あやかし観光専属絵師

紺青くじら

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第6章 願うのは君との一瞬

辞めてもらっていいですか

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 ランチは、チーズがたっぷりのったオムライスが人気のカフェにした。評判通りおいしく、ツバキさんも喜び食べていた。
 会話も順調で、お互い好きな作家さんが同じで盛り上がった。ツバキさんは、お母さんがその作家さんが好きで家の棚に並んでいたのを読んだのがキッカケという。それを聞いた時生い立ちについてもう少し聞きたかったが、やめた。はじめてのデートで聞くことではない気がしたし、本人も言いたそうではなかったからだ。ムゴさんって誰?とか聞くのは、あまりに踏み込みすぎだろう。

「タカヒロさんって、お兄ちゃんと何をしてるんですか?」

 その問いに、俺は言葉につまった。ツバキさんは、ヤイさんから何も聞いてないらしい。

「えっと、ヤイさんのお客さん相手に、絵を描くサービスを」
「お客さん?」
「ヤイさん、妖怪相手に観光会社やってるよね? その」
「知らないです。やっぱりお兄ちゃん、まだ妖界と関わろうとしてるんだ。やめればいいのに」

 その答えは、毒がこもっていた。ツバキさんは、バイト中もマイナスな事はあまり言わない。人当たりもいい。そんな彼女が、兄だけには露骨に嫌悪感を表す。いや、兄だからかもしれない。

「聞いてもいいかな? ムゴさんって人、知ってる?」

 聞くと、ツバキさんの目に冷たいものが宿った。失敗した。やっぱり聞くべきじゃなかった。

「ごめん、何でもな」
「その仕事、ムゴさんが関わってるんですか?」
「え、いや違うよ、お客さんとヤイさんが話してた時に出た名前で、誰かなと思って」

 ツバキさんはグラスを手を取り、水を飲む。その空気が、さっきまでの柔らかなものではなくなる。

「私たちの恩人です」

 氷がカラン、と音をたてる。恩人という単語を口にするには、合わない響きだった。

「母がいなくなってから、私たちを外の世界に連れ出してくれました。それまで私たちは、家から一歩も出ない生活をしてたから」

 言われた言葉に、俺は思考が止まりそうになった。慌てて尋ね返す。

「家から一歩も出ない……?」
「そうです。私たちは、妖界から出た後、ずっと家の中にいました。母がまだ若い時から、死ぬまでずっと」

 彼女はグラスを見つめたまま、人ごとのように話す。

「母は人間でしたが、強い妖力の持ち主でした。結界が張られた周りとは隔離された世界で、私たちはずっと暮らしてました」

 お洒落なBGMが流れる店内とその話は、だいぶかけ離れていた。

「私は、母がそうしてたのは私たちを守る為だったと思ってます。でも兄はそうじゃない。あの人は、俺たちを恐れてたから、閉じ込めてたんだって言ってました」

 ヤイさんに何故妖界に帰れないか聞いた時、彼は連れ去られたと言っていた。連れ去られ、出れない家の中にいたなら、彼のあの言葉の意味も理解できる。

「ムゴさんは、本当にいい人です。教養がない私たちに勉強を教えてくれました。通信学校に今通えてるのも、働けてるのも、彼がすべて手伝ってくれたからです」
「でも、ツバキはムゴさんが嫌いなの?」

 俺が尋ねると、ツバキさんは苦虫を噛み潰したような顔をした。

「だって、怖いじゃないですか。彼は母が死んですぐ、私たちの目の前に現れました。まるで、待ってたみたいに」

 そうして、親切な笑顔で話しかけてきた。同情し、助けたいと言って。

「彼は妖怪なんです。でも妖界で盗みを働いて、追い出されたと言っていました。だから君たちを手伝いたいと言ってくれました。でも私、彼は嘘をついてると思うんです」

 そこに根拠があるかと言えば、ないんだろう。だがツバキさんの中では、確信しているようだ。

「なのに兄は、彼にべったりなんです。神のように慕ってて。私は早く彼と離れて、自立したいのに」

 ツバキさんの言葉に、俺はなんて返していいか分からなかった。俺はムゴさんと会った事ない。だから何とも言えない。聞いてる限りでは、お母さんの行動も謎だ。

「お母さんは、人間だったの? それじゃあツバキさんは……」
「いえ、すみません。私は妖怪です。母とは血は繋がっていません」
「そうなんだ……」

 聞いて、残念に思ってる自分に気づいた。嫌になる。彼女は自分は妖怪だって、言ってたのに。

「タカヒロさん」
「はい!」
「兄の仕事を手伝うの、辞めてもらってもいいですか」

 ツバキさんは俺の目をじっと見る。俺はその迫力に押されながら、慌てて頷いた。

「う、うん。辞めるよ。ヤイさんにも、言ってる。たぶんこの前ので最後だったから」
「そうなんですか。私からも兄に言っておきます。もうタカヒロさんには会わないでって」

 その言葉に、俺は笑顔が保てなくなった。会わない? ヤイさんと。

「う、うん。でもさ、俺はツバキさん、ツバキと仲良くなりたいと思ってて」
「! 本当ですか? 嬉しい!」
「だから、ヤイさんと会う機会は今後もあると」
「大丈夫です。お金が貯まったら、私家を出ます。兄とは会いません」

 はっきりとした口調で告げられたその言葉は、あまりにも冷たい。俺は、ツバキさんが分からなくなってきた。

「人間として、生きたいんです」

 その言葉は、小さく呟かれた。今俺の目の前にいる彼女は、人間にしか見えない。姿も、声も、しぐさも、何もかもが人間だ。

 でも、俺と彼女には距離がある。

 温かなランチを食べながら、見ようとしなかった冷たい現実に直面した。
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