一条春都の料理帖

藤里 侑

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日常

第九話 弁当

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 夜、月明りに、母さんからもらったしおりをかざしてみる。水色や青、それに黄色と銀色がまるで水底に揺れるガラス玉のようにきらめいて、枕元に置いていた父さんからもらったシャーペンの箱に模様を描いた。

 ちらちらと俺の手の動きに従って揺れる光。それを見ていると、だんだんと眠くなってきた。

「きれーだなあ……」

 そうつぶやいたかも分からないうちに、俺は眠りについた。



 心地よく眠りについたからといって寝起きがいいわけではないし、天気がいいからといって心が晴れやかになるわけではない。

 薄い雲がまばらにたゆたう、透き通るような水色の空。太陽の光はやさしく風も心地よさそうだ。

「あー……学校行きたくねえー」

 こんな日はうめずと散歩に行って、帰ってきたらのんびりアイスでも食いながらゲームするか漫画を読むかに限る。

 まあ、学校行くけどな。

「おはよう」

 テーブルの上には色々なおかずがのった大皿があった。卵焼きにピーマンを炒めたもの、ハム巻き、鶏のから揚げ。全部俺の好物だ。そして、テーブルの隅には紺色の布にきちんと包まれた四角いもの。多分それは、弁当だ。

「おはよう。あ、それお弁当、持ってってね」

「……ありがと」

 今日の朝食はベーコンエッグだった。そしてみそ汁ではなくお吸い物。巻き麩とカットわかめ。白だしの風味がいい。

 母さんがあっちこっち飛び回り始めたのは俺が高校生になってからで、父さんだけが単身赴任みたいな形であちこちに行っていた。それまでの朝食はいつもこんな感じだった。つい最近まで食べていたはずだし、母さんが帰ってきたときには作ってくれているのに、妙に懐かしいというか、目新しい感覚になるのは何だろう。

「うめずー、また今日から春都のことよろしくなあ」

 器にドッグフードを入れに来た父さんにすり寄るうめずに、父さんはのんびりとした口調でそんなことを言っていた。

「俺が世話される側かよ」

「春都はさみしがり屋だからねえ」

 父さんがそう言った時、タイミングよくうめずが「わうっ」と吠えた。それがなんか返事みたいで、父さんも母さんも笑った。

「ほら、うめずもそうだって」

「そんなことないし」

 うめずの方を見ると、嬉しそうに尻尾を振り回しながらドックフードを食べている。なんか毒気を抜かれて、俺も思わず笑ってしまった。



「じゃ、行ってきます」

「忘れ物はない?」

「ん、大丈夫」

 いつも通りの時間に、いつも通り家を出る。そしてカバンの中にはいつもと違う弁当が入っている。

「気を付けて行ってらっしゃい」

「父さんと母さんも、気を付けて」

 階段を降りる、だいぶくたびれたバッシュの足音をいつにもまして鮮明に感じる。道に出て振り返ると、父さんと母さんがそろってベランダに出て、手を振って見送っていた。

 二人が帰ってきたときは、毎回こうやって見送ってくれる。父さんが世界中を飛び回る前、俺が小学生だった頃は二人そろって、中学に上がってからは母さんがそうやって見送ってくれていた。もちろん、父さんが帰ってきているときは二人そろってだった。

 中学の時はちょっと恥ずかしいかなと思っていたけど、今はちょっとうれしい。

 俺は二人に手を振り返すと、いつもの通学路を急いだ。

「おはよー、春都」

 先生と生徒会が挨拶運動をしている校門を抜けると、後ろから声をかけてくる奴がいた。やけに眠そうなその声の主は、咲良だった。

「おはよう。珍しいな、こんな時間に」

「や、連休中の癖でつい寝坊しちまって。おかげで朝飯食いっぱぐれたわ」

 そう頭をかきながら大あくびをする咲良が、寝起きの犬みたいでちょっとおかしい。

「まー、コンビニでいろいろ買ってきたし、朝課外終わったら食うかな……」

「……どうした?」

 咲良は分かりやすいやつのようでいて、たまに何を考えて行動しているのか分からないやつでもある。現に今も俺のことをじっと見て「んん~?」などと首をかしげている。

「なんだ、気持ち悪い。言いたいことがあるならはっきり言え」

「いや、なんかお前、いつもと違うなーと思って。……髪切った?」

「切ってねえ」

「だよなあ」

 一体こいつは何なんだ。連休明けで寝ぼけているのだろうか。いまだに納得のいかない様子で首をひねる咲良だったが、予鈴が鳴り各々の教室へと急いだのだった。



 昼食はさも当然のごとく、咲良に食堂まで連れられて行った。

「あれ、今日はかつ丼じゃないのか」

「今日はカレーの気分」

 大盛りのカレーに申し訳程度のサラダ、俺だったらもうちょっとサラダが欲しいところだが、こいつはあまり野菜が好きではないらしい。

「いただきます」

 弁当のふたを開ける。お、そぼろだ。これは予想外。鶏そぼろと卵そぼろのコントラストがなんだかワクワクする。

「今日の弁当はまた手が込んでるなー」

 カレーをほおばりながら、咲良が弁当をのぞき込んでくる。

「ああ、母さんが作ってくれたから」

「帰ってきてたんだ」

 箸ではつかみづらいそぼろは、鶏の方は甘辛く味付けされているので卵と一緒に食べるのがいい。から揚げも俺が作ったのとは味付けが違う。入れているものは一緒のはずだが、なんか優しい感じだ。ハム巻きの中身はマヨネーズとキュウリというシンプルなものだが、これこそが俺にとってのハム巻きだ。シャキッとしたキュウリのみずみずしさと、それによってちょっと薄くなったマヨネーズ、それを補うようなハムのしょっぱさがおいしい。

 そして何より卵焼き。小さいころから弁当には必ず入っているこれ。やっぱり自分が作るのとは違う。甘くて、安心する味だ。

「あ、分かった」

 おもむろに咲良が声を上げた。

「何だ」

 なんとなく視線を感じていた俺は抗議の意味も込めてそう聞くが、咲良の方はあっけらかんとした様子で手を打った。

「朝、なんかいつもと違うと思ったけど、それか」

「だから何だ」

「あれ? もしかして無自覚?」

 何だ、にやにやして。変な奴だな。

「お前さ、母さんに弁当作ってもらったっていう日は、上機嫌なんだよな」

「……だったらなんだ」

 そりゃ、上機嫌にもなる。やっぱどうあがいても、母さんの弁当には勝てないんだ。

「ま、分からんでもないけどな」

「そーかよ」

 多分、これから先も勝てないんだろうなと思う。勝つ気もないけど。そんなことを考えながら、甘い卵焼きを口に入れる。

ああ、うん。もう勝てなくていいや。



「ごちそうさまでした」

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