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第十四章 軽はずみで切ない嘘の果て
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しおりを挟むしばらく、和樹さんが私のアパートに通うようにして交流していた。そして、光樹が一歳を過ぎた頃、私たちは三人で暮らし始めた。
「――光樹、もう寝たよ。日中、たくさん外で遊んだからね。少しお話を読んだらあっという間に夢の中だ」
私がキッチンにいると、リビングダイニングのドアが開いた。
「寝かしつけ、ありがとうございます」
今では寝かしつけもお手のものだ。
『僕が休みの日くらい、ゆっくり風呂に入って、自分に時間を使って』
なんて言って、別々に暮らしていた時も、休日の光樹のお世話は和樹さんがほとんどしてくれていた。和樹さんだって、平日は仕事に追われて疲れているはずなのに。
『光樹といると、癒されるんだ』
って、心から楽しそうにしてくれるから、ついつい和樹さんに甘えてしまう。
「おかげで、ゆっくりお風呂に入れました」
お風呂から出た後、キッチンでお酒の準備をしていた。
一緒に暮らし始めてから一週間後の土曜日。心に決めたことがある。
「それなら、よかった」
ソファに腰掛けた和樹さんから、相変わらずの優しい声が返って来た。
トレーに、準備したスパークリングワインとグラスを二つ載せて、和樹さんの元へと向かう。
「明日はお休みだし、一緒に、飲みませんか?」
緊張から、少し声が掠れた。新聞に目を通していた和樹さんが、僅かに驚いたように顔を上げる。
「君も、飲めるの?」
「はい。一歳になる前に卒乳してしまって……、もう支障はないんです」
私は母乳の出が悪くて、光樹に思う存分飲ませてあげられなかった。
「でも、これまでは一人だし、それに、お酒を飲もうなんて余裕もなかったから。久しぶりに、飲みたいなーなんて……」
不自然に早口になる私に、和樹さんが包み込むように微笑んだ。
「そうか。じゃあ、柚季の久しぶりのアルコールに付き合うよ。これまでの子育ての労いも込めて」
「あ、ありがとうございます……っ」
本当は――お酒なんて特別飲みたいわけじゃない。ただ、和樹さんに近付きたいから。
ストレートに言えば、和樹さんに抱かれたいから。ただの女になって、和樹さんに甘えたいから――。
お酒の力を借りて、そんな雰囲気に持ち込もうとしている、かなり安易な魂胆。実は、和樹さんに再会してから、一度もそういうことをしてないのだ。一緒に暮らすようになった今もなお一度も。キス以上のことをしていない。
『君に軽薄な男だと思われたくない。でも、ずっと会いたかった人と二人きりで我慢できるほど紳士でもない』
なんて言っていたくせに、和樹さんは紳士過ぎるほどに紳士だった。
どうしてなんだろう。
もしかして、子供を産んだ私には、もう女としての役割は求めてない? 光樹の母親としての私がいればいいってこと?
それとも、もう、女としての魅力は感じなくなった――?
いや、確かに自分に自信があった訳ではない。それでも、再会した後も情熱的な言葉やキスはあった。いつだって大切にしてもらっている。
なのに、愛している人に触れて欲しいと思う欲求は、日に日に高まって。一人悶々とした夜を越して来た。そうして、今日、こんな作戦に出ている。
恥ずかしいし怖いけど、でも今日こそは、もっと和樹さんに近付きたいのだ。
「……柚季、そんなとこにいないで、隣においで」
フローリングに膝をつき、頭の中で絶対に表に出せない煩悩に苛まれていると、和樹さんの落ち着いた大人の声が耳に届く。
「ここ」
ぽんぽんと、和樹さんが手のひらで隣を示した。
「は、はい」
ぎこちない動きで隣に座る。同じように入浴を済ませている和樹さんの、きっちりとは整えられていない少し長めの前髪が綺麗な瞳にかかる。その、色気たっぷりな雰囲気に、既に私は心臓ドクドクバクバク状態だ。
以前一緒に暮らしていた時も、そう慣れていたわけでもなかった。そもそも、和樹さんに抱かれたのもたったの一度。それだって、もう相当前のこと。緊張するに決まってる。
邪なことでいっぱいの私に、呆れないで――。
心の中で意味もなく願う。
「じゃあ……乾杯。毎日、お疲れ様」
「和樹さんも」
お互いにスパークリングワインを注ぎ合って、グラスを交わした。綺麗な薄桃色の液体に、白い泡が立ち上る。
「……美味しい」
甘みと苦味と酸味とが口いっぱいに広がって、喉を通って行く。そのあと、身体中に染み渡っていくみたいで、どこか心地いい。
「柚季が選んだの? このワイン、とっても、美味しいよ」
「お酒なんて買ったことないので、不安だったんですけど。お店の説明のカードを読んだりして、決めたんです」
和樹さんが、身体を少しこちらに向けて座り直す。だからだろうか。その眼差しが、急に近くなった気がする。
「失敗しなくて、良かった」
「そんなに、お酒、飲みたかったんだ。言ってくれれば良かったのに」
覗き込むようにして、私の顔を見つめて来るから。その端正な顔を間近にして、また、この心臓は暴れ出す。
「い、今、こうして飲めているので、それで――っ」
グラスに残っていたワインを、一口に飲み干した。少しずつだった広がりが一気に押し寄せて、身体に張り巡らされていた緊張が緩んだ。
「美味しいです」
私を見ている和樹さんに、にこりと笑顔を返すことができた。やっぱり、アルコールに頼る作戦は間違ってない。素のままの私ではダメなのだ。そんな決意が、ワインを摂取する速度を上げて行く。
「飲みやすくて、どんどん飲めちゃうな」
「そんなに急に飲んで、大丈夫?」
長い指が私の頬に伸びて、さらりと触れた。
「ん――大丈夫、です」
その指の感触が、思っていた温度と違ってひんやりとしていたから。ぴくんと肩を上げてしまう。離れて行ったと思った指が、思いもよらずまた戻って来て。今度は手のひらで、私の頬を包むように触れた。
「……顔、もう熱くなってる」
ダメだ――。
そもそもが、邪なところから始まっているから、少し触れられただけで、身体が過剰に反応してしまう。こうなったら、正気を全部手放すレベルで酔うしかない。
「もっと、いただけますか?」
「久しぶりなんだから、無理はダメだよ?」
「凄く気持ちいいので、大丈夫です! 今日は、開放的な気分になれたらなーなんて」
「ん……そうだな。柚季はいつも頑張ってるし、そんな時間も必要だよね。分かった」
少し心配そうな表情をしつつ、和樹さんが私のグラスにワインを注いでくれた。
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