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第十章 君の気持ち
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しおりを挟む以前住んでいたマンションに、一人で来ていた。
月に二、三度は訪れるようにしていた。正式には、今もここに住んでいることになっている。
この住所に届いてしまう郵便物を取り、そして少し掃除をして帰る。家というものは、少し住まなくなるとすぐに痛む。
届いていた郵便物を一つ一つ確認していると、スマホが振動した。ディスプレイに表示されていたのは、貴明からの着信だった。この電話の要件は、一つしかない。
「もしもし」
(吉川だ。久しぶりだな)
本当に久しぶりだ。柚季との結婚式以来だ。
「ああ、久しぶり」
どうしてもこの声が硬くなる。
(おまえに、報告しておきたいことがあって)
無言のまま続きを待つ。
(おまえのお姉さんのことだ。理桜さんと結婚しようと思ってる。何にも話してないのに、突然こんな報告でごめん。もしかして、理桜さんに聞いてたか?)
「いや」
(それにしては、驚かないな)
「ちょうど、父から聞いたんだ」
(そうだったのか。最近なんだよ、理桜さんがオーケーしてくれたの)
「それは、おめでとう」
何をどう言葉にすればいいのかわからなくて、そんな言葉しか出てこなかった。
(おまえさ……ずっと聞かずにいてくれたけど、俺が理桜さんのこと好きだったの、気づいてたろ?)
「……ああ」
今更、嘘をつくのもおかしい気がして肯定する。
(それ、すごく助かってたんだ。完全な片思いだったからな。あんな人、俺なんかが手に入れられるわけないって思ってた。だからさ――)
貴明がふっと息を吐いた。
(あの人の気持ちが俺にないってわかってても、それでも全然構わないって思ってる)
「貴明……」
(だってそうだろう? 伊藤楽器のお嬢様で、その上とんでもなく美人な理桜さん。イケメンでも長身でもない、しがない公務員の俺。自分のことはわきまえているつもりだ。でも、理桜さんが、俺といてくれると言ったから。全力でおまえのお姉さんを幸せにするよ)
そう言って、貴明は電話を切った。
窓際に立ち、眼下の夜景を見る。ネクタイを少し緩め、思わずため息を吐いた。
姉に最後に会ったのは、柚季と再婚する直前だった。会って、最後に話をしたのだ。
『姉さんが貴明と関係を持ったと知ったあと、彼女から離婚を申し出てきたんだ。僕と姉さんの関係が終わったのなら、もう偽装結婚する理由がなくなったと言って』
柚季が姉を裏切ったわけではないと、分からせる必要があった。
『でも、僕が彼女と一緒にいたいと思うようになった。離婚して離れたあと、改めてもう一度結婚してほしいと柚季に言ったんだ。当然、柚季は承諾なんてしてくれなかった。姉さんの気持ちを知っているから』
『和樹は、柚季さんのことが好きなの?』
姉にとって一番聞きたくないであろうこと。でも、もう正直に答えた。
『大学の時に出会って、彼女に惹かれた。その気持ちはないものにしてきたつもりだったけど、そう出来なくなった』
『どうして今更そんなことを言うの……? 私は、和樹のことだけを愛しているのよ? 貴明君のことなんて愛してない!』
『姉さんを傷つけたのに、約束を守れなかった。結局、この12年姉さんの気持ちに応えることができなかった。謝って済むことじゃないとわかってる。でも、どうかわかってくれ。この通りだ』
この先に、姉との未来はないのだとはっきりと分からせる。
『柚季さんは、男の人がだめなんでしょう?』
『わかってる。完全に僕の一方的な想いだ。僕に柚季の気持ちが向いてくれるまで頑張ろうと思う』
姉は涙を流した。自分がどれだけ冷酷なことをしているのかわかっていても、貫き通さなければならない。
『……和樹は、本当に私を捨てられるの?』
これまで、姉が悲しそうな顔をするたび、その悲しみを拭い去ってやりたいと思ってきた。
『ごめん。もう、無理だ』
たとえ、僕のせいでそうさせたのだとしても。どれだけ卑怯なことだとしても、この先の未来のために鬼にもなる。
『姉さんも、本当に愛してくれる人との人生に目を向けてほしい』
それは、僕の願いそのものだった。
――気づけばまた、目の前の夜景に、深く長いため息を吐いていた。
貴明の想いを踏み躙らないでほしい。結婚を決めたのなら、貴明との未来をちゃんと見てほしい――。
そんなことを願ってしまう。
実家にも姉にも、柚季の妊娠のことは話していない。今はまだ知られたくなかった。姉を刺激して、その矛先が柚季に向かうことは避けたい。
だからこうして、住所まで偽装している。万が一、姉が柚季に会おうと押しかけて来ても大丈夫なように。最近、柚季の携帯の番号は変えさせた。でも、何があるか分からない。この先、姉が柚季に絶対に接触しないとは言い切れない。
何が起きても柚季だけを苦しめることはあってはならない。
やはり。正直に柚季に話すべきだ。柚季がどれだけ困惑するとしても、伝えるべきだ。
柚季が『優しくしないでくれ』と言った意味。柚季が若林さんに恋人ができたと、僕に嘘を言った意味。それらは全部、柚季の心の中にある苦しみに通じているはずだ。
僕が本当の気持ちを伝えることで、柚季が抱える姉に対する罪悪感も少しは楽にできるのではないか。若林さんが口にした『男としての責任感』という言葉。柚季も、この結婚の理由をそう理解しているのかもしれない。
いつも何かに怯えているような柚季の顔が浮かぶ。
ちゃんとこの想いを伝えるから。どうか、柚季の心に届いてほしい――。
「――柚季」
帰宅して、すぐに柚季の前に立った。
「おかえりなさい」
どこか、不思議そうに僕の顔を見る。
「柚季に話があるんだ。聞いてくれる?」
「話、ですか?」
「そう。大事な話だ」
柚季をソファに腰掛けさせ、隣に座った。
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