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不夜燦然編
64.たまには本気でケンカすることも
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「ムッス…」
「…………」
ダークパレスの主人、ヴァネッサに紹介された高級宿。
広々とした部屋にいつもならテンションも上がるところなんでしょうけど、アタシたちの誰も騒いでいない。
リコリスとアルティがお互いそっぽを向いて口を鎖し、場の空気を悪くしているから。
――――――――
事は悪質な店で起きた一件の後まで遡る。
守護嬢隊副長のリオに紹介されてやって来たのは、上層にある魔法使い専門の酒場だという隠れ家のような店だった。
「私は公務がありますのでこれで。どうぞごゆっくり」
店に入った瞬間、高原に吹く風のような魔力がアタシたちを包んだ。
「すごいすごいー!魔力が澄んでる!ロストアイの森みたい!」
「気持ちいい…」
さっきまで死んでたエヴァの顔に生気が宿る。
「いらっしゃいませ。マジシャンズバー、レストアへようこそ。マスターのグリンガムでございます」
捻れた角とひげを生やしたダンディーなおじさまが一人で経営しているお店らしい。
けどこの魔力は…
「魔人…ですか?」
「はい。オースグラード共和国出身でございます」
「あ、わ、私もです…」
「それはそれは。奇遇でございますな」
「オースグラードは魔人領でしたね」
「テレサクロームの近くだって話だったかしら」
「ええ。さあ、立ち話もなんですからどうぞお席へ」
席数は十もないくらいの、カウンターだけの店。
広くは無いはずなのにとても落ち着く。
「どうぞ、マナ・ショット。当店オススメの一杯です。と言っても、この酒しかお出ししていないのですが」
「お酒の中で魔力が輝いてる…」
「キレー!」
「コク…んっ…すごいわね…」
「ええ…清涼感のある魔力が、芳醇なお酒によく合ってて…」
「おっお酒に弱い私でも、飲みやすい、です…」
「恐縮です」
「お酒…というか魔力を飲ませるなんて奇抜だけど斬新だわ。余計なものを完全に濾過してる。魔力の扱いに長けた魔人族だからこそのお酒ね」
いい店を紹介してもらったと、アタシは上機嫌にグラスを煽った。
静かな店内。
女三人と物静かな店主一人。
時間が経つに連れ、居心地の良さも相まって酔いが深くなっていき、トトが気持ちよさそうにカウンターで寝息を立てた頃、アタシはふとこんなことを訊いた。
「ねえ二人とも、結婚ってどう思う?」
「結婚ですか?」
「な、なんで急に…?」
「いいじゃない。ただの雑談よ。願望とか無いの?」
「と言っても相手があれですから」
「あれであることは揺るがないのね。言い得て妙よね、アタシたちの関係って」
好きな女が一緒。
みんなあいつに惹かれてついて来たのに、一人の女を取り合っているわけでもない。
そりゃたまに小競り合いをすることもあるけど、けしてアタシたち同士の仲は悪くなく、むしろ気の合ういい仲間。
「奇妙ではあるでしょうね、端から見ると。以前サリーナに似たようなことを訊かれた覚えがあります」
このスタンスはリコリスの意向ではなく、アルティの心構えによるもの、そしてそれを尊重するアタシたちの意思だ。
リコリス=ラプラスハートという存在は一人が愛するには大きすぎる。
それ故に彼女の寵愛は万人が受けるべきであり、万人が支えて然るべきだとアルティは言う。
そしてそれでも尚、リコリスにとっての一番は私であると。
アルティ=クローバーこそが正妻。または正妃の器だと。
「それでどうなの?結婚したいとか思わないの?」
「もちろん人並みに願望も希望もありますが…べつに焦ることはないかなと。今はこの距離感が楽しいのも事実ですし」
「あらあら、正妻の余裕ってやつね。そんなことじゃアタシたちの誰かに先を越されても文句は言えないわよ。ね、エヴァ」
「へっ?!わわわ、私は、べつに…」
「結婚願望は無いと?」
「そっそういうわけじゃ…リコリスちゃんはステキな人…ですし…いつかはそういう…ううう」
照れちゃって可愛いわね。
年齢二桁の子を揶揄うのってなんて楽しいのかしら。
「ドロシーはどうなんですか?未来の女皇になるならパートナーは必須でしょうに」
「いつかは皇帝として隣に立たせるつもりだけど、まああいつが生きてるうちにってとこかしら。アタシとあいつじゃ、生きる時間も違うことだし」
「悠久を生きるエルフにとっては、私たち人間との交流も一瞬なんでしょうね」
「かなり濃密な一瞬だけど。…………なんでこんな湿っぽい感じになってんのよ」
「あなたが生きる時間が違うとか寂しいことを言うからですよ」
「ず、ずっと一緒にいたいです…」
「悪かったわよ!二人して擦り寄るな可愛いわね!マスターおかわり!あんたたちも飲みなさいよ!」
あっつ…
急激に体温が上がった。
「ほんと、これだから好きなのよあんたたちは」
口の中で声を噛み殺した、そんなとき。
カランと扉のベルが音を立てた。
「グリンガムちゃーん来たよー♡お酒飲ませてー♡」
場の雰囲気などお構いなしとばかり、薄い格好をした悪魔が店に入ってくる。
そいつの後ろに知った顔が見えて、アタシたちは驚いた顔をした。
「テルナ?マリアにジャンヌも」
「ドロシーお姉ちゃんたちだ!」
「わー!」
「なんじゃ偶然じゃな。そなたらも上層で飲んでおったのか」
「色々あってね。そちらは?」
「ああ此奴は…ん?」
「わぁ…」
何かしら。
アルティを見つめてる。
「キレイな魂…あはぁ♡」
悪魔の女はアルティに詰め寄り手を握った。
「ねえねえ、名前なんていうの?♡モナと気持ちいいことしよ!♡」
「は?」
「冷たくて激しい吹雪…いろんな色が混ざり合った虹色の魂…♡すっごく食べたぁい♡ね、行こ~♡」
「あっ、ちょっと?!」
「アルティ?!」
なんなのよ、アルティを連れて行くなんて。
いや呆けてる場合じゃない。
「マスターごちそうさま!また来るわ!」
「お待ちしております」
「あんたたちも追うわよ!」
いったいどこへ…
「早く早く~♡」
「だから、その気は無いので離してください」
いた。
