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八月二十六日
今も、昔も
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朝食を摂りに帰宅した僕は、そのまま『散歩に行ってきた』という体を努めて、昼食を済ませた昼下がりまで雨宮家に篭っていた。今朝のことがあってから、小夜とはなんだか気まずいような感じがして、それといった口もきいていないような気がする。けれどそんなことはお構いなしに、めいめいが今日も動いていた。
例に漏れず僕も、割り与えられた二階の自室で手記を執っている。今日の出来事を思い返しながら、簡潔に綴ってみた。シャープペンの芯が、紙の上を走っていく。その書き心地は滑らかだ。
『八月二十四日──道中の情景に見蕩れたりしながらも、いよいよ四年ぶりの雨宮家に到着。おじいちゃんの泥酔や僕の歓迎会やらで家は騒がしかった。みんな変わっていないようで何より。』
『二十五日──散策のつもりで近所を巡ったら、椎奈あやめちゃんの家に行き着いた。あの子も昔と変わりなかった。少し大人びたかな。夕方まで話をして帰宅。小夜にあやめちゃんと会ったことを伝えると、彼女はもう死んでいると言われた。どういうことなのかはまるで分からない。以降の記憶は曖昧だった。』
『二十六日──あやめちゃんが死んだという話が信じられない。僕は彼女を見て、彼女と話した。小夜を連れていこうとするのは、結局は僕の自己満足だと諭されてしまった。事実、小夜にあやめちゃんは見えなかった。彼女の口から、自分は死んだこと、そうして盲目であることを告白された。どうして盲目なのだろう。僕は僕なりに、あやめちゃんに何かが出来ればいいな。今日もまた、今朝越しに会いに行く。』
◇
改めて僕は、『色を分ける』の意味を、その背景も込めてあやめに説明した。僕が文芸創作を趣味にして、それで作品などを書いていること。スランプで今年の夏休みは何も出来なかったから、せめて別の何かをしたいということ。
その焦燥感に駆られて、ここで過ごした夏休みに立ち返りたくなったこと。自分の理想の夏を探したくなったこと。それで帰省したこと。あやめと再会したこと。境遇を知ったこと。少しでも力になりたいと思ったこと。
だから僕なりに、僕なりの語彙と感性で、僕が見たこと感じたことをそのまま、彼女に伝えたいと思ったこと。盲目でも情景が思い浮かべば、色を分けたことになるかもしれないということ。
そんな長たらしい、訳の分からない説明でも、あやめは耳を傾けて聞いてくれた。二人で縁側に座りつつ適当に手を伸ばして、今朝とは違う快晴の青天井に降られながら、遠く近くの蝉時雨を感じている。
手のひらが沁みるように熱くなっていくのも気にしないまま、僕は思いの丈を吐露するように話を続けていた。傍らにはシャープペンを挟んだ日記帳が、陽光に反照して置いてある。それがやがて、真っ青な夏空を泳ぐ雲に陰った。
「それでさ、今日はここ、明日はここ、明後日はここに行く──って、決めてみない? あやめちゃんの行きたいところを僕がノートに書いておくから、その日にその場所へ行ってみようよ」
「私の行きたいところ?」
「うん。でも、だいたい村の近くになっちゃうけどね。ちょっと遠出をしても、町の方かな。それで行くところが決まったら、二人でお出かけしてさ。僕がそこの情景とかを教えてあげるよ」
「えっと、それなら……」
あやめは数瞬だけ考え込むと、指先を遊ばせながら洩らした。僕も日記帳を開いて、シャープペンを手に握る。紙のひるがえる乾いた音と、芯の出る軽快な音とがこの熱気に融けていって、それがまるで、この夏の白昼を織り成す構成な気がして、また芯を出した。
「今日は、このお家の周りにいたいな」
「うん」
「明日は、踏切と駅の方に行ってみたい」
「うん」
「明後日は、神社とその小川のところで──」
空虚に過ごしてきたであろう過去と、未来に待つ空白の日付を埋めるように、あやめは言葉を紡いでいく。記す内容は大したものでなくとも、僕や彼女にとっては恐らく、これ以上ないほどに尊いものなのだろう。ふと射す陽線の眩しさに、目を細めた。あやめが目を細めているのも、きっと、眩しいせいではなかった。
