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日常
第十話 インスタントラーメン
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「なーんもやる気が出らん。これが五月病というやつかー」
「図書館では静かにしてください、先生」
先生はカウンターの後ろの、事務机が置かれた小部屋でうなだれていた。ドアが開け放たれたその部屋には最近入ってきた本が箱に入ったままになっていたり、まだ付録を抜いていない雑誌が積み重なっていたりしていた。
五月晴れとは程遠い、どんよりと曇った今日みたいな天気では、確かにやる気も出ないか。今日も一日、というか最近はこんな天気ばかりだ。
「なんだ、つれんなあ。井上君は一緒にだらけてくれたぞ」
「あいつと一緒にしないでください。俺はちゃんと仕事をします」
「勤勉で結構」
とはいえ、俺もあまり本調子ではない。なんとなく集中力にかけるというか、何をするにも億劫だ。そして俺にとって何が由々しき事態かといえば、そう。
飯を作るのですら億劫なのだ。
しかし腹は減るし何も食べないわけにもいかないので、出来合いのものを買ってきたり、卵かけごはんで済ませたりしている。
特に週の半ばにもなると疲れもあって余計にしんどい。今日も晩飯どうしようか。
「さて、俺も仕事をせねばなあ。ところで一条君や」
「何です」
「メガネの男が来たら、俺は今忙しいと言ってくれないか」
唐突になんだ。カウンターで配布プリントを片付けながら、俺は思わず先生の方を見る。先生は部屋の奥の方に行って、こそこそ何かをしていた。
「……何してるんです」
「仕事だよ。雑誌の付録抜き」
どうやらどうにかして隠れたいらしい。でも、どう頑張ってもいつかは見つかると思うんだよなあ。
「メガネの男はやたらと仕事をせかしてくるんだ。どうかこの俺を守ってくれたまえ」
「いや、それにしても言い訳が雑過ぎでしょう。ていうか仕事なら堂々とやればいいじゃないですか」
「堂々とやっていたら仕事が遅れているのがばれるだろう。大丈夫だ。奴は単純だから、信じて引き返すさ」
「大体、メガネの男って、この学校にメガネかけた奴らがどれだけいると……」
と、その時、ガラリッと勢いよく扉が開いた。静寂を痛烈に破るその音に俺は反射的にそちらを振り返った。そして、そこに立っている人物を見て思わず唇をかんだ。
メガネの男だ。
銀縁眼鏡で、きっちりとワイシャツを着こなしている。髪は一般的な短さで黒く、要するに真面目そうな人だ。先生とは正反対というか、先生が飄々としていると形容されるなら、この人は堅物そうだと形容されるだろう。
その男は図書館の中をぐるりと見まわすと、最終的に俺の方に視線を向けた。
「君、漆原先生を知らないか」
しゃべり方も声も、なんか真面目って感じがする。
そして、こういうタイプの人に嘘をついてもすぐ見抜かれるだろうということも分かった。
「います。こっちです」
俺が小部屋を指さすと、奥で「げっ」という小さな声が聞こえた。
「ありがとう」
にこりともクスリともしない人だ。その男はつかつかとまっすぐ小部屋に入り、迷うことなく奥に向かった。
「おい、仕事はしているか。漆原」
「はあ~あ、なんだ、石上。ちゃんと働いているだろう」
「きりきり働け、きりきり」
石上と呼ばれたその人は、腰に手を置いて先生を見下ろした。この二人、いったいどういう関係性なのだろうか。
「見張りに来たか」
「確認だ。お前の手は遅い」
「無茶言うな。ちゃんと考えてやってる」
「そう言って昔から泣きを見ているだろうが」
怒涛のように繰り広げられる言葉の応酬にぽかんとしていると、二人ともこちらを向いた。
「あ、えっと」