娼館?宿?に連れ込まれようとしてる。
「大丈夫だよぉ♡すぐに気持ちよくしてあげるから♡」
「もう、いい加減に…」
そして偶然が重なった。
「アル…ティ…?」
わけがわからないまま、リコリスがその現場を目撃したのだ。
血の気が引いた顔。
リコリスは声を裏返して酷く動揺した。
「え、なにして…はへ?」
「リコ…違っ、これはその」
「アルティが私以外の女の子と…」
「違います!これは!」
「う、う…」
「リコ!!」
「浮気だぁーーーー!!」
――――――――
ってリコリスが喚き散らしたのよね…
あの場はヴァネッサがなんとか収めてくれたから良かったけど、さてどうしたものかしら。
「マ、マリアさん、ジャンヌさん…二人とももう、眠る時間ですよ…。朝起きれなくなりますから、先に休みましょう、ね」
「うん…」
「わかりました…」
二、三十分ほどしてから、いたたまれない空気を察したエヴァが二人に付き添って退室した。
これ以上ここにいたら泣き出しそうだったから仕方ない。
それからまた約三十分、押し黙っていた二人はようやく口を開いた。
こっちの息が詰まりそうなくらい棘棘しい言葉を使って。
「私以外の女と寝ようとしたんだ」
アルティはあからさまに不機嫌に息を吐いた。
「だからさっきから誤解だと言ってるでしょう。何回もしつこい…」
「しつこいってなんだよ。事実言ってるだけだろ」
「誤解ですと何度言えばわかるんですか。あの人が無理やり私の腕を引いただけです。リコが考えているようなことは何もありませんし、あのときだって私は拒否してたじゃないですか」
「ふんっ、どうだか。めっちゃ美少女だったもんな。私に見つかんなかったらそのままついて行っちゃってたんじゃないの?」
「いったい何を見ていたんですか。ああ、私じゃなく隣の彼女を見ていたんですね。なんせ美人でしたから。私のことはさぞ霞んで見えたんでしょうね。いつからその目は節穴になったんだか」
「節穴なのはそっちだろ。他の女に目移りするとか」
「だから…してないって言ってるでしょう」
子どもっぽく拗ねるリコリスに、アルティはうんざりといった様子でまたため息をついた。
「リコがそこまで私のことを信頼していないとは思ってもみませんでした。私が知らない女性にホイホイついて行く尻軽だとでも?まったく、あなたじゃあるまいし」
「はあ?どういう意味それ」
「言葉のとおりですけど。自分のことを棚に上げてよく言えますね。女性と見れば見境なく軽薄に軽率に声を掛ける色情魔のくせに、人には強く諫めるんですから。本当いい身分ですね」
「何その言い方。声掛けてるだけだろ。今まで実際誰かと寝たことあったかよ」
「ありませんよ。ここぞというときにヘタレますから。どうせさっきだってそうだったんでしょう?一緒だったあの女性たちと、そういうことをしたい頭ではいたくせに。なのに私のことは高圧的に咎めて、いったい何様のつもりですか?」
「あぁ?」
「ちょっと自由を許した仕打ちがこれですか。あなたを信頼した私がバカでした。どうぞご自由に。私を信じられないなら、信じられる女性をお金で買えばいいじゃないですか。私みたいなアバズレじゃないもっとステキな何でも言うことを聞いてくれてあなたを本意にしてくれる女性を」
「おいアルティ」
「顔だけは良いですからねあなたは。位もあって富も蓄えて。それに腕っぷしも才もあって。引く手数多じゃないですか。わざわざ不信感を抱く女を傍に侍らせておく意味なんか無いでしょう」
「おい!」
「うるさい!!」
リコリスだけじゃなく、アタシたち全員の肩が震えた。
「何が浮気ですかグチグチと鬱陶しい!!私たちの関係に明確に名前を付けたこともないくせに!!いくら濡れ衣とはいえ、あなたにとやかく言う権利が有るとでも思ってるんですか!!」
「アルティどこ行くの、おいって!」
「ついて来ないでください!!」
バタンと扉が勢いよく閉まる音に、アタシたちはまた肩を竦ませた。
――――――――
「ゴクゴク…っは!!もう一杯!!」
「へ、へい」
「おー姉さんいい飲みっぷりだなぁ。一人か?どうだいこの後おれと」
ギロッ
「ひいっ?!なな、なんでもありまっせぇん!!」
「チッ…ゴックゴック…!!」
乱暴な飲酒。
誰彼構わず当たり散らすことも厭わないような目。
私をして声を掛けるのを憚れるくらい、今のアルティさんは怖かった。
「無理な飲み方は身体を壊しますよ」
「シャーリー…」
「私にも同じものを。ひどく荒れていますね」
「ほっといてください…ゴク」
「お待ちです」
「どうも。コク…フフ、上層で特級の美酒を味わった後では、何を飲んでも劣ってしまいますね。ただ酔うだけには困りませんけれど」
下層も趣きがあって好みではありますが。
「酔う…そうですね。リコもきっと、テレサクロームの甘いひとときに酔っていたんでしょうね」
「リコリスさんの名誉のために言っておきますが、そういったお誘いをされてもリコリスさんは悩むだけで、嬢たちに指一本触れることはありませんでしたよ」
「どうせ度胸が無かっただけです」
「…出ましょうか」
人の多いところでは話も出来ないと、私はテーブルに代金を置いた。
夜風を浴び、人気の無い広場へと赴いた。
真っ暗な海を一望出来て気が落ち着く。
ベンチを勧め横並びで再び話を始めた。
「先程、リコリスさんに度胸が無いとおっしゃいましたね。フフ、そうかもしれません。あの方は自信家でありながらここぞというところで自分を折り思い留まる、人間味に満ちたところがありますから。そういうところが可愛らしいのですが。…そういうときは、大抵アルティさんのことを考えているのだと、私は思いますよ」
リコリスさんでなければ、そしてリコリスさんが思っているのがアルティさんでなければ、不貞が起こるなど一度や二度ではなかったでしょう。
彼女以上に、または彼女たち以上に、真実の愛で繋がっている者などいない。
私は夢物語に浮き足立つ年頃の少女さながらに、そう信じてやまなかった。
「好きだからこそ甘え、乞い、焦がれる。ときには衝突し、反発することもある。たまに羨ましくなるときがあります。私にはありませんでしたから。お二人のように花も恥らう乙女のような頃など」
「羨ましいと思いますか?」
