野獣に餌付けしてしまったらしい

ハル

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伊月と煌の過去

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 伊月の父と煌の母が結婚したのは煌が2歳になった春だった。新しい出会いの季節といえど、ここまで大きな変化を起こせるのはあの母だけだろうと幼いながらも思った。
 新しい人2人と初めて会った時、父となる涼介りょうすけは容姿が整っていた煌に対して普通の子供として扱った。それが新鮮であり、煌にとって父親と思ったのは彼だけだった。今までしたことがなかった肩車やボール投げ、お祭りに行ったら、気が済むまで手を繋いで屋台を回った。
 彼と共にやって来た伊月は運動が得意で勉強に対しては逃げ腰だけど宿題はきちんとする涼介との約束を守る子だった。彼女は弟として煌と遊んだり頭をなでたり、いたずらをしてそれが悪いと彼女は煌が納得するまで言い聞かせた。キラキラと快活に笑う彼女が可愛くて煌は彼女の後ろを歩いていた。彼女が学校の友達と遊びに行くのを止めようと駄々をこねたり、それを振り払って出て行った彼女が帰って来たらいじけて見せたりして困らせた。そんな煌に伊月はいつもホットケーキミックスで作ったマフィンを持って機嫌をとっていた。その味は誰が作っても同じ味になるのだろうが、煌にとっては唯一無二だった。

『煌、楽しいわね。』
『うん!』

 働き詰めで顔色が悪かったのが嘘みたいに元気で本当に嬉しそうに笑う彼女を見ることが増えた。それも嬉しくて煌は元気に返事をした。そんなやり取りが彼ら2人といると増えた。

 穏やかな日々とはこういうことだと彼は思った。楽しいことも悲しいこともあったけれど、煌親子にとっては今までに感じたことがないほどに幸せだった。

 しかし、そんな穏やかな日々は続くことはなかった。
 4年後、2人とも小学生になった。煌と伊月の誕生日は同じ月なので一緒にお祝いすることが恒例であり、彼らの両親はそのためのプレゼントを買いにショッピングモールに来ていた。賑わう中を見て回り伊月はヒーロー戦隊の筆箱、煌はグローブを買ってもらい満足した。
 プレゼントを大事に抱えた2人は車に乗ってからも離さなかった。

『見て!煌!この筆箱かっこいいよ。』
『伊月、まだそんな子供っぽいものが好きなの?もう10歳になったのに。それより、このグローブの方がかっこいいよ!』
『それもいいと思うけど、私はヒーロー戦隊が好きなの!女の子にとっては永遠の憧れだよ!』

 筆箱を彼に見せつけて伊月は言った。

 そんな2人を見た両親は穏やかに笑いあった。

『伊月も煌も好きなものを好きだといつまでも言っていてほしいな。』
『そうね。煌、人の好きなものを否定してはダメよ。』
『分かった。お母さん。』

 母が煌に注意すると、彼は渋々頷いた。

『そうだ、2人にはもう一つプレゼントがあるのよ。』
『何!?』
『帰ってからのお楽しみね。』

 母からのサプライズに伊月が飛びつくが帰宅したらと譲らなかった。それでも、諦められず母に教えてと言っていた伊月を涼介は笑っていた。煌は横で伊月を宥めており、どっちが年上か分からなかった。

 その時、車の異変にいち早く気づいた涼介は

『2人ともシートベルトをしてドアに掴まれ!』

と、叫んだ。伊月も煌も意味がわからないまま彼の言う通りにすると急に大きな衝撃が襲い、2人は大きく頭が揺れて意識を失った。

『煌!煌!』

 煌は伊月の呼ぶ声で目を覚ました。酷い頭痛がして頭を押さえた。

『大丈夫?』
『ちょっと頭が痛い。』
『そっか。ちょっと暗いから見て上げられないけど、返事をしてくれて良かった。』

 そう言った彼女のおかげで全く見えないことに気づいた。

『お腹空かない?マフィンあるから食べて。』

 手探りで煌の手に伊月はマフィンを乗せた。まだ、温かいそれに驚いた。

『朝作っていたね。』
『うん。みんなで食べたかったからね。』
『美味しい。』

 一口食べれば、マフィンの甘さが口いっぱいに広がり、頭の痛みも緩和されているようだった。1個をあっという間に完食した煌は伊月の方を見た。

『伊月のマフィンは俺の一番だよ!』
『ありがとう。私、パティシエにはならないけど、いつか好きな人には作ってあげたい。煌のお墨付きだから最強だね!』

 彼女の嬉しそうな声に煌の心は激しく動揺し、そのいるかどうかわからない相手に怒りを感じた。

『伊月のマフィンは俺だけにして。』
『そんなに気に入ったの?いいよ。』
『嬉しい!約束!』

 2人は固く小指を絡ませて指きりをした。

 それと同時に天井部分が開けられ、光が一気に差し込んで来て眩しさに目を細めた。

 彼らは救助隊に助け出されたことを知り、そのすぐ後に両親の葬儀が涼介の妹によって行われた。母は家族と絶縁状態だったので自然とそうなった。

 葬儀の間、伊月はずっと煌の手を握っていた。彼女の手は震えていたので不安だったのだろう。それでも、彼女は顔をまっすぐに上げて前をしっかり見ていた。そんな姿に感化され、煌も同じようにした。
 葬儀の後に喪主をしてくれた義叔母一家に2人はお礼を言った。それに、彼女は笑みを浮かべて抱きしめた。

『いいのよ。そんな風に言わないで。兄から2人のことを聞いていたから、いつか会えるのを楽しみにしていたの。こんな風に会うことになるとは思っていなかったけど、兄からあなた達のことを託された気がするの。だから、もしよければ、2人ともおばさんの家に住まない?』