「ああ、そうだ。石上、この少年が一条君だよ」
あからさまに話を逸らす先生に石上さんは一瞬ムッとしたが、あきらめたようにその話にのった。おい、俺を巻き込むな。アイコンタクトしてくんな。
「料理が上手だと言っていた、件の彼か」
「まだ食べたことはないがね」
「生徒に飯をせびるな」
ていうか大の大人が二人してなんで俺の話をしているんだ。
「で、こっちのは石上。俺の幼馴染で、この学校の事務職員だ」
「腐れ縁の間違いだろう」
石上さん――いや、石上先生は即座にそう言うと、俺の方を向いた。
「一条君。こいつ、いつも迷惑をかけているだろう。何か気に入らないことがあったらすぐに自分に言ってくれ」
石上先生は確かに真面目なのだろうが、いわゆる優等生タイプではないのだろう。なんていうか顔に出やすいというか、はっきりものを言う人だ。
「あ、はい。だいぶ慣れましたけど、ぜひそうさせていただきます」
「ひどいな君たち」
漆原先生はそう言いながらも、あっけらかんと笑っていた。
しかし、初対面の人に会うとこうも疲れるか。もともと別に社交的でもないから、大して話さなくてもどっと疲れる。今日は買い物に行く気力もない。
「どうしようかなあ……卵まだあったっけ……」
重い足を何とか動かし階段を上る。すると家の前に人影があるのを見つけた。どうやら宅配便らしいが、抱えた段ボールがでかい。
サインをして受け取る。妙に重い。送り主を確認すると、そこには母さんの名前が書かれていた。
開けてみれば、大量のインスタントラーメンと数種類の野菜が詰め込まれていた。インスタントラーメンの種類はいくつかあるらしかった。
そして同梱されていた一筆箋には「インスタントでもいいからちゃんと食べなさい」と一言だけ。
こういう時親は怖いというか、すげえなと思う。直接会っていたり話したりしたわけじゃないのに、的確にこちらのことを理解している。
「……食うかー」
インスタントラーメンぐらいなら作れそうだ。袋麺とカップ麺の二種類あるが、今日はカップ麺の方にしよう。そうだな、塩にするか。
電気ケトルでお湯を沸かしている間に、かやくの準備をする。といってもスープの粉を先に入れるだけで、後は乾燥したネギとゴマを後のせする感じだ。
いやまあ、カップ麺ぐらい買い置きしておけばよかったのだが、なぜかその選択肢が思い浮かばなかった。疲れを溜めるって、やっぱだめだな。
お湯が沸けたら内側の先まで注ぐ。そして、三分待つ。人によっては長く待ったり、逆に短い時間で食べ始めたりと色々らしいが、俺は時間通りに待つ。だってそれが一番おいしいからそう書いてあるんだろうし。
カップラーメンが出来上がるまでの三分間って、なんとなく長く感じる。うめずのご飯を準備して、椅子に座り、ぼーっと時計を見る。秒針の音はこんなに響いていただろうか。
三分経ったのでふたを開ける。やたらと熱い湯気が上がり、出汁っぽい香りが鼻をくすぐった。
「いただきます」
麺をほぐしてネギとゴマを入れる。具はほとんどないに等しいがこれがいい。
少し縮れ、薄く黄色い麺をすすると、ゴマの風味が際立ってスープの味とよく合う。ネギはほとんど風味を失っているようで、なんとなく存在感がある。なんだか久しぶりにあったかい食事を口にしたような気がする。カップ麺ってこんなにおいしかったっけ。
余ったスープももったいない。俺の場合、ここにご飯を入れる。スープがまだあったかいので冷ご飯でも可だ。スプーンで食べるのが望ましい。
「うまいなあ……」
今度は袋麺にしようかな。味噌ラーメンに野菜炒めとか、醤油ラーメンにメンマとか。それならゆで卵もいるなあ。でもやっぱりラーメンつったら豚骨だよな。ネギと、チャーシューと。きくらげも好きだ。紅ショウガも忘れちゃいけない。高菜は……おいしいの売ってっかなあ。あ、味玉でも作ってみるか。