「ええ、とても」
「あまり良いものではないかもしれませんよ。十何年と幼なじみをやっていても、たとえ好き同士でも、感情のままに汚く罵り合って…傷付けて…」
「アルティさん」
「……私、知りませんでした」
膝の上で握った拳に一つ、雫が落ちる。
「愛した人に疑われるのが…これほどつらいなんて。私…リコに酷いこといっぱい…いっぱい…」
声が震え、また一つ、もう一つと透明な涙が頬を伝う。
堰が切れたようにアルティさんは咽び泣いた。
「うあぁ、うわああああああああん!!」
私の胸に縋りついて。悲痛に。大人びた常日頃の面影は微塵も無く。
思いの丈を吐き出して。
今はただ、彼女を受け止める。
「よしよし」
姉のような、または保護者のような真似事をして。
――――――――
「様子を見てきますね」
シャーリーが音もなくその場から消えた後。
「ガチでバカじゃん姫」
呆れた風にルウリが言った。
「そりゃ嫁も怒るよ。好きな人から浮気疑われてんだもん。ほんとに何も無かったっぽいしさ」
「生きた心地がせなんだわ。あんなにも怒りを露わにしたアルティは初めて見た」
「前にも一度あったけどね。今回のはそれ以上だわ。で、どうするのリコリス」
「どうするって…」
こんなにしょんぼりしてるリコリスも珍しい。
言い過ぎた、自分が悪いってハッキリ自覚してるらしい。
「謝って赦してくれると思う…?」
「そんなの知らないわよ。あんたたちのケンカだもの」
「それな。てか嫁が姫一途なのなんてわかりきってるじゃん。なのになんであんなキレたの?」
「わかんないよ…。でも、なんかすっごい嫌な気分になった…」
「子どもじゃないんだから。自分の感情にくらい名前を付けなさいよ」
「返す言葉もありません…」
「へこみすぎて草も生えんのだが。そういえば、嫁も同じこと言ってなかった?名前がどうとかって。あれってどゆこと?姫と嫁が好きぴ同士なのなんてわかりきってるでしょ?」
「たしかにそうね。リコリス、何か心当たりは?」
「心当たりって言われても…好きなのは好きだし…大切なのも本当だし…」
ならなんであんな言い方するのかしら。
不器用な奴。
「まあなんにせよ、謝るのが一番なんじゃない?あたしなら恋人にあんな言い方されたらブチキレてソッコーバイバイするけどw」
「恋、人…?」
リコリスが変な顔をした。
「そういえば私…好きってはいつも言うけど、付き合ってくださいとかは言ったことない、気が…」
「「は?」」
「え?」
「「はああああああ?!!」」
アタシとルウリは揃って間の抜けた声を上げた。
「今まで一度も?!」
「はい…」
「ヤることヤってんのに?!」
「はい…」
「そ、れは…アルティだって怒るわよ…」
「あんなに好き好きチュッチュしといてセのフレだもんやってること」
「セのフレって…。いや、でもお互いなんとなくこ、恋人とかそういう雰囲気にはなって…」
「言わなきゃ伝わんないでしょそんなもん。はぁ…性に奔放でも恋愛には奥手…。なんてややこしいのかしら…」
「拗らせてんなぁ姫」
「だって…恥ずかしいじゃん…。付き合ってくださいとか、そんな…」
顔赤くすんな可愛いわね…
けど、ため息をつくことしか出来ないわ。
かと言って時間が解決するというものでもないでしょうし。
どうしたものかしらね。
「まあなんじゃな。とにかくリコリスがアルティに頭を下げるのは避けられぬが、全てが全てリコリスが悪いというわけでもない。止められなんだ妾にも責任はある。それに元凶というなら…おい、そなたもいつまで傍観しておるつもりじゃ」
「だって~♡みんなおいしそうな子たちばっかりで選り取り見取りだったんだもん♡」
甘い声に戦慄した。
いつからいた?
最初から?
アタシたちはおろか、気配に敏感なリコリスやマリアたちにも気取られなかったなんて。
「その悪魔さんってテルニャの知り合いだよね?紹介してくれる?」
「テルナちゃんの彼女でーす♡」
「○すぞ」
「あ、でも他にも彼女はいっぱいいるから束縛はしないよ♡名前はほとんど覚えてないけど♡」
「はぁ…。此奴は…」
「はじめまして~♡モナ=エクスヴァルヴァ=クトゥリスっていいまーす♡よろしくね♡」
「クトゥリス?!まさか、本物?!」
「知ってんの?」
異世界出身のリコリスとルウリが知らないのも無理はない。
けど…
「とんだ大物を連れて来たものね…テルナ」
「馬鹿を言うな。このような奴を好き好んで連れて来ようなど思うものか」
アタシはテルナに目を細めた。
当人は涼しい顔…いえ、諦めた顔をしてる。
「貴族と同じように悪魔にも階級がある。クトゥリスと言えば、全ての悪魔の頂点にして原点…。悪魔を束ねる王の血族。しかも当代の主しか名乗ることを許されないエクスヴァルヴァを冠するってことは、つまり…」
「夢幻の欲望王…今代の"魔王"であり、妾と同じ世界最強に数えられる大悪魔じゃ」
まるで御伽話のようなその響きに、深い闇のような底知れない魔力に、アタシたちは静かに畏怖の念を抱いた。
――――――――
魔王…ハハ、なんて厨ニめいた甘美な響きなんだろう。
いつもの私ならすごい、カッコいいとはしゃいでいたに違いない。
この悪魔の魅力も尋常じゃないし。
でも。
「その魔王様が、私の女に手ェ出すってのは…どういう了見だ?」
わかってる。
初対面の、それも私が大好きな女の子相手に、鋭い目と強い語気で威圧するのが、クソダサい八つ当たりだってことは。
だけど当人は、
「私の女…ああ番だったんだね♡でも安心して♡あなたの魂もとってもステキだから、一緒に愛してあげるよ~♡」
そんなの些細なこととばかりに私に抱きついた。
「澄んだ緋色の魂…♡燃え盛る不変の太陽みたいに熱くて、地平線の彼方まで咲き誇るお花畑みたいに濃厚な匂い♡今日はいい日だよぉ♡こーんなにステキな子たちにいっぱい出逢えたんだから♡」
「なん…ちょっ…」
「それが此奴の厄介なところでの…此奴には悪気も正義も一切有りはしないのじゃ。あるのは純真無垢で真っ白な果てのない欲望。ただ我がままに欲しいものを求むる、悪魔らしい悪魔とでも言おうか。そうじゃな…理性と倫理が完全に欠如したリコリスと思えばよい」
「「把握」」
「すんな」
私の認識ってそんな?
「モナよ、何度も言うがこれらは妾の盟友であり最愛。これ以上妾らに関わるな。さもなくばそなたと本気で事を構えねばならぬ」
「テルナちゃんとケンカする気なんてないよぉ♡ただあんまり可愛くて、あんまりおいしそうだっただけ♡今も本当はみんなのこと食べちゃいたくてしょうがないのに、テルナちゃんが本気で怒るから何もしないであげてるんだよ?♡クスクス♡」
モナは、まあでも…と私の頬に触れて顔を近付けた。
「無理やりっていうのも興奮しちゃうかなぁ♡」
初めてだ。
女の子に対して不気味だと思ったのは。
「あなたがテルナちゃんの良い人なんだね♡ねえリコリスちゃん、モナのものになっちゃいなよ~♡みーんな一緒にモナが愛してあげるから♡飽くまでたぁっぷり魂の髄まで♡」
「おい」
ルウリがモナのこめかみにアルケミーの銃口を押し当てた。
「あたしらの姫に色目使ってんじゃねーよクソビッチ。脳みそぶち撒けられたくなかったらその手離せ」
「アタシたちの仲間悲しませておいて、詫びも無しじゃ道理が通らないわ」
ドロシーの髪が魔力の昂りで青く輝く。
呼吸を忘れそうな怒りを前にして、モナは一度呆けてから、変わらず無垢に笑みを浮かべた。
「あはぁ♡やーん可愛い子たちばっかり♡いいの?♡モナ…我慢出来ないよ?♡」
「ッ!!」
「姫?!」
「リコリス?!」
咄嗟だった。
ルウリの銃とドロシーの腕を掴んだのは、ほとんど反射だと思う。
二人を止めてなきゃ大変なことになっていたような…そんな悪寒に冷や汗が垂れた。
「エヘヘ、なーんて冗談だよ~♡だからテルナちゃんもその魔力抑えて♡本当に我慢出来なくなってもいいなら、話は別だけど♡」
「これ以上ここにいれば辺り一帯が無事では済まなくなる。そなたとて住処が荒れるのは本意でなかろう。今日のところは大人しく去れ」
「はーい♡みんなはまだこの国にいるんでしょ?♡明日はちゃんとデートしようね♡」
モナは軽い足取りで部屋から出ていった。
髪を振る仕草からドアを閉める最後のバイバイまで、全部が全部女の子らしくて目を離せなかった。
尤もそれは、何か仕出かすんじゃないかって危惧も十二分にあったんだけど。
「っはァ…!疲れた…汗エッグ…」
「嘘でしょあんなの…」
ルウリとドロシーは、それぞれベッドとソファーに身体を預けた。
「テルナがこんなだから慣れちゃってたけど、本物を目の当たりにしたプレッシャーはハンパじゃないわね。五体満足平気でいられるのが不思議なくらいだわ」
「こんなってなんじゃこんなって。ふぅ、リコリスよ」
「?」
「先に言っておくが、あれをどうこうするのは不可能じゃ。ある種そなたと同様、制御は効かぬし効かせる気もない。まして実力行使など愚の骨頂。災害を相手に唾を吐くようなもの。今回に関しては悪運と、そなたの日頃の行いの祟りが重なったということじゃ」
「わかってる。ちゃんと謝るよ」
「だけじゃなくない?」
「そうね。そろそろいいんじゃない?次に進んでも」
次…か。
はたして私にその資格があるのか。
如何せん怪しいところだけどね。
そして、その日アルティは戻ってこなくて、下層の宿を取ったことを、朝に帰ってきたシャーリーから報告を受けた。
一緒には帰ってこなかったけど。
「アルティは?」
「まだ宿でお休みに。それより…」
壁の鏡に映った顔は酷いものだった。
寝不足でクマが出て髪もボサボサ。
そんな私を見かねて、シャーリーが身なりを整えてくれた。
「眠れませんでしたか?」
「まあね。アルティは…」
「さんざん飲んで、さんざん泣いて、泣きつかれて眠ってしまわれました」
「そっか」
「仲直り、ちゃんとしてくださいね。好きな人たちが険悪なのは私たちも耐えかねますから」
「わかってる。私が迎えに行くよ」
「お願いします。いつもどおり、リコリスさんのステキな笑顔で。はい、出来ましたよ」
「ありがとう。行ってくる」
シャーリーに教えてもらった宿を訪ねたら、アルティはまだ部屋にいるようだった。
部屋の扉をノックしようとして手が止まる。
あの悪魔がアルティと添い寝してたら…なんて妄想に落ち込んだ。
「すぅ…はぁ…。んっ」
コンコン
「はい」
「お、おはよう…」
「……おはようございます」
よかった、アルティだけだ。
目の周りが腫れて赤くなってる。
「あの…」
「なんですか」
「いや…」
怒ってる…そりゃ当然か。
でもアルティは待ってくれてる。
私が喋りだすのを。
「アルティ…」
「はい…」
「あっ、と…」
「…………」
「あ、あの!」
グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ
「…………」
「…………」
どんなタイミングでお腹鳴らしてんだこいつ!
「~~~~!!どっか行ってください大バカリコーーーー!!」
「ぶへェェ!!」
キレイな右ストレートでぶっ飛ばされたんだが…
今のは私悪くないじゃろ…?ガクッ。
「…………」
ダークパレスの主人、ヴァネッサに紹介された高級宿。
広々とした部屋にいつもならテンションも上がるところなんでしょうけど、アタシたちの誰も騒いでいない。
リコリスとアルティがお互いそっぽを向いて口を鎖し、場の空気を悪くしているから。
――――――――
事は悪質な店で起きた一件の後まで遡る。
守護嬢隊副長のリオに紹介されてやって来たのは、上層にある魔法使い専門の酒場だという隠れ家のような店だった。
「私は公務がありますのでこれで。どうぞごゆっくり」
店に入った瞬間、高原に吹く風のような魔力がアタシたちを包んだ。
「すごいすごいー!魔力が澄んでる!ロストアイの森みたい!」
「気持ちいい…」
さっきまで死んでたエヴァの顔に生気が宿る。
「いらっしゃいませ。マジシャンズバー、レストアへようこそ。マスターのグリンガムでございます」
捻れた角とひげを生やしたダンディーなおじさまが一人で経営しているお店らしい。
けどこの魔力は…
「魔人…ですか?」
「はい。オースグラード共和国出身でございます」
「あ、わ、私もです…」
「それはそれは。奇遇でございますな」
「オースグラードは魔人領でしたね」
「テレサクロームの近くだって話だったかしら」
「ええ。さあ、立ち話もなんですからどうぞお席へ」
席数は十もないくらいの、カウンターだけの店。
広くは無いはずなのにとても落ち着く。
「どうぞ、マナ・ショット。当店オススメの一杯です。と言っても、この酒しかお出ししていないのですが」
「お酒の中で魔力が輝いてる…」
「キレー!」
「コク…んっ…すごいわね…」
「ええ…清涼感のある魔力が、芳醇なお酒によく合ってて…」
「おっお酒に弱い私でも、飲みやすい、です…」
「恐縮です」
「お酒…というか魔力を飲ませるなんて奇抜だけど斬新だわ。余計なものを完全に濾過してる。魔力の扱いに長けた魔人族だからこそのお酒ね」
いい店を紹介してもらったと、アタシは上機嫌にグラスを煽った。
静かな店内。
女三人と物静かな店主一人。
時間が経つに連れ、居心地の良さも相まって酔いが深くなっていき、トトが気持ちよさそうにカウンターで寝息を立てた頃、アタシはふとこんなことを訊いた。
「ねえ二人とも、結婚ってどう思う?」
「結婚ですか?」
「な、なんで急に…?」
「いいじゃない。ただの雑談よ。願望とか無いの?」
「と言っても相手があれですから」
「あれであることは揺るがないのね。言い得て妙よね、アタシたちの関係って」
好きな女が一緒。
みんなあいつに惹かれてついて来たのに、一人の女を取り合っているわけでもない。
そりゃたまに小競り合いをすることもあるけど、けしてアタシたち同士の仲は悪くなく、むしろ気の合ういい仲間。
「奇妙ではあるでしょうね、端から見ると。以前サリーナに似たようなことを訊かれた覚えがあります」
このスタンスはリコリスの意向ではなく、アルティの心構えによるもの、そしてそれを尊重するアタシたちの意思だ。
リコリス=ラプラスハートという存在は一人が愛するには大きすぎる。
それ故に彼女の寵愛は万人が受けるべきであり、万人が支えて然るべきだとアルティは言う。
そしてそれでも尚、リコリスにとっての一番は私であると。
アルティ=クローバーこそが正妻。または正妃の器だと。
「それでどうなの?結婚したいとか思わないの?」
「もちろん人並みに願望も希望もありますが…べつに焦ることはないかなと。今はこの距離感が楽しいのも事実ですし」
「あらあら、正妻の余裕ってやつね。そんなことじゃアタシたちの誰かに先を越されても文句は言えないわよ。ね、エヴァ」
「へっ?!わわわ、私は、べつに…」
「結婚願望は無いと?」
「そっそういうわけじゃ…リコリスちゃんはステキな人…ですし…いつかはそういう…ううう」
照れちゃって可愛いわね。
年齢二桁の子を揶揄うのってなんて楽しいのかしら。
「ドロシーはどうなんですか?未来の女皇になるならパートナーは必須でしょうに」
「いつかは皇帝として隣に立たせるつもりだけど、まああいつが生きてるうちにってとこかしら。アタシとあいつじゃ、生きる時間も違うことだし」
「悠久を生きるエルフにとっては、私たち人間との交流も一瞬なんでしょうね」
「かなり濃密な一瞬だけど。…………なんでこんな湿っぽい感じになってんのよ」
「あなたが生きる時間が違うとか寂しいことを言うからですよ」
「ず、ずっと一緒にいたいです…」
「悪かったわよ!二人して擦り寄るな可愛いわね!マスターおかわり!あんたたちも飲みなさいよ!」
あっつ…
急激に体温が上がった。
「ほんと、これだから好きなのよあんたたちは」
口の中で声を噛み殺した、そんなとき。
カランと扉のベルが音を立てた。
「グリンガムちゃーん来たよー♡お酒飲ませてー♡」
場の雰囲気などお構いなしとばかり、薄い格好をした悪魔が店に入ってくる。
そいつの後ろに知った顔が見えて、アタシたちは驚いた顔をした。
「テルナ?マリアにジャンヌも」
「ドロシーお姉ちゃんたちだ!」
「わー!」
「なんじゃ偶然じゃな。そなたらも上層で飲んでおったのか」
「色々あってね。そちらは?」
「ああ此奴は…ん?」
「わぁ…」
何かしら。
アルティを見つめてる。
「キレイな魂…あはぁ♡」
悪魔の女はアルティに詰め寄り手を握った。
「ねえねえ、名前なんていうの?♡モナと気持ちいいことしよ!♡」
「は?」
「冷たくて激しい吹雪…いろんな色が混ざり合った虹色の魂…♡すっごく食べたぁい♡ね、行こ~♡」
「あっ、ちょっと?!」
「アルティ?!」
なんなのよ、アルティを連れて行くなんて。
いや呆けてる場合じゃない。
「マスターごちそうさま!また来るわ!」
「お待ちしております」
「あんたたちも追うわよ!」
いったいどこへ…
「早く早く~♡」
「だから、その気は無いので離してください」
いた。
娼館?宿?に連れ込まれようとしてる。
「大丈夫だよぉ♡すぐに気持ちよくしてあげるから♡」
「もう、いい加減に…」
そして偶然が重なった。
「アル…ティ…?」
わけがわからないまま、リコリスがその現場を目撃したのだ。
血の気が引いた顔。
リコリスは声を裏返して酷く動揺した。
「え、なにして…はへ?」
「リコ…違っ、これはその」
「アルティが私以外の女の子と…」
「違います!これは!」
「う、う…」
「リコ!!」
「浮気だぁーーーー!!」
――――――――
ってリコリスが喚き散らしたのよね…
あの場はヴァネッサがなんとか収めてくれたから良かったけど、さてどうしたものかしら。
「マ、マリアさん、ジャンヌさん…二人とももう、眠る時間ですよ…。朝起きれなくなりますから、先に休みましょう、ね」
「うん…」
「わかりました…」
二、三十分ほどしてから、いたたまれない空気を察したエヴァが二人に付き添って退室した。
これ以上ここにいたら泣き出しそうだったから仕方ない。
それからまた約三十分、押し黙っていた二人はようやく口を開いた。
こっちの息が詰まりそうなくらい棘棘しい言葉を使って。
「私以外の女と寝ようとしたんだ」
アルティはあからさまに不機嫌に息を吐いた。
「だからさっきから誤解だと言ってるでしょう。何回もしつこい…」
「しつこいってなんだよ。事実言ってるだけだろ」
「誤解ですと何度言えばわかるんですか。あの人が無理やり私の腕を引いただけです。リコが考えているようなことは何もありませんし、あのときだって私は拒否してたじゃないですか」
「ふんっ、どうだか。めっちゃ美少女だったもんな。私に見つかんなかったらそのままついて行っちゃってたんじゃないの?」
「いったい何を見ていたんですか。ああ、私じゃなく隣の彼女を見ていたんですね。なんせ美人でしたから。私のことはさぞ霞んで見えたんでしょうね。いつからその目は節穴になったんだか」
「節穴なのはそっちだろ。他の女に目移りするとか」
「だから…してないって言ってるでしょう」
子どもっぽく拗ねるリコリスに、アルティはうんざりといった様子でまたため息をついた。
「リコがそこまで私のことを信頼していないとは思ってもみませんでした。私が知らない女性にホイホイついて行く尻軽だとでも?まったく、あなたじゃあるまいし」
「はあ?どういう意味それ」
「言葉のとおりですけど。自分のことを棚に上げてよく言えますね。女性と見れば見境なく軽薄に軽率に声を掛ける色情魔のくせに、人には強く諫めるんですから。本当いい身分ですね」
「何その言い方。声掛けてるだけだろ。今まで実際誰かと寝たことあったかよ」
「ありませんよ。ここぞというときにヘタレますから。どうせさっきだってそうだったんでしょう?一緒だったあの女性たちと、そういうことをしたい頭ではいたくせに。なのに私のことは高圧的に咎めて、いったい何様のつもりですか?」
「あぁ?」
「ちょっと自由を許した仕打ちがこれですか。あなたを信頼した私がバカでした。どうぞご自由に。私を信じられないなら、信じられる女性をお金で買えばいいじゃないですか。私みたいなアバズレじゃないもっとステキな何でも言うことを聞いてくれてあなたを本意にしてくれる女性を」
「おいアルティ」
「顔だけは良いですからねあなたは。位もあって富も蓄えて。それに腕っぷしも才もあって。引く手数多じゃないですか。わざわざ不信感を抱く女を傍に侍らせておく意味なんか無いでしょう」
「おい!」
「うるさい!!」
リコリスだけじゃなく、アタシたち全員の肩が震えた。
「何が浮気ですかグチグチと鬱陶しい!!私たちの関係に明確に名前を付けたこともないくせに!!いくら濡れ衣とはいえ、あなたにとやかく言う権利が有るとでも思ってるんですか!!」
「アルティどこ行くの、おいって!」
「ついて来ないでください!!」
バタンと扉が勢いよく閉まる音に、アタシたちはまた肩を竦ませた。
――――――――
「ゴクゴク…っは!!もう一杯!!」
「へ、へい」
「おー姉さんいい飲みっぷりだなぁ。一人か?どうだいこの後おれと」
ギロッ
「ひいっ?!なな、なんでもありまっせぇん!!」
「チッ…ゴックゴック…!!」
乱暴な飲酒。
誰彼構わず当たり散らすことも厭わないような目。
私をして声を掛けるのを憚れるくらい、今のアルティさんは怖かった。
「無理な飲み方は身体を壊しますよ」
「シャーリー…」
「私にも同じものを。ひどく荒れていますね」
「ほっといてください…ゴク」
「お待ちです」
「どうも。コク…フフ、上層で特級の美酒を味わった後では、何を飲んでも劣ってしまいますね。ただ酔うだけには困りませんけれど」
下層も趣きがあって好みではありますが。
「酔う…そうですね。リコもきっと、テレサクロームの甘いひとときに酔っていたんでしょうね」
「リコリスさんの名誉のために言っておきますが、そういったお誘いをされてもリコリスさんは悩むだけで、嬢たちに指一本触れることはありませんでしたよ」
「どうせ度胸が無かっただけです」
「…出ましょうか」
人の多いところでは話も出来ないと、私はテーブルに代金を置いた。
夜風を浴び、人気の無い広場へと赴いた。
真っ暗な海を一望出来て気が落ち着く。
ベンチを勧め横並びで再び話を始めた。
「先程、リコリスさんに度胸が無いとおっしゃいましたね。フフ、そうかもしれません。あの方は自信家でありながらここぞというところで自分を折り思い留まる、人間味に満ちたところがありますから。そういうところが可愛らしいのですが。…そういうときは、大抵アルティさんのことを考えているのだと、私は思いますよ」
リコリスさんでなければ、そしてリコリスさんが思っているのがアルティさんでなければ、不貞が起こるなど一度や二度ではなかったでしょう。
彼女以上に、または彼女たち以上に、真実の愛で繋がっている者などいない。
私は夢物語に浮き足立つ年頃の少女さながらに、そう信じてやまなかった。
「好きだからこそ甘え、乞い、焦がれる。ときには衝突し、反発することもある。たまに羨ましくなるときがあります。私にはありませんでしたから。お二人のように花も恥らう乙女のような頃など」
「羨ましいと思いますか?」
「ええ、とても」
