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不夜燦然編
68.希望の花束
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数時間前。
「ンッん~、とりまどする?気張っててもしゃーなくない?」
「それはそうですが、あの爛漫な悪魔の行動を予測出来ない以上、油断は禁物かと」
「それはそうなんだけどさ」
「何かあったら誰かは反応するんじゃない?ここにはテルナにリコリス、気配に敏感なシャーリーにマリア、大賢者のアルティとエヴァもいるわけだし」
事がすでに起こっているのを、アタシたちの誰も、テルナでさえ察知出来ずにいた。
「きっ期待されているのに申し訳ないんです、けど…正直、あっあの人の力は理外です…。魔力が濃すぎて、感知なんて出来なくてその…ゴメンなさい…」
「どういうこと?」
「喩えるならモナの魔力は闇そのものじゃ。それも空を覆うほど膨大で密度が高い黒の魔力。しかも妾と違い力を抑えることをまるでしておらぬ。感知どころの話ではない。今こうしておる間も奴の魔力がそこら中に溢れておるわ。妾をして対面するまで気付かぬほどに自然にのう」
「仮の話なんだけど、まともに戦って勝てる相手?」
「勝てる者が居らぬ故に最強じゃ。しかしそれも字面の上での話。全ての者に言えることではあるが、結局はやり方…土壌次第じゃろうな。妾の素の力がスキルを使わねばほぼ幼子と同等であるように、奴もスキルに依存せねば肉体は見た目相応じゃし。純然な戦闘をするか、はたまた児戯同然のクイズに興ずるかでも大分違う」
そういえばテルナも、ヘルガを相手に封印術をくらったんだったわね。
土壌か…
「リコリスの苦手なことって何かしら」
「お姉ちゃんキノコが苦手って言ってたよ」
「男の人もあんまり好きじゃないです」
「苦手というか、弱点ですが。女性を傷付けることもしません」
じゃあもし戦闘になんてなったら前提が破綻してるじゃない。
あいつが勝てる女なんているのかってことになってくるけど。
「まったく…本人はいい気なものよね。アタシたちの心配を余所にアルティとイチャついてるんだから」
「なっ仲直り出来ました、かね…?」
「してなかったらキレるでしょそんな」
薄いレースのカーテンの向こうに目をやると、言葉は聞こえないものの何やらいい雰囲気なのが窺える。
こっちにしてみれば、何をモタモタしてるのよさっさとくっついちゃいなさいよこのヘタレ不器用恋愛初心者共が、って感じではあるんだけど。
ようやくあいつらの関係が進むとなると、嬉しいような、こっちまで気恥ずかしいような、甘酸っぱい気持ちにさせられる。
「頑張れ」
自然とそんな言葉が出た、次の瞬間。
「…!お姉ちゃん!」
「アルティ!」
マリアが耳をピンと立て、テルナが焦燥を張り付けた。
見れば二人の身体が傾き倒れた。
アタシたちは揃ってバルコニーに飛び出した。
「姫?!姫ってば!」
「アルティさん!しっかりしてください!」
なんの反応も無い。
緊張で倒れた?
