軽はずみで切ない嘘の果て。【完結】

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第八章 二人を繋ぐもの

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 会計を済ませた後、有無を言わさず車に乗せられた。

『君の、今住んでいる家の住所を教えて』

そう言葉を発したきり、和樹さんは何も言わない。緊張と張り詰めた空気が車内に充満している。恐る恐る隣でハンドルを握る和樹さんを盗み見ても、到底話しかけられる雰囲気じゃない。
 いつもの柔らかな雰囲気は、完全にどこかに消え去っていた。優しげな目元は厳しい眼差しになり変わって、ただ前を見ている。

突然、自分の子供ができたと知れば、困惑して困り果てるに決まっている――。

和樹さんにはお姉さんがいる。その表情が険しくなるのは当然のことだ。
 私とお腹の子供が、和樹さんにとって邪魔な存在になる。そう思うと、たまらなく悲しくなって。膝の上の手のひらをぎゅっと握りしめる。そんな風に思われたくないから、一人で育てたいと思ったのもある。

私にとっては大切な命でも。それが誰かにとって、忌まわしい存在になる――。

そんなの、耐えられない。そんなこと、させるつもりはない。


 私が住むウイークリーマンションに着くと、和樹さんがその隣にあるコインパーキングに車を停めた。助手席から降りると、すぐに和樹さんが私のそばに駆け寄る。そして、バッグをさっと取り上げ、私の腰に手を当てた。

「あ、あの……大丈夫ですから」
「ついさっき倒れた人が何を言ってるんだ」

より腰に当てた手に力が込められる。和樹さんに触れられるとドキドキしてしまう。それが、たまらなく悲しい。

「部屋はどこ?」

密着した身体の頭上から声が降ってくる。

「2階の左から2番目の部屋です」

そうして自分の部屋の前に着くと、その表情を変えないままで和樹さんが言った。

「お邪魔させてもらうよ」

強い眼差しだけが向けられる。

どう話をしよう。どう、説明しよう――。

狭いワンルームに二人きりになり、私の頭の中はそれでいっぱいだった。

「辛ければ、横になってくれていい」
「い、いえ、大丈夫です」

キッチンでとりあえずお茶でも出そうと準備したら、肩を掴まれた。

「そんなことしなくていい。とにかく君は座って」

そうしてベッドに座らされる。和樹さんは、私の部屋をぐるりと一度見回すと、小さなローテーブルの前に座った。

「あの、和樹さん――」

とにかく和樹さんに迷惑をかけるつもりはないことだけは伝えなければと声を張り上げると、それをすぐに遮られた。

「どうして、僕に何も言わなかった? 何も言わずにどうしようとしていたの? 僕が知らずにいたと言うことは、ご両親にも伝えていないね?」

鋭い視線が飛んで来る。

「柚季に言っておいたはずだ。困ったことがあったら必ず僕を頼ってくれって。でも、柚季は僕に何も言わなかった。それほどまでに、君は僕とはいたくないということなんだろう」

和樹さんが激しくその表情を歪めた。そして、どこか哀しみも滲ませた目で私を真っ直ぐに見た。

「でも、その子は僕の子だ。君が違うと言っても、もう離婚したと言っても、結婚期間中に妊娠した子は法的に夫であった僕の子になる。君が誰を想っていようと関係ない」

初めて見る、和樹さんの険しい目に言葉を失くす。

「もう、柚季のお願いを聞いてあげるつもりはない」
「和樹さん――」
「君は僕のものになって、僕のそばで僕の子供を産むんだ」

目の前にいるのは、優しく私の話を聞いてくれていた和樹さんじゃない。

「柚季をどこにも行かせない」

何かを言わなければと思うのに、全然言葉にならない。

「でも……和樹さんには、お姉さんがいる」

それでもなんとか絞り出した言葉はそれだった。

「姉との関係はもう終わったと前に言ったはずだよ。そうでなければ柚季を抱いたりしない」

二人はよりを戻したんじゃ――。

「でも、お姉さんはそんなこと望んでない。二人は、何年もの間お互い想い合って来たんですよね? それは深くて特別な感情だったはずです。私の妊娠のせいで、そんな二人を引き裂くなんて、絶対に嫌です!」

気づけば、そう一息に捲し立てていた。

「『私の妊娠』って言うけど、君一人でしたことなのか? 違うだろ。柚季は何か思い違いをしてる」
「何がですか?」

お姉さんとの電話を思い出して、感情が昂る。

「子供ができたことは、柚季一人の問題じゃない。僕の責任だ。僕は当事者なんだよ。それに、姉と僕のことは君に関係ない」

和樹さんが真っ直ぐに私を見上げた。

「――君が気に病むことじゃない」

そう言うと、和樹さんがすっと立ち上がり、少し隙間を開けて私の隣に腰掛けた。

「……柚季」

そして、私に向き合う。

「僕は、柚季の人生を変えてしまうことになった。君は離婚したいと言っていたんだからな。恋愛感情のない男の子供を産むことになって、他の人と向き合おうとしていた柚季の未来を奪ったことになる」

その表情を苦悩に歪め、ためらいながら私の手を握った。

「その責任はすべて僕が取る」

“責任“

その言葉が胸を突き刺す。

「柚季とお腹の子のことは、何があっても僕が守るよ。守らせてくれ」

結局、私は和樹さんに責任を取らせることになるのか。

「柚季はお腹の子のことだけを考えてくれればいい。それ以外のことは、姉のことも含めて全部僕が対処する」

お姉さんとの関係は終わったのだとしても、私だって、和樹さんのこの先また好きになれる人との未来を奪ったのではないか。私の手のひらを強く握りしめる和樹さんの手は、どこか苦しげだった。

 和樹さんに知られてしまった。その事実は変えられない。知ってしまった以上、和樹さんなら何があってもこの道を選ぶだろう。

 私も、本当の意味で覚悟を決めなければならないのかもしれない。たとえ誰かを傷つけてでも、守るべきもののために。
 心にべったりと張り付いたお姉さんへの罪悪感。こればかりは、和樹さんに何を言われても解消されることはない。
 私にとって義理姉になる。お姉さんからは、一生逃れられない。
 そして、和樹さんが深く愛した人の面影を常に感じながら和樹さんのそばで生きていくのは、今となっては苦しくてたまらないこと。

 けれど、誰も傷つけたくないなんて偽善でしかないのかもしれない。罪悪感も痛みも苦しみも何もかも抱えていくしかないのだ。

「――私の未来を奪ったなんて、もう思わないでください」

私のなけなしの決意を強くするために、和樹さんの手を握り返した。

「私はそんな風に思ってません。これから生まれて来る子のことを一番に考えて、未来だけを見ます」

必死に自分に言い聞かせるようにそう言うと、和樹さんがその表情を少しだけ緩めた。


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