8 / 35
第一章
ポンコツヒューマノイドとお買い物
しおりを挟む
炎陽というよりも、斜陽という方が適当な午後四時過ぎ、入道雲はやや薄ぼけた紺青に映えて、少しだけその勢いを弱めながら、東雲色に染まっている。海鳥が胡麻を撒いたように飛んでいるのが、さして広くない裏路地から見下ろす、民家の屋根越しにも、よく分かった。
潮風に枝葉は靡いて、二人ぶんの足音は、昼間よりも軽い。ときおり目蓋に落ちる影が、消えゆく斜陽の明るさを、どこか守っているように思えた。瞳を射す陽光に目を細めながら、「マスター」と呼んできた白波を見る。
「昼間よりは、ちょっと涼しくなりましたね」
「うん。このくらいなら我慢できるでしょう」
「はいっ」
軽トラックが通れるかどうかという幅の裏路地を、僕と白波は横並びに歩く。錆びついたシャッターの、誰の家のものとも分からないような物置のなかを一瞥しながら、夕食の材料調達のために商店へと向かっていた。庭先にいるおじいちゃんと、一瞬だけ視線が合う。二人揃って挨拶すると、嬉しそうに笑って返事をしてくれた。
──「暑い時の外出は嫌ですっ」などと駄々をこねた彼女の要望で、結局、出発したのは午後四時頃。あの後に圭牙たちと別れてからは、いったん家に戻って、足りない食材の確認やら暇つぶしやらをして……。それから、いつの間にか寝てしまっていた白波を起こして──いま、こうして買い物に来ている。そこそこ怠慢な夏休みだ。
「あっ、ここっぽいですね」
彼女が人差し指を向ける。鉢植え代わりの発泡スチロールが壁際に並んで、昔の民家によく見たような簾が、コンクリートブロックを支えに、玄関先に立てかけられていた。日陰になっているそこへと逃げ込むように、僕は彼女を先導して硝子戸を引く。小さな広告が何枚か、剥がれかけのセロテープで直に貼られていた。引き戸を開け閉めするたびに、カランカランと音が鳴る。
「いらっしゃーい」
どこからか中年ほどの女性の声がする。姿は見えない。
真っ先に視界の中を覆い尽くしたのは、どこもかしこも陳列棚。棚、棚、棚だ。わかめ、鰹節、顆粒だし。小麦粉、ふりかけ、缶詰が数種類。あっち側にはお菓子とインスタント類だ。床に点在するダンボール箱を避けながら、年季の入ったリノリウムの床を踏んでいく。壁際には、ショーケースのなかに飲料水と冷凍食品。かと思えば、野菜や魚、なんでもござれ。流石は島唯一の商店。
「わぅ……痛い……」
どこかから鳴き声がしたかと思えば、どうやら白波らしい。棚の角に手をぶつけたのか、小さくステップを踏むように、素っ頓狂な動きで悶えていた。ただでさえ通路が狭いのに、よくやるものだ。どうせ二次被害を招いたり……あ、またぶつけた。ほら、言わんこっちゃない。
「あっ、マスターっ。私が持ちます! ポンコツができるのはこのくらいなので……。なにとぞご活躍の機会を……」
乱雑に積み重なった買い物かごを取ろうとして、それを彼女に止められた。しかも、腕にしがみついてまで。このまま僕が淡々と買い物を進めてしまったら、ポンコツの汚名返上を果たす機会が無くなる──と危惧してのことだろうか。ポンコツなのはもう変わらないけど。
「じゃあ、よろしく」
「はいっ」
白波が両手で持つ買い物かごに、必要なものを放り入れていく。メインとなる肉や魚はもちろん、野菜だったり、彼女が料理をやらかした時の万が一に備えて、冷凍食品も。段々と中身が重くなっていくにつれて、白波はときおり、手に力を込めてかごを持ち直す。「んしょ」という小さな掛け声が、換気扇の回る音に混じった。
「私、いま、とても生を実感してますっ!」
「重いんだ」
「はいっ。持ちますか?」
「いや、白波の存在理由は奪いたくない」
「そうですか……。しょんぼり」
しょんぼりヒューマノイドにどこか愛嬌を感じながら、僕はまた、必要になるものを買い物かごに足す。しかしまぁ、どれもこれも値段が高い。買い物をしない僕でさえ『こんなものが?』と言いたくなるくらい、高い。
「わっ、なんでこんなところに物があるんですか……! つまづいちゃったじゃないですかぁ……うぅ……」
後ろでは白波がうるさい。感情豊かでなによりだ。
生活費は全て祖母が賄ってくれるものの、島という環境に加え、海面上昇による物流の停止──物価の高騰ぶりが半端ではない。普通の飲料水ですら二三〇円。これならまだ、僕がいた都市部の方がマシだろう、きっと。
「高いなぁ……」
「ねぇねぇマスター。おばあ様もよく、お買い物の帰りに『高い高い』って言ってましたけど、ここのことですか? 高いって、品物の価格のことでしょうか」
「そうだよ。環境が悪いね」
「こればかりは仕方ないですね……」
