軽はずみで切ない嘘の果て。【完結】

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第一章 衝動的で切実な提案

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「――ここまで来れば大丈夫ですね。じゃあ、私は帰ります」

必死の思いで伊藤さんの部屋まで連れて来た。

 玄関先に置いて帰るのは少し気がかりだったが、これ以上は入り込めない。独身男性の部屋だ。それに、そこまでしてしまったら、酔いが醒めた後に伊藤さんに迷惑だと思われてしまうかもしれない。それはやっぱり嫌だ。

 玄関先に座り込む伊藤さんの傍から立ち上がろうとした時、ぐいっと腕を引っ張られた。

「え……っ?」

無防備だった身体は何の構えも出来ていなくて、伊藤さんの身体に倒れ込んでしまう。

「ご、ごめんなさい――っ」
「行かないでくれ。ここにいて」

咄嗟に離れようとした身体を、物凄い力で引き寄せられた。

「い、伊藤さん?」
「……お願い。少しだけでいいから」

大きな手のひらが私の背中に当てられ抱きしめられている。この状況を理解できない。ただ、伊藤さんの体温に包まれている事実だけ。どうしたらいいのか分からない。分からないくせに、その手をふりほどけない。

「こうしてるだけ。何もしない」

さっきの陽気な声じゃない。苦しみにまみれた呻くような声。

『大丈夫』

おどおどしていた私に、いつも伊藤さんはそう言ってくれた。不器用にしか振舞えなくて、たくさんの人の中に埋もれている私にも目を向けてくれた。そんな伊藤さんが何か助けを求めているなら、私だって力になりたい。

恐ろしいほどの緊張とともに、自分の手のひらを伊藤さんの背中に回す。

「大丈夫ですよ。大丈夫」

そして、自分より大きいはずなのに酷く小さく見える背中をぎこちなくさすった。

「――ごめ……っ」

そうすると、更にぎゅっと込められた力で抱きしめられた。それはもう、抱きしめるというより縋りつくみたいで。広い玄関ホールで、肩を震わせる伊藤さんを私が抱きしめる。

「ごめん」

何があったんですか――。

「大丈夫ですよ」

そう聞きく代わりに、大丈夫だと言い続ける。

「……どうしようもない。僕は、情けなくて……卑怯な男だ」

伊藤さんが絞り出すように吐き出していく。その声に自分の胸までひりひりとして来る。痛みを感じる分だけ伊藤さんの背中をさする。

「一生守ると決めたのに……そのためだけに生きるって決めたのに。その約束も果たせない。今になって、こんなにも苦しくなる自分が許せない」

抱き締める腕の中から聞こえて来る声に私の手が止まる。

「大切な人を泣かせておきながら、こんな風に酔い潰れてる」

激しく鋭い矢が心臓を貫く。

伊藤さんには大切にしている人がいた――。

噂がなかっただけで、そういう人がいたっておかしくない。何度も諦めようとして来たし、そもそも自分のものにしたいとさえ願ったことはない。それなのに、図々しくも激しいショックを受けている。

「……大切な人を泣かせたって、どうしてですか?」

そう問いかける自分の声が震えている。

「今、僕に縁談がある。立場上、簡単に無視できない」
「簡単なんかじゃない。ちゃんと理由があるじゃないですか。そんなのお断りして、守りたい人と結婚すればいい。確かに伊藤さんは立場ある人だから難しい事情があるのかもしれないけど、諦めないでいれば愛している人と結婚できるはずです。絶対に別れちゃだめですよ!」

苦しくてたまらないのに、そんなことを口走っていた。伊藤さんが苦しんでいるのもたまらないのだ。彼女を想ってこんなにもボロボロになっている。そんな姿を見ていれば、言葉が勝手に溢れて来る。

「結婚はしない――」
「どうしてですか!」

断言する伊藤さんに、身体を離し思わずその肩を掴んでいた。

「……姉だから」

え――?

見つめたその目を凝視したまま言葉を失う。

「僕の姉だからだ」

絞り出すように言葉を吐き、伊藤さんは私から顔を逸らした。

「それって……」

伊藤さんからお姉さんの話は聞いたことがない。

ご両親は再婚したということ……?

額に長い指をあてて、喉から押し出すように声を出す。

「両親が何かを察知して見合い話を持って来たのかもしれない。断れば、両親の疑いを確かなものにするだろうし、縁談を受ければ姉を傷つけることになる」
「で、も……、たとえお姉さんでも、血が繋がっていなければ結婚できるはずです。普通より大変だろうけど、気持ちの方が大切でしょう? どれだけ反対されたって二人の想いが確かなら、時間はかかってもいつか分かってもらえる日が来るかもしれない――」

思いもしなかった伊藤さんが抱えるものに、何かを言わなければと必死になる。

連れ子同士なら、確か法律的には可能だったはず――。

私は勝手にそう思い込んでいた。

「実の姉なんだ。半分、血が繋がってる」

いくつも言葉を吐き出していたのに、途端に言葉が浮かばなくなる。

「……嫌悪を感じた?」

黙ったままの私を見透かすように、どこか哀しげな目をしていた。

「何も望まないで生きて来たつもりだけど、そんなご立派な人間なんかじゃなかった。今になって、こんなにも足掻いてる」

自分の心を抉るみたいに、伊藤さんが乾いた笑い声をあげる。

 何年も、そんな恋を抱えて生きて来た。だから、伊藤さんには女性の影もなければ噂も立たなかったのだ。大事に大事に密やかに、愛して来た人がいたから。

「嫌悪なんて感じません……っ」

気づけば、伊藤さんの腕を掴んでいた。
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