そんなバカなことを考えてしまうくらいには、アタシも混乱した。
「テ、テルナさん…これ…」
「疑いようもない…モナの仕業じゃ」
「不夜の宴…?何がどうなって…」
「お姉ちゃんたち…どうしたんですか?」
「眠っているだけじゃ。心配は要らぬ…今はな」
「今はって…テルニャ、どういうこと?」
テルナは魔法での覚醒を試みる。
けど真紅の魔力が二人を覆う前に音を立てて弾けた。
「テルナさんの魔法が効かない…」
「精神干渉系の魔法はさすがに奴が上手か…。二人は今、奴の創り出した夢の世界に精神を取り込まれておる」
「夢の世界…?」
「響きだけは魅力的に聞こえるわね…。そんな甘いものじゃないんでしょうけど」
「うむ。夢は夢でも最悪の悪夢…取り込んだ者の不安、嫌悪、絶望…あらゆる負の感情を忠実に表した幻想世界じゃ」
「目は覚ますのですか?」
テルナは言い澱んで顔を顰めた。
するとリコリスの腕に薄く傷が走った。
見る見るうちに傷だらけになっていく。
「!」
「ただの悪夢であるなら、此奴らが自力で何とかしよう。しかしモナの見せる悪夢はただの悪夢ではない。幻想世界は魂を侵食し、世界の境界を曖昧にし、あちらの世界で受けた傷を現実のものにする。つまり…」
「幻想世界で命を落とせば、姫たちも死ぬってこと…?」
「そんな…!」
「なんとかならないの?!」
「……手はある。妾らが幻想世界…モナの創り出した悪夢に入れば」
「悪夢の…中に?」
「け、けど精神干渉の魔法は弾かれて…」
「うむ…危険な賭けじゃがな」
テルナは魔法陣を展開し【召喚魔法】の詠唱を紡いだ。
「夢の扉の鍵の番。汝、黒白の端境期を告げる永久の鐘楼。降臨せよ、黒望婆シェラーレン」
光が強まった後、腰の曲がった老婆が現れた。
「あらあらテルナちゃん久しぶりだねぇ。元気にしてたかい?」
「そなたも壮健のようじゃのシェラーレン。早速で悪いのじゃが」
「おやおやリコリスちゃんはお昼寝かい?それにまた随分可愛らしい子たちがいるねぇ。ほら飴ちゃんだよ。みんなで仲良く分けるんだよ」
「あ、ありがとう」
「コホン、シェラーレンよ。夢の扉を」
「まーたこの子はそんな薄い格好をしてなんだい。女の子はねぇお腹を冷やしちゃいけないってあれほど言ったのに。もうすぐ肌寒い季節になるんだからねぇ。あっという間だよ風邪を引くのなんて。生姜湯飲むかい?油断してたらすぐ引くんだからね風邪なんて。そうそう、そういえば向かいのヤーマダさん。やーっと娘が結婚したとかで大喜びでねぇ。ほらあの石像ばっかり彫ってそのうち石像と結婚しちゃうんじゃないかって言ってた子だよぉ。相手ってのがまた意外でねぇ。誰だと思う?そうあのタナッカのとこの末っ子だよ。大工になるんだって都会に飛び出したのはいいけど全然連絡もしないで親を心配させてねぇ。たまに帰省すればタナッカと喧嘩ばかりであたしは随分気にかけてたもんだよ。タナッカとは女学院の頃からの付き合いだろ?あの子がまたとんでもないやんちゃっ子でねぇ。サートゥーとカトゥーと一緒になって気に入らないことがあるとすーぐ校舎の窓を割ったりして。そんな子だから自分なんかに子育てなんか出来るのかってねぇほんと。まあこれで一安心と言えばそうなんだけどねぇ。あ、カボチャのパイを焼いたんだけど持っていくかい?」
「うるッさい!!全部知らんし全部うるさい!!実家かここはご近所幻獣トーク1ミリも興味無いわ!!誰じゃヤーマダ!!全ッッッ然知らん!!頭に入ってこん!!今度祝いの品でも贈ってやるから早く夢の扉を開かんか!!第一そなた妾より歳下じゃろが!!」
近所のお婆ちゃんすぎる。
呼び出す相手間違えた?
「まったくそうやって生き急いでもろくなことが無いんだからね。はいはいそれじゃやるよ。キュイイイイイン!!♡あなたの心をぶっ壊す!!♡唸れざわめけ跪け!!♡ピュアピュアパワーで夢の世界にいってらっしゃーい!!♡」
嗄れた声でめちゃくちゃ可愛いポーズ決めたんだけど。
なにこれお婆ちゃんの戯れ?
呼び出す相手間違ってないわよね?
ちゃんと魔力が渦を巻いて、扉らしいものが開きはしたけど。
待って今地獄に落ちろって言わなかった?
