【書籍発売中】バーン・ホワイトウェイブ ─夏の終わりに消滅した、花のような彼女─

水無月彩椰

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最終章

沈みゆく群青、白波の果て

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『本日は快晴、気温は最高三十六度、しかし太平洋から沿岸部にかけては夜間の降雨が予想されます。急激な天候の変化にご注意ください。また──』

 どこかから聞こえるラジオの放送を聞き流しながら、僕は少しだけ熱い白波の手を繋いで、歩調を合わせながら歩いていた。高台のガードレール越しには、群青色の海面と、そこから立ち昇る真っ白い入道雲が映えている。ときおり頬を撫でる海風は、潮の匂いがした。

「わぁーっ、あれが……!」

 駆け出しそうなのを引き止めながら、僕は白波の隣から離れない。固く繋いだ手のひらは、既にじんわりと汗ばんでいた。ただでさえ徹夜で動作が鈍いのに、浴衣を着て走るのは言語道断。興奮する彼女がなおも転びかけるのを、圭牙と凪は溜息混じりに後ろから眺めていた。

 白波はそのまま僕を見ると、少し向こうにある屋台を指さす。

「マスター、あれが……あれ、なんて言うんでしたっけ……」

「屋台」

「……あっ、そうでした。あれが屋台ですよね」

「うん。美味しいものいっぱいあるから、好きなもの食べよっか。白波は何が食べたい?」

「私は……えっと……」

 さっそく屋台という呼び名を忘れている彼女を横目に、僕はその手をひときわ強く握りながら歩を進める。お店が出ているのは、とっくに見慣れた、あの集会所のある通りだ。こういう時にしか見ない、汚れの目立つ屋台がいくつも連なっている。そこを巡る客の数も、普段の島の様子を思えば、どこからこれだけ人が出てきたのだろうと感心してしまうほどだ。

 世界はこんな状況なのに、この島のお祭りは、昔のそれと何も変わらない。質素になることもなくて、かといって派手派手しさは増していない。本当に昔ながらの、夏休みのお祭り、そんな懐かしさがあった。人混みのなかに白波と紛れながら、ふと、そう思った。

「白波! 白波ぁ! 唐揚げあるでっ!」

「あ、いま行きま──わっ……!」

「ちょっ……!」

 少し向こうで手を振っている凪を追いかけようとして、白波はまたもつまずきかける。それを引き戻しつつ踏ん張って、なんとか転ぶのは避けられた。「えへへ……」と、誤魔化すような笑い顔。そんな白波を見て、凪の隣にいる圭牙が呆れたように肩をすくめた。

「ポンコツだな……。ノルマ達成か」

「……なにか言いました?」

「ポンコツって言ったんだよ、よく聞いとけポンコツ」

「ポンコツで結構ですっ。ポンコツ上等! です‼」

 そう言ってそっぽを向くと、ついでに凪から唐揚げを受け取った。絶対に落とすまいと力強く握りしめているのが、なんだか面白い。変形した紙コップに、串に刺さった大ぶりの鶏肉。それをもらった時の二人の笑い顔を見ながら、僕は何がなしに、圭牙と顔を見合わせた。彼も少し、いつもよりは表情が柔らかい。なんだかんだ楽しんでいるのだろう。

「──はいっ、マスターも」

「うん……?」

 溌剌とした白波の声につられて、思わずそちらを見る。串に刺さった唐揚げを僕に向けながら、『どうぞ食べてください!』と言うかのように力強く頷いていた。見ると、既に二つ減っている。凪と彼女で食べたらしい。残りの二つは僕と圭牙ということだろうか。

「じゃあ、ありがたく……」

「あ、やっぱりダメ」

 取ろうとした寸前、白波は持っていた唐揚げをひょいと僕から遠ざける。そうして悪戯(いたずら)っぽく笑うと、やにわに指で串から引き抜いて、それを僕の口元に持ってきた。

