。ちなみに、皿うどんらしい。

「分かった。なら、小さい梅干し出しとこうか」

「……たくあん炒めも入れてほしい」

「いいよ~、入れようか」

 小さい梅干しは、俺が食べたいと言ったらばあちゃんが漬けてくれたものだ。たくあん炒めも入れてくれるのなら、引っ越し、頑張れそうだな。

「じゃあ野菜切ってくれる?」

「分かった」

 ニンジンとキャベツを切る。ニンジンは薄い短冊切りに、キャベツはざく切りにする。もやしは袋のまま洗い、コーンは缶詰を開ける。

 あとはかまぼこも切っておく。

 その間、ばあちゃんは豚肉をフライパンで炒めていた。そこに、ニンジン、キャベツ、コーン、もやし、かまぼこの順に入れる。ていうかほとんど同じタイミングだ。

 鶏ガラスープの素とオイスターソースを溶いたものを注ぎ入れ、とろみをつけたら完成だ。

 市販の皿うどんの麺を大きめの皿にのせ、たっぷりと餡をかける。

「はい完成。テーブルにもっていって」

「うん」

 ばあちゃんが片付けをしながら店の方に向かって「じいちゃーん、ご飯できたよー」と声をかける。「おーう」という声が聞こえた後、少ししてじいちゃんが居間に来た。

「春都が作ったのか」

「野菜切っただけだよ」

「十分だ。俺は野菜を切ったこともない」

「えー、何それ」

 こうやって二人と飯を食うのも久しぶりかもしれないな。

「いただきます」

 パリパリの麺に箸を入れ、餡と一緒に口に運ぶ。とろみのついた餡はとても熱い。

 シャキッとしたもやしとキャベツに、餡が絡んでおいしい。コーンのプチっとした甘さがまたいい。かまぼこのわずかな魚風味も好きだ。ニンジンも薄いながらホクッとしている

 豚肉は脂身の少ない部分で、うま味と肉汁がジワリと滲み出す。

 ばあちゃんの味付けの餡は優しい味がするのだ。

 そして、餡が染みてふにゃっとした麺もまたいい。すすって食べると麺の味もして違ったおいしさが味わえる。

「酢、かける?」

「かけてみる」

 酢を少しかけてみる。鼻の奥に突き刺さるような酸味、でも、さっぱりしていいな。

 皿うどん、久しぶりに食べたなあ。おいしいや。

「そうそう、この間のアップルパイ、おいしかったよ」

 皿うどんに夢中になっていると、ばあちゃんが笑ってそう言った。じいちゃんも頷いている。

「そっか、よかった」

「腕を上げたな」

「上手になったねえ」

 じいちゃんとばあちゃんにそう言われると、安心するというか自信がつくものだ。

 ……また作ったら、持ってこようかな。



「ごちそうさまでした」
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

「今日でやめます」

悠里
ライト文芸
ウエブデザイン会社勤務。二十七才。 ある日突然届いた、祖母からのメッセージは。 「もうすぐ死ぬみたい」 ――――幼い頃に過ごした田舎に、戻ることを決めた。

サンスクミ〜学園のアイドルと偶然同じバイト先になったら俺を3度も振った美少女までついてきた〜

野谷 海
恋愛
「俺、やっぱり君が好きだ! 付き合って欲しい!」   「ごめんね青嶋くん……やっぱり青嶋くんとは付き合えない……」 この3度目の告白にも敗れ、青嶋将は大好きな小浦舞への想いを胸の内へとしまい込んで前に進む。 半年ほど経ち、彼らは何の因果か同じクラスになっていた。 別のクラスでも仲の良かった去年とは違い、距離が近くなったにも関わらず2人が会話をする事はない。 そんな折、将がアルバイトする焼鳥屋に入ってきた新人が同じ学校の同級生で、さらには舞の親友だった。 学校とアルバイト先を巻き込んでもつれる彼らの奇妙な三角関係ははたしてーー ⭐︎毎日朝7時に最新話を投稿します。 ⭐︎もしも気に入って頂けたら、ぜひブックマークやいいね、コメントなど頂けるととても励みになります。 ※表紙絵、挿絵はAI作成です。 ※この作品はフィクションであり、作中に登場する人物、団体等は全て架空です。

処理中です...