軽はずみで切ない嘘の果て。【完結】

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第九章 仮初の幸せ

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 体調が本格的に良くなって、美久と会った。お昼に美久の会社の近くに出向きランチを一緒に取って、これまでのことを報告した。

「――ちょっと待って。私の処理能力を超えてる。何なの、その急展開」

美久がそう言って固まっている。

「……三村さんのこと。ごめん」

なとなく、そのことは伝えておきたかった。

「何がごめんなのよ。こればっかりは人の感情だから。周りがいくらお膳立てしたって無理なものは無理。それより、何よりまず、おめでとう」

美久がそう言ったのにハッとする。

「『おめでとう』って、初めて言われた気がする……」

病院での妊娠確認の時以外聞いていない。こんな状況だから、両親にも未だ言われていなかった。

「おめでたいことじゃない」
「うん。ありがとう……」

確かに、本来ならおめでたいことなのだ。

「何よ、浮かない顔で。ずっと好きだった人と本当の夫婦になれて、子供まで生まれるって人の顔じゃないわね」

その言葉に口を噤む。

「まあ、その状況とあんたの性格なら無理もないけど。柚季みたいな善人は、全部割り切って開き直るなんてことはできないだろうからね」

ソフトドリンクを一口飲み干した。グレープフルーツの苦味が喉を通る。

「でも、他人の感情まで考えてたらきりがない。事実だけを考えたら?」
「事実?」

「そう」と言って、美久が私の顔を見た。

「先に裏切ったのは伊藤の女。それは、伊藤の元カノ本人も言っていたんでしょう? それなら事実で間違いない。あんたと伊藤が関係を持ったのはその後だから、あんたが奪ったわけではない。どんな理由があろうとどれだけ苦しかろうと、浮気した方は何も言う権利ないのよ」

『あなたが、あんな提案をしなければ』

お姉さんに言われた言葉がこだまする。

「あんたも、腹括ったんでしょ? こうなった以上、ちゃんと伊藤と向き合ったら? 柚季の本当の気持ち、伊藤に打ち明けなよ」
「本当の気持ちって、ずっと好きだったってこと?」
「そう」
「そんなの、できない」

咄嗟に声を張り上げていた。

「どうしてよ。これからは、契約婚でもなく二人で家族を作っていくんでしょう? 伊藤は前の女ではなく柚季と生きていくことを選んだ。あんたも本当の自分で向き合うべきじゃないのかな」
「……怖いの」

卑怯でずるい自分を知られたくない。

「私は嘘をついて、和樹さんたちを騙した。そうやって、和樹さんのそばにいた。好きな人のそばにいたいっていう自分の欲のため。全部知ったら、和樹さんはどう思う? 男の人は好きになれないからなんて嘘言って、恋愛感情はないとあれだけ信用させておいて。裏切られたって思うでしょ。私を軽蔑する」

一度は気持ちを打ち明けようか迷ったこともあった。和樹さんに抱かれた直後だ。でも、そんなことできるはずもないのだ。

「結局それも自分のため。卑怯な自分を知られたくないだけなんだよね」

水滴がいくつも張り付いたグラスをぎゅっと握りしめる。

 別れ際、美久が言った。

「男と女が結ばれるには縁が必要なんだよ。付き合っていた期間とか、先とか後とか、全部帳消しにしちゃうのが縁。その縁が、前の女にはなくて柚季にはあった。だから結婚した。仕方のないことだよ。それに――」

そこで、ふっと息を吐いた。

「伊藤があんたを選んだのは、責任感からだけじゃないと思う。柚季のこと、好きなんだと思うよ」

そんな美久に曖昧に笑う。

「じゃあ、身体、大事にね」

私に大きく手を振った。


――あなたが、あんな提案をしなければ。

それまで、幸せだったの。和樹と二人、幸せに生きてたの。
誰に認められなくても、二人の想いが確かにあって。心から愛しあっていた。

なのに、あなたは、和樹が欲しいからって、嘘をついて私たちに近づいて。
あなたも、和樹のことが好きだったくせに、私たちを応援するみたいな顔をして騙して。卑怯な手を使って、私たちの間に入り込んで。

「……ごめんなさい」

卑怯者。あなたなんて、和樹に大切にされる資格なんてない――!

「ごめんなさい……っ!」
「柚季? 大丈夫か?」

パッと見開いた先にあったのは、心配そうな顔をした和樹さんの顔だった。

「……あ……」

スーツ姿の和樹さんがそこにいて、ここは寝室で。

夢だった……。

「うなされてたよ。どうした。怖い夢でも見たのか?」

和樹さんの手のひらが私の額に触れる。

「酷い汗だ」

もう片方の手が、私の手を握りしめてくる。その顔が近づいてきて、心から労わるような目を向けて。

「真っ青だ。どんな夢を見たの――」
「目覚めた瞬間に、忘れちゃいました。何の夢だったんだろ。それより、お帰りなさい」

その目をすり抜け、身体を起こし和樹さんの手を離した。

「ちょっと、喉乾いたので水でも飲んできます」
「柚季……っ」

逃げるようにベッドから這い出て、寝室を出た。

 扉を閉じてその場で座り込む。まだ激しく胸が鼓動していた。

罪悪感も痛みも苦しみも、何もかも抱えていく――。

そう自分で決めたんだから。全部、分かっていたことだ。

 キッチンで少し心を落ち着けてから寝室に戻ると、そこに和樹さんはいなかった。バスルームに行ったのかもしれない。そのことに、少しほっとする。

 ベッドに入り、ドアの方を背にして横たわった。そして、大きく深呼吸をした。

『ストレスを感じないように』

産婦人科の先生に言われたばかりだ。この子を守ることも、私の大事な責任。

ごめんね。大丈夫だからね――。

赤ちゃんがいる場所をゆっくりと撫でる。

 こうして私の中にいるのだから、私が感じたことがダイレクトに伝わってしまうのではないか。誰よりも近くで、同じように感じてしまうかも知れない。撫でたところで帳消しにできるわけでもないのに、私は必死にお腹を撫で続けた。

 どれほど時間が経っただろう。ガチャリとドアが開く音がして思わず息を潜める。

和樹さんが入って来た――。

床を歩く音、ベッドが軋む音、そしてベッド脇のランプを消す音。それをじっと聞いていた。

「――柚季、起きてる?」

隣に気配を感じたと同時に、和樹さんの声が聞こえた。少しの逡巡のあと、「はい」と答える。

「こっちを向かなくていいから、抱きしめてもいいかな」

背後で囁かれた言葉にドクンと胸が鳴る。胸に当てた自分の手のひらをぎゅっと握り締めた。呼吸を止めこくんと頷く。
 ゆっくりと腕が回され、背中に和樹さんの身体が触れる。きつくもなく緩くもない腕が私を包み込んだ。

「……僕がそばにいる。柚季は一人じゃない」

耳元で吐息と共に言葉が吐かれ、少し腕に力が込められる。和樹さんの温もりが身体を覆う。

「ずっとそばにいる」

その熱が心を刺激して涙腺にまで伝わってしまう。和樹さんの手のひらが私の頭を撫でる。和樹さんの手のひらは涙を連れて来る。

「僕が柚季の一番近くにいる。だから、僕には、苦しいこと全部吐き出してほしい」

ここで泣いてしまうわけにもいかないから何も言わずに何度も頷く。和樹さんには、言えないことばかりだ。

 心を撫でるような手のひらに、胸が締め付けられて苦しくなった。

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