「あーん、してあげますっ。お口、開けてください」

 無言で口を開ける。もはや恥も外聞もない。昨夜のキスがピークだ。

「うわ、迷いなくやりよったで……」

「……人がいるのによくできるな」

 二人を睨みつけながら、彼女に視線を向ける。白波は満足そうに笑うと、指でつまんでいた大ぶりの唐揚げを、迷いなく──いや、滑り落とす直前で僕の口の中に放り込んだ。

「わっ、あつっ──」

「んへへ、美味しいでしょうっ?」

「熱くてよく分からない……!」

 楽しそうに笑っている彼女が別の屋台を指さしたのは、それからわずか三秒後の話だった。



「……マスター、暑い」

「だからって僕の腕を引っ張らないで……。綱引きじゃないんだからさ」

 屋台を一通り堪能して、僕は白波に手を引かれながら、裏山の麓(ふもと)にある神社の石段、その木陰になっている部分へと腰を下ろす。冷房の効いた集会所には人がたくさん集まっていて、逆に暑苦しかった。配られていたうちわで顔を扇ぎながら、白波は石段の二段目に座って、僕にひょいひょいと手招きする。言われた通り隣に座ると、大きく振りかぶったうちわの風が、汗に張り付いた髪を優しくなびかせていった。ひんやりとして、涼しい。

 凪と圭牙もその風をもらいながら、安堵したような溜息を吐いていた。……君たち、うちわ持ってるでしょ。あ、白波が扇ぐの止めたら木陰に座るんだ……。魂胆が見え見えだよね。

「そういえば、花火って何時からやっけ?」

「えっと……マスター、何時からでしたっけ……?」

「……さぁ。圭牙は知ってる?」

「六時半だよ。覚えとけ、ポンコツ野郎ども」

「そうです、私はポンコツです……。ポンコツ白波です……。……今は何時なんですか?」

「気の変わり方が早いんな……。夏月、いま何時?」

「え、知らない」

 まるで伝言ゲームのような受け答えの羅列だ。とはいえ分からないものは分からない。ふと空を見上げる。太陽の位置で現在の時間が分かるらしい……とか言うけれど、まず方角が分からない。北はどっちだろうか……。

「……あはは」

「なんで笑ってん……」

 誤魔化し笑いをしたら、怪訝な顔をされた。そこに挟まるように、白波が軽く言う。

「まぁ、暗くなれば分かりますし、いいんじゃないですか?」

「じゃあ、それまでどうするの」

 彼女は少しだけ目を丸くすると、しばし考えるような仕草で、人差し指を口元に添える。それから納得したように頷いて、やにわに僕の膝の上に寝転がってきた。

「ちょっと……またそういうことする。人前だよ」

「……えへへ。一緒にお昼寝、しません?」

「白波はともかく僕は寝られない」

「結構です。私が寝られれば問題なしですっ」

「どこが……?」

 言うことがトンチンカンだ。どうしたものだろうか……と思っているうちに、彼女は膝の上で目をつぶる。わざとらしく寝息を立てて、『私は何も知りませんよ』のモードに入っているようだ。少しだけ、重い。言えないけど。

 助けを求めるように、二人へと目配せする。凪は一瞬だけ知らん顔をして、そのままジェスチャーで『ウチら邪魔やろうからそこらへんウロウロしとくわ』的なことを言っている……らしい。多分。そして圭牙に至ってはこっちを見てもくれない。悲しい。

「いや、あの……。気にしないでいいから……さ?」

「気にするわっ! 目の前でイチャコラされて気にしない方がおかしいやろ……!」

「……君たちもイチャコラすればいいじゃん」

「アンタまで白波みたいなこと言い出した……‼」

「うるせぇぞ凪。お前も早く寝ろ。俺も寝る」

「は? アンタも寝るんか……? ここで?」

圭牙は頬杖をつきながら目をつぶって、うちわを悠々と扇いでいた。割と奔放な幼馴染とヒューマノイドに挟まれて、凪はどうしたものかと右往左往している。それから意を決したように僕へと向き直ると、ずいっと鼻先を近付けて、

「……ウチも寝るけど、変なことせんといてよ?」

「しないから早く寝て」

「ん。あっつ……」

 砂利が付くのも構わず、彼女は石段にもたれかかる。階段の高さが浅いから、そこまで腰に負担がないのだろうか。揃いも揃ってうちわを扇ぎながら、ときおり射し込む木漏れ日に瞳を焼かれつつ、遠い蝉の鳴き声を聞く。

 ……そんなこんなで、みんな寝てしまった。起きてるのは僕だけだ。

 白波の持っているうちわをそっと奪いながら、とうに寝息を立てている彼女に向けて、優しく扇いでやる。こうしていると、この一、二週間、白波と恋仲になってからのことが思い出されるようだ。繋いだ手の感触とか、腕に抱きつかれたこと、寝る前の膝枕も、あの子守唄も──それらが走馬灯のように脳裏をよぎっていく。

 ……数時間後のことは、考えないようにしていた。だけれど、完全に意識から消し去るなんてこと、できっこない。僕も、きっと白波自身も、圭牙や凪だってそうだ。ただ、いつも通りを、気丈に演じているだけ。そうでもしなければ、現実と向き合えそうにないから。

 うちわを扇ぐ手を止めて、僕は呆然と、彼女の寝顔を見つめる。この夏で飽きるほど見てきた寝顔だ。それが堪らないほどに愛おしくて、その温もりを手放したくなくて、どこか、すがるような心持ちで──その人肌程度の温もりに、そっと手を添えて、撫でてやった。

「……」

 温かい。柔らかい。汗で少し、湿っている。寝ているはずなのに、どこかはにかむような彼女の顔が、少し面白くて笑ってしまった。けれど、誰も反応しない。近く遠くを響く蝉時雨が、あの入道雲に融け消えていくようだった。どこか、懐かしいような気がした。

「……ゆりかごの歌を カナリヤが歌うよ──
──ねんねこねんねこ ねんねこよ」

 懐かしい歌を、口ずさんでみる。ほとんど声には出さず、小さなラムネ玉を転がすように、遠い昔の、陽炎にも似たあの夏の記憶を、目蓋の裏に感じていた。木漏れ日が、今はどこか、温かい。それはカーテン越しに射す昼下がりの陽光みたいで、僕を寝かしつけてくれていた白波の優しい顔が、脳内にありありと思い出された。

 高台になっている石段からは、あの急坂が見える。小さな島の桟橋で、僕と白波は、十年振りに再会した。それがかつての初恋の相手とも知らずに、ただ、その少女がどうしようもなく綺麗だった。潮風に吹かれて、群青色の果てを見つめている少女の姿に、見蕩(みと)れていた。

 その少女に、恋をした。かつての初恋がぶり返した、といえば、そうなのかもしれない。けれど僕は、この夏、この島で出会った彼女のことを、好きになったのだ。無邪気な性格、可愛らしい笑い顔、それでいてドジだし、けれど憎めない。そんなところに、惹かれていた。

 ──私、八月三十一日に、寿命で消滅しますから。

 そんな白波の言葉が、耳元で聞こえた、ように感じた。同時に心臓が締め付けられるように痛くなって、気味の悪い鼓動がして、肩が跳ねて、息が詰まる。揺らぐ陽炎のように見えたのは、眩暈(めまい)。視界がぼやけて見えるのは……あぁ、そうだ、涙に決まっている。

頬に伝うそれをこぼさないように、手の甲で無理やり拭う。けれども一滴、白波の肌に、落ちてしまった。さながら彼女も一緒に泣いているようで、それは似合っていない。

 ──数時間後に迎える最期を、僕は笑って、笑ったままで、別れることができるだろうか。
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