 彼女からの突然の提案に煌は驚いた。

『俺は父の子では。』
『そんな風に言ったら兄が悲しむわ。あなたを自慢の息子だと言っていたのよ。だから、これからそんなことを言わないで。』
『お父さんが。』

 涼介の思いを聞いて煌は嬉しさを募らせたけど、それを伝えられない虚しさも一緒だった。煌は義叔母と、何より伊月が一緒にいてくれるので喜んで提案を受け入れた。

 それから、義叔母一家とこれから一緒に住むのでお互いのことを知るために外で食事をしていると、来客を告げられた。個室なので店員が口頭で告げて来たのだが、名前を聞いた義叔母は誰かわからず人違いだと言った。
 すると、店員が再度やって来て子供に用があることを告げた。店員も困惑しているようでこれ以上迷惑をかけられないために義叔母が店員と共に出て行った。
 戻って来た彼女は周囲が心配するほど真っ青な顔をしており、そのまま煌の近くに座った。

『煌君、今、あなたの父という人が来ているわ。会いたいと言っているけど会う?』

 正直彼女の言葉が信じられなかった。母から聞いてはいたが、彼女の言葉の意味ではなく意思で父親のことを嫌悪していることはすぐに分かった。だから、生まれてからの間に会いに来なかった父親が今更来た行動に理解できなかった。しかし、目の前の優しい義叔母を悩ませるわけにはいかず、彼女について煌は父親に会った。

 その瞬間、すぐに理解した。彼が自分と血のつながりがあることを。それほどに自分とその男は似ていた。

『単刀直入に言う。お前には私の家を継いでもらう。お前の母親が逃げなければ、生まれた時からこちらにいた。その母親がいなくなったから、もう引き取らない理由はなくなったから、お前にはすぐに私と共に来てもらう。相応のお礼も包むし、そちらの女性にとっては悪い話ではないはず。』

 なんて身勝手な言葉であり、拒むことを許さないオーラを纏っていた。煌の意思など関係ないと言われており、この父親を母が嫌った理由が痛いほど分かった。

『俺は。』
『煌は私の家族だよ!おじさんに連れて行くなんておかしい!』

 煌の言葉を遮り入って来た伊月が2人の間に座って叫んだ。彼女は必死な形相で父親である男を睨みつけた。それを男は片眉をピクリと動かす。

『あの男の娘か。血のつながりが最も重要視されるからそれの父親である私が引き取るのは自然だ。』
『そんなこと知らない。血がつながらなくても本人が願えば家族になるんだよ。おじさん。』
『子供には分からないことだ。』

 男は手をヒラヒラさせると伊月の左右に大型の男が立ち、彼らが無理矢理彼女を部屋から出そうとしたが、彼らは彼女を侮っていた。伊月は普通の女性とは思えないほど運動神経が良かった。伊月はくるりとバク転して2人の男の拘束を解き、その勢いのまま煌の隣にピタリとついて彼の腕をギュッと離さないように両手で掴んだ。親がいなくなり、彼らにとっては家族と呼べる存在はお互いだけだった。

 その様子を一瞬驚いた顔した目の前の男は侮蔑の視線を送った。

『いくら抵抗したとしても、子供では解決できないことが多い。この問題がそうだ。お前はもう理解しているはずだ。それに、このままあの男の家族に迷惑がかかるぞ。俺はお前たちが思っているより力があるからな。』

 男は余裕の笑みを浮かべて水を一口飲んだ。

『今日はこれで帰る。よく考えることだ。決断できたら、この番号に電話をかけろ。』

 出ていく際、男が渡したのは番号が書かれた1枚の紙だった。しかし、煌はそれをくしゃくしゃにして立ち上がり、男を見上げた。

『そんな手間は取らせない。俺はあんたについて行く。その代わり、伊月や義叔母には手を出すな!それと、俺の結婚相手にもあんたの望む俺になった暁には一切口を出すな!それらが約束してもらう。』

 彼の宣言に男は楽しげに笑った。伊月は了承した煌の言葉が信じられず、出て行こうとする彼の腕に必死にすがった。

『嫌だ!嫌だよ。』

 そう何度も繰り返した。そんな伊月を煌は強く抱きしめて耳元でささやいた。

『すぐに戻って来る。あの約束は一生のものだから。』

 煌はそれからすぐに出て行った。

 伊月は叔母に引き取られ、彼女は精神的な負担に耐えきれず、3日寝込んだ。起きた時には記憶がなく、彼女は叔母の娘ということになった。

 それから7年、煌はやっと再び日本に戻って来た。伊月の現状を知らず、彼女に会ってからの計画に花を咲かせていたのだけど、学校の正門から出て来る学生の中からその彼女を見つけてすぐに分かった。

『伊月なのに、伊月じゃないみたいだ。』

 なんとなく直感が働いた。
 だから、覚えている義叔母の家に行くと、彼女は包み隠さず伊月のことを彼に教えた。それを悲しむ前に煌は笑ってしまった。

 なぜなら、彼にとって今後の計画で最も高い壁は伊月の弟だという認識だったから。

 それが、自然な形で取り払われたと思うと今まで信じていなかった神まで信じてしまいそうになった。

 煌は伊月の情報を集め、彼女に一番近い者が義甥の透だと分かった。彼を協力者にしてずっと伊月を見て監視いた。

 唯一、煌が暴走しなかったのは、彼女が約束を守っていたからだった。

 何年も飽きず、仕事よりも比重をおいての生活が彼にとっては楽しいものだった。それは伊月が泥酔した現場に行くまで続いた。

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