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第五章 崩れて行くバランス
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しおりを挟む結局最後は、私の方が酔い潰れてしまった。終電も無くなった時間。出来上がっていたと思っていた二人は、しっかりとした足取りで歩いている。
「そんなに飲んで……」
憐れむようにそう言って、美久が私に肩を貸してくれた。
「でも、二人が来てくれて楽しかった。今、楽しかったって思って家に帰れる。ありがとう」
「締まりのない顔しちゃって……」
美久の手がどこか優しくて胸がじんとする。美久の気遣いが嬉しい。敢えて私の話題にしなかった。そうすることで、私が落ち着けることをわかっていた。それに、私の苦しみの原因を美久は分かっている。その痛みから距離を置かせてくれたのだ。
「ほんと、世話の焼ける子!」
「……ごめん。三村さんもごめん」
三人で乗り込んだタクシーの中で謝っておく。
「ううん、全然。俺もすごく楽しかったから。柚季さんと話せてよかった」
そんな言葉が返って来てほっとする。
「――じゃあ、高臣は待ってて」
そう言って、私のマンションの前で美久だけがタクシーから降りた。
「平気だよ、一人でいける」
「何言ってんの? 自分がどれだけフラフラしてると思ってんの」
引きずられるようにマンションの部屋まで連れて行かれた。
「迷惑かけてごめん」
玄関先に座り込み、美久を見上げる。
「……伊藤と伊藤の女と何かあったんでしょう?」
静まり返った玄関で、さっきまでとは打って変わって厳しい視線を向けて来た。
「なんで……?」
「柚季」
私の質問に答えずに、真っ直ぐに私を見て美久が言った。
「嘘も偽りもいつか必ず崩れる。私は、そんなものさっさと壊れてしまえばいいと最初から思ってる。本当の感情と向き合う覚悟を持ってほしい。でも誰かを傷つけて全てを壊すのが怖いなら、逃げたっていいとも思ってる」
――逃げてもいい。
「伊藤からも、伊藤への想いからも逃げたっていいんだよ」
すっと立ち上がると、美久は「じゃあね」と言って部屋を出て行った。
美久の言葉がぐるぐると脳内を駆け巡る。未来が果てしなく遠い。一人きりの暗い部屋で、いつまでもうずくまっていた。
ちゃんと、普通に接することができるだろうか。次の日の日曜日。一人分の夕食を作ろうとキッチンに立っているけれど、すぐに手が止まってしまう。
これまでと変わりなく和樹さんの顔を見て、話をして。これまでと変わりなく日々の生活を送っていく。
明日の朝、顔を合わせる時、これまで通り笑って送り出して。ちゃんとしないと――。
目の前の鍋の沸騰したお湯の泡を見つめる。
「――柚季、ただいま」
「きゃっ……っ!」
思いもかけず和樹さんの声が聞こえて、沸騰中の鍋に思いきり手のひらをぶつけてしまった。
「危ない――っ」
気づいた時には、和樹さんに抱き寄せられていた。
「あ、あの……っ!」
強く肩を抱かれて顔は和樹さんの胸に押し付けられるて、抱きしめられているこの状況に身体が硬直する。
「……よかった。鍋が落ちるかと思ったよ」
和樹さんの胸の鼓動に息が苦しくなった。
「だ、大丈夫ですので……っ!」
慌ててその胸から離れようとすると、今度は腕を引っ張られた。
「危ないだろ。考え事でもしてた? 火を使ってる時は気をつけるんだ。ほら、手を出して」
後ろから抱きしめられるみたいに和樹さんの身体に覆われて、腕を掴まれて手を流水にかける。こんなに密着したことなんてない。和樹さんとのこんな距離に慣れていない。このままでは激しく暴れ回る心臓の鼓動が伝わってしまう。
「一人で……自分でできますから――」
とにかく離れてほしい。
「……心臓止まるかと思ったよ。火傷痕でも残ったらどうするんだ」
「か、和樹さん」
間近で吐かれる絞り出されたような声に、さらに心臓が騒いだ。
「本当に、大丈夫ですから」
私に触れている手はお姉さんのもの。その腕はついさっきまで理桜さんを抱きしめてきたもの。今私に触れているのは、ただ心配してのものだ。分かっているのに苦しくなる。
「……柚季。昨日、嫌な思いさせたよな」
何故かその身体は私から離れていかない。それどころか耳元すぐ近くで囁かれて、身動き一つできなくなる。
「い、いえ。嫌な思いなんて、するはずないです。和樹さんとお姉さんの幸せそうな姿を見ることができて、よかった……」
こうやって、これからも嘘をついていかなければならない。ずっと、ずっと、ずっと――。
「……そう、だよな。柚季が嫌な思いをする理由なんてどこにもないよな。一体、何を言ってるんだか。ごめん、今のは忘れてくれ」
背中に触れていた身体と、私の手を掴んでいた手がすっと離れた。
「けど、考え事していたのは本当だろう? 何か、悩んでいることあるんじゃない?」
流れる水道水をひたすらに見続ける。そうでもしていないと、この身体が勝手に動き出してしまいそうだった。離れて欲しいと願いながら、その熱が消えた瞬間から求め始めて。間近で感じた好きな人の熱が、私の思考を狂わせる。
「いつでも吐き出してくれていいから。話を聞くくらいならできる」
「ありがとうございます。でも、大丈夫です」
お互い顔を見ることなく会話をする。今、きっと、どうしようもない表情をしている。そんなものを和樹さんに見せなくて済んでよかった。
「……もし、これから夕飯を作るなら、これを食べるといい」
「あの、でも、私、夕飯作ってて――」
「何もできていないみたいだけど……?」
そう言って、そっと紙袋を私の横に置いた。
「横浜、行ったんですか?」
それは有名なシュウマイだった。
「そう。車で走ってたら横浜にたどり着いてた」
お姉さんとドライブしたのか――。
「とにかく一人になりたかった。無心になるには車の運転が一番なんだ」
「……え?」
お姉さんは――そう聞こうとして口を噤む。
「じゃあ、先に風呂に入らせてもらうね」
リビングダイニングから和樹さんが立ち去ると、思わず深く息を吐いていた。
和樹さんの胸の鼓動と熱だけがこの身体に残る。
早く消えてよ――。
そう願っても、私を責めるように鮮明に身体に残っている。
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