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日常
第十九話 うどん
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どこか浮ついた空気の放課後。俺は二年一組の教室に向かっていた。ポップコンテストで一番になったやつに会うためである。トップスリーには特別な景品――といっても雑誌の付録なのだが――が準備されているので、それを受け取りに来てもらわなければならないのだ。
たまたま今日が俺のカウンター当番の日で、昼休みに漆原先生から頼まれていたのだ。
俺、よそのクラスに行くの、あんまり好きじゃないんだよな。知り合いが多いわけでもないし。あと、声をかけようにもなぜか逃げられて誰もつかまんないし。
やっとのことで声をかけられたのは、教室について五分ぐらいしたころだった。
「なあ、百瀬ってやついるか?」
「百瀬?」
廊下に出てきたばかりだった相手は、教室を再びのぞき込むと「あー」とつぶやいた。
「今日水曜だっけ?」
唐突に尋ねられ少し混乱するが、相手は至極当然というように話を続けた。
「あいつ、部活行ってるわ。水曜は特に早く行くみたいで、チャイムと同時に姿消す」
「マジか」
「美術部みたいだし、美術室にいるんじゃねーの?」
俺は相手に礼を言うと、あまりなじみのない美術室へと向かった。一年の頃の学校案内の時以来、行った記憶がない。
百瀬ってやつは美術部だったのか。道理で絵がうまいはずだ。提出されたポップの中でも目を引いたもんな。
美術室付近はひとけが無くて、不気味なぐらい静まり返っていた。遠くに聞こえるざわめきが、余計にそれを際立たせる。
一つしかないドアは解放されている。俺はそーっと足を踏み入れた。絵具のにおいだろうか、独特のにおいが鼻をかすめる。
柔らかくなった午後の日差しが差し込み、薄く開けられた窓からは生ぬるい風が入ってきていて、絵具なんかで色がついたクリーム色のカーテンが揺れていた。
美術部は結構人数がいると聞いていたが、今、ここには一人しかいないみたいだった。
木製の丸椅子に座るその体は小柄で、中学生に見えないこともない。元気よく飛び跳ねた髪とアーモンド形の瞳は光に当たると赤にも見えた。たぶん、こいつが百瀬だろう。よっぽど集中しているのか俺が入ってきたことに気づいていない。一心不乱にスケッチブックに何かを描いている。
「あのー……」
そいつはぴたりと手を止めると、やっと俺の方を向いた。
「百瀬? か?」
俺が聞くと、目の前のそいつは一瞬ぽかんとした。あれ、違ったか?
そう思った矢先、そいつは屈託なく満面の笑みを浮かべた。
「……おう! 百瀬優太だ! お前は?」
「俺は一条春都」
「一条か!」
百瀬につられて俺もフルネームで答えると、百瀬は勢いよく立ち上がった。何だこいつ。美術部っていうより、運動部っぽいじゃねえか。
「で? 俺に用か?」
「ああ。お前、ポップコンテストの景品、取りに来てないだろ。図書館に来てほしいんだけど」
「ポップコンテスト……」
するとまた百瀬はきょとんとした。表情筋が忙しいやつだ。
「ほら、文化祭の」
「あー! あれな! 出したわ!」
いやー、うっかり! と、百瀬は頭をかいた。
「俺、描くことしか考えてなかったからなー。だめだなー、俺。昔からこんなでよく怒られるんだよー。今から行く!」
そう言うや否や、百瀬は片づけを済ませる。二人そろって廊下に出ると、百瀬は扉に鍵をかけた。
「いいのか?」
「何が?」
「鍵。他の部員は……」
「あー。今日は美術部休みだから」
「え、そうなのか」
「美術部は毎週水曜が休みなんだ。だから俺、水曜日だけここ借りてんの」
「ふうん……?」
見れば、背負ったリュックも学校指定のカバンも絵具がついている。よっぽど絵を描くのが好きなのだろう。
にしても、水曜日だけ借りてるって、こいつ美術部じゃないのか? いろいろ気になったが聞くタイミングを逃してしまった。
図書館につくと、百瀬は入ってすぐの所に設置されている『今月のおすすめ』の本棚に向かった。そこには古今東西のお菓子に関する本がずらりと並んでいて、百瀬のポップもそこに飾られていた。
しかし百瀬は自分のポップに目もくれず、洋菓子の分厚い本を手に取って食い入るように読み始めた。
「先生、連れてきました」
「やあ一条君。ご苦労」
書架整理をしていた漆原先生が俺と百瀬のもとにやってくる。
「君が百瀬君か」
先生に声をかけられておもむろに百瀬は顔を上げる。そして沈黙。
「……ん?」
俺も先生もその謎の間に口をつぐむしかなかったが、百瀬は、ハッとして図鑑を閉じた。
「はい! 俺、百瀬優太です!」
「うん、元気なのはいいが、図書館では静かにな」
「すんません!」
百瀬は景品を受け取りにあの部屋に向かい、俺は荷物をカウンターの所に置くと先生が中断していた書架整理をすることにした。
結局あの後、百瀬は「じゃ、やりたいことあるんで帰ります!」と言ってあっという間に帰っていった。嵐みたいなやつだったな。
「……今日は消化にいいものが食べたい」
ということで、今日の晩飯はうどんにする。母さんから送られてきた荷物の中にあったものだ。ただまあ、かけうどんでは味気ないので帰りにスーパーで買った海老天を二本のせる。半額になっていたからできる贅沢だ。普通の値段だったらまず買わない。
うどんはくたくたにゆでるのが好きだ。こしはあまりない方がいい。出汁は付属のやつを使う。麺を入れておいたどんぶりに、麺をゆでた鍋とは別の鍋で温めておいた、透き通った出汁を注ぎ入れると、かつお節とか昆布のいい香りが立ち上った。
切っておいたネギを入れ、慎重に海老天をのせる。じわっとあぶらが表面に滲み出した。
「いただきます」
まずは麺だけで。いい感じにゆでられたみたいだ。箸で少し力を加えただけで麺が切れる。出汁もいい味で、じわーっとおなかに心地よく温かさが広がっていく。
そして、大事な大事な海老天。決して身がでかいとはいえないが、今はそれが逆に良い。衣にも海老の味が染みているので鼻に抜ける風味はすごい。しなっとした衣と控えめにプリッとした海老。噛めば味が出る。
一味を入れてもいい。ピリッと味が締まる。
「落ち着くな……」
それにしてもずいぶん気温も上がってきたものだ。温かいものを食べると汗が流れるようになった。あとでまた着替えないといけない。そういやこないだセミが鳴いていたような。
あ、そうだ。暑くなったら冷たいうどんもいいな。こしがないうどんが好きだが、だからといって、こしのあるうどんが嫌いなわけじゃない。おろしうどんや釜玉うどんはある程度こしがあってもおいしい。ざるうどんもいいな。
さあ、本格的な夏が来る。どんな飯を食おうかな。
「ごちそうさまでした」
たまたま今日が俺のカウンター当番の日で、昼休みに漆原先生から頼まれていたのだ。
俺、よそのクラスに行くの、あんまり好きじゃないんだよな。知り合いが多いわけでもないし。あと、声をかけようにもなぜか逃げられて誰もつかまんないし。
やっとのことで声をかけられたのは、教室について五分ぐらいしたころだった。
「なあ、百瀬ってやついるか?」
「百瀬?」
廊下に出てきたばかりだった相手は、教室を再びのぞき込むと「あー」とつぶやいた。
「今日水曜だっけ?」
唐突に尋ねられ少し混乱するが、相手は至極当然というように話を続けた。
「あいつ、部活行ってるわ。水曜は特に早く行くみたいで、チャイムと同時に姿消す」
「マジか」
「美術部みたいだし、美術室にいるんじゃねーの?」
俺は相手に礼を言うと、あまりなじみのない美術室へと向かった。一年の頃の学校案内の時以来、行った記憶がない。
百瀬ってやつは美術部だったのか。道理で絵がうまいはずだ。提出されたポップの中でも目を引いたもんな。
美術室付近はひとけが無くて、不気味なぐらい静まり返っていた。遠くに聞こえるざわめきが、余計にそれを際立たせる。
一つしかないドアは解放されている。俺はそーっと足を踏み入れた。絵具のにおいだろうか、独特のにおいが鼻をかすめる。
柔らかくなった午後の日差しが差し込み、薄く開けられた窓からは生ぬるい風が入ってきていて、絵具なんかで色がついたクリーム色のカーテンが揺れていた。
美術部は結構人数がいると聞いていたが、今、ここには一人しかいないみたいだった。
木製の丸椅子に座るその体は小柄で、中学生に見えないこともない。元気よく飛び跳ねた髪とアーモンド形の瞳は光に当たると赤にも見えた。たぶん、こいつが百瀬だろう。よっぽど集中しているのか俺が入ってきたことに気づいていない。一心不乱にスケッチブックに何かを描いている。
「あのー……」
そいつはぴたりと手を止めると、やっと俺の方を向いた。
「百瀬? か?」
俺が聞くと、目の前のそいつは一瞬ぽかんとした。あれ、違ったか?
そう思った矢先、そいつは屈託なく満面の笑みを浮かべた。
「……おう! 百瀬優太だ! お前は?」
「俺は一条春都」
「一条か!」
百瀬につられて俺もフルネームで答えると、百瀬は勢いよく立ち上がった。何だこいつ。美術部っていうより、運動部っぽいじゃねえか。
「で? 俺に用か?」
「ああ。お前、ポップコンテストの景品、取りに来てないだろ。図書館に来てほしいんだけど」
「ポップコンテスト……」
するとまた百瀬はきょとんとした。表情筋が忙しいやつだ。
「ほら、文化祭の」
「あー! あれな! 出したわ!」
いやー、うっかり! と、百瀬は頭をかいた。
「俺、描くことしか考えてなかったからなー。だめだなー、俺。昔からこんなでよく怒られるんだよー。今から行く!」
そう言うや否や、百瀬は片づけを済ませる。二人そろって廊下に出ると、百瀬は扉に鍵をかけた。
「いいのか?」
「何が?」
「鍵。他の部員は……」
「あー。今日は美術部休みだから」
「え、そうなのか」
「美術部は毎週水曜が休みなんだ。だから俺、水曜日だけここ借りてんの」
「ふうん……?」
見れば、背負ったリュックも学校指定のカバンも絵具がついている。よっぽど絵を描くのが好きなのだろう。
にしても、水曜日だけ借りてるって、こいつ美術部じゃないのか? いろいろ気になったが聞くタイミングを逃してしまった。
図書館につくと、百瀬は入ってすぐの所に設置されている『今月のおすすめ』の本棚に向かった。そこには古今東西のお菓子に関する本がずらりと並んでいて、百瀬のポップもそこに飾られていた。
しかし百瀬は自分のポップに目もくれず、洋菓子の分厚い本を手に取って食い入るように読み始めた。
「先生、連れてきました」
「やあ一条君。ご苦労」
書架整理をしていた漆原先生が俺と百瀬のもとにやってくる。
「君が百瀬君か」
先生に声をかけられておもむろに百瀬は顔を上げる。そして沈黙。
「……ん?」
俺も先生もその謎の間に口をつぐむしかなかったが、百瀬は、ハッとして図鑑を閉じた。
「はい! 俺、百瀬優太です!」
「うん、元気なのはいいが、図書館では静かにな」
「すんません!」
百瀬は景品を受け取りにあの部屋に向かい、俺は荷物をカウンターの所に置くと先生が中断していた書架整理をすることにした。
結局あの後、百瀬は「じゃ、やりたいことあるんで帰ります!」と言ってあっという間に帰っていった。嵐みたいなやつだったな。
「……今日は消化にいいものが食べたい」
ということで、今日の晩飯はうどんにする。母さんから送られてきた荷物の中にあったものだ。ただまあ、かけうどんでは味気ないので帰りにスーパーで買った海老天を二本のせる。半額になっていたからできる贅沢だ。普通の値段だったらまず買わない。
うどんはくたくたにゆでるのが好きだ。こしはあまりない方がいい。出汁は付属のやつを使う。麺を入れておいたどんぶりに、麺をゆでた鍋とは別の鍋で温めておいた、透き通った出汁を注ぎ入れると、かつお節とか昆布のいい香りが立ち上った。
切っておいたネギを入れ、慎重に海老天をのせる。じわっとあぶらが表面に滲み出した。
「いただきます」
まずは麺だけで。いい感じにゆでられたみたいだ。箸で少し力を加えただけで麺が切れる。出汁もいい味で、じわーっとおなかに心地よく温かさが広がっていく。
そして、大事な大事な海老天。決して身がでかいとはいえないが、今はそれが逆に良い。衣にも海老の味が染みているので鼻に抜ける風味はすごい。しなっとした衣と控えめにプリッとした海老。噛めば味が出る。
一味を入れてもいい。ピリッと味が締まる。
「落ち着くな……」
それにしてもずいぶん気温も上がってきたものだ。温かいものを食べると汗が流れるようになった。あとでまた着替えないといけない。そういやこないだセミが鳴いていたような。
あ、そうだ。暑くなったら冷たいうどんもいいな。こしがないうどんが好きだが、だからといって、こしのあるうどんが嫌いなわけじゃない。おろしうどんや釜玉うどんはある程度こしがあってもおいしい。ざるうどんもいいな。
さあ、本格的な夏が来る。どんな飯を食おうかな。
「ごちそうさまでした」
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