ある程度めぼしいものを押さえて、狭い通路を通りながらレジへと向かう。いつの間にかスタンバイしていたらしい中年のおばさんが、僕と白波を一瞥した。買い物かごを受け取ると同時に、「高くて悪いねぇ」と笑う。「こんな島だから、ほら。昔はもう少し安かったけど」。横髪のあたりから、少しだけ白髪が覗いていた。
「あなたたち、見ない顔ね。外の人でしょ」
「四宮の孫です。彼女はバーチャル・ヒューマノイド」
「二代に渡って四宮家にご厄介してます。白波です」
溌剌と喋りながら、彼女は深くお辞儀する。顔を上げた時の笑い顔を見て、おばさんもひとつ、目を丸くした。
「あぁ、四宮さんとこ! そりゃご愁傷さまでした……。あの人、バーチャル・ヒューマノイドなんか持ってたんだね。随分と可愛い子、白波ちゃんって言ったっけ。この島じゃヒューマノイド系は珍しいよぉ。ぜんっぜんヒューマノイドに見えないね。時代は凄いなぁ……」
そう言いながらも手早く精算を済ませると、おばさんは袋に詰めた食材諸々の中に、「おまけ」と、適当なお菓子をいくつか入れてくれた。「でも、賞味期限切れよ」と言って、少し重そうなビニール袋を白波に手渡す。僕はその代わりに、代金ちょうどを支払った。「ありがとうございますっ!」と、嬉しそうに彼女ははしゃぐ。
「白波ちゃん、マスターくんと仲良くやりな」
「実はマスター、毎晩、しっかり私を喜ばせてくれてるんですっ! とってもとっても仲は良いですっ!」
「白波、言い方っ!」
潮風に枝葉は靡いて、二人ぶんの足音は、昼間よりも軽い。ときおり目蓋に落ちる影が、消えゆく斜陽の明るさを、どこか守っているように思えた。瞳を射す陽光に目を細めながら、「マスター」と呼んできた白波を見る。
「昼間よりは、ちょっと涼しくなりましたね」
「うん。このくらいなら我慢できるでしょう」
「はいっ」
軽トラックが通れるかどうかという幅の裏路地を、僕と白波は横並びに歩く。錆びついたシャッターの、誰の家のものとも分からないような物置のなかを一瞥しながら、夕食の材料調達のために商店へと向かっていた。庭先にいるおじいちゃんと、一瞬だけ視線が合う。二人揃って挨拶すると、嬉しそうに笑って返事をしてくれた。
──「暑い時の外出は嫌ですっ」などと駄々をこねた彼女の要望で、結局、出発したのは午後四時頃。あの後に圭牙たちと別れてからは、いったん家に戻って、足りない食材の確認やら暇つぶしやらをして……。それから、いつの間にか寝てしまっていた白波を起こして──いま、こうして買い物に来ている。そこそこ怠慢な夏休みだ。
「あっ、ここっぽいですね」
彼女が人差し指を向ける。鉢植え代わりの発泡スチロールが壁際に並んで、昔の民家によく見たような簾が、コンクリートブロックを支えに、玄関先に立てかけられていた。日陰になっているそこへと逃げ込むように、僕は彼女を先導して硝子戸を引く。小さな広告が何枚か、剥がれかけのセロテープで直に貼られていた。引き戸を開け閉めするたびに、カランカランと音が鳴る。
「いらっしゃーい」
どこからか中年ほどの女性の声がする。姿は見えない。
真っ先に視界の中を覆い尽くしたのは、どこもかしこも陳列棚。棚、棚、棚だ。わかめ、鰹節、顆粒だし。小麦粉、ふりかけ、缶詰が数種類。あっち側にはお菓子とインスタント類だ。床に点在するダンボール箱を避けながら、年季の入ったリノリウムの床を踏んでいく。壁際には、ショーケースのなかに飲料水と冷凍食品。かと思えば、野菜や魚、なんでもござれ。流石は島唯一の商店。
「わぅ……痛い……」
どこかから鳴き声がしたかと思えば、どうやら白波らしい。棚の角に手をぶつけたのか、小さくステップを踏むように、素っ頓狂な動きで悶えていた。ただでさえ通路が狭いのに、よくやるものだ。どうせ二次被害を招いたり……あ、またぶつけた。ほら、言わんこっちゃない。
「あっ、マスターっ。私が持ちます! ポンコツができるのはこのくらいなので……。なにとぞご活躍の機会を……」
乱雑に積み重なった買い物かごを取ろうとして、それを彼女に止められた。しかも、腕にしがみついてまで。このまま僕が淡々と買い物を進めてしまったら、ポンコツの汚名返上を果たす機会が無くなる──と危惧してのことだろうか。ポンコツなのはもう変わらないけど。
「じゃあ、よろしく」
「はいっ」
白波が両手で持つ買い物かごに、必要なものを放り入れていく。メインとなる肉や魚はもちろん、野菜だったり、彼女が料理をやらかした時の万が一に備えて、冷凍食品も。段々と中身が重くなっていくにつれて、白波はときおり、手に力を込めてかごを持ち直す。「んしょ」という小さな掛け声が、換気扇の回る音に混じった。
「私、いま、とても生を実感してますっ!」
「重いんだ」
「はいっ。持ちますか?」
「いや、白波の存在理由は奪いたくない」
