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《その後》二人で見た海であなたを待つ

初めて感じるもの 13

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「そろそろ帰って来る頃かなと思って、待ってた」

春日井さんが、もたれていた階段の手すりから離れ、私へと向き直る。

「あのまま帰ったんじゃ――」
「うん。途中までは帰ったんだ。でも、やっぱりそのまま帰れなくて。引き返した」

動けないでいる私の方へと、春日井さんが一歩一歩近づいて来る。

「どうして……」

別れたのは朝だ。こんな時間まで、私を待っていてくれたということか。

「ちゃんと君と会って話をしたかった。いいかな……?」

春日井さんの声が静かに響く。やっぱり、あんなことを言ってしまって、冗談でなんか終わらせられるわけがなかったのだ。もう取り繕うことも出来なくて、ブリキの人形みたいにぎこちなくこくんと頷いた。

 階段を上る、その後ろに春日井さんが付いて来る。ところどころ錆びて剥げている鉄の階段を上がるたびに、こつこつと音が鳴る。その音が止み、二人の間に横たわる沈黙に緊張しながら、鍵を開けた。玄関のドアを開ければ、同じように暗がりが広がる。私から部屋に入る。そのあとに続いて春日井さんが入って来た。玄関のドアがぱたんと閉じる音がした。部屋の明かりを点けようと手を伸ばした時、その場で突然後ろから抱きしめられた。
 薄暗い部屋で、トクントクンと心臓の音ばかりが強調される。

「か、春日井さん……?」

私の鎖骨の辺りで交差した腕が、よりきつく私を抱く。

「――ごめん。僕が臆病なせいで、君を傷付けた」

表情も見えない。ただ分かるのは、抱きしめる腕の強さと春日井さんの声がいつもと違うこと。そして、背中越しに感じる春日井さんの鼓動が早いこと。

「今日一日、君の顔、目に焼き付いて離れなかった。君がぶつけてくれた気持ちを踏みにじった。何も言ってあげられなかった僕を許してくれ」

回された腕をぎゅっと掴み、頭を横に振った。

「いいんです。私だって、自分勝手に気持ちをぶつけただけで、春日井さんの気持ち、何も考えてあげられなくて――」
「違うよ!」

春日井さんの切羽詰まったような声が聞こえたと同時に、身体をくるりと反転させられた。暗がりの中で、春日井さんの顔が真正面に来る。

「君は何も悪くない。君は会うたびに、たくさん気持ちを伝えてくれていた。なのに、僕は――」

その目が切なく歪んでいる。

「君の想いに真正面から向き合わず逃げていた」

間近にある春日井さんの顔を見たら、昨日からずっとこらえていた涙が今頃になって溢れ出した。

「怖かったんだ」

春日井さんの指が私の涙を何度も拭う。その指は、本当に大事なものを扱うみたいに優しくて。余計に涙が溢れて、春日井さんの目がより歪んでいく。

「君と一緒にいながら、このまま本当に君を僕のものにしていいのかって考えてしまう自分がいて。それでいて、君から離れることもできない。君とこれ以上深い関係になるのが、怖かった」

そう言うと、私の頬を両手で包んだ。

「それが、君を傷付け、こんな風に泣かせることになるとも気付かないで……」

そして、そっと目尻に口付ける。流れ続ける涙を拭うように。優しく撫でるみたいに私の頬に触れる唇に、強張った身体と心が緩んでいく。

「私に触れるの、嫌なわけじゃ、ない……?」

二年前の私を思い出しているわけじゃないーー?

「本当の僕は、みっともないくらいもがいている。本当は、触れたくて触れたくてたまらないんだ。どうしようもないくらい、君が欲しいよ」

頬から唇を離し私を見つめると、春日井さんは強く私を抱きしめた。
背中を掻き抱くその腕は、きつくきつく私の身体を閉じ込める。ぴたりと触れる胸から、激しい鼓動を直に感じる。

「――だったら、何も考えないで。せめて、私にだけは、罪悪感なんて持たないで」

私も春日井さんを必死で抱きしめた。

「春日井さんが重い物を背負ってるのは分かってます。でも、私にだけは本当のあなたをぶつけてよ。私は、自分で選んで春日井さんの傍にいる。私が傍にいる意味を奪わないで。私が、あなたを好きで好きでたまらないってこと、忘れないで――」

その重い荷物の中にある苦しさも葛藤も、一緒に背負う覚悟はもうとっくに出来てる。それを分かって――。

「未雨……っ」

喉の奥から絞り出されたような掠れた声と同時に、荒々しく唇を塞がれた。すぐに深く侵入して来る。もう『ごめん』なんて言わせたくない。私も必死に絡ませる。口内で絡まり触れる場所が熱くてじんとする。私の頭を鷲掴む手のひらも、首筋を支える手のひらも熱い。

離れたくない。離したくない――。

このままずっと絡まっていたい。それほどまでに身体中が快感に痺れて、我を忘れて腕を回した背中をぎゅっと強く掴んだ。

「……あっ」

いつまでも触れ合っていたと思っていた唇が離れたかと思うと同時に首筋に熱を感じる。いつもの穏やかな春日井さんからは考えられないくらい荒っぽく力強い手のひらが、私の耳に触れ、腰を勢いよく抱き寄せて。鼻から抜けるような甘ったるい声が漏れてしまう。首筋から鎖骨へと落ちていく唇に、身体の芯までぞくりと刺激が走る。気付けばトレンチコートが肩から滑る。私も夢中になって春日井さんの上着を脱がせた。

「未雨……」

性急な動きが止まり、呼吸が乱れて掠れた声が、私の耳たぶを震わせる。

「今日、君を僕のものにして、いい?」

春日井さんの肩を掴んだ手のひらに力を込める。

「して、ください」

顔も身体も酷く熱い。精一杯、言葉を吐き出す。春日井さんは苦しそうに息を漏らした後、すぐに私の身体を抱きかかえた。ベッドに横たえて私を見下ろすその顔は、私の知らない”男の顔”だった。










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