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第十章 君の気持ち
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しおりを挟む「――ただいま」
リビングからの明かりが廊下に漏れている。声は返ってこないが、リビングにはいるのだろう。リビングダイニングに足を踏み入れると、明かりはついているものの静かだった。
風呂にでも入ってるのか――。
鞄をダイニングの椅子に置き、リビングへと向かう。
「……柚季」
ソファの前で足が止まる。そこで、座ったまま柚季が眠ってしまっていた。バスタオルを抱きしめたまま。柚季の横には洗濯物の山があった。畳みながら眠ってしまったのだろうか。妊婦はよく眠くなると本で読んだ。洗濯物の山とは反対側の柚季の隣に、そっと腰掛けた。
眠っているのをいいことに、その顔をじっと見つめる。
ストレートの黒髪が少し頬にかかる。色白の肌に、薄桃色の唇が少しだけ開く。そして、眉間がわずかにしかめられていた。
寝ている時まで、苦しそうなんだな……。
その手にあるバスタオルをそっと抜き取る。そのまま柚季の手を握りしめた。引き寄せられるように唇を重ねようとして止める。その代わりに、柚季の髪に唇を寄せた。
『そんなに、優しくしないでください!』
柚季の叫びが胸に放り込まれる。
君は、僕の気持ちを聞いても、困ったりしない?
“愛している“と言ってもいい――?
どうしても、この手は柚季に触れたくなって、首筋に手のひらを差し入れて頬を包む。こうして寝ている時に勝手に触れると、後ろめたさでいっぱいになる。
心が僕にないのに触れてもいいのか。そんなの良くないとわかっている。でも、一緒に暮らして近くにいれば、耐えきれなくなって触れたくもなる。
でも、指に熱が灯り欲望を纏い始めるとすぐに柚季からその手を離すのだ。
「……和樹、さん?」
柚季の瞼が重そうに開く。
「あ、ああ、今帰ってきたんだ」
「ごめんなさい。うとうとしちゃって……っ」
慌てて姿勢を正すから、柚季の肩を掴んだ。
「いいよ。妊婦さんは、ただ1日を過ごすだけでも大変な負担がかかっているんだって。身体の中で命を育ててるんだもんな。疲れやすくて当然なんだ。そういう時は、身体からの休みたいというSOSだから。絶対に無理しちゃだめだぞ?」
最近の愛読書は、『妊娠期の栄養』と『妊娠出産準備』だ。
「……ふふ」
柚季が突然肩を震わせた。
「何?」
「ううん。ただ、和樹さん、本当に色々知ってるなって思って」
それは、君を愛しているから――。
「……って、ごめん。また、あれこれうるさかったよな」
「い、いえ! そんなことないんです」
柚季が僕の腕を掴んだ。
「本当に、感謝しています」
俯いているからその表情は分からない。
「感謝してるの」
「……うん。わかった」
柚季の顔を覗き込むと、困ったような顔をしていた。
柚季の心にあるものが何なのか。やっぱり知りたいと思う。話してほしいと思う。そのためには、僕自身も心の中にあるものを柚季に伝えなければ、きっと分かりあえない。
翌日、社の内線電話で父親から電話がかかってきた。こうして直接かかってくるということは、社長としてではなく父親としての要件ということだ。
社長室に来るように言われて出向く。
「すまないが、外してくれ」
父が秘書に視線をやる。
「かしこまりました」
頭を下げると、社長秘書は部屋を出て行った。
「お話とは」
「まあ、そこに座って」
父に促されて、革張りのソファに腰掛ける。
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やはり、予想は当たった。無意識のうちに身構える。
「理桜にいい縁談が来ている。三条銀行の頭取の息子さんだ。これがまた、どうして今まで残っていたのかというくらい立派な男なんだ。それに、理桜にかなり惚れ込んでいるらしい。ぜひにと向こうが乗り気だ」
あの容姿だ。一目で心奪われるのも無理はない。姉は、学生の頃から、男にも女にも常に注目されてきた。
「理桜もとうに三十を超えている。何をしているわけでもない。このままでいいわけがないからな。いい話だと思ったんだが……」
父が一つ息を吐いた。
「理桜がこの縁談は受けないと言っている。結婚したい人がいると言い出した。おまえの友人だというじゃないか。吉川貴明。どういう人なんだ?」
「え……?」
学生時代からの親友で、そして、姉が僕を試すように寝た男だ。
「おまえは知っていたのか?」
「い、いえ……」
姉は貴明に対して愛情が生まれたのか。それとも――。
「まあ、私も、理桜にとっていい相手なら闇雲に反対しようというわけじゃないんだ。きちんとした家の人間で、理桜を大事にしてくれる男ならそれでいいと思っている。だから、こうしておまえに聞いているんだ」
「……吉川はいい男です。ご両親も良く知っていますが、穏やかで優しい人たちだ。本人も堅実で真面目で思いやりのある、いい奴です。公務員という安定した職業にも就いている」
貴明は、どちらかというと地味な男だが、誠実で考え方もしっかりしている。そんな人柄に一目置いていた。
姉に想いを寄せているのを貴明は僕には言わなかったし、僕も知らないふりをしていた。姉の気持ちを知っている以上、何も言うことが出来なかったからだ。
姉は、本当に貴明のことを想っているのだろうか。
『私は、和樹のことだけを愛しているのよ? 貴明君のことなんて愛してない!』
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「公務員か……余裕のある生活はできないかもしれないが、そこは、うちからいくらでも援助すればいい。しっかりした男なら、理桜を応援してやらないとな。理桜の母親も心配していたんだ。少しは安心できるだろう」
父が、そうかそうかとホッとしたように何度も頷く。
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