「彩織ちゃん」
「なぁに」
「楽しみだね」
「そうだね」
二人で声を揃えて笑いながら、僕は書き終えたノートを閉じる。彼女にそう言ってもらえたことが妙に嬉しくて、周囲を軽く見渡してから、小さな深呼吸をした。身体に篭った熱気をいきおい吐き出すように、両肺を萎ませる。あやめはそんな僕の態度も知らないまま、「ねぇねぇ、ところでさ」と声を上げた。
「今の私って、どんな感じなのかな。それも教えてくれる?」
「いいよ。僕が細かく描写して伝えてみようか」
「うん……。なんか恥ずかしくなりそうだから、程々にしてね」
はにかむ彼女を横目に、閉じたばかりの日記帳を開く。改めてペンを持つ手は、僅かに軽く感じた。芯が陽光に煌めいている。綴った文章は、この夏を書き留めておくための唯一のものだった。
『今のあやめちゃんは、艶やかな黒髪を肩のあたりまで伸ばしていた。それに紅い曼珠沙華の髪飾りが映えている。この髪飾りを僕は知らない。煙るように長い睫毛と澄んだ黒い瞳が、執拗に射す日差しを映していた。健康的な肌の色も、指先も、爪も、全てが生きている人間と変わらない。けれど、もっと変わらないのは、麦わら帽子に純白のワンピースを着た彼女だった。今が記憶の中の少女より大人びていても、そこだけは変わらなかった。』
文学的な風味を残したこれをそのまま彼女に伝えるのは、流石にはばかられる。だから、ところどころ話し言葉に変えながら、それでも文章の趣旨は変えないように、僕は僕から見た彼女というものを描写した。下手に飾ることのないような、そんな文章で。
あやめはそんな僕の言葉を最後まで聞き留めると、何度かそれを口の中で転がしながら、やがて可憐に目元を綻ばせた。
「えへへ……自分のことを言われるのって、なんか変な気分。でも、そんなに嫌な感じじゃないね。彩織ちゃんだからかな」
「どうなんだろ……。でも、気に入ってくれたなら良かった」
「うん、ちょっと恥ずかしいけど、なんか嬉しいね。次は彩織ちゃんが自分のことを描写してみて。私に分かるようにだよ」
「……まぁ、そうなるよね。気は進まないけど、やってみる」
胸の内を渦巻く妙な気恥ずかしさから目を逸らしつつ、僕は改めて僕自身を俯瞰するべく、容姿から体型から何からを見直した。自分で自分を描写するのが、こんなにも恥ずかしいものだったとは思いもよらなかった。ペンを握る余裕すらも持てていない。締まったように震わない咽喉を、半ば無理矢理に震わせてみる。
「えっと、外見とかは……一昨日に言われたんだけど、昔とほとんど変わらないって。身長がほんの少しだけ伸びたくらい。あっ、あとはね……えっと……何があるかなぁ。ちょっと待ってね……」
「彩織ちゃん、なんで自分のことになるとそんなに下手なの……」
「……本当にごめん。なんか、もう恥ずかしすぎて無理かも。侮ってた。ごめんなさい。ちょっとメンタル的に出来そうにないや」
泣き笑いのような表情で、僕は反射的に頭を下げる。それがせめてもの誠意だった。……あいにく、あやめには見えていないけれど。
けれど、その誠意はなんとか伝わったらしい。彼女はふとおかしそうに吹き出すと、眦を下げて、また手を口元に遣っている。
「要するに、彩織ちゃんも私も、昔と変わってないんだね」
「……そう、なのかな。良くも悪くも、きっと」
「まぁ、見た目の話だけどね。中身は少しだけ大人かなぁ」
「えへへ」と、あやめは抜けたような声で笑った。それからおもむろに立ち上がると、周囲をゆっくり見渡すように顔を動かしていく。やがて僕に向き直ったその視線は、僕から少し逸れていた。それが何だか嫌で、遅れて立ち上がりながら彼女に視線を合わせる。
「ねぇ、あっちが道路でしょ。それで、こっちが林になってて、ずっと向こうまで続いてるんだよね。……合ってる?」
人差し指で方角を指し示しながら、あやめは僕を見上げた。
「うん、合ってるよ」
「今って、どんな感じ? 私のイメージとそんなに変わってないのかな。彩織ちゃんから見て、ここはどんな風に見えてる?」