「あまり良いものではないかもしれませんよ。十何年と幼なじみをやっていても、たとえ好き同士でも、感情のままに汚く罵り合って…傷付けて…」
「アルティさん」
「……私、知りませんでした」
膝の上で握った拳に一つ、雫が落ちる。
「愛した人に疑われるのが…これほどつらいなんて。私…リコに酷いこといっぱい…いっぱい…」
声が震え、また一つ、もう一つと透明な涙が頬を伝う。
堰が切れたようにアルティさんは咽び泣いた。
「うあぁ、うわああああああああん!!」
私の胸に縋りついて。悲痛に。大人びた常日頃の面影は微塵も無く。
思いの丈を吐き出して。
今はただ、彼女を受け止める。
「よしよし」
姉のような、または保護者のような真似事をして。
――――――――
「様子を見てきますね」
シャーリーが音もなくその場から消えた後。
「ガチでバカじゃん姫」
呆れた風にルウリが言った。
「そりゃ嫁も怒るよ。好きな人から浮気疑われてんだもん。ほんとに何も無かったっぽいしさ」
「生きた心地がせなんだわ。あんなにも怒りを露わにしたアルティは初めて見た」
「前にも一度あったけどね。今回のはそれ以上だわ。で、どうするのリコリス」
「どうするって…」
こんなにしょんぼりしてるリコリスも珍しい。
言い過ぎた、自分が悪いってハッキリ自覚してるらしい。
「謝って赦してくれると思う…?」
「そんなの知らないわよ。あんたたちのケンカだもの」
「それな。てか嫁が姫一途なのなんてわかりきってるじゃん。なのになんであんなキレたの?」
「わかんないよ…。でも、なんかすっごい嫌な気分になった…」
「子どもじゃないんだから。自分の感情にくらい名前を付けなさいよ」
「返す言葉もありません…」
「へこみすぎて草も生えんのだが。そういえば、嫁も同じこと言ってなかった?名前がどうとかって。あれってどゆこと?姫と嫁が好きぴ同士なのなんてわかりきってるでしょ?」
「たしかにそうね。リコリス、何か心当たりは?」
「心当たりって言われても…好きなのは好きだし…大切なのも本当だし…」
ならなんであんな言い方するのかしら。
不器用な奴。
「まあなんにせよ、謝るのが一番なんじゃない?あたしなら恋人にあんな言い方されたらブチキレてソッコーバイバイするけどw」
「恋、人…?」
リコリスが変な顔をした。
「そういえば私…好きってはいつも言うけど、付き合ってくださいとかは言ったことない、気が…」
「「は?」」
「え?」
「「はああああああ?!!」」
アタシとルウリは揃って間の抜けた声を上げた。
「今まで一度も?!」
「はい…」
「ヤることヤってんのに?!」
「はい…」
「そ、れは…アルティだって怒るわよ…」
「あんなに好き好きチュッチュしといてセのフレだもんやってること」
「セのフレって…。いや、でもお互いなんとなくこ、恋人とかそういう雰囲気にはなって…」
「言わなきゃ伝わんないでしょそんなもん。はぁ…性に奔放でも恋愛には奥手…。なんてややこしいのかしら…」
「拗らせてんなぁ姫」
「だって…恥ずかしいじゃん…。付き合ってくださいとか、そんな…」
顔赤くすんな可愛いわね…
けど、ため息をつくことしか出来ないわ。
かと言って時間が解決するというものでもないでしょうし。
どうしたものかしらね。
「まあなんじゃな。とにかくリコリスがアルティに頭を下げるのは避けられぬが、全てが全てリコリスが悪いというわけでもない。止められなんだ妾にも責任はある。それに元凶というなら…おい、そなたもいつまで傍観しておるつもりじゃ」
「だって~♡みんなおいしそうな子たちばっかりで選り取り見取りだったんだもん♡」
甘い声に戦慄した。
いつからいた?
最初から?
アタシたちはおろか、気配に敏感なリコリスやマリアたちにも気取られなかったなんて。
「その悪魔さんってテルニャの知り合いだよね?紹介してくれる?」
「テルナちゃんの彼女でーす♡」
「○すぞ」
「あ、でも他にも彼女はいっぱいいるから束縛はしないよ♡名前はほとんど覚えてないけど♡」
「はぁ…。此奴は…」
「はじめまして~♡モナ=エクスヴァルヴァ=クトゥリスっていいまーす♡よろしくね♡」
「クトゥリス?!まさか、本物?!」
「知ってんの?」
異世界出身のリコリスとルウリが知らないのも無理はない。
けど…
「とんだ大物を連れて来たものね…テルナ」
「馬鹿を言うな。このような奴を好き好んで連れて来ようなど思うものか」
アタシはテルナに目を細めた。
当人は涼しい顔…いえ、諦めた顔をしてる。
「貴族と同じように悪魔にも階級がある。クトゥリスと言えば、全ての悪魔の頂点にして原点…。悪魔を束ねる王の血族。しかも当代の主しか名乗ることを許されないエクスヴァルヴァを冠するってことは、つまり…」
「夢幻の欲望王…今代の"魔王"であり、妾と同じ世界最強に数えられる大悪魔じゃ」
まるで御伽話のようなその響きに、深い闇のような底知れない魔力に、アタシたちは静かに畏怖の念を抱いた。
――――――――
魔王…ハハ、なんて厨ニめいた甘美な響きなんだろう。
いつもの私ならすごい、カッコいいとはしゃいでいたに違いない。
この悪魔の魅力も尋常じゃないし。
でも。
「その魔王様が、私の女に手ェ出すってのは…どういう了見だ?」
わかってる。
初対面の、それも私が大好きな女の子相手に、鋭い目と強い語気で威圧するのが、クソダサい八つ当たりだってことは。
だけど当人は、
「私の女…ああ番だったんだね♡でも安心して♡あなたの魂もとってもステキだから、一緒に愛してあげるよ~♡」
そんなの些細なこととばかりに私に抱きついた。
「澄んだ緋色の魂…♡燃え盛る不変の太陽みたいに熱くて、地平線の彼方まで咲き誇るお花畑みたいに濃厚な匂い♡今日はいい日だよぉ♡こーんなにステキな子たちにいっぱい出逢えたんだから♡」
「なん…ちょっ…」
「それが此奴の厄介なところでの…此奴には悪気も正義も一切有りはしないのじゃ。あるのは純真無垢で真っ白な果てのない欲望。ただ我がままに欲しいものを求むる、悪魔らしい悪魔とでも言おうか。そうじゃな…理性と倫理が完全に欠如したリコリスと思えばよい」
「「把握」」
「すんな」
私の認識ってそんな?
