一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第三十六話 ばあちゃん飯②

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 今日はとにかく、何もうまくいかない。

 そういう日って時々ある。集中力がなくて、普段できることができなくて、とにかく頭が回らない。

 そしてそれは基本的に、テスト前とか課題が山積みの日とかに来る。

「はあ~ぁ」

 何とか授業はうまくこなして、まっすぐ家に帰る。こういう日は寄り道とかをしないに限る。

 今日はもう何もしたくない。でも、模試あるし、多少は勉強しとかないとなあ。

「……あれ?」

 家の前にたどり着いて、ふと違和感を覚える。

 鍵が開いている。

「締め忘れ? いやでも……あー」

 しかし、回らない頭で必死に考えた結果、ある結論に至ったのでとりあえずスマホを見る。うん、やっぱりそうだ。俺はいつも通り扉を開く。玄関には見慣れた靴が一足、きちんとそろえられていた。

「あら、お帰りなさい」

 ひょっこりと姿を現したのは、ばあちゃんだった。ばあちゃんはうちの鍵を持っているから、たまにこうやって俺が学校に行っている間にうちに来ていることがある。そういう時はちゃんと俺のスマホに連絡をくれている。

「ただいま」

「暑い中お疲れ様」

 居間はとても涼しく、うめずもソファでぐーすか眠っていた。気持ちよさそうだな、お前。

「お茶は?」

「いる」

 ばあちゃんから麦茶を受け取って一口飲む。猛暑の中から帰ってきて飲む麦茶ってどうしてこうもおいしいのか。

「早く着替えてきなさい。汗かいたでしょ」

「んー」

「風邪ひくよ」

 言われるがままに着替え、とりあえず勉強机に向かってみる。

 やるべきことは、まあ、ある。課題とか予習とかじゃなくて、いわゆる試験勉強というやつだ。

「う~……」

 しかしまあ、やる気にならない。体を動かすどころか、教科書を取り出す気力もない。このまま寝てしまいたいが、頭は妙にさえているので、眠れそうにもない。

 夏バテだろうか。心なしか食欲もないような気がする。

 このままでいてもらちが明かないので、とりあえず再び居間に移動する。

 台所ではちょうど、ばあちゃんがエプロンをはめていて、どうやら今から料理するらしかった。

「どうしたの。ずいぶんくたびれてるね」

「なんか、やる気でない……」

 ソファはうめずが占領している。いつもであればうめずをちょっと横に押しやってでも横になるのだが、今日はそんな元気もない。俺はダイニングテーブルの自分の席に座って、テーブルにうなだれ、視線だけ台所に向ける。

「今日は何作るの」

「さて、なんでしょう」

 ばあちゃんは手際よく調理を始めていく。

 まず聞こえてきたのはゴロンゴロンという大きな音と水を流す音。なんか洗うらしい。

 水の音が止まったら、しゃりしゃりと皮をむくような音が聞こえてきた。そして、トン、トン、と規則正しく食材を切っていく音。セミの鳴き声は遠く、クーラーの音と包丁がまな板と触れる音が耳に心地いい。

 コンロに火をつける音がして、次いで、ジュワッと水と油がはじける音がする。しばらくジャッジャッと何かを炒めていたら、じゅわあっという音とともに甘辛い香りが漂ってきた。

「いいにおいがする」

「ふふ」

 何の香りだろう。砂糖とか、醤油とか……なじみのある香りだ。

 砂糖と醤油を使う料理は星の数ほどある……と思う。和食では定番というか、おなじみというか。

 なんか、飯のことばっかり考えてたら、腹減ってきた。

 すると今度は炒める音が小さくなった。水でも入れたのかな。

「煮物?」

「そう、ジャガイモを使った煮物」

「……肉じゃが?」

 俺がそうつぶやくと、ばあちゃんは「正解!」と笑った。

「もう一品作るよ」

 肉じゃがの鍋はふたをされ、じっくりと煮込まれている。

 もう一品は豚肉を使うらしい。今度はニンニクとショウガの香りがしてきた。

「この匂いはもしかして……」

 少し上体を起こし、台所をのぞき込む。

 味付けされた豚肉は片栗粉の衣をまとい、コンロには油の注がれたフライパンが準備されている。

 豚肉が油の中に入ると、白くふわっとした衣が浮き上がる。カラッと揚がったものから、キッチンペーパーをひいた皿にあげられていく。

「はい、一つ味見」

 キッチンペーパーにくるまれて渡されたのは、揚げたての肉の天ぷらだ。

「やけどしないようにね」

「……いただきます」

 衣はまずふわっとして、歯を入れるとザクっといい食感がする。濃い目の味付けは醤油とニンニク、そしてショウガだ。香ばしくておいしい。

 鶏のからあげとは違って肉は薄いが、ジューシーさは負けない。いったいどこにそんな肉汁を蓄えているのだか。

「はい、できた。肉じゃがも食べてみて~」

 すっかり茶色く色づいたジャガイモに、つやのあるニンジン。肉は牛肉じゃないか。白滝もちゃんと入っている。玉ねぎもくったり、いい具合に煮込まれている。

 ほくっとしたジャガイモは、表面の少しとろけたところもおいしい。わざわざ削って食べたくなるほどだ。ニンジンも醤油の味が染みていて、甘みもあっておいしい。牛肉は久しぶりだ。脂身の部分もいい味が出ている。玉ねぎはしっかり甘い。少し残った歯ごたえがまたいい。

「おいしい」

「ご飯、いる?」

「いる」

 さっきまで、まるで胃袋の動きが止まったかのようで食欲も何もなかったが、今は思いっきりご飯をかきこみたい。

 肉の天ぷらはその濃い目の味付けでご飯が進む。

 肉じゃがはもちろん、具材もおかずになるのだが、俺は汁をかけて食うのが好きだ。溶けたジャガイモと、かすかに感じるニンジンの甘味、そして牛肉のうま味をひたひたにご飯にかける。まばらにある玉ねぎもまたいい。

 あっという間にどんぶり飯を完食してしまう。

「いい食べっぷり」

 おかわりをしたご飯をかきこむ様子を見ていたばあちゃんがそう言って笑った。

 がっつき過ぎたかな。

 うん、でも、なんかちょっとやる気出てきた気がする。やっぱ飯はちゃんと食わないといけないなあ。腹が減っては戦はできぬ、っていうもんな。

 これ食ったら、少しだけ教科書読んでみよう。

 でもその前に少しだけ、昼寝させてもらおうかな。ずいぶん寝ただろうし、うめずに場所を譲ってもらうとしよう。



「ごちそうさまでした」

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