「んー……少し待ってて」
改めて、僕も一帯を見渡す。何もかもが昔と変わっていないように思えた。それでも敢えて描写するならば、こうだろうか。文章を口語に直して伝えながら、胸に抱いた郷愁を彼女と分け合う。
『青青とした木々の匂いがあのアスファルトに立ち込め、梢は紺碧の夏空に降られて、悄然と項垂れていた。枝葉の合間から射す木漏れ日の生温さが、この熱気に融和している。二人のいる縁側からは、名前も知らない木が一面を壁のように覆っていた。その幹の間を、神社の境内が映る。ここはちょっとした高台になっているから、覗き込むと村の一部が箱庭みたように窺えた。それらは僕たちが昔から見た情景で、あの夏と何も変わらなかった。』
「──どうかな。上手く伝わった?」
「うん。ここも、変わってないみたいだね。私のイメージ通りっていうか、昔の夏休みの風景に似てるとか、そういう気がした」
「そっか。僕も夏休みはここに来てたから、なんか懐かしい感じがする。思い出で懐かしいっていうのじゃなくて、また別の」
「私、知ってる。そういうの、デジャブっていうんだよ。既視感。彩織ちゃん、もしかしたら前世はここに住んでたかもね?」
「なんちゃって」と、あやめは面白そうに笑む。その笑顔が、今朝や昨日とは違ってどこか晴れやかで、こんな自分でも彼女の拠り所になれていればいいなと思いながら、僕もつられて笑った。
──あやめとの今日は、結局そんな感じで夕暮れまで続いていた。ただ庭先を見渡すくらいの話なのに、その動作を噛み締めるように、僕と彼女は話している。なんとか色を描こうとするように、彼女は僕に聞き入っている。どこかを見詰めている。次もきっと、こんな感じなのだろう。
「また明日」と言った時の少女は、幼少の頃みたいな無邪気な笑みで、「うん」と大きく頷いた。「また明日ね」と振られる手に、郷愁を滲ませていた。
『二十六日──今朝の続きから。昼下がりから夕暮れまで、二人であやめちゃんの家の庭先にいた。お互いの容姿を教えたり、そこの風景を描写してみたり、たまに他愛のない話など色々と。昔に過ごした夏休みの一頁のようで、少し懐かしく思えた。彼女の笑顔が、昨日よりも晴れやかで嬉しい。明日は踏切と駅に。楽しみだな。これから毎日、僕が迎えに行くことになった。』
例に漏れず僕も、割り与えられた二階の自室で手記を執っている。今日の出来事を思い返しながら、簡潔に綴ってみた。シャープペンの芯が、紙の上を走っていく。その書き心地は滑らかだ。
『八月二十四日──道中の情景に見蕩れたりしながらも、いよいよ四年ぶりの雨宮家に到着。おじいちゃんの泥酔や僕の歓迎会やらで家は騒がしかった。みんな変わっていないようで何より。』
『二十五日──散策のつもりで近所を巡ったら、椎奈あやめちゃんの家に行き着いた。あの子も昔と変わりなかった。少し大人びたかな。夕方まで話をして帰宅。小夜にあやめちゃんと会ったことを伝えると、彼女はもう死んでいると言われた。どういうことなのかはまるで分からない。以降の記憶は曖昧だった。』
『二十六日──あやめちゃんが死んだという話が信じられない。僕は彼女を見て、彼女と話した。小夜を連れていこうとするのは、結局は僕の自己満足だと諭されてしまった。事実、小夜にあやめちゃんは見えなかった。彼女の口から、自分は死んだこと、そうして盲目であることを告白された。どうして盲目なのだろう。僕は僕なりに、あやめちゃんに何かが出来ればいいな。今日もまた、今朝越しに会いに行く。』
◇
改めて僕は、『色を分ける』の意味を、その背景も込めてあやめに説明した。僕が文芸創作を趣味にして、それで作品などを書いていること。スランプで今年の夏休みは何も出来なかったから、せめて別の何かをしたいということ。
その焦燥感に駆られて、ここで過ごした夏休みに立ち返りたくなったこと。自分の理想の夏を探したくなったこと。それで帰省したこと。あやめと再会したこと。境遇を知ったこと。少しでも力になりたいと思ったこと。
だから僕なりに、僕なりの語彙と感性で、僕が見たこと感じたことをそのまま、彼女に伝えたいと思ったこと。盲目でも情景が思い浮かべば、色を分けたことになるかもしれないということ。
