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第一章 衝動的で切実な提案
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しおりを挟むそれから一時間ほど飲んでほろ酔いになった頃、居酒屋を出た。
「まだ、飲み足りないよね?」
「飲み足りない」
美久の問いかけに即答する。
「私たちもさ、毎回同じ店で毎回同じ話題して進歩ないから、たまには違うことをしないとって思うワケ」
「それで?」
歩道の真ん中で二人向き合う。
「最近、ちょっと開拓した店があって。そこで飲み直さない?」
「行く行く」
「よし!」
ほとんど友人がいない私にとって、美久が唯一の世間との繋がりみたいなものだ。仕事は仕事。営業事務という自分の役割に専念するだけ。社交的でない私にはそれが楽だった。
そうして連れて来られた店は、恐ろしく大人な雰囲気のバーだった。
「……ここ?」
緊張気味に美久に問いかける。
「そう。雰囲気がお洒落でしょ? 私たちもこういうところを行きつけにしてもいい年頃だよ。会社の人に教えてもらって、すごく居心地良かったからさ。いこいこ」
美久の後について、店内に入って行った。
そこはビルの地下にあって、グレーを基調としたモダンなインテリアが施されていた。間接照明が至る所に置かれ、ムーディーなジャズが流れている。カウンターの奥には中年くらいの男性がシェイカーを振っていた。いわゆるマスターというものだろうか。
「――いらっしゃいませ。また、来ていただいてありがとうございます」
カウンター席に着くと、その男性が美久を見て声をかけた。
「一度しか来た事ないのに、覚えていてくれたんですか? 嬉しい」
「もちろん覚えていますよ。一度でも来てくだされば、もう大切なお客様です」
そんな二人のやりとりを見つめていた。
「雰囲気がよくて素敵だったので、今日は友達を連れて来たんです」
「それはそれは、ありがとうございます」
しっかりと固められた髪に柔和な笑みを浮かべて、マスターが私に視線を向けた。
「ど、どうも」
それに慌てて応える。
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしくださいね」
「はい」
敷居の高さを感じていたけれど、その一言で肩の力が抜けた。美久の言う通り、どこかリラックスさせる雰囲気を持っている。そう広くない店内に、お客さんはまばらだ。
「美味しい!」
女二人、感嘆の声を上げる。見た目も綺麗なカクテルを口にした時だった。入り口のドアが開く音がする。
「いらっしゃいませ」
「とりあえず、お酒。濃い目のお願いできるかな」
それからすぐにそんな言葉が耳に入って来て、思わずそちらの方に視線をやった。
「……い、伊藤さん?」
「えっ?」
私の漏れ出た声に、美久もドアに顔を向けた。そこにいたのは、足元もおぼつかない姿の長身の男性。フラフラとカウンターに近づいて来る姿に、一瞬伊藤さんだと気づかなかった。それほどまでに、纏う雰囲気がいつもと全然違う。
「伊藤様、今日はどうされたんですか?」
カウンターから出て行ったマスターが伊藤さんに肩を貸す。
「別にどうもしないよ。ただ酒が飲みたくて。酒を飲むのにここ以上にいい店はない」
そんなことを言いながら笑っている。
「あの人、あんたの伊藤さん?」
「う、うん……」
美久も目をパチクリさせている。私がいつも話している伊藤さんの様子とはかけ離れているから、美久も驚いているんだろう。
今朝見たはずの隙なくきっちりと来ていたスーツはネクタイが歪み、いつも穏やかで落ち着いた伊藤さんとは思えない姿にただただ戸惑う。
「……あれ、柏原さん? 君もここで飲んでるの? 初めて見るな」
カウンター席に倒れ込むように座ると、伊藤さんがこちらに身体を向けて来た。
「は、はい。初めて連れて来てもらって……伊藤さんは――」
美久を挟んで隣の席にいる伊藤さんが、にこやかに私たちを見る。でも、そのにこやかさは明らかに泥酔によるものだ。
「ここ、僕、よく来るんだよ――」
「――あの、私、柚季の友人の若林と申します」
何を思ったのか、美久が伊藤さんに挨拶をした。
「どうも、柏原さんの上司の伊藤です」
「いつも、柚季がお世話になってます」
美久が何を企んでいるのか不安になって、その腕をつつく。それに構わず、美久が喋り続けた。
「伊藤さんのことは柚季からよくうかがっています。とても素敵な上司だって」
「ちょ、ちょっと、美久――」
おかしなことを言い出すのではと不安が焦りに変わり、美久を制止しようとする。
「本当に? それは光栄だ」
そんな私を押さえつけ、美久は続けた。
「今日は、お一人ですか?」
「一人ですよ」
「こんなに素敵な男性が週末に一人で飲んでいるなんて、もったいないな」
美久の発言にギョッとする。
「素敵なんかじゃないですよ。とんでもなくダメな男です」
伊藤さんが、手元に届いた琥珀色の液体を飲み干すとそんなことを言った。
「マスター、同じのをもう一杯」
「もう、やめておいた方が――」
「お願い、出して」
丸まった背中は、どこか痛々しくて。見てはいけないものを見ているような気がして来る。
(私、今日は帰るよ)
美久が私の方に振り返り耳打ちした。
「えっ?」
(この人、絶対、今日何かあったって。どちらにしてもあんたが次に踏み出す最大のチャンス)
私の腕をきつく握り、強い目力で訴えて来る。
(相手は酔ってる。柚季にはそれくらいの方が向き合える。ちゃんとケリをつけな。頑張れ)
そう言って美久が一方的に頷く。
「ちょっと待って――」
「すみません。私、先に失礼します。柚季をお願いしますね」
次の瞬間には伊藤さんに頭を下げていた。
「じゃあ、柚季、またね」
「美久――」
手を伸ばしても、その身体はあっさりとすり抜けて行った。そして、酔い潰れる伊藤さんの元に置き去りにされた。
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