「モナよ、何度も言うがこれらは妾の盟友であり最愛。これ以上妾らに関わるな。さもなくばそなたと本気で事を構えねばならぬ」
「テルナちゃんとケンカする気なんてないよぉ♡ただあんまり可愛くて、あんまりおいしそうだっただけ♡今も本当はみんなのこと食べちゃいたくてしょうがないのに、テルナちゃんが本気で怒るから何もしないであげてるんだよ?♡クスクス♡」
モナは、まあでも…と私の頬に触れて顔を近付けた。
「無理やりっていうのも興奮しちゃうかなぁ♡」
初めてだ。
女の子に対して不気味だと思ったのは。
「あなたがテルナちゃんの良い人なんだね♡ねえリコリスちゃん、モナのものになっちゃいなよ~♡みーんな一緒にモナが愛してあげるから♡飽くまでたぁっぷり魂の髄まで♡」
「おい」
ルウリがモナのこめかみにアルケミーの銃口を押し当てた。
「あたしらの姫に色目使ってんじゃねーよクソビッチ。脳みそぶち撒けられたくなかったらその手離せ」
「アタシたちの仲間悲しませておいて、詫びも無しじゃ道理が通らないわ」
ドロシーの髪が魔力の昂りで青く輝く。
呼吸を忘れそうな怒りを前にして、モナは一度呆けてから、変わらず無垢に笑みを浮かべた。
「あはぁ♡やーん可愛い子たちばっかり♡いいの?♡モナ…我慢出来ないよ?♡」
「ッ!!」
「姫?!」
「リコリス?!」
咄嗟だった。
ルウリの銃とドロシーの腕を掴んだのは、ほとんど反射だと思う。
二人を止めてなきゃ大変なことになっていたような…そんな悪寒に冷や汗が垂れた。
「エヘヘ、なーんて冗談だよ~♡だからテルナちゃんもその魔力抑えて♡本当に我慢出来なくなってもいいなら、話は別だけど♡」
「これ以上ここにいれば辺り一帯が無事では済まなくなる。そなたとて住処が荒れるのは本意でなかろう。今日のところは大人しく去れ」
「はーい♡みんなはまだこの国にいるんでしょ?♡明日はちゃんとデートしようね♡」
モナは軽い足取りで部屋から出ていった。
髪を振る仕草からドアを閉める最後のバイバイまで、全部が全部女の子らしくて目を離せなかった。
尤もそれは、何か仕出かすんじゃないかって危惧も十二分にあったんだけど。
「っはァ…!疲れた…汗エッグ…」
「嘘でしょあんなの…」
ルウリとドロシーは、それぞれベッドとソファーに身体を預けた。
「テルナがこんなだから慣れちゃってたけど、本物を目の当たりにしたプレッシャーはハンパじゃないわね。五体満足平気でいられるのが不思議なくらいだわ」
「こんなってなんじゃこんなって。ふぅ、リコリスよ」
「?」
「先に言っておくが、あれをどうこうするのは不可能じゃ。ある種そなたと同様、制御は効かぬし効かせる気もない。まして実力行使など愚の骨頂。災害を相手に唾を吐くようなもの。今回に関しては悪運と、そなたの日頃の行いの祟りが重なったということじゃ」
「わかってる。ちゃんと謝るよ」
「だけじゃなくない?」
「そうね。そろそろいいんじゃない?次に進んでも」
次…か。
はたして私にその資格があるのか。
如何せん怪しいところだけどね。
そして、その日アルティは戻ってこなくて、下層の宿を取ったことを、朝に帰ってきたシャーリーから報告を受けた。
一緒には帰ってこなかったけど。
「アルティは?」
「まだ宿でお休みに。それより…」
壁の鏡に映った顔は酷いものだった。
寝不足でクマが出て髪もボサボサ。
そんな私を見かねて、シャーリーが身なりを整えてくれた。
「眠れませんでしたか?」
「まあね。アルティは…」
「さんざん飲んで、さんざん泣いて、泣きつかれて眠ってしまわれました」
「そっか」
「仲直り、ちゃんとしてくださいね。好きな人たちが険悪なのは私たちも耐えかねますから」
「わかってる。私が迎えに行くよ」
「お願いします。いつもどおり、リコリスさんのステキな笑顔で。はい、出来ましたよ」
「ありがとう。行ってくる」
シャーリーに教えてもらった宿を訪ねたら、アルティはまだ部屋にいるようだった。
部屋の扉をノックしようとして手が止まる。
あの悪魔がアルティと添い寝してたら…なんて妄想に落ち込んだ。
「すぅ…はぁ…。んっ」
コンコン
「はい」
「お、おはよう…」
「……おはようございます」
よかった、アルティだけだ。
目の周りが腫れて赤くなってる。
「あの…」
「なんですか」
「いや…」
怒ってる…そりゃ当然か。
でもアルティは待ってくれてる。
私が喋りだすのを。
「アルティ…」
「はい…」
「あっ、と…」
「…………」
「あ、あの!」
グゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ
「…………」
「…………」
どんなタイミングでお腹鳴らしてんだこいつ!
「~~~~!!どっか行ってください大バカリコーーーー!!」
「ぶへェェ!!」
キレイな右ストレートでぶっ飛ばされたんだが…
今のは私悪くないじゃろ…?ガクッ。
応援ありがとうございます!
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