そんな長たらしい、訳の分からない説明でも、あやめは耳を傾けて聞いてくれた。二人で縁側に座りつつ適当に手を伸ばして、今朝とは違う快晴の青天井に降られながら、遠く近くの蝉時雨を感じている。
手のひらが沁みるように熱くなっていくのも気にしないまま、僕は思いの丈を吐露するように話を続けていた。傍らにはシャープペンを挟んだ日記帳が、陽光に反照して置いてある。それがやがて、真っ青な夏空を泳ぐ雲に陰った。
「それでさ、今日はここ、明日はここ、明後日はここに行く──って、決めてみない? あやめちゃんの行きたいところを僕がノートに書いておくから、その日にその場所へ行ってみようよ」
「私の行きたいところ?」
「うん。でも、だいたい村の近くになっちゃうけどね。ちょっと遠出をしても、町の方かな。それで行くところが決まったら、二人でお出かけしてさ。僕がそこの情景とかを教えてあげるよ」
「えっと、それなら……」
あやめは数瞬だけ考え込むと、指先を遊ばせながら洩らした。僕も日記帳を開いて、シャープペンを手に握る。紙のひるがえる乾いた音と、芯の出る軽快な音とがこの熱気に融けていって、それがまるで、この夏の白昼を織り成す構成な気がして、また芯を出した。
「今日は、このお家の周りにいたいな」
「うん」
「明日は、踏切と駅の方に行ってみたい」
「うん」
「明後日は、神社とその小川のところで──」
空虚に過ごしてきたであろう過去と、未来に待つ空白の日付を埋めるように、あやめは言葉を紡いでいく。記す内容は大したものでなくとも、僕や彼女にとっては恐らく、これ以上ないほどに尊いものなのだろう。ふと射す陽線の眩しさに、目を細めた。あやめが目を細めているのも、きっと、眩しいせいではなかった。
「彩織ちゃん」
「なぁに」
「楽しみだね」
「そうだね」
二人で声を揃えて笑いながら、僕は書き終えたノートを閉じる。彼女にそう言ってもらえたことが妙に嬉しくて、周囲を軽く見渡してから、小さな深呼吸をした。身体に篭った熱気をいきおい吐き出すように、両肺を萎ませる。あやめはそんな僕の態度も知らないまま、「ねぇねぇ、ところでさ」と声を上げた。
「今の私って、どんな感じなのかな。それも教えてくれる?」
「いいよ。僕が細かく描写して伝えてみようか」
「うん……。なんか恥ずかしくなりそうだから、程々にしてね」
はにかむ彼女を横目に、閉じたばかりの日記帳を開く。改めてペンを持つ手は、僅かに軽く感じた。芯が陽光に煌めいている。綴った文章は、この夏を書き留めておくための唯一のものだった。
『今のあやめちゃんは、艶やかな黒髪を肩のあたりまで伸ばしていた。それに紅い曼珠沙華の髪飾りが映えている。この髪飾りを僕は知らない。煙るように長い睫毛と澄んだ黒い瞳が、執拗に射す日差しを映していた。健康的な肌の色も、指先も、爪も、全てが生きている人間と変わらない。けれど、もっと変わらないのは、麦わら帽子に純白のワンピースを着た彼女だった。今が記憶の中の少女より大人びていても、そこだけは変わらなかった。』
文学的な風味を残したこれをそのまま彼女に伝えるのは、流石にはばかられる。だから、ところどころ話し言葉に変えながら、それでも文章の趣旨は変えないように、僕は僕から見た彼女というものを描写した。下手に飾ることのないような、そんな文章で。
あやめはそんな僕の言葉を最後まで聞き留めると、何度かそれを口の中で転がしながら、やがて可憐に目元を綻ばせた。
「えへへ……自分のことを言われるのって、なんか変な気分。でも、そんなに嫌な感じじゃないね。彩織ちゃんだからかな」
「どうなんだろ……。でも、気に入ってくれたなら良かった」
「うん、ちょっと恥ずかしいけど、なんか嬉しいね。次は彩織ちゃんが自分のことを描写してみて。私に分かるようにだよ」
「……まぁ、そうなるよね。気は進まないけど、やってみる」
胸の内を渦巻く妙な気恥ずかしさから目を逸らしつつ、僕は改めて僕自身を俯瞰するべく、容姿から体型から何からを見直した。自分で自分を描写するのが、こんなにも恥ずかしいものだったとは思いもよらなかった。ペンを握る余裕すらも持てていない。締まったように震わない咽喉を、半ば無理矢理に震わせてみる。
