軽はずみで切ない嘘の果て。【完結】

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第七章 見えない心

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 柚季は、いつもオドオドとして、人の後ろに隠れていた。僕の御曹司というバックグラウンドを知って近づいて来る他の子とはどこか違う。
 最初は、上手く周囲に溶け込めない不器用な姿が本当の自分と重なって見えて、つい助けてあげたくなった。それが、バイト先の先輩として少しずつ話をするようになると、柚季に対する印象は変化した。性格も見た目も控えめだけれど、遠慮がちにはにかむような笑を見せるようになって。無口な彼女の笑顔は、僕だけが見ることのできる特別なものだと思えた。誰も気づかなかったみたいだけれど、柚季の笑顔はとびきり可愛いかった。

 何より、二人で話をする時の空気が心地よかった。

『私、人付き合いが苦手で。うまく話せなくて、迷惑かけちゃってすみません』

度々、柚季はそんな風に謝っていた。話す機会が積み重なったある日、その日はこう続けた。

『でも、ここでのバイト好きで、もっと頑張りたいって思うんです。それも、伊藤さんのおかげで、だから、その……いつも親切にしてくださって、ありがとうございます……っ!』

いつも多くを語らない柚季が顔を真っ赤にして僕に言った。そんな柚季を前にして、衝動的に抱きしめたくなった。自分にそんな衝動があることを初めて知って、それが恋だと気付いた。

 けれど、それは許される感情ではなかった。僕には何があっても守らなければならない人がいたからだ。

『和樹、離れていかないで。私のそばにいてね』

姉は何かを察したかのようにそう繰り返した。姉の要求の半分に応えられない分、残りの半分は精一杯に応えたい。姉を抱くことが出来ない代わりに、とびきり優しく抱きしめる。そばにい続ける。
 仄暗い毎日を生きている僕にとって、柚季は密かな癒しであり、そして毒だった。触れることも、想いを告げることも、好きでいることさえも許されない。自分の中から消し去らなければならない人だった。

 だから、社内で再会した時には激しく動揺した。自分にとって諦めた淡い恋が目の前に突き出されたからだ。
 それが大きくなったりしないようにと、平静でいるのに必死だった。

 それなのに、無常にも同じ部署で働くようになり毎日顔を合わせるようになった。大学生の時よりずっと綺麗になった柚季を前に、忘れてしまいたかった想いは日に日に募る。どうすることもできないと思えば思うほど、胸の中で消えずに燻り続けた。

 外には出せない密かな想いを抱え姉に向き合う日々。そんな自分を罰するかのように、父から縁談がもたらされた。

 就職先の次は結婚相手。父からの命令は絶対だ。
 僕はずっと人形のような人生だった。卑しい存在である自分にどんな自由もないと受け入れて来たはずなのに、心がどうしようもなくもがくのだ。
 押し付けられる縁談に、姉を守り続けなければならない、果たさなければならない約束。

それさえ、ままならない不甲斐なさ――。

自分のすべてに耐えられなくなって、酒に逃げた。

 何の皮肉だろうか、酔い潰れていたところに柚季が現れた。どんなに想っても手に入れられない人がそこにいる。アルコールが感情を昂らせ、あろうことか柚季に縋っていた。

 柚季の告白は衝撃だった。柚季には好きな人がいて、その人は女性だと言う。手に入れたいと思わないようにしていたはずなのに、身勝手にも傷ついた。
 でもすぐに思ったのだ。たとえ縁談から逃れられても、この先姉のそばにい続ける以外の道はない。だったら、柚季を助けたい。彼女の恋愛対象が男でないなら、何も望まないままでいられる。好きな人のそばで生きて行ける。
 咄嗟に嘘を吐いた。柚季が僕を警戒しないでいいように、あたかも姉を愛しているかのように見せかけた。
 
 そうして僕は柚季の夫という立場を得たのだ。

 父の愛人の子として生まれた僕が社で認められるには、誰よりも成果を上げなければならない。社内では常に気を張り詰めていた。無意識のうちにいつも肩に力を入れて生きていた。
 柚季と過ごす時間は、何も気負うことなく自然体の自分でいられた。むしろ、柚季と暮らし始めたことで、初めて自分がどんな人間なのかを知った気がする。

 何も望まないでいられるなんて思っていたのは大きな間違いだった。二人で暮らす日々の中、愛おしさが膨らんでいく。彼女が、男と親しくなっていくのを目の当たりにして、心が掻き乱された。

 それと同時に、姉が日に日に僕を束縛するようになった。

『私はあなたの友達のせいで傷物になったのよ。他の男の人を受け付けられないの。和樹が私を抱いてよ!』

この先ずっと姉のそばにいると告げた日に、姉を抱くことだけは出来ないと伝えていた。それでもいいと言った姉が、身体を求めて来る。 

『和樹にしか身を委ねられない身体なの。助けてよ』

そう責められるたびに、指で姉を慰めた。姉が喘ぐ声を聞くたびに、心が壊れて行く。僕をどれだけ縛りつけ困らせても、どれだけ苦しくても姉を受け止めて来た。それが僕の償いだからだ。
 これ以上、柚季への想いが大きくならなってはならない。冷静になりたくて柚季から距離を置いてみたりしても、それはすべて意味を為さなかった。


――私、貴明たかあき君と寝たの。

そう、姉が僕の親友との不貞行為を告げて来た。

『貴明君がどうしても私と付き合いたいって。誰よりも愛してるって言ってくれたの。だから私も好きだと言ったわ』

貴明は僕の親友だった。子供の頃から姉に切ない視線を送っていたのを知っている。貴明に少しでも心許していたのならまだしも、もし、姉が、自分の感情のために貴明の心を利用したのだとしたら。

『貴明君のことなんて、これっぽっちも愛してないし、愛するつもりもないのに』

貴明の真摯な表情が浮かぶ。この後、あいつを地獄に落とすのか。また一人、僕のせいで傷つけることになった。

『姉さんは、自分がどれだけ酷いことをしたのか分かっているのか?』
『和樹が抱いてくれないからじゃない!』
『もう姉さんとはいられない』

激しい虚しさに襲われた僕の頭に真っ先に浮かんだのは柚季の顔だった。柚季に会いたいと、頭で考えるより先に思っていた。

『私も、何もかも忘れたいんです』

そう言って僕を求めて来た柚季を、拒むことなどできなかった。抑えて来た感情はとっくに溢れていた。

 柚季は初めてだと分かっているのに、自分を抑えられないほどに愛おしさが込み上げてどうにもならなかった。どんな理由でもいいから、僕のものにしてしまいたかった。

 柚季にとっては苦しみを忘れるための行為でも、無理矢理にでも僕を意識させたくて。柚季の身体に、僕自身を刻み込むみたいに何度も抱いた。決して柚季が忘れられないように。

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