軽はずみで切ない嘘の果て。【完結】

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第六章 決壊

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 29歳という年齢だけを見ればもういい大人なわけで。自分の決めたことをすぐに翻したりはできない。結婚は、自分だけの問題ではないのだ。自分の感情で結んだり解消したりしていいものではない。

 あのお花見の日からも、三村さんは時折メッセージを送ってきてくれる。私の結婚の事情を知っているから、その文字数は少なくても私の生活を気遣ってくれているのがわかる。三村さんは、本当に優しい人だ。

 これまでずっと、男の人と接するのは苦手だと思ってきた。男の人を前にすると上手く話せない。そんな私を和樹さんだけが気にかけてくれた。

 でも、三村さんがそうではないと教えてくれた。誰ともでもうまく接することができるわけではないけれど、誰もいないわけではない。二人でいても自然に振る舞える、そうい人がちゃんと存在するのだと知った。それは三村さんのおかげだ。


「――最近はどうよ」

桜の木の葉が鮮やかな緑色をし始めた頃、美久から誘われていつもの居酒屋に来ていた。

「……うん、まあ。特に変わらない。和樹さんは相変わらずいつも忙しそう。そろそろ役員に名前を連ねるかもって」

大きなプロジェクトが成功して、そろそろ取締役になるという話が出ているみたいだ。年齢的にも立場的にも当然の流れだろう。

「ふーん……で、あんたはこのままでいいの?」

カウンター席の隣に座る美久が身体ごとこちらに向けて来る。

「いいのって……それは、喜ばしいことでしょ」
「伊藤がそれなりの役職に就いたら、もっともっと離婚しづらくなるよ。ただでさえ御曹司で普通の家とは違う。それなのに社会的地位が上がったら離婚も簡単じゃないよ」

そんなことを言われると思わなくて、勢いよく美久の顔を見てしまった。

「離婚って……」
「一生のこのままでいるのは、柚季には無理でしょ? あんたを見てればそんなのわかる。結婚してから、割り切っていくどころか、日に日に苦しくなってる」

何も言葉を返せない。

「高臣は、あんたのこと好きみたいだよ」
「まさか……」
「ちゃんと私の話を聞いて」

そう言って、美久が私の肩を強く掴んだ。

「高臣の両親をよく知ってるけど、とってもいい人たちだよ。バツイチくらいであれこれ言ってくるような心の狭い人じゃない。何より、私は子供の頃から高臣のことを知ってる。不器用なだけで本当にいい奴。真面目だし思いやりもある。今すぐ好きになれなくても、ちゃんと向き合ってみたら?」

三村さんが思いやりのある優しい人だということは分かっている。

「結局、伊藤は今の女と別れられないんでしょう。たとえあんたに心揺らいだとしても。それが、あんたが好きになった男の“誠意“なのかね。一体、その誠意で誰が幸せになれるんだか」

吐き捨てるようにそう言うと、美久はジョッキを空にした。

「高臣がアメリカにいなければな。柚季が馬鹿みたいな結婚をする前に紹介できたのに」

そして、今度は真面目な顔になって再び私を見た。

「でも、遅すぎるってことはないんじゃないかな。何度でもやり直せる。それが困難なことでも」

『何度でもやり直せる』
『この先、もっと離婚しづらくなる』

美久と別れてからもその言葉がぐるぐると回る。その言葉が心に重くのしかかる。

 念のためインターホンを押してバッグの中から鍵を探していると、スマホがちょうど振動した。三村さんからのメッセージだ。

“柚季さんって、ホラー映画観ますか?“

ホラー映画。もちろん好きだ。

 和樹さんと一緒に暮らし始めた頃、二人で見たのを思い出して胸の奥がチクリとする。

“うん。結構好きです“

そう返信するとすぐ文字が流れて来た。

“だったら、今度の週末、テレビ通話しながら一緒に同じ映画を観ませんか? 一緒に見るなら怖いものがいいかと考えたんです“

確かに。一人で十分に成り立つ映画鑑賞を誰かとするなら、ホラー映画を選ぶかも。そんな三村さんの提案にふっと笑いそうになって、美久の言葉を思い出す。

『高臣は、あんたのこと好きみたいだよ』

確かに、私も三村さんといると自然体でいられる。

 返信する手を止め、鍵を開けた。玄関の灯りをつけると、和樹さんの靴が乱雑に脱ぎ捨てられているのが目に入る。いつもならきちんと置かれている靴に違和感を覚える。
 廊下もリビングからも灯りは漏れて来ない。少し緊張しながら廊下を進み、リビングダイニングに足を踏み入れた。やはり明かりはついていない。和樹さんは自分の部屋にいるのだろうと、スイッチに手を伸ばした時だった。

「――明かり、つけないで」

暗がりの中から声が聞こえてきて、小さく声を上げてしまいそうになった。

「和樹さん――」
「今の顔、見られたくないんだ。ごめん、すぐ自分の部屋に行くから」

その声は酷く掠れている。窓の隙間から外の明かりが少しだけ部屋に差しいた。目が暗がりに慣れると、和樹さんの姿を捉えることができた。
 ダイニングテーブルの席に座り、グラスとウイスキーの瓶が置かれていた。
 額に手を当てて俯いているからその表情はわからないけれど、雰囲気から何かあったことだけは伝わってきた。

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