一条春都の料理帖

藤里 侑

文字の大きさ
上 下
31 / 843
日常

第三十一話 メンチカツ

しおりを挟む
 その店には、いつも空いているバットがある。

 アーケードを通り抜けた先、左右とまっすぐ、三つに分かれた道をまっすぐに行く。右に行けば、駄菓子屋とお寺があって、左手には大きな石鳥居がある。

 まっすぐ進んだ先は細い道になっている。民家や空き家が連なっており、ひとけもなくてとても静かだ。その並びに、目当ての店はある。

 ずっと昔からある、老舗の肉屋だ。店先にはショーケースがあって、年代物らしいが、清潔に手入れされている。

「いらっしゃいませ」

 店主は何代目だろうか。愛想のいい笑みを浮かべた高齢のご婦人だ。

 牛肉、豚肉、鶏肉と結構な種類が売られている。中にはスーパーでは見かけないような珍しい部位も。ちょっと値は張るが、物はいい。頼めばいろいろ仕入れてくれるらしいけど、いったいどんなルート使ってんだろ……。

 精肉だけではなく、お惣菜も売られている。から揚げ、コロッケ、ハンバーグ……ハンバーグは焼いてあるのと焼く前のと二種類ある。

 それらはいつも売り切れるたびに追加補充されているのだが、その中でたった一つ、一度もお目にかかったことのない商品がある。

 いつやってきてもそのバットは空で、今日一日何もなかったのではないかと疑ってしまうが、わずかなパン粉だけが残されていて、確かにそこに何かが存在したことが見て取れる。

 そこにある値札には『メンチカツ』と手書きで書かれていた。

「あ、今日もない」

「ごめんねえ、夕方はもう売り切れちゃってるの」

 俺のつぶやきに店主が眉を下げる。

「人気なんですね」

「揚げていると結構においがするから、すぐお客さんが来るのよ」

「いつ揚げているんですか?」

「朝と、お昼にね」

 数もそんなに多くないの、と店主は付け加える。

 そっか、朝とお昼か。じゃあ今度は学校の帰りに行ってみようかな。そんなすぐに売り切れるほど人気なら、ちょっと一回食べてみたい。

「じゃあ、その時を狙ってきます」

「ええ、ええ。いらっしゃい」

「今日は……」

 結局俺はハンバーグを買った。もうすでに焼いてあるので、温めるだけでいい。味付けは塩コショウだけされてあるので、デミグラスソースで煮るなり、トマトソースをかけるなり自由だ。俺は、醤油をかけて食べる。

 精肉は確かに物がいい分ちょっとお高いが、総菜は逆にリーズナブルだ。だからといって味が悪いわけではなく、丁寧に仕込みがされているのでおいしい。

 ……でもやっぱ、メンチカツ食べてみたいなあ。



「おーい、春都。帰ろうぜ~」

 その声に俺は思わず眉間にしわが寄った。

 今日は授業が終わったらすぐに例のメンチカツを買いに行こうと思っていたのだが、あいにく最後の授業が長引いた。

 いや、長引く分はいいが、長引いたら咲良が教室に迎えに来て一緒に帰る確率が上がる。

 そしたら案の定だ。咲良は、夏休みになっていつにもまして軽そうなカバンを肩にかけ、両手をポケットに突っこんだまま俺の席に近寄ってきた。

「なんだよその顔」

「別に」

「あっ、さては俺が迎えに来てうれしいんだろ」

「お前はもうちょっと読解力をつけるべきだ」

「俺こないだ国語の成績べらぼうによかったんだぜ」

 じゃあ何で理系にいるんだ。

 いや、いかん。

「こんな不毛な会話をしている場合じゃない」

「不毛て」

 仕方がないので俺は咲良と連れ立って帰ることにした。

「なんか用事でもあんの?」

「ある」

「何?」

「売り切れ必至のメンチカツを買いに行く」

 また飯のことかよ、と笑われるかと思ったら、以外にも咲良は真剣な表情をしていた。

「え、何それ。俺も食いたい」

「……おごってやらんぞ」

「さすがの俺でも何の脈絡もなくおごれとは言わねえよ!」

 いや、こいつのことだから言い出しかねない。

 でもまあ、今回は自分で払うつもりらしいから、一緒に行ってもいいだろう。

「店はどこ?」

「こっち。あんま人通りないとこだから」

 学校から行くなら、鳥居の方から行った方が早い。じりじりと肌を焼く太陽の下、俺たちは気持ち足早に店へ向かう。

「ん……」

 鳥居を抜けると、何やら香ばしいにおいが鼻をかすめた。

「なんかいいにおいするんだけど」

「これは……」

 店先に行くと、まだ人影はない。

 はやる気持ちを抑えてショーケースの中をのぞき込む。いつも空のバット。しかし今日はそこに、こんがりきつね色のメンチカツが整列していた。

「あら、いらっしゃいませ。今日はお友達と一緒なの?」

 その言葉に視線を上げると、店主がニコッと笑って立っていた。

「ちょうど今揚がったところよ」

「あ、それじゃあ、二個……いや、三個ください」

「俺も~三個お願いします」

 店主は笑うと「三個ずつね」と言って、袋に詰めてくれた。

 今、一個食べよう。そうしよう。

「春都なんかそわそわしてんな」

 咲良がにやつきながら指摘するので、俺はハッとして一つ深呼吸をする。

「うるせえ」

「否定はしないんだな」

「はい、お待たせ~」

 渡された紙袋は熱い。「冷めてもおいしいわよ」と店主は教えてくれた。

 俺たちは代金を支払うと、日差しを避けるようにしてアーケードに向かった。

「いただきます」

 紙袋の中から一つ取り出す。待ちに待ったそれはずしっと重く、熱々で、結構大きかった。

 やけどしないように気を付けながら思いっきりかぶりつく。ジュワッと肉汁があふれ出し、噛むほどに肉の味が染み出してくる。

 みじん切りされた玉ねぎも程よく、甘みと食感がいいアクセントになっている。味付けも濃い目なのでソースとかはいらない。

「にしても、いいよなー、春都は」

「何がだ?」

 隣で同じようにメンチカツをほおばる咲良が言う。

「こうやって好きな時に好きなもん食えるって」

 その言葉に俺は少し考えこんでしまう。

 まあ、確かに、自由に飯が食えるのはいいことかもしれない。そして俺も、それを楽しんでいる。けれど。

「……誰かが飯を作ってくれるってのは、思ってる以上に幸せなことだぞ」

 咲良はその後、少し沈黙して「そうだな」とだけつぶやいた。

「うまいな」

「ん、うまい」

 残りは晩飯にしよう。ちょっとソースとかもかけて食べてみたい。

 単体でも十分おいしいが、これ絶対ご飯に合うぞ。



「ごちそうさまでした」

しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします

希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。 国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。 隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。 「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」

私の部屋で兄と不倫相手の女が寝ていた。

ほったげな
恋愛
私が家に帰ってきたら、私の部屋のベッドで兄と不倫相手の女が寝ていた。私は不倫の証拠を見つけ、両親と兄嫁に話すと…?!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

(完結)私より妹を優先する夫

青空一夏
恋愛
私はキャロル・トゥー。トゥー伯爵との間に3歳の娘がいる。私達は愛し合っていたし、子煩悩の夫とはずっと幸せが続く、そう思っていた。 ところが、夫の妹が離婚して同じく3歳の息子を連れて出戻ってきてから夫は変わってしまった。 ショートショートですが、途中タグの追加や変更がある場合があります。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

処理中です...