「えっと、外見とかは……一昨日に言われたんだけど、昔とほとんど変わらないって。身長がほんの少しだけ伸びたくらい。あっ、あとはね……えっと……何があるかなぁ。ちょっと待ってね……」
「彩織ちゃん、なんで自分のことになるとそんなに下手なの……」
「……本当にごめん。なんか、もう恥ずかしすぎて無理かも。侮ってた。ごめんなさい。ちょっとメンタル的に出来そうにないや」
泣き笑いのような表情で、僕は反射的に頭を下げる。それがせめてもの誠意だった。……あいにく、あやめには見えていないけれど。
けれど、その誠意はなんとか伝わったらしい。彼女はふとおかしそうに吹き出すと、眦を下げて、また手を口元に遣っている。
「要するに、彩織ちゃんも私も、昔と変わってないんだね」
「……そう、なのかな。良くも悪くも、きっと」
「まぁ、見た目の話だけどね。中身は少しだけ大人かなぁ」
「えへへ」と、あやめは抜けたような声で笑った。それからおもむろに立ち上がると、周囲をゆっくり見渡すように顔を動かしていく。やがて僕に向き直ったその視線は、僕から少し逸れていた。それが何だか嫌で、遅れて立ち上がりながら彼女に視線を合わせる。
「ねぇ、あっちが道路でしょ。それで、こっちが林になってて、ずっと向こうまで続いてるんだよね。……合ってる?」
人差し指で方角を指し示しながら、あやめは僕を見上げた。
「うん、合ってるよ」
「今って、どんな感じ? 私のイメージとそんなに変わってないのかな。彩織ちゃんから見て、ここはどんな風に見えてる?」
「んー……少し待ってて」
改めて、僕も一帯を見渡す。何もかもが昔と変わっていないように思えた。それでも敢えて描写するならば、こうだろうか。文章を口語に直して伝えながら、胸に抱いた郷愁を彼女と分け合う。
『青青とした木々の匂いがあのアスファルトに立ち込め、梢は紺碧の夏空に降られて、悄然と項垂れていた。枝葉の合間から射す木漏れ日の生温さが、この熱気に融和している。二人のいる縁側からは、名前も知らない木が一面を壁のように覆っていた。その幹の間を、神社の境内が映る。ここはちょっとした高台になっているから、覗き込むと村の一部が箱庭みたように窺えた。それらは僕たちが昔から見た情景で、あの夏と何も変わらなかった。』
「──どうかな。上手く伝わった?」
「うん。ここも、変わってないみたいだね。私のイメージ通りっていうか、昔の夏休みの風景に似てるとか、そういう気がした」
「そっか。僕も夏休みはここに来てたから、なんか懐かしい感じがする。思い出で懐かしいっていうのじゃなくて、また別の」
「私、知ってる。そういうの、デジャブっていうんだよ。既視感。彩織ちゃん、もしかしたら前世はここに住んでたかもね?」
「なんちゃって」と、あやめは面白そうに笑む。その笑顔が、今朝や昨日とは違ってどこか晴れやかで、こんな自分でも彼女の拠り所になれていればいいなと思いながら、僕もつられて笑った。
──あやめとの今日は、結局そんな感じで夕暮れまで続いていた。ただ庭先を見渡すくらいの話なのに、その動作を噛み締めるように、僕と彼女は話している。なんとか色を描こうとするように、彼女は僕に聞き入っている。どこかを見詰めている。次もきっと、こんな感じなのだろう。
「また明日」と言った時の少女は、幼少の頃みたいな無邪気な笑みで、「うん」と大きく頷いた。「また明日ね」と振られる手に、郷愁を滲ませていた。
『二十六日──今朝の続きから。昼下がりから夕暮れまで、二人であやめちゃんの家の庭先にいた。お互いの容姿を教えたり、そこの風景を描写してみたり、たまに他愛のない話など色々と。昔に過ごした夏休みの一頁のようで、少し懐かしく思えた。彼女の笑顔が、昨日よりも晴れやかで嬉しい。明日は踏切と駅に。楽しみだな。これから毎日、僕が迎えに行くことになった。』
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