「おばあちゃんきゃわわ~。めっちゃ萌え~」
異世界人のセンスってわからないわ。
「一緒に写真撮ろ。はいピュア~」
「ピュア~♡」
「ご苦労。妾らが戻るまで扉を維持しておれ」
「はいはい人使いが荒いねぇ。そういえばエルザが怒ってたよ。あの人は全然リコリスちゃんに会わせてくれないって」
「まあそのうちの(完全に忘れておったわ)」
「と、とにかくこれでリコリスさんたちを助けに行けるというわけですね」
「うむ…今一度の忠告じゃが、今から妾らが向かうのは夢であって夢ではない。魂が死ねば肉体も死ぬ。下手をすれば戻ってはこられまい。それでも行くか」
「当然」
「お姉ちゃんを!」
「助けます!」
「この命に代えても」
「ま、守ってみせます!」
「ったく、仕方ねえ姫だぜ」
問答に意味は無い。
テルナは初めから返事をわかっていたように口角を上げた。
「行くぞ」
一瞬の視界の暗転の後、アタシたちは魂を夢の世界へと飛ばした。
愛する女を守るために。
――――――――
「助けに来たわよ、リコリス」
ほら、やっぱり違う。
姿が一緒でもこんなにもわかる。
「みん、な…」
「クハハ、なんじゃそのだらしない顔は」
「レア顔すぎてウケる」
うるせえよ…って、涙がいっぱい流れて、シャーリーがそっとハンカチで拭ってくれた。
「涙と血にまみれても、あなたは尊く美しい」
「リコリスちゃんをま、守るために…私たちは来ました」
「もう大丈夫だよ!お姉ちゃん!」
「悪夢なんかに私たちは負けないです!」
ダメだ…涙止まんない…
あったかい…みんながいることが、こんなにも心強い…
「アッハハハ!へえ、そんなバカ女を助けに来たんだ。みんな揃って仲良しこよし。ステキな友情ね」
「偽物がしゃっしゃってじゃないわよ。ていうかアタシの声で喋るのやめてもらえる?心底不快だわ」
「あら怖い。でも、たったそれだけの人数で、これだけの数の悪魔をどうにか出来るとでも思ってるの?」
空の魔法陣からは悪魔が止め処なく現れる。
「いいわ。そこの身の程知らずと一緒に、まとめて殺してあげる。嬉しいわよね。好きな人と死ねるんだから」
「バカね。アタシたちだけなはずないでしょ。リコリスを好きなのは」
刹那、魔法陣が攻撃を受けて爆発した。
「お待たせーーーー!!」
「いいタイミングよトト」
「エヘヘッ」
ポヨン
『リー』
『リコリス』
『マスター』
『主殿』
『アルジサマノツガイ』
「リルム…シロン、ルドナ、ウル、ゲイル…みんなも…。あれ、なんで【念話】…スキルは使えないはずなのに…」
「ここは夢の中。現実以上に現実な幻想世界。強き意思こそが己を創る。何もかもが思いのまま。折れるでないリコリスよ。ここでは魂が屈することこそが死。立ち上がるのじゃ。常識など打ち破れ。天衣無縫がそなたの専売特許じゃろう」
全ては思い一つ。
強き意思。
そうか…悪夢なんかに、私は知らないうちに絶望しかけてたのか。
「サンキューみんな…。愛してるよ」
「それはあいつに言ってやりなさいよ。きっと待ってるわ」
「ニシシ……ああ!!」
生気が蘇り傷が癒える。
滾った魔力に世界が震えた。
「ここは任せた!」
「任された」
「行かせるわけない、でしょ!!」
『リーの邪魔、ダメだよー。暴食王の晩餐』
『怠惰王の欠伸』
『強欲王の烈風翔波!』
『傲慢王の闇狼咆哮!』
『蟲旋穿角弩砲』
「行っくよードロシー!」
「ええ!」
「「【精霊魔法】!!月皇破邪顕正!!」」
悪魔の群れで埋め尽くされていた大階段が一掃される。
頼りになりすぎて大好きだお前ら。
待ってろアルティ。
今行く。
――――――――
本当に世話が焼ける。
頼りなくて、ときに。
そんな人間味があるところもリコリスの魅力だ。
