【書籍発売中】バーン・ホワイトウェイブ ─夏の終わりに消滅した、花のような彼女─

水無月彩椰

文字の大きさ
上 下
5 / 35
第一章

滔々、一人語り

しおりを挟む
「……緊張、してましたね」


 黒焦げになったトーストの苦さが、口のなかに広がっていく。それに追い討ちをかけるような白波の一言が、僕の胸を締め付けるように、無自覚の圧を与えてきた。隣に座って申し訳なさそうにしているのは、パンを焦がしたからか、或いは僕の胸の内を見透かしているからか。

 いくら自分が気乗りしないからって、彼女にパンを焼かせるのは失敗だったな──と、そんな後悔だけが頭に浮かぶ。……いや、浮かぶ後悔は、別にそれだけではないのだけれど。今はその事実から、目を逸らしたかった。けれど、窓硝子から射し込む陽光だけは、やけに明るい。


「……苦手なんだ、昔から」
「人間と話すのが、ですか?」
「ううん、同年代と話すのが」
「……どうして?」


 純粋な疑問。まだ出会って間もないとはいえ、白波のマスターは僕だ。だから、踏み込んで訊いてくる。妙に空気を読んで、触れないようにする赤の他人とは違う。その決定的な距離感の差が、今はむしろ、ありがたかった。だから、なんとなく、彼女になら説明してもいいような気がした。彼女になら、話せるような気がした。


「十五、六年前に、パンデミックが起きたでしょう。感染対策を目的に、五年くらいで色々な科学技術が一気に発展した。僕が中学の時には環境も整ってたから、メタバース空間で特別授業とかしたよ。パンデミックは治まったけど、環境が次世代にシフトしたのがこの頃」


 今、僕たちが普通に使っているものは、ここから始まった。逆境を乗り越えるために、技術は発達して、そしてこれから、また新たなものが出つつある。白波のようなバーチャル・ヒューマノイドが、その最たる例だ。


「……ただ、現実空間で誰とも仲良くない人がメタバースにいたって、何も変わらないんだ。僕の中学デビューはね、仲の良い子と離れて、知らない子たちのなかで、友達ができずに授業だけをやっていく毎日。だから余計に内向的になって、人と距離ができて、いつの間にか、話すのが苦手になっちゃった。そしたらもう駄目だ」


 笑いたい。笑うしかない。いっそ、笑ってくれれば、気が晴れるだろう。苦笑しいしい、「でも」と続ける。


「でも、時代って便利だなぁと思ったよ。SNSなら話の合う赤の他人と繋がれるし、現実みたいに気を遣う必要もないし。流行ってたVRゲームとかメタバースのアバターとかにも、どっぷりハマった。今もそうだね。

だから、ネット上とか、アバターとか、それこそ──白波みたいなバーチャル・ヒューマノイドが相手なら、普通に話せる。でも、現実じゃ同級生相手に上手く話せない。一度は頑張ったけど、高校生になっても同じ」


 テーブルの上に置かれたグラスのなかで、小さな水面が揺らめいている。透き通ったそれを日射しが透して、映る影が淡い。水底から見上げた時の景色にも似た、そんな揺らめきが、テーブルの表面を、静かになぞっている。それはきっと、自分に似ているなと、ふと思った。ただ存在しているだけの、ほとんど無意味なものだ。


「学校じゃ、ただ頭が良いだけ。人付き合いもできない。特にやりたいこともない。胸を張って言える、将来の夢もない。なにより、もう三年生の夏休みなのに、進路も何も決まってない。……だから、きっと、親に、ここに来させられたんだ。呆れられたんじゃないかな」


 「この夏の間に、なんとかしなきゃって、思ってるけどさ」──自信の持てる、紛うことなき本音だった。

 言いたいことを言い終えて、僕は大きく深呼吸する。白波はずっと沈黙を貫いたまま、けれど、ずっと、耳を傾けてくれていた。そのありがたさを胸の内で感じながら、テーブルの上にある黒焦げのパンに手を伸ばす。


「あれ」
「……もう無いですよ。さっき食べたのが最後です」
「そっか」


 眦の下がった穏和な笑みで、彼女は静かに言った。パンの枚数も把握できないほど、物思いに耽っていたらしい。情けないな、と、溜息を吐く。白波はそんな僕を見ながら、その優しい笑みと、優しい声で続けた。


「──それなら私が、マスターに頼られるバーチャル・ヒューマノイドになります。私が、マスターと皆さんのアシスト役になります。人間関係が不安だって、変わろうとしなければ結局、変われないんですよ。だから、いつかは頑張らなければならないんです。私がお手伝いします。……マスターはそれじゃ、不安ですか?」


 穢れのない、澄み渡って綺麗な群青色の瞳が、僕を見つめる。窓硝子から射す陽光に照らされて、彼女のその面持ちは、衷心ちゅうしんからの慈愛に満ち満ちた、或いは縋り付きたいような、或いは懐かしいような、なんともいえないこの雰囲気に、またしても呑まれてしまっていた。


「……いや」


 だから僕は、彼女を頼ることに決めた。自分が変わりたいから、いつかは変わらなければならないのだから、それが今であることを確信して、誰かに頼ってでも、この現況を何とかするつもりで、動こうと思えた。


「……引き続き、頼らせてもらおうかな」
「──はいっ、お任せください」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

美味しいコーヒーの愉しみ方 Acidity and Bitterness

碧井夢夏
ライト文芸
<第五回ライト文芸大賞 最終選考・奨励賞> 住宅街とオフィスビルが共存するとある下町にある定食屋「まなべ」。 看板娘の利津(りつ)は毎日忙しくお店を手伝っている。 最近隣にできたコーヒーショップ「The Coffee Stand Natsu」。 どうやら、店長は有名なクリエイティブ・ディレクターで、脱サラして始めたお店らしく……? 神の舌を持つ定食屋の娘×クリエイティブ界の神と呼ばれた男 2人の出会いはやがて下町を変えていく――? 定食屋とコーヒーショップ、時々美容室、を中心に繰り広げられる出会いと挫折の物語。 過激表現はありませんが、重めの過去が出ることがあります。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

演じる家族

ことは
ライト文芸
永野未来(ながのみらい)、14歳。 大好きだったおばあちゃんが突然、いや、徐々に消えていった。 だが、彼女は甦った。 未来の双子の姉、春子として。 未来には、おばあちゃんがいない。 それが永野家の、ルールだ。 【表紙イラスト】ノーコピーライトガール様からお借りしました。 https://fromtheasia.com/illustration/nocopyrightgirl

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり
ミステリー
「人とアリ、命の永さは同じだよ。……たぶん」  14歳女子の死、その理由に迫る物語です。

今日はパンティー日和♡

ピュア
ライト文芸
いろんなシュチュエーションのパンチラやパンモロが楽しめる短編集✨ おまけではパンティー評論家となった世界線の崇道鳴志(*聖女戦士ピュアレディーに登場するキャラ)による、今日のパンティーのコーナーもあるよ💕

処理中です...