フルン・ダークの料理人

藤里 侑

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第10話 夢のコース料理

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 咲は、フルン・ダークの厨房にいた。例によって、丸椅子に座っている。
 夢だと分かる夢の中、咲は一人の男を見つけた。先日、夢で見た老齢の男だった。
 男は、静かに料理をしていた。
(……あれは、なんだろう)
 咲は気になって、丸椅子から立ち上がる。
 れんげのような器に、透き通った琥珀色のジュレと、鮮やかな赤色。上にのっているのは、白身魚の類だろうか。シンプルな調味料で和えてあるようだ。
「……きれい」
 咲は思わずつぶやく。男はちらっと咲を見る。
「そう思うか」
「私にも作れますか」
 咲と男は、当然のように会話をする。男は、咲の問いに不思議な答えを返した。
「作ってもらわないといけない」
 男はそう言って、盛り付けを終えた。光に反射して、皿も料理もキラキラと光って見える。男は咲に、その料理を差し出した。
「……食べていい?」
「そのために作ったんだ」
「いただきます」
 一口ですべてを口に含めるように計算されたそれは、本当に美しい料理だった。
 冷たいジュレは口内の温度で柔らかに溶け、まるでスープを味わっている気にもなる。薫り高いコンソメに、ほのかな酸味は、トマトだろうか。爽やかな香りが鼻に抜ける。イカと、鯛、それにホタテを細かく切ってオリーブオイルと塩こしょう、レモン汁で和え、ハーブで香りづけ。
 見た目だけではなく、味も一級品だ。食欲を刺激する、前菜にふさわしい逸品である。
「……おいしい!」
 咲の一言に、男は少しだけ頬を緩めた。
 器を皿にのせ、咲は男に視線をやる。男は咲とまっすぐ向き合うと、低く、よく通る、威厳がありながらも優しい声で言った。
「頼んだぞ」
 やがて、咲はまぶたが重くなるのを感じた。
 夢から覚めるのだ、と咲は少し名残惜しく思いながら、緩やかになってくる不思議な感覚に身をゆだねた。

 目を覚ますと、すっかり見慣れた天井が目に入る。
 昨日、あんな話をしたからこんな夢を見たのだろうか、と思いながら、咲は起き上がる。寝起きだというのに、冴えた頭。咲はさっと身支度を済ませると、厨房へ向かった。
 厨房はしんと静まり返り、男はおろか、アーキーたちもいない。
 咲の瞳は、夜の湖のように穏やかだった。
 夢の記憶をたどりながら、咲は流れるように食材をそろえる。
 普段から作ってあるコンソメスープ。まずはそれを平たく薄い器に入れ、冷蔵庫に入れておく。
 ディナーに使う予定だった新鮮な海鮮類。イカ、鯛、ホタテが都合よくあったので、それらを細かく切り、オリーブオイルと塩こしょうで和える。分量は分からないから、自分の舌の記憶だけを頼りにすり合わせていく。
 レモン汁を気持ちばかり入れ、まんべんなく和えたら、器の用意をする。
 れんげに似た器は、すぐに見つかった。
「固まったかな……」
 丁寧に作られたコンソメは、ゼラチンなどを入れなくてもしっかり固まっている。それを程よく崩し、プチトマトを刻んだものと和える。
 夢で見た通り、器に盛り付ける。

 その頃、アーキーは店の裏口から入ってきたところだった。厨房に明かりが灯っているのを見て、ふっと表情をほころばせる。
 今まで店に明かりをつけるのは自分の役割だった。それも悪くない。喧騒を待ちわびる店内の静けさは心地よいものがある。しかし一方で、さみしさも感じていた。かつての賑わいが遠のいた日々を迎えるのは、ほんの少しだけ苦しかった。
 でも、咲が来てからは、朝やってくると必ず厨房に明かりが灯っていた。温かな明かりが自分の向かう先にあるというのは、かくも心地よいものだったか、と思い出す。
 先代料理長がいた頃はそうだった。料理長は、誰よりも早く店に来て、誰よりも遅く店にいた。
 今は、厨房で待つ咲と、「おはよう」と言葉を交わすのが楽しみだった。
 アーキーは更衣室に向かい、制服に着替える。ソアが来るまでにもう少し時間がある。リツたちが来るのはその後だ。
「さて……」
 更衣室を出て、アーキーは厨房に向かう。
「おはよう、サキ……」
 アーキーは厨房に入るや否や、立ち止まる。
 厨房には、料理に集中する咲がいた。皿と食材に向きあう真剣な目はアーキーを映す隙がない。耳は余計な音を拾わず、神経はただ、料理にだけ注がれている。
 普段、咲は仕込みをしているか、調理器具の手入れをして待っている。だから、料理をしている咲に驚いたというのもあるが、アーキーはまた別のところにも驚いていた。
咲が作っている料理。それは、よく見慣れたもので、懐かしいもので、心底焦がれたもの。
 衝撃。アーキーのすべてが、衝撃に支配された。
「……よし」
 咲が小さくもらした声に、アーキーは我に返る。
「サキ」
 自分でも思ったより低い声が出て、驚く。その声を向けられた咲は体を震わせた。
「あ、お、おはようございます」
 先ほどの鬼気迫る表情はどこへやら、咲はいつも通りの雰囲気をまとい、少しだけ戸惑ったような表情を見せた。
 そして、自分の手元に視線を落とし、小さく息を飲む。
「あ、すみません。勝手に作っちゃって……」
「なぜ」
 アーキーは先ほどより穏やかさを取り戻した、でもどこか焦りを含んだ声で咲に問うた。
「なぜ君が、それを知っている」
「えっ?」
「教えたはずはない。いったいどこで、これを知った」
「どこでって……夢に出てきたんです。それで……」
 咲の返答に、アーキーは深く息をついて落ち着きを取り戻そうと努めた。
そうだ、夢。彼女は夢を見ていたのだ。

 初代料理長と、邂逅する夢を――
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