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第一章
滔々、一人語り
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「……緊張、してましたね」
黒焦げになったトーストの苦さが、口のなかに広がっていく。それに追い討ちをかけるような白波の一言が、僕の胸を締め付けるように、無自覚の圧を与えてきた。隣に座って申し訳なさそうにしているのは、パンを焦がしたからか、或いは僕の胸の内を見透かしているからか。
いくら自分が気乗りしないからって、彼女にパンを焼かせるのは失敗だったな──と、そんな後悔だけが頭に浮かぶ。……いや、浮かぶ後悔は、別にそれだけではないのだけれど。今はその事実から、目を逸らしたかった。けれど、窓硝子から射し込む陽光だけは、やけに明るい。
「……苦手なんだ、昔から」
「人間と話すのが、ですか?」
「ううん、同年代と話すのが」
「……どうして?」
純粋な疑問。まだ出会って間もないとはいえ、白波のマスターは僕だ。だから、踏み込んで訊いてくる。妙に空気を読んで、触れないようにする赤の他人とは違う。その決定的な距離感の差が、今はむしろ、ありがたかった。だから、なんとなく、彼女になら説明してもいいような気がした。彼女になら、話せるような気がした。
「十五、六年前に、パンデミックが起きたでしょう。感染対策を目的に、五年くらいで色々な科学技術が一気に発展した。僕が中学の時には環境も整ってたから、メタバース空間で特別授業とかしたよ。パンデミックは治まったけど、環境が次世代にシフトしたのがこの頃」
今、僕たちが普通に使っているものは、ここから始まった。逆境を乗り越えるために、技術は発達して、そしてこれから、また新たなものが出つつある。白波のようなバーチャル・ヒューマノイドが、その最たる例だ。
「……ただ、現実空間で誰とも仲良くない人がメタバースにいたって、何も変わらないんだ。僕の中学デビューはね、仲の良い子と離れて、知らない子たちのなかで、友達ができずに授業だけをやっていく毎日。だから余計に内向的になって、人と距離ができて、いつの間にか、話すのが苦手になっちゃった。そしたらもう駄目だ」
笑いたい。笑うしかない。いっそ、笑ってくれれば、気が晴れるだろう。苦笑しいしい、「でも」と続ける。
「でも、時代って便利だなぁと思ったよ。SNSなら話の合う赤の他人と繋がれるし、現実みたいに気を遣う必要もないし。流行ってたVRゲームとかメタバースのアバターとかにも、どっぷりハマった。今もそうだね。
だから、ネット上とか、アバターとか、それこそ──白波みたいなバーチャル・ヒューマノイドが相手なら、普通に話せる。でも、現実じゃ同級生相手に上手く話せない。一度は頑張ったけど、高校生になっても同じ」
テーブルの上に置かれたグラスのなかで、小さな水面が揺らめいている。透き通ったそれを日射しが透して、映る影が淡い。水底から見上げた時の景色にも似た、そんな揺らめきが、テーブルの表面を、静かになぞっている。それはきっと、自分に似ているなと、ふと思った。ただ存在しているだけの、ほとんど無意味なものだ。
「学校じゃ、ただ頭が良いだけ。人付き合いもできない。特にやりたいこともない。胸を張って言える、将来の夢もない。なにより、もう三年生の夏休みなのに、進路も何も決まってない。……だから、きっと、親に、ここに来させられたんだ。呆れられたんじゃないかな」
「この夏の間に、なんとかしなきゃって、思ってるけどさ」──自信の持てる、紛うことなき本音だった。
言いたいことを言い終えて、僕は大きく深呼吸する。白波はずっと沈黙を貫いたまま、けれど、ずっと、耳を傾けてくれていた。そのありがたさを胸の内で感じながら、テーブルの上にある黒焦げのパンに手を伸ばす。
「あれ」
「……もう無いですよ。さっき食べたのが最後です」
「そっか」
眦の下がった穏和な笑みで、彼女は静かに言った。パンの枚数も把握できないほど、物思いに耽っていたらしい。情けないな、と、溜息を吐く。白波はそんな僕を見ながら、その優しい笑みと、優しい声で続けた。
「──それなら私が、マスターに頼られるバーチャル・ヒューマノイドになります。私が、マスターと皆さんのアシスト役になります。人間関係が不安だって、変わろうとしなければ結局、変われないんですよ。だから、いつかは頑張らなければならないんです。私がお手伝いします。……マスターはそれじゃ、不安ですか?」
穢れのない、澄み渡って綺麗な群青色の瞳が、僕を見つめる。窓硝子から射す陽光に照らされて、彼女のその面持ちは、衷心からの慈愛に満ち満ちた、或いは縋り付きたいような、或いは懐かしいような、なんともいえないこの雰囲気に、またしても呑まれてしまっていた。
「……いや」
だから僕は、彼女を頼ることに決めた。自分が変わりたいから、いつかは変わらなければならないのだから、それが今であることを確信して、誰かに頼ってでも、この現況を何とかするつもりで、動こうと思えた。