なんかちょっとだけ、料理が楽しみになってきた。よしよし、これでこそ俺だな。
「ごちそうさまでした」
「図書館では静かにしてください、先生」
先生はカウンターの後ろの、事務机が置かれた小部屋でうなだれていた。ドアが開け放たれたその部屋には最近入ってきた本が箱に入ったままになっていたり、まだ付録を抜いていない雑誌が積み重なっていたりしていた。
五月晴れとは程遠い、どんよりと曇った今日みたいな天気では、確かにやる気も出ないか。今日も一日、というか最近はこんな天気ばかりだ。
「なんだ、つれんなあ。井上君は一緒にだらけてくれたぞ」
「あいつと一緒にしないでください。俺はちゃんと仕事をします」
「勤勉で結構」
とはいえ、俺もあまり本調子ではない。なんとなく集中力にかけるというか、何をするにも億劫だ。そして俺にとって何が由々しき事態かといえば、そう。
飯を作るのですら億劫なのだ。
しかし腹は減るし何も食べないわけにもいかないので、出来合いのものを買ってきたり、卵かけごはんで済ませたりしている。
特に週の半ばにもなると疲れもあって余計にしんどい。今日も晩飯どうしようか。
「さて、俺も仕事をせねばなあ。ところで一条君や」
「何です」
「メガネの男が来たら、俺は今忙しいと言ってくれないか」
唐突になんだ。カウンターで配布プリントを片付けながら、俺は思わず先生の方を見る。先生は部屋の奥の方に行って、こそこそ何かをしていた。
「……何してるんです」
「仕事だよ。雑誌の付録抜き」
どうやらどうにかして隠れたいらしい。でも、どう頑張ってもいつかは見つかると思うんだよなあ。
「メガネの男はやたらと仕事をせかしてくるんだ。どうかこの俺を守ってくれたまえ」
「いや、それにしても言い訳が雑過ぎでしょう。ていうか仕事なら堂々とやればいいじゃないですか」
「堂々とやっていたら仕事が遅れているのがばれるだろう。大丈夫だ。奴は単純だから、信じて引き返すさ」
「大体、メガネの男って、この学校にメガネかけた奴らがどれだけいると……」
と、その時、ガラリッと勢いよく扉が開いた。静寂を痛烈に破るその音に俺は反射的にそちらを振り返った。そして、そこに立っている人物を見て思わず唇をかんだ。
メガネの男だ。
銀縁眼鏡で、きっちりとワイシャツを着こなしている。髪は一般的な短さで黒く、要するに真面目そうな人だ。先生とは正反対というか、先生が飄々としていると形容されるなら、この人は堅物そうだと形容されるだろう。
その男は図書館の中をぐるりと見まわすと、最終的に俺の方に視線を向けた。
「君、漆原先生を知らないか」
しゃべり方も声も、なんか真面目って感じがする。
そして、こういうタイプの人に嘘をついてもすぐ見抜かれるだろうということも分かった。
「います。こっちです」
俺が小部屋を指さすと、奥で「げっ」という小さな声が聞こえた。
「ありがとう」
にこりともクスリともしない人だ。その男はつかつかとまっすぐ小部屋に入り、迷うことなく奥に向かった。
「おい、仕事はしているか。漆原」
「はあ~あ、なんだ、石上。ちゃんと働いているだろう」
「きりきり働け、きりきり」
石上と呼ばれたその人は、腰に手を置いて先生を見下ろした。この二人、いったいどういう関係性なのだろうか。
「見張りに来たか」
「確認だ。お前の手は遅い」
「無茶言うな。ちゃんと考えてやってる」
「そう言って昔から泣きを見ているだろうが」
怒涛のように繰り広げられる言葉の応酬にぽかんとしていると、二人ともこちらを向いた。
「あ、えっと」
「ああ、そうだ。石上、この少年が一条君だよ」
あからさまに話を逸らす先生に石上さんは一瞬ムッとしたが、あきらめたようにその話にのった。おい、俺を巻き込むな。アイコンタクトしてくんな。
「料理が上手だと言っていた、件の彼か」