アタシたちはちゃんと、それをわかってる。
「今から行っても間に合うわけないじゃない。どうせ死んじゃうのがオチなのに。あ、もしかしたらアルティももう死んでるんじゃないかしら。フフッ、二人まとめて死ねるなんてむしろ幸せなのかしらね。本当にくだらない」
「言ったはずよ。アタシの声で喋るなって」
月色に輝く髪が魔力に踊る。
「何がくだらないってのよ。あんたがあいつの何を知ってるっていうの。傷だらけになっても、涙で顔がぐしゃぐしゃになっても、あいつは最後まで諦めなかったじゃない。好きな女のために命懸けで身体張ったリコリスの、いったいどこがくだらないってのよ!!!」
こいつらがリコリスを傷付けた。
あまつさえアタシたちの姿で。
「あんたらは絶対に赦さない!!一木一草消し炭にしてやるから覚悟しなさい!!」
「威勢だけでどうにかなるの?」
偽物のアタシたちはもれなく下卑た風に笑みを浮かべた。
「いいのね」
「はぁ?」
「それが遺言で」
怒りが爆発したみたいに、みんなはそれぞれの偽物を吹き飛ばした。
「なっ?!」
「償いなさい!リコリスを泣かせた罪を!!満月災禍撃!!」
偽物なんかが…アタシたちの女を語ってんじゃないわよ。
「お姉ちゃんは強いんだ!すごいんだ!私はお姉ちゃんのことが大大大だーい好き!いつも明るく笑うお姉ちゃんを泣かせた悪魔なんて大ッ嫌いなんだから!救世一刀流!!天虎之爪!!」
一度の剣戟で斬撃を爪痕みたいに残す技。
マリアの偽物は三つに別れて塵になって消えた。
「お姉ちゃんは…私たちのお姉ちゃんだもん!!」
「うんっ!自慢のお姉ちゃんです!海鳴りの豹牙!!」
水の塊が豹を象り悪魔を喰い散らかす。
「私たちを助けてくれたお姉ちゃんを、私たちを大好きって言ってくれるお姉ちゃんを…バカにするなー!!」
怒りはまだまだ収まらない。
波濤に紛れ、夜に溶け、シャーリーが黒く細い線を引いた。
「私に生きる意味をくれた尊きお方を侮辱した罪、万死を以て贖えぬと知りなさい」
自分の偽物に容赦なく蹴撃を見舞い、手の先に影を集中させる。
「虚影殺!!」
偽物の血で濡れた腕を抜いたシャーリーの目は、こっちが身震いするほど冷たかった。
「あなた如きに、リコリスさんは図れない」
「そのとおり、です…!」
あのエヴァでさえ表情を険しくする。
魔王は知らなかった。
この世には触れてはならないものがあるってことを。
「【混沌付与魔術】…!闇大穴・冥王流星鎌!!」
黒い巨人が鎌を振るうと悪魔の群れと次元が裂け、裂けた次元に悪魔が吸い込まれていく。
「私たちの希望を…あなたたちなんかに穢させたりしません…!」
そしてこの女も。
「好きぴ泣かされんのってこんな萎えんだ」
ルウリは可変式銃アルケミーで偽物を殴打し、銃口を額に当てると魔力を集約させた。
「姫の思い弄びやがってマジうぜぇ…お前らなんかが姫を語ってんじゃねえよブス共が!!」
桜色の魔力が眩く爆ぜる。
「荷電粒子砲!!」
ルウリの偽物は額に風穴どころか、首から上が消し飛んで沈黙した。
最後に見たのはどんな形相だったのか。
知りたくもないわね。どうせ悪魔より悪魔な怒り顔に決まってるんだから。
「フッ、聞こえておろうモナよ」
テルナは自分の偽物の首を鷲掴みに、ゴギッと嫌な音を鳴らした。
ダラッと力無く腕を垂らしたそれを投げ捨て、空に向かって声を上げる。
「貴様は大いなる過ちを犯した。一つはリコリスという妾らにとっての逆鱗に触れたこと。リコリスにとっても妾らが逆鱗であったこと。そして、リコリスを見くびったこと。せいぜい怯えて待つがよい。奴の剣が最強の首に届くのをな」
――――――――
せいぜい怯えて待つがよい…なんて。
テルナちゃんってば可笑しいんだぁ。
そんなことありえるわけないのに。
だってモナは強いもん。
強いから自由で、強いからみんなに愛される。
みんなを愛していい。何をしてもいい。
そういう星の下に生まれてきたんだもん。運命なんだもん。
それなのにあの子は…あの子たちは…
『運命をぶち壊すことくらい私にだって出来るんだよ』
わからないなぁ。
初めて見る人間。
モナのことを好きになれば楽なのに。
なんで歯向かうのかな。
なんで抵抗するのかな。
「リコリスちゃん…か」
自然と口があの子の名前を紡いだとき、扉が開いて肩で息をした子が姿を見せた。
「やっと見つけた。悪魔が教会に巣食ってるってのは、皮肉が効いてて結構おもしろいね」
「クスクス♡」
「悪夢を終わらせに来たぜモナ」
この子はいったい何なんだろう。
モナは神像の手のひらの上で、静寂に包まれながら少女と視線を交わした。
「出来るかな?♡」
「ンッん~、とりまどする?気張っててもしゃーなくない?」
「それはそうですが、あの爛漫な悪魔の行動を予測出来ない以上、油断は禁物かと」
「それはそうなんだけどさ」
「何かあったら誰かは反応するんじゃない?ここにはテルナにリコリス、気配に敏感なシャーリーにマリア、大賢者のアルティとエヴァもいるわけだし」
事がすでに起こっているのを、アタシたちの誰も、テルナでさえ察知出来ずにいた。
「きっ期待されているのに申し訳ないんです、けど…正直、あっあの人の力は理外です…。魔力が濃すぎて、感知なんて出来なくてその…ゴメンなさい…」
「どういうこと?」
「喩えるならモナの魔力は闇そのものじゃ。それも空を覆うほど膨大で密度が高い黒の魔力。しかも妾と違い力を抑えることをまるでしておらぬ。感知どころの話ではない。今こうしておる間も奴の魔力がそこら中に溢れておるわ。妾をして対面するまで気付かぬほどに自然にのう」
「仮の話なんだけど、まともに戦って勝てる相手?」
「勝てる者が居らぬ故に最強じゃ。しかしそれも字面の上での話。全ての者に言えることではあるが、結局はやり方…土壌次第じゃろうな。妾の素の力がスキルを使わねばほぼ幼子と同等であるように、奴もスキルに依存せねば肉体は見た目相応じゃし。純然な戦闘をするか、はたまた児戯同然のクイズに興ずるかでも大分違う」
そういえばテルナも、ヘルガを相手に封印術をくらったんだったわね。
土壌か…
「リコリスの苦手なことって何かしら」
「お姉ちゃんキノコが苦手って言ってたよ」
「男の人もあんまり好きじゃないです」
「苦手というか、弱点ですが。女性を傷付けることもしません」
じゃあもし戦闘になんてなったら前提が破綻してるじゃない。
あいつが勝てる女なんているのかってことになってくるけど。
「まったく…本人はいい気なものよね。アタシたちの心配を余所にアルティとイチャついてるんだから」
「なっ仲直り出来ました、かね…?」
「してなかったらキレるでしょそんな」
薄いレースのカーテンの向こうに目をやると、言葉は聞こえないものの何やらいい雰囲気なのが窺える。
こっちにしてみれば、何をモタモタしてるのよさっさとくっついちゃいなさいよこのヘタレ不器用恋愛初心者共が、って感じではあるんだけど。
ようやくあいつらの関係が進むとなると、嬉しいような、こっちまで気恥ずかしいような、甘酸っぱい気持ちにさせられる。
「頑張れ」
自然とそんな言葉が出た、次の瞬間。
「…!お姉ちゃん!」
「アルティ!」
マリアが耳をピンと立て、テルナが焦燥を張り付けた。
見れば二人の身体が傾き倒れた。
アタシたちは揃ってバルコニーに飛び出した。
「姫?!姫ってば!」
「アルティさん!しっかりしてください!」
なんの反応も無い。
緊張で倒れた?
そんなバカなことを考えてしまうくらいには、アタシも混乱した。
「テ、テルナさん…これ…」
「疑いようもない…モナの仕業じゃ」
「不夜の宴…?何がどうなって…」
「お姉ちゃんたち…どうしたんですか?」
「眠っているだけじゃ。心配は要らぬ…今はな」
「今はって…テルニャ、どういうこと?」
テルナは魔法での覚醒を試みる。
けど真紅の魔力が二人を覆う前に音を立てて弾けた。
「テルナさんの魔法が効かない…」
「精神干渉系の魔法はさすがに奴が上手か…。二人は今、奴の創り出した夢の世界に精神を取り込まれておる」
「夢の世界…?」
「響きだけは魅力的に聞こえるわね…。そんな甘いものじゃないんでしょうけど」
「うむ。夢は夢でも最悪の悪夢…取り込んだ者の不安、嫌悪、絶望…あらゆる負の感情を忠実に表した幻想世界じゃ」
「目は覚ますのですか?」
テルナは言い澱んで顔を顰めた。
するとリコリスの腕に薄く傷が走った。
見る見るうちに傷だらけになっていく。
「!」
「ただの悪夢であるなら、此奴らが自力で何とかしよう。しかしモナの見せる悪夢はただの悪夢ではない。幻想世界は魂を侵食し、世界の境界を曖昧にし、あちらの世界で受けた傷を現実のものにする。つまり…」
「幻想世界で命を落とせば、姫たちも死ぬってこと…?」
「そんな…!」
「なんとかならないの?!」
「……手はある。妾らが幻想世界…モナの創り出した悪夢に入れば」
「悪夢の…中に?」
「け、けど精神干渉の魔法は弾かれて…」
「うむ…危険な賭けじゃがな」
テルナは魔法陣を展開し【召喚魔法】の詠唱を紡いだ。
「夢の扉の鍵の番。汝、黒白の端境期を告げる永久の鐘楼。降臨せよ、黒望婆シェラーレン」
光が強まった後、腰の曲がった老婆が現れた。
「あらあらテルナちゃん久しぶりだねぇ。元気にしてたかい?」
「そなたも壮健のようじゃのシェラーレン。早速で悪いのじゃが」
「おやおやリコリスちゃんはお昼寝かい?それにまた随分可愛らしい子たちがいるねぇ。ほら飴ちゃんだよ。みんなで仲良く分けるんだよ」
「あ、ありがとう」
「コホン、シェラーレンよ。夢の扉を」
「まーたこの子はそんな薄い格好をしてなんだい。女の子はねぇお腹を冷やしちゃいけないってあれほど言ったのに。もうすぐ肌寒い季節になるんだからねぇ。あっという間だよ風邪を引くのなんて。生姜湯飲むかい?油断してたらすぐ引くんだからね風邪なんて。そうそう、そういえば向かいのヤーマダさん。やーっと娘が結婚したとかで大喜びでねぇ。ほらあの石像ばっかり彫ってそのうち石像と結婚しちゃうんじゃないかって言ってた子だよぉ。相手ってのがまた意外でねぇ。誰だと思う?そうあのタナッカのとこの末っ子だよ。大工になるんだって都会に飛び出したのはいいけど全然連絡もしないで親を心配させてねぇ。たまに帰省すればタナッカと喧嘩ばかりであたしは随分気にかけてたもんだよ。タナッカとは女学院の頃からの付き合いだろ?あの子がまたとんでもないやんちゃっ子でねぇ。サートゥーとカトゥーと一緒になって気に入らないことがあるとすーぐ校舎の窓を割ったりして。そんな子だから自分なんかに子育てなんか出来るのかってねぇほんと。まあこれで一安心と言えばそうなんだけどねぇ。あ、カボチャのパイを焼いたんだけど持っていくかい?」
「うるッさい!!全部知らんし全部うるさい!!実家かここはご近所幻獣トーク1ミリも興味無いわ!!誰じゃヤーマダ!!全ッッッ然知らん!!頭に入ってこん!!今度祝いの品でも贈ってやるから早く夢の扉を開かんか!!第一そなた妾より歳下じゃろが!!」
近所のお婆ちゃんすぎる。
呼び出す相手間違えた?
「まったくそうやって生き急いでもろくなことが無いんだからね。はいはいそれじゃやるよ。キュイイイイイン!!♡あなたの心をぶっ壊す!!♡唸れざわめけ跪け!!♡ピュアピュアパワーで夢の世界にいってらっしゃーい!!♡」
嗄れた声でめちゃくちゃ可愛いポーズ決めたんだけど。
なにこれお婆ちゃんの戯れ?
呼び出す相手間違ってないわよね?
ちゃんと魔力が渦を巻いて、扉らしいものが開きはしたけど。
待って今地獄に落ちろって言わなかった?
「おばあちゃんきゃわわ~。めっちゃ萌え~」
異世界人のセンスってわからないわ。
「一緒に写真撮ろ。はいピュア~」
「ピュア~♡」
「ご苦労。妾らが戻るまで扉を維持しておれ」
「はいはい人使いが荒いねぇ。そういえばエルザが怒ってたよ。あの人は全然リコリスちゃんに会わせてくれないって」
「まあそのうちの(完全に忘れておったわ)」
「と、とにかくこれでリコリスさんたちを助けに行けるというわけですね」
「うむ…今一度の忠告じゃが、今から妾らが向かうのは夢であって夢ではない。魂が死ねば肉体も死ぬ。下手をすれば戻ってはこられまい。それでも行くか」
「当然」
「お姉ちゃんを!」
「助けます!」
「この命に代えても」
「ま、守ってみせます!」
「ったく、仕方ねえ姫だぜ」
問答に意味は無い。
テルナは初めから返事をわかっていたように口角を上げた。
「行くぞ」
一瞬の視界の暗転の後、アタシたちは魂を夢の世界へと飛ばした。
愛する女を守るために。
――――――――
「助けに来たわよ、リコリス」
ほら、やっぱり違う。
姿が一緒でもこんなにもわかる。
「みん、な…」
「クハハ、なんじゃそのだらしない顔は」
「レア顔すぎてウケる」
うるせえよ…って、涙がいっぱい流れて、シャーリーがそっとハンカチで拭ってくれた。
「涙と血にまみれても、あなたは尊く美しい」
「リコリスちゃんをま、守るために…私たちは来ました」
「もう大丈夫だよ!お姉ちゃん!」
「悪夢なんかに私たちは負けないです!」
ダメだ…涙止まんない…
あったかい…みんながいることが、こんなにも心強い…
「アッハハハ!へえ、そんなバカ女を助けに来たんだ。みんな揃って仲良しこよし。ステキな友情ね」
「偽物がしゃっしゃってじゃないわよ。ていうかアタシの声で喋るのやめてもらえる?心底不快だわ」
「あら怖い。でも、たったそれだけの人数で、これだけの数の悪魔をどうにか出来るとでも思ってるの?」
空の魔法陣からは悪魔が止め処なく現れる。
「いいわ。そこの身の程知らずと一緒に、まとめて殺してあげる。嬉しいわよね。好きな人と死ねるんだから」
「バカね。アタシたちだけなはずないでしょ。リコリスを好きなのは」
刹那、魔法陣が攻撃を受けて爆発した。
「お待たせーーーー!!」
「いいタイミングよトト」
「エヘヘッ」
ポヨン
『リー』
『リコリス』
『マスター』
『主殿』
『アルジサマノツガイ』
「リルム…シロン、ルドナ、ウル、ゲイル…みんなも…。あれ、なんで【念話】…スキルは使えないはずなのに…」
「ここは夢の中。現実以上に現実な幻想世界。強き意思こそが己を創る。何もかもが思いのまま。折れるでないリコリスよ。ここでは魂が屈することこそが死。立ち上がるのじゃ。常識など打ち破れ。天衣無縫がそなたの専売特許じゃろう」
全ては思い一つ。
強き意思。
そうか…悪夢なんかに、私は知らないうちに絶望しかけてたのか。
「サンキューみんな…。愛してるよ」
「それはあいつに言ってやりなさいよ。きっと待ってるわ」
「ニシシ……ああ!!」
生気が蘇り傷が癒える。
滾った魔力に世界が震えた。
「ここは任せた!」
「任された」
「行かせるわけない、でしょ!!」
『リーの邪魔、ダメだよー。暴食王の晩餐』
『怠惰王の欠伸』
『強欲王の烈風翔波!』
『傲慢王の闇狼咆哮!』
『蟲旋穿角弩砲』
「行っくよードロシー!」
「ええ!」
「「【精霊魔法】!!月皇破邪顕正!!」」
悪魔の群れで埋め尽くされていた大階段が一掃される。
頼りになりすぎて大好きだお前ら。
待ってろアルティ。
今行く。
――――――――
本当に世話が焼ける。
頼りなくて、ときに。
そんな人間味があるところもリコリスの魅力だ。
アタシたちはちゃんと、それをわかってる。
「今から行っても間に合うわけないじゃない。どうせ死んじゃうのがオチなのに。あ、もしかしたらアルティももう死んでるんじゃないかしら。フフッ、二人まとめて死ねるなんてむしろ幸せなのかしらね。本当にくだらない」
「言ったはずよ。アタシの声で喋るなって」
月色に輝く髪が魔力に踊る。
「何がくだらないってのよ。あんたがあいつの何を知ってるっていうの。傷だらけになっても、涙で顔がぐしゃぐしゃになっても、あいつは最後まで諦めなかったじゃない。好きな女のために命懸けで身体張ったリコリスの、いったいどこがくだらないってのよ!!!」
こいつらがリコリスを傷付けた。
あまつさえアタシたちの姿で。
「あんたらは絶対に赦さない!!一木一草消し炭にしてやるから覚悟しなさい!!」
「威勢だけでどうにかなるの?」
偽物のアタシたちはもれなく下卑た風に笑みを浮かべた。
「いいのね」
「はぁ?」
「それが遺言で」
怒りが爆発したみたいに、みんなはそれぞれの偽物を吹き飛ばした。
「なっ?!」
「償いなさい!リコリスを泣かせた罪を!!満月災禍撃!!」
偽物なんかが…アタシたちの女を語ってんじゃないわよ。
「お姉ちゃんは強いんだ!すごいんだ!私はお姉ちゃんのことが大大大だーい好き!いつも明るく笑うお姉ちゃんを泣かせた悪魔なんて大ッ嫌いなんだから!救世一刀流!!天虎之爪!!」
一度の剣戟で斬撃を爪痕みたいに残す技。
マリアの偽物は三つに別れて塵になって消えた。
「お姉ちゃんは…私たちのお姉ちゃんだもん!!」
「うんっ!自慢のお姉ちゃんです!海鳴りの豹牙!!」
水の塊が豹を象り悪魔を喰い散らかす。
「私たちを助けてくれたお姉ちゃんを、私たちを大好きって言ってくれるお姉ちゃんを…バカにするなー!!」
怒りはまだまだ収まらない。
波濤に紛れ、夜に溶け、シャーリーが黒く細い線を引いた。
「私に生きる意味をくれた尊きお方を侮辱した罪、万死を以て贖えぬと知りなさい」
自分の偽物に容赦なく蹴撃を見舞い、手の先に影を集中させる。
「虚影殺!!」
偽物の血で濡れた腕を抜いたシャーリーの目は、こっちが身震いするほど冷たかった。
「あなた如きに、リコリスさんは図れない」
「そのとおり、です…!」
あのエヴァでさえ表情を険しくする。
魔王は知らなかった。
この世には触れてはならないものがあるってことを。
「【混沌付与魔術】…!闇大穴・冥王流星鎌!!」
黒い巨人が鎌を振るうと悪魔の群れと次元が裂け、裂けた次元に悪魔が吸い込まれていく。
「私たちの希望を…あなたたちなんかに穢させたりしません…!」
そしてこの女も。
「好きぴ泣かされんのってこんな萎えんだ」
ルウリは可変式銃アルケミーで偽物を殴打し、銃口を額に当てると魔力を集約させた。
「姫の思い弄びやがってマジうぜぇ…お前らなんかが姫を語ってんじゃねえよブス共が!!」
桜色の魔力が眩く爆ぜる。
「荷電粒子砲!!」
ルウリの偽物は額に風穴どころか、首から上が消し飛んで沈黙した。
最後に見たのはどんな形相だったのか。
知りたくもないわね。どうせ悪魔より悪魔な怒り顔に決まってるんだから。
「フッ、聞こえておろうモナよ」
テルナは自分の偽物の首を鷲掴みに、ゴギッと嫌な音を鳴らした。
ダラッと力無く腕を垂らしたそれを投げ捨て、空に向かって声を上げる。
「貴様は大いなる過ちを犯した。一つはリコリスという妾らにとっての逆鱗に触れたこと。リコリスにとっても妾らが逆鱗であったこと。そして、リコリスを見くびったこと。せいぜい怯えて待つがよい。奴の剣が最強の首に届くのをな」
――――――――
せいぜい怯えて待つがよい…なんて。
テルナちゃんってば可笑しいんだぁ。
そんなことありえるわけないのに。
だってモナは強いもん。
強いから自由で、強いからみんなに愛される。
みんなを愛していい。何をしてもいい。
そういう星の下に生まれてきたんだもん。運命なんだもん。
それなのにあの子は…あの子たちは…
『運命をぶち壊すことくらい私にだって出来るんだよ』
わからないなぁ。
初めて見る人間。
モナのことを好きになれば楽なのに。
なんで歯向かうのかな。
なんで抵抗するのかな。
「リコリスちゃん…か」
自然と口があの子の名前を紡いだとき、扉が開いて肩で息をした子が姿を見せた。
「やっと見つけた。悪魔が教会に巣食ってるってのは、皮肉が効いてて結構おもしろいね」
「クスクス♡」
「悪夢を終わらせに来たぜモナ」
この子はいったい何なんだろう。
モナは神像の手のひらの上で、静寂に包まれながら少女と視線を交わした。
「出来るかな?♡」
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