「……引き続き、頼らせてもらおうかな」
「──はいっ、お任せください」
黒焦げになったトーストの苦さが、口のなかに広がっていく。それに追い討ちをかけるような白波の一言が、僕の胸を締め付けるように、無自覚の圧を与えてきた。隣に座って申し訳なさそうにしているのは、パンを焦がしたからか、或いは僕の胸の内を見透かしているからか。
いくら自分が気乗りしないからって、彼女にパンを焼かせるのは失敗だったな──と、そんな後悔だけが頭に浮かぶ。……いや、浮かぶ後悔は、別にそれだけではないのだけれど。今はその事実から、目を逸らしたかった。けれど、窓硝子から射し込む陽光だけは、やけに明るい。
「……苦手なんだ、昔から」
「人間と話すのが、ですか?」
「ううん、同年代と話すのが」
「……どうして?」
純粋な疑問。まだ出会って間もないとはいえ、白波のマスターは僕だ。だから、踏み込んで訊いてくる。妙に空気を読んで、触れないようにする赤の他人とは違う。その決定的な距離感の差が、今はむしろ、ありがたかった。だから、なんとなく、彼女になら説明してもいいような気がした。彼女になら、話せるような気がした。
「十五、六年前に、パンデミックが起きたでしょう。感染対策を目的に、五年くらいで色々な科学技術が一気に発展した。僕が中学の時には環境も整ってたから、メタバース空間で特別授業とかしたよ。パンデミックは治まったけど、環境が次世代にシフトしたのがこの頃」
今、僕たちが普通に使っているものは、ここから始まった。逆境を乗り越えるために、技術は発達して、そしてこれから、また新たなものが出つつある。白波のようなバーチャル・ヒューマノイドが、その最たる例だ。
「……ただ、現実空間で誰とも仲良くない人がメタバースにいたって、何も変わらないんだ。僕の中学デビューはね、仲の良い子と離れて、知らない子たちのなかで、友達ができずに授業だけをやっていく毎日。だから余計に内向的になって、人と距離ができて、いつの間にか、話すのが苦手になっちゃった。そしたらもう駄目だ」
笑いたい。笑うしかない。いっそ、笑ってくれれば、気が晴れるだろう。苦笑しいしい、「でも」と続ける。
「でも、時代って便利だなぁと思ったよ。SNSなら話の合う赤の他人と繋がれるし、現実みたいに気を遣う必要もないし。流行ってたVRゲームとかメタバースのアバターとかにも、どっぷりハマった。今もそうだね。
だから、ネット上とか、アバターとか、それこそ──白波みたいなバーチャル・ヒューマノイドが相手なら、普通に話せる。でも、現実じゃ同級生相手に上手く話せない。一度は頑張ったけど、高校生になっても同じ」
テーブルの上に置かれたグラスのなかで、小さな水面が揺らめいている。透き通ったそれを日射しが透して、映る影が淡い。水底から見上げた時の景色にも似た、そんな揺らめきが、テーブルの表面を、静かになぞっている。それはきっと、自分に似ているなと、ふと思った。ただ存在しているだけの、ほとんど無意味なものだ。
「学校じゃ、ただ頭が良いだけ。人付き合いもできない。特にやりたいこともない。胸を張って言える、将来の夢もない。なにより、もう三年生の夏休みなのに、進路も何も決まってない。……だから、きっと、親に、ここに来させられたんだ。呆れられたんじゃないかな」
「この夏の間に、なんとかしなきゃって、思ってるけどさ」──自信の持てる、紛うことなき本音だった。
言いたいことを言い終えて、僕は大きく深呼吸する。白波はずっと沈黙を貫いたまま、けれど、ずっと、耳を傾けてくれていた。そのありがたさを胸の内で感じながら、テーブルの上にある黒焦げのパンに手を伸ばす。
「あれ」
「……もう無いですよ。さっき食べたのが最後です」
「そっか」
眦の下がった穏和な笑みで、彼女は静かに言った。パンの枚数も把握できないほど、物思いに耽っていたらしい。情けないな、と、溜息を吐く。白波はそんな僕を見ながら、その優しい笑みと、優しい声で続けた。
「──それなら私が、マスターに頼られるバーチャル・ヒューマノイドになります。私が、マスターと皆さんのアシスト役になります。人間関係が不安だって、変わろうとしなければ結局、変われないんですよ。だから、いつかは頑張らなければならないんです。私がお手伝いします。……マスターはそれじゃ、不安ですか?」
穢れのない、澄み渡って綺麗な群青色の瞳が、僕を見つめる。窓硝子から射す陽光に照らされて、彼女のその面持ちは、衷心からの慈愛に満ち満ちた、或いは縋り付きたいような、或いは懐かしいような、なんともいえないこの雰囲気に、またしても呑まれてしまっていた。
「……いや」
だから僕は、彼女を頼ることに決めた。自分が変わりたいから、いつかは変わらなければならないのだから、それが今であることを確信して、誰かに頼ってでも、この現況を何とかするつもりで、動こうと思えた。
「……引き続き、頼らせてもらおうかな」
「──はいっ、お任せください」
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