「まだ食べたことはないがね」
「生徒に飯をせびるな」
ていうか大の大人が二人してなんで俺の話をしているんだ。
「で、こっちのは石上。俺の幼馴染で、この学校の事務職員だ」
「腐れ縁の間違いだろう」
石上さん――いや、石上先生は即座にそう言うと、俺の方を向いた。
「一条君。こいつ、いつも迷惑をかけているだろう。何か気に入らないことがあったらすぐに自分に言ってくれ」
石上先生は確かに真面目なのだろうが、いわゆる優等生タイプではないのだろう。なんていうか顔に出やすいというか、はっきりものを言う人だ。
「あ、はい。だいぶ慣れましたけど、ぜひそうさせていただきます」
「ひどいな君たち」
漆原先生はそう言いながらも、あっけらかんと笑っていた。
しかし、初対面の人に会うとこうも疲れるか。もともと別に社交的でもないから、大して話さなくてもどっと疲れる。今日は買い物に行く気力もない。
「どうしようかなあ……卵まだあったっけ……」
重い足を何とか動かし階段を上る。すると家の前に人影があるのを見つけた。どうやら宅配便らしいが、抱えた段ボールがでかい。
サインをして受け取る。妙に重い。送り主を確認すると、そこには母さんの名前が書かれていた。
開けてみれば、大量のインスタントラーメンと数種類の野菜が詰め込まれていた。インスタントラーメンの種類はいくつかあるらしかった。
そして同梱されていた一筆箋には「インスタントでもいいからちゃんと食べなさい」と一言だけ。
こういう時親は怖いというか、すげえなと思う。直接会っていたり話したりしたわけじゃないのに、的確にこちらのことを理解している。
「……食うかー」
インスタントラーメンぐらいなら作れそうだ。袋麺とカップ麺の二種類あるが、今日はカップ麺の方にしよう。そうだな、塩にするか。
電気ケトルでお湯を沸かしている間に、かやくの準備をする。といってもスープの粉を先に入れるだけで、後は乾燥したネギとゴマを後のせする感じだ。
いやまあ、カップ麺ぐらい買い置きしておけばよかったのだが、なぜかその選択肢が思い浮かばなかった。疲れを溜めるって、やっぱだめだな。
お湯が沸けたら内側の先まで注ぐ。そして、三分待つ。人によっては長く待ったり、逆に短い時間で食べ始めたりと色々らしいが、俺は時間通りに待つ。だってそれが一番おいしいからそう書いてあるんだろうし。
カップラーメンが出来上がるまでの三分間って、なんとなく長く感じる。うめずのご飯を準備して、椅子に座り、ぼーっと時計を見る。秒針の音はこんなに響いていただろうか。
三分経ったのでふたを開ける。やたらと熱い湯気が上がり、出汁っぽい香りが鼻をくすぐった。
「いただきます」
麺をほぐしてネギとゴマを入れる。具はほとんどないに等しいがこれがいい。
少し縮れ、薄く黄色い麺をすすると、ゴマの風味が際立ってスープの味とよく合う。ネギはほとんど風味を失っているようで、なんとなく存在感がある。なんだか久しぶりにあったかい食事を口にしたような気がする。カップ麺ってこんなにおいしかったっけ。
余ったスープももったいない。俺の場合、ここにご飯を入れる。スープがまだあったかいので冷ご飯でも可だ。スプーンで食べるのが望ましい。
「うまいなあ……」
今度は袋麺にしようかな。味噌ラーメンに野菜炒めとか、醤油ラーメンにメンマとか。それならゆで卵もいるなあ。でもやっぱりラーメンつったら豚骨だよな。ネギと、チャーシューと。きくらげも好きだ。紅ショウガも忘れちゃいけない。高菜は……おいしいの売ってっかなあ。あ、味玉でも作ってみるか。
なんかちょっとだけ、料理が楽しみになってきた。よしよし、これでこそ俺だな。
「ごちそうさまでした」
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