「そうですか……。しょんぼり」
しょんぼりヒューマノイドにどこか愛嬌を感じながら、僕はまた、必要になるものを買い物かごに足す。しかしまぁ、どれもこれも値段が高い。買い物をしない僕でさえ『こんなものが?』と言いたくなるくらい、高い。
「わっ、なんでこんなところに物があるんですか……! つまづいちゃったじゃないですかぁ……うぅ……」
後ろでは白波がうるさい。感情豊かでなによりだ。
生活費は全て祖母が賄ってくれるものの、島という環境に加え、海面上昇による物流の停止──物価の高騰ぶりが半端ではない。普通の飲料水ですら二三〇円。これならまだ、僕がいた都市部の方がマシだろう、きっと。
「高いなぁ……」
「ねぇねぇマスター。おばあ様もよく、お買い物の帰りに『高い高い』って言ってましたけど、ここのことですか? 高いって、品物の価格のことでしょうか」
「そうだよ。環境が悪いね」
「こればかりは仕方ないですね……」
ある程度めぼしいものを押さえて、狭い通路を通りながらレジへと向かう。いつの間にかスタンバイしていたらしい中年のおばさんが、僕と白波を一瞥した。買い物かごを受け取ると同時に、「高くて悪いねぇ」と笑う。「こんな島だから、ほら。昔はもう少し安かったけど」。横髪のあたりから、少しだけ白髪が覗いていた。
「あなたたち、見ない顔ね。外の人でしょ」
「四宮の孫です。彼女はバーチャル・ヒューマノイド」
「二代に渡って四宮家にご厄介してます。白波です」
溌剌と喋りながら、彼女は深くお辞儀する。顔を上げた時の笑い顔を見て、おばさんもひとつ、目を丸くした。
「あぁ、四宮さんとこ! そりゃご愁傷さまでした……。あの人、バーチャル・ヒューマノイドなんか持ってたんだね。随分と可愛い子、白波ちゃんって言ったっけ。この島じゃヒューマノイド系は珍しいよぉ。ぜんっぜんヒューマノイドに見えないね。時代は凄いなぁ……」
そう言いながらも手早く精算を済ませると、おばさんは袋に詰めた食材諸々の中に、「おまけ」と、適当なお菓子をいくつか入れてくれた。「でも、賞味期限切れよ」と言って、少し重そうなビニール袋を白波に手渡す。僕はその代わりに、代金ちょうどを支払った。「ありがとうございますっ!」と、嬉しそうに彼女ははしゃぐ。
「白波ちゃん、マスターくんと仲良くやりな」
「実はマスター、毎晩、しっかり私を喜ばせてくれてるんですっ! とってもとっても仲は良いですっ!」
「白波、言い方っ!」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness
碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞>
住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。
看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。
最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。
どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……?
神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――?
定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。
過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
演じる家族
ことは
ライト文芸
永野未来(ながのみらい)、14歳。
大好きだったおばあちゃんが突然、いや、徐々に消えていった。
だが、彼女は甦った。
未来の双子の姉、春子として。
未来には、おばあちゃんがいない。
それが永野家の、ルールだ。
【表紙イラスト】ノーコピーライトガール様からお借りしました。
https://fromtheasia.com/illustration/nocopyrightgirl

愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
今日はパンティー日和♡
ピュア
ライト文芸
いろんなシュチュエーションのパンチラやパンモロが楽しめる短編集✨
おまけではパンティー評論家となった世界線の崇道鳴志(*聖女戦士ピュアレディーに登場するキャラ)による、今日のパンティーのコーナーもあるよ💕
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる