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第九章 仮初の幸せ
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しおりを挟む和樹さんとの暮らしは、ただただ穏やかなものだった。
週末の休みの日は、三食すべて和樹さんが作ってくれる。私が「せめて夕飯は私に作らせて」とお願いしても、「僕がやっているのは週のうちたった二日なんだ」と言って聞かなかった。
「和樹さん、そんな凝ったものまで作れたの……?」
出てくる料理は、想像を超えてちゃんとしたものだった。目の前には、お味噌汁とご飯と、ほうれん草のおひたし、豆腐やお魚、味付け薄めの煮物が並んでいる。
「実は、練習した」
「え!」
ダイニングで向かい合いながら、盛大に驚いた。
「今の時代は本当に便利だよ。料理教室なんて行かなくても、動画という素晴らしい講師がいる」
「一人で? 動画見ながら?」
「そう。やってみたら、結構面白くてさ。料理ができるパパっていうのを目指そうかと密かに企んでる。ポイントアップだろ?」
「うちの父の料理してる姿なんて全然見たことなくて。確かに、パパが料理上手なのはポイント高いかも」
「子どもの人気取りのため、今から手を打っておかないとな」
そんなことを言う和樹さんに、笑ってしまう。和樹さんが頬杖をついて、私を見た。
「夫ポイントも上がるかな」
「もちろんかなり高いです」
「それは、ますますいいな」
してやったりみたいな顔をするから、私はまた笑ってしまった。
そして、初めて近所の産婦人科を受診した時も、和樹さんはついてきてくれて。妊婦である私よりずっと真剣に先生の話を聞いていた。
「安定期までは、とにかく無理をしないようにね」
「はい」
私が返事をするより前に和樹さんが返事をした。
「だからと言って神経質になりすぎるのもダメですよ。リラックスね。ストレスを感じないように、自分が楽に過ごせるようにするのが大切です。一番近くにいるご主人も、気にかけてあげてくださいね」
「わかりました」
和樹さんの真剣な顔に、こっそり嬉しく思う。
「とにかく、安定期までは絶対に無理をしないように。もちろん、安定期を過ぎても無理は禁物」
「はい」
さっき先生が言ったのと同じことを、帰り道で和樹さんが繰り返す。
「でも、順調でよかった。安心したよ」
「これだけ至れりつくせりにしてもらってるんですから。私、ほとんど何もしてません」
「何を言ってる。君は子供を身体の中で育ててる。それは大変な仕事だよ?」
「つわりも落ち着いてきたので、少しずつ家のこともしていこうと思ってます」
「まだ、早いんじゃないか?」
「何もしない方がストレスだと言ったら?」
「それはまずい! ストレスは厳禁だ」
勢よく和樹さんが言うから笑ってしまった。
「と言うことで、少しずつ行動開始です。無理はしません」
「約束。絶対、無理はしないって」
「はい」
そうして翌日、「体調がいい」と言うと公園へと連れ出してくれた。
「外の空気を吸うのは、身体にも心にもいい」
「はい。この公園、好きだな……」
並木道の遊歩道が特に気に入っている。秋になったら、綺麗に色付くのだろう。木々の隙間から太陽が差して、キラキラとしていた。
「ほんと?」
「はい! 気持ちよくて、癒されます」
そう言うと、和樹さんがその端正な顔をくしゃっとして笑った。
「じゃあ、もう少しだけ歩こうか」
差し伸べられた手を取ると、ぎゅっと握りしめてくれた。
手を繋いで歩く。こうやって、和樹さんといると知らぬ間に笑顔になっている。
平日は、和樹さんの帰宅はどうしても遅くなる。
「ただいま。遅くなってごめんね」
23時頃、申し訳なさそうにそう言って、遠慮がちにベッドに入ってくる。そして、私が眠りにつくまで手を繋ぐ。和樹さんが「手を繋ぎたい」と言って来たのだ。
「今日、一日どうだった?」
二人の間に少し隙間を開けて並んで寝ながら、必ず一日のことを聞いてくれる。
「つわり、もうほとんどないんです。人よりつわりの期間が短いかも知れません」
「それはよかった。見ているだけでも辛そうだったから。楽にしてあげたくても、方法がないんだもんな」
明かりを消した寝室で、和樹さんの声と手の温もりだけに集中する。
「嘘みたいに、すっきりしてます」
「じゃあ、ぐっすり眠れるね」
夜、手を繋ぎながら少し話をする。それが、私たちの夫婦としての繋がりだった。
一緒に暮らすようになって、申し訳なくなるくらいに私を気遣ってくれている。
そんな、誰にも邪魔されない二人だけの生活は、すべてを忘れさせようとするけど――。
洗濯物を干した後、日中の明るいリビングで、観葉植物に水をやる。ハート型の葉っぱに「かわいい」と思わず呟いた。
そして、まだあまり膨らみのないお腹に手を当てる。ここに確かに命があるのだと思うと、不思議な気持ちになる。確かに今もすくすくと育っている。超音波写真でしか見ることはできないけれど、愛おしさが込み上げて。それと同時に、和樹さんの優しく包み込むような微笑みが浮かんだ。
幸せ――。
そう思いそうになった自分を、無意識のうちに押し留める。
じょうろを手にしたままソファに沈み込むように腰を下ろした。
燦々と明るい部屋の中、魔が差すみたいに闇に落ちる。
和樹さんの優しさに幸せを感じたくなる。私のことを大切にしてくれるたびに、自然と幸せを感じている。
でも、一人になると引き戻された。
幸せを感じる資格があるの――?
幸せに浸って、和樹さんに甘えることが許されるのか。お姉さんも、二人で幸せに過ごしていたかったはずだ。本来なら、こんな風に大切にされていた日々を送っていたのはお姉さんだった。
それを失ったら――。
和樹さんの部屋で泣きじゃくっていたお姉さんの姿がフラッシュバックする。
自分が経験してみてその苦しみを知る。喪失感に苦しんで、取り戻したいと強く思う感情が理解できてしまう。
人の幸せを横取りしておいて、全部忘れて幸せに浸っていいのか。こうして和樹さんがそばにいてくれる。夫婦として愛し合うことまで望むのは間違ってる。
父親と母親としての関係に徹するべきじゃないか。それが、せめてもの償いで――。
分からなくなるのだ。和樹さんとどう向き合えばいいのか。どう関わればいいのか。
和樹さんに優しくされるたび、あとからあとから苦しくなる。幸せを感じてしまいそうになる私を追いかけて来るみたいに、罪の意識が消えてくれない。
和樹さんから差し出される優しさをそのまま受け取ることに、躊躇する自分がいた。
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