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第五章 崩れて行くバランス
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しおりを挟むこのまま、マンションに帰るのか。あの部屋で、一人過ごすのか――。
和樹さんと暮らすあの部屋で、今頃お姉さんと和樹さんがしていることを想像するのかと思うと耐えられなくなった。
これまで、毎週毎週、そんな週末を一人過ごしてきたというのにどうしてこんなにも心かき乱されているのか。理由も理屈も分からないけど、どうしても嫌だった。
「すみません、行き先変更してください」
運転手さんに声を張り上げていた。
結局、一人で行ける場所なんて思いつかなくて。美久と飲むときに使う、いつもの居酒屋に来ていた。考えてみれば、29年生きてきて一人で飲んだことなんてないかもしれない。
とりあえずオーダーした生ビールを、一息で飲めるだけ身体に流し込んだ。ビール特有の苦味が今の私にはちょうどいい。すぐに、ジョッキに残っていたビールを飲み干した。
どうしてよ……。
どうして、飲んでも飲んでも楽にならないのか。目を閉じても酒を飲んでも、目に浮かぶのはウエディングドレスを着たお姉さんと和樹さんが並ぶ姿。
『命が尽きる時まで添い遂げることを誓います』
そのために和樹さんは私と結婚したんだって。私からそう提案したんだから、全部わかってる――。
額に手を当て目を閉じる。
私と和樹さんの結婚式にお姉さんも出席していた。その時、私と和樹さんが並んで立つ姿をお姉さんも見ていた。今の私みたいに、心乱されたのかな。その分、和樹さんに甘えて愛を確かめたのかな。「愛しているのは姉さんだよ、本当なら理桜と結婚したかった」と、嫌というほど愛してもらえたのだろう。
……って、私。ほんとサイテーだ。
飲んでも飲んでも酔えなくて。いつもほとんど飲まない日本酒に手を出しても、この胸の苦しみは増して、胸を刺激して。全然開放なんてしてくれない。
隣の席に置いてたバッグの中のスマホが振動する。のろのろとそれを手にすると、美久からの着信だった。
「……もしもし」
(何、その声。それに、騒がしいけど、今、外?)
「うん……そうだけど。美久は、どうしたの?」
メッセージではなく直接電話して来たのはどうしてだろう。働かない頭で考えていた。
(土曜の夜なんて、どうせ、一人侘しく過ごしてるんだろうと思ってさ。でも違うの?)
その通りです。侘しいどころじゃないです……。
「……あのね、いつも美久と来る店で、一人で飲んでるとこ」
(はぁ? あんたが?)
驚いたような声が耳に突き刺さる。
(何かあったの?)
「あったと言えばあったし、ないと言ったらない。別に、今更、深く傷つくようなことでもないのに……」
何言ってるんだろう。脳はさっぱり働かないのに、感情だけは過剰に働いて。こんなところで泣いてしまいたくなる。
(一人で飲んだりするなんて、慣れないことするんじゃないわよ。今から行くから、そこでそのまま待ってな!)
一方的にそう告げられたと思ったらもう切れていた。
そして、三十分後に本当に現れた。何故か、三村さんと共に。
「ほらほら、湿っぽく一人で飲んでんじゃないの。酒を飲むらなら楽しくね」
私の顔を見るなり少し表情を歪めて笑う美久が、あっという間に店員さんにボックス席への移動をお願いしていた。
「……どうも。俺まですみません」
四人用のボックス席に座ると、真正面にいる三村さんが苦笑しながら頭を下げる。
「ちょうどね、電話で高臣とあんたの話してて。それで、柚季に電話でもしてみるかって思ったら、一人で飲んでるなんていうからさ。どうせならって、高臣にも声掛けたってわけ。この人、仕事以外はほんと暇人だから」
「週末は、仕事以外はすることないんです」
今はそんな会話に癒される。自然に笑ってしまった。
「一体、どれだけ飲んだのよ。私たちも早く柚季のペースに追いつかないと。すみませーん」
美久が手を挙げて、店員さんを呼んだ。
二人の飲みっぷりはすさまじかった。それに圧倒されていたら少しずつ感情の昂りが落ち着いて行く。
「……だいたい高臣もさ、いつまでも昔のこと引きずってるんじゃないわよ」
すっかり出来上がっていた美久が、同じようにすっかり出来上がっていた三村さんに説教を始めた。典型的な酔うと絡むタイプの人間だ。
「頭では過去のことだと整理してるはずなのに、何かの拍子にふっとフラッシュバックすんだよなー」
顔は笑っているけれど、三村さんが口にしたことは決して愉快なことではなかった。
「俺、全然女の子慣れしていないところに、大学で初めて好きな子ができて。当然、自分からアプローチなんてできない」
まさに、大学時代の私と和樹さんみたいだ。
「……それが、ほんとに些細なきっかけで付き合うことになって。俺は舞い上がった。こんなこと自分に起きるんだって」
焼酎の入ったグラスを手に、三村さんがふっと微笑んだ。
「嬉しくて嬉しくて、自分の部屋で小躍りなんかして。でも……その後には、苦しみが待っていた」
「……惚れたもんの弱みだよね」
美久が呟いた。
「彼女といる時、俺はいつもびくびくして顔色をうかがっていた。少しでも楽しいと思ってもらえるように、慣れないことをたくさんした。でも。そんなのやっぱり無理があるんだよな」
グラスをことりとテーブルに置く音がした。
「……しばらくして他の男と浮気してるのを知ったんです。でも、俺は何も言えなかった。彼女にはっきり言われたんだ。『三村君といても全然楽しくない。つまらない』って。笑っちゃうでしょう」
静かに笑う三村さんに、自分のことのように胸が痛む。
「それが彼女が俺に一番言いたかったことだったってことなんですよね。おかげで、俺は『つまらない男』として時間が止まってる」
「だーかーら! その時間をいい加減に進めろと言ってるの」
美久が捲し立てた。
「いつまでも、女を目の前にしたら身構えて怯えて。どうせまた「つまらない」と思われるなんて考えてるんでしょう? たかが一人の女に「つまらない」と言われたからって、全員から言われるって考えるのがおかしい」
「そうだよ。私、三村さんと話していてつまらないなんて感じないし、むしろ心地いいなって思う。落ち着くよ」
気づけば私までそんなことを言っていた。それは本当のことだ。
「……でも、三村さんの気持ちはよくわかる。自分に自信がない人間はなかなか考え方を変えられない。傷つきたくないから自分を守っちゃうんだよね。傷つかなくていい場所に自分を置いちゃうの」
私だって。絶対に叶わない状況に身を置いて。結局、一人で自分の感情に向き合うだけ。決して誰かと向き合っているわけじゃない。
グラスを再び掴